第五章(終)「帰り道の影」
シャドウウルフ・ロードが低く唸り声を上げる。赤く光る双眸が、真っ直ぐに俺を捉えていた。本来この階層に出現するはずのない上位個体----なんらかの異常繁殖か、あるいは誰かが意図的に呼び込んだ可能性もある。
どちらにせよ、悠斗たちのてに負える相手ではない。
「蒼、一人でやる気か!?」
背後から悠斗の声が飛んでくる。振り返らずに答えた。
「莉世、頼む。二人を連れて下がってろ」
「そんな.......」
「大丈夫」
短く、けれど確信を持って言い切る。加減しなければならないのが多少面倒ではあったが、負ける相手ではなかった。
シャドウウルフ・ロードが地を蹴る。
巨躯からは想像もつかない速さで、影が突っ込んできた。悠斗と亜衣が思わず息を呑む音が聞こえた。だが俺にとって、その動きは――スローモーションのようにさえ見えていた。
「――遅い」
右の刃で牙を受け流し、体を横に滑らせる。同時に左の刃を、がら空きになった横腹へと叩き込んだ。
ギャン、と鈍い悲鳴が響く。だが上位個体だけあって、一撃では沈まない。俺はそのまま地を蹴り、二撃目、三撃目と繋げていく。
「うわ、速すぎだろ……」
悠斗の呟きが、遠くに聞こえた。俺は集中を切らさず、シャドウウルフ・ロードの動きを読み続ける。
――こういう時、頭に浮かぶのは、いつもゲーム時代の記憶だ。この個体の攻撃パターン、隙が生まれるタイミング、弱点となる部位。何百時間もかけて体に染み込ませた戦い方が、今もそのまま俺を支えている。
シャドウウルフ・ロードが、痛みに苛立ったように咆哮を上げ、大きく飛びかかってきた。
「そこ、だ」
俺は敢えて後退せず、逆に一歩踏み込んだ。相手の想定を外す動き。案の定、モンスターの軌道にわずかな乱れが生じる。その隙を、俺は見逃さなかった。
双剣を交差させるように振り抜き、首元へ深く斬り込む。
断末魔のような咆哮が、通路に反響した。次の瞬間、シャドウウルフ・ロードの巨体が、光の粒子となって崩れ落ちていく。ゲーム時代と同じ、モンスターが消滅するときの光景だった。
静寂が戻る。
「……終わった、みたいだ」
俺は双剣を鞘に収めながら、振り返った。
「す、すご……」
亜衣が呆然と呟く。悠斗は言葉を失ったように、口を半開きにしたまま俺を見つめていた。
「蒼くん」
莉世が、こちらに歩み寄ってくる。その表情には、驚きと――それ以上に、何かを確信したような色が浮かんでいた。
「あの動き……」
「?」
「ううん、何でもない」
莉世は小さく首を振ったが、俺を見つめる視線は、まだどこか探るような硬さを残していた。俺は内心で、僅かな緊張を覚えながらも、平静を装って答えた。
「ゲーム時代の経験が、多少活きただけだ。それより、二人とも怪我はないか」
「お、俺は平気!つーか蒼、お前マジで何者だよ……」
「大した者じゃない」
俺はそう言って、話を切り上げるように背を向けた。だが、莉世の視線が、まだ背中に突き刺さっているのを感じていた。
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シャドウウルフ・ロードを倒した後、四人は予定していた探索を切り上げ、ダンジョンの出口へと引き返すことにした。
「いや、マジで生きた心地しなかった……」
悠斗が肩を回しながら、まだ興奮の抜けきらない声で言う。亜衣も苦笑しながら頷いた。
「でも、蒼くんのおかげで助かったよ。ありがとう」
「大したことしてない」
俺は素っ気なく答えたが、内心では少し気を張っていた。あの規模のイレギュラーな個体が、なぜ浅い階層に出現したのか――偶然とは思えない違和感が、頭の片隅にこびりついていた。
出口までの通路も残りわずか、というところで、その違和感は現実のものとなった。
「――止まれ」
通路の先、闇の中から複数の人影が現れる。装備の意匠には見覚えがあった。腕に刻まれた紋章――闇ギルド『黒鴉』。
「え……」
莉世の表情が強張る。悠斗と亜衣も、咄嗟に後ずさった。
「おいおい、こんなところで会うとはな」
先頭に立つ男が、下卑た笑みを浮かべる。以前、莉世を襲っていた三人組とは別の顔ぶれだった。それなりの装備を身につけている――末端の使い走りではなく、多少は場数を踏んだ連中らしい。
「さっきの大物、お前らが仕留めたんだろ?わざわざこの階層に誘導してやった甲斐があったってもんだ」
――やはり、誘導されていたのか。
俺は男の言葉に、内心で舌打ちした。シャドウウルフ・ロードの出現は、偶然ではなかったということだ。恐らく、こいつらの目的は最初から俺たちだったのだろう。
「蒼、こいつら――」
「下がってろ」
俺は悠斗を制しながら、莉世たちを庇うように一歩前に出た。
「用件は」
「察しが悪いな。お前、ゲーム時代の"あの"実力者だろ?こっちに来てもらえると、色々と都合がいいんだよ」
男の言葉に、背後で莉世が小さく息を呑む気配がした。俺の正体に関わる話――この場で肯定するわけにはいかない。
「人違いだ」
「白々しいこと言うなよ」
男が合図を送ると、周囲にいた仲間たちが一斉に武器を構えた。三人、いや四人。数の上では不利だが、実力差は明らかだった。
「悠斗、亜衣を連れて莉世と一緒に下がれ。この人数なら、すぐに片付く」
「お、おう……!」
悠斗が莉世たちの手を引くようにして後退する。俺はその隙を作るように、真っ先に踏み込んだ。
双剣を抜き放ち、最も近い男の得物を弾き飛ばす。速度に振ったステータスの本領は、こういう乱戦でこそ発揮される。相手が反応するより早く、次、また次と間合いを詰めていく。
「く、速――」
二人目が体勢を崩したところへ、鞘の腹で首元を打ち据える。声もなく崩れ落ちる相手を尻目に、俺は三人目へと視線を移した。
「舐めんなよ小僧が!」
三人目が焦った様子で剣を振りかぶる。だが、その動きはあまりに大振りで、隙だらけだった。俺は最小限の動きでそれを躱し、返す刀で相手の得物を叩き落とす。
最後に残った男――最初に声をかけてきたリーダー格が、忌々しげに舌打ちした。
「今日のところは、これくらいにしといてやる」
「……逃げるのか」
「情報は取れた。それで十分だ」
男はそう言い捨てると、仲間を促し、闇の奥へと姿を消していった。俺は追う素振りは見せず、その場に立ち尽くしたまま、小さく息を吐いた。
「――蒼くん」
振り返ると、莉世が真っ直ぐにこちらを見つめていた。その目には、もう誤魔化しようのない色が浮かんでいる。
「今の動き……あの夜と、同じだった」
俺は、何も答えられなかった。
悠斗と亜衣が、戸惑ったような視線をこちらに向けている。
「莉世、それって――」
「うん」莉世が小さく頷く。「多分、蒼くんが……」
その言葉が最後まで紡がれる前に、俺は静かに口を開いた。
「――ああ。俺が、あの夜のフードの男だ」
沈黙が、その場を包んだ。
ダンジョンの奥から吹き込む微かな風だけが、四人の間を通り過ぎていった。




