表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/22

5.蝕化魔力

先に謝ります。用語がたくさん出てきます。


すったもんだの休憩を挟みつつ、各々好きに、時には会話を交えて森を歩く事しばらく。

リィンは頭上の迷彩が色を変えている事に気付く。

自然の網の向こうにあるのは、帰ろうと囁く暖かくも物寂しい帳の色だ。


確かベルセルに会う前、フラーテルも日没までに森を抜けるのは難しいと言っていた。まだ森の終わりは見えないし、ここは潔く諦めるべきだろう。


「そろそろ日が暮れてきましたね…ベルセルさん、野営の準備をしませんか?」

「む……?ああ、もうこんな時間か。ふむ…わたしの計算では、少し先にひらけた場所があるはずだ」

「じゃあそこを目指しましょう!」


さすがはベルセルの計算と言うべきか、目的の場所はすぐに見つかった。

いくつか新しい足跡が残っていたが、人影は見当たらない。

同じような実習生が少し前にでも休憩していたのかもしれないが、今は貸し切り状態だ。


「まだファームルワまでは距離があるんですよね?夜の森を歩いて大丈夫なんでしょうか?」

「森に詳しい地元の人間ならな。とはいえ、オススメはしない。…森に限らず夜という時間帯の環境や生き物を敢えて調べる者もいるが」

「なるほど、そういうのもあるんですね…じゃあ、私達は気にせず野営の準備を…」

「まぁ待て。少し調べる」


そう言って、ベルセルは時折いじっていたあの魔道具を取り出した。

そして小難しい計算式を念仏よろしく唱えながら、ウロウロと歩き始める。


「あの、ベルセルさん。それって何を調べてるんです?」

「簡単に言えば、汚染度だな」

「汚染?…デバフ」

「ではない。汚染度(グレード)、正確には蝕化魔力汚染度(カルマグレード)だ」

蝕化魔力汚染度(カルマグレード)???」


馴染みのない、小難しい言葉をオウム返しする。

気を使ったつもりかサラッと手元のメモに書いた文字を見せられたが、そんな言葉があっただろうかとリィンはこめかみを人差し指で刺激してみた。結果、リィンの記憶にはヒット無し。


(でも想像はしてみよう。まず汚染度はグレード…段階って事だよね。で、蝕化は…物事の何かを蝕む性質と化したって事?なら蝕化魔力は、蝕む性質と化した魔力…?分からないや。けど、良くない魔力って意味なら…あの、下水みたいな土から感じた魔力がそうだったり?)


「よし…この辺りは正常か…数値も安定…ブツブツ」

「正常って事は綺麗って事ですか?」

「そう捉えていい。…ところでキミ、ソキウスはどうした」

「え?…あれ!?」


言われて、ぐるりと辺りを見渡す。

つい先程までわちゃわちゃとはしゃいでいた姿が見当たらなかった。

ザッと血の気が引く。


「はぁ…いくら気を抜いていても己の契約魔獣から目を離すな。それが出来ないなら亜空部屋に入れておけ」

「す、すみませ…っ、あの、私ソキウスを探しに…!」

「…反省はしろ。だが、そう慌てるな。フラーテル」

「クゥルクーイ」


フラーテルは泣き出す一歩手前のリィンの背を宥めるようにポンポンと叩き、茂みの一点を示した。


「…まったく、世話が焼ける。失敗したのが今で良かったな。ソキウスはあちらにいるそうだ」

「っ、はい!ありがとうございます…!フラーテル、ありがとう」

「クゥ、クルー!」


リィンは二人にしっかりと頭を下げ、フラーテルが教えてくれた茂みへと駆け出す。

それを見送るベルセルの目には、厳しさと呆れの奥に隠れた不器用な優しさがあった。彼が見た目にそぐわない幼さを持ったソキウスを心配し、ちゃんと見ておくよう頼んでいたのは…頼まれたフラーテルだけが知っている。


「ソキウスー!」

「グル?グルルー」

「もー!遠くに行かないでって言ったのに…ううん。目を離した私も悪いよね」

「グゥ?」


今ひとつ状況が飲み込めていない様子のソキウスに、むんっとリィンは努めて厳しい表情を作った。


「あのね、ソキウス。キミは…私とはぐれて、もう会えなくなってもいい?」

「グゥ!?グルルゥ!?」

「例えば、川に落ちて流されちゃうかもしれない。例えば、悪い人にさらわれてしまうかもしれない。例えば、怖い魔獣に襲われちゃうかもしれない。そうなった時、側にいられなかったらと思うと…私はすごく怖い。ソキウスに会えなくなるかもしれないことが、怖いよ。怖くてたまらない」

「グル…」

「だから、どうか…勝手に目の届かない所には行かないで。私も気を付けるから、ね?」

「グッ…グゥル!グルルール!」

「…よし!」


目を潤ませながら腕に飛び込んできたソキウスを抱き留める。

ほんの少し離れていただけだったのに、その温もりに酷く安堵した。


「さて、戻ってベルセルさんとフラーテルにお礼を言わないとね」

「グルル!」


離れない事をしつこく言い聞かせ、リィンはソキウスと元来た道を戻っていく。

ソキウスは言いつけを守りつつも、やはり落ち着かない様子で体を必要以上に動かしていた。


(んん?どうしたんだろう?もしかして運動不足なのかな?)


じっと観察しているうちに、リィンはある事に気付く。

ただ無秩序に動いているというより、何かを避けるようなステップワークや、ひらりと落ちる葉っぱを狙ったスパーリング…これは、遊びと言うよりトレーニングと言った方がらしい気がしてきた。


(もしかして…)


「ソキウス、ずっと体術のトレーニングをしてるの?」

「グル!」


自分の不甲斐なさで埋まりたい気分である。


「…気付くのが遅くてごめん。私にも手伝える事があるか考えてみるね」

「グルール!」


両手で顔を覆いながらそう言えば、ソキウスは嬉しそうに鳴いた。健気な相棒が愛おしいと同時にやっぱり恥で埋まりたい。


「…ん?」


と、手をどかした瞬間リィンの鼻がとある匂いをとらえた。

気のせいかと思いすん、すん、と何度か試してみたが…やはり匂いはある。


「おい、いつまでかかっている…キミまで迷子になったかと…」

「グゥルー!」

「あの、ベルセルさん。変な匂いがしませんか?」

「は??」


心配してくれたのか、ガサガサと茂みを掻き分けて合流したベルセルは唐突な問いに戸惑いを見せたものの、少し顎を上げて目を閉じる。


「…いや、特には」

「うーん…でもあの、下水っぽい土の匂いがするんですよね。あと、なんだか気持ち悪いです」

「下水??ここで??」


出てきたワードに怪訝そうな顔をしつつ、けれども何か思い当たったのか、彼は懐からあの魔道具を取り出した。


「…正常だな」

「こっち…違うな…あ、こっちだ。ベルセルさん、こっちです!」

「グルグゥルー!」

「はぁ…分かった。分かったから、白衣を引っ張るんじゃない」


こっち、あっち、とベルセルには分からない何かを辿るリィンの後を、彼は見失わない程度にゆっくりと続く。

気が済むまでやらせておこうと傍観する姿勢は、さながら魔獣の散歩を見守る調教師である。


しかし、空の色を気にしつつ、さてどこまで行くのやらと思った…その時だった。


『ビービー!基準値ヲ超エル数値ヲ検知シマシタ!!』

「……は?」

「ゔ、ゾワゾワする魔力が強くなった…嫌な匂いも、そこの木の後ろかな…ぁ」

「グル?」


魔道具を通して脳内に鳴り響いたけたたましい警告音が、彼を傍観者から引き釣り下ろす。

唖然とするベルセルを余所に、リィンは一本の木…周囲の木よりもずっと幹が太い老木の影を覗き込んだ。

そして、目を丸くする。


「ベルセルさん!下水の土、ありましたよ!それと…」

「これは、まさか…計算外だ」


駆け寄って見てみれば、彼女が下水の土と呼んでいるそれは、確かにベルセルの警戒していた蝕化魔力のスポットであった。

それも、測定魔具の針がレッドゾーンを示すくらい高い汚染度である。


ようやくベルセルにも分かるくらい香ってきた腐臭と刺激臭が混ざった匂いは、脳が危険を知らせるが如く不快感を示し、漂う魔力は肌に触れただけで痛みと虫が這うような気持ち悪さをもたらした。

土の上の植物は枯れ果てて地面に寝てしまっている。

高い回復力や耐性があっただろう立派な木でも耐えられなかったのか、魔力は弱まり、根の部分は黒ずんでボロボロになっており、部分的に溶けてすらいた。

これを見逃さずに済んだのは僥倖だが…彼は素直に喜べない。


「鼻が利くとはいえ、まさかここまで…わたしの魔道具以上だと?本当に人間かキミは」

「上から下まで人間ですってば!」


我ながらよく出来ていると自負していた測定魔具が、目の前でむっと口をとがらせる子供に負けたことが悔しいのもある。

だがそれ以上に…リィンが持つ鋭すぎる感覚を危ぶんでいたから。


なにせ彼女がやった事は、何の装置も魔法も使わず、腫瘍にもなっていない癌細胞の早期発見をした事と同義であるのだ。変な輩に目をつけられたら厄介極まりない。


「それより、ベルセルさん!そこ…香草小鳥型魔獣(ヘルバアウィス)が…!」

「あ、あぁ…浄化を試みたが失敗したんだろう。逆に蝕化魔力に侵され、蝕魔(カルマ)を患ったようだな」


彼女が指差す先には、根上りの上にぐったりと倒れている一体のヘルバアウィスがいた。

かろうじて息はあるが、顔色は悪い。


ベルセルは周囲…特に木々の上澄みを見渡し、溜め息代わりに目を伏せた。

通常、ヘルバアウィスは数体もしくは数十体の群れで行動し、一体で行動することはまずない。

ならばこの個体は群れからはぐれたか、弾かれたか、見捨てられたか…どのみち、仲間が助けてくれるという心温まる展開には期待できそうになかった。


と、視線を瀕死のヘルバアウィスに戻した瞬間、彼はヒュと喉を鳴らす。


「触るな!!!!!」

「ひゃ!?」

「素手で!触ろうとするやつが!あるか!!!」


無警戒に魔獣へ手を伸ばしていたリィンは、切羽詰まった怒鳴り声と顔面に叩きつけられた何かで尻餅をついた。耳と顔と尻が痛い。


「痛ったた……ゴム手袋?いや、魔道具?」

「蝕化魔力に触れればどうなるか、その魔獣が示しているだろうが!そして、今はその魔獣も汚染されているんだぞ…!」

「す、すみません…」

「はぁ…ついでにマスクもやるから鼻まで覆っておけ。それと、今だけでもソキウスを亜空部屋に戻せ。邪魔だ」

「グゥル?」


リィンは渡された魔力糸で作られたマスクと、手首のところに何やら装置のついたの手袋を素直につける。

魔力糸製の品は完成と同時にランダムな魔法を得るが、どうやらこのマスクには浄化の魔法が発現しているらしい。手袋の魔道具にも浄化の魔法が組み込まれていた。かなりの徹底っぷりである。


驚きはしたが、ベルセルが自分を思って行動してくれているのはよく分かっていた。"蝕化魔力"が何なのかまだ理解はできていないが、きっと本当に危険なのだろう。

一瞬荒々しくなった口調が彼の焦りを如実に伝えていたから。

ソキウスもそれが分かったのか、大人しく魔法の中に入ってくれた。


「ヘルバアウィス、大丈夫?…体温がすごく低い」

「相当弱っているな…」


改めてヘルバアウィスに手を伸ばすと、その身体は指先を震わせるほどに冷たかった。


(汚染のデバフではないって言ってたけど…確かに、弱り方は毒とか呪い状態の方が近い。でも、それ以前にこの気持ち悪い魔力の感じは何?)


毒や呪いが生命力を削って弱らせていくデバフなら、汚染は魔力を削って弱らせていくデバフだ。しかし、目の前の魔獣は魔力が別の何かに変えられ、それが結果的に生命力を脅かしているように感じる。

リィンは一度手袋を外してリュックをあさった。


「ま、魔法薬で治る?…回復薬(ポーション)聖水(ピュアウォーター)解毒薬(デトックスポーション)…うぅん、やっぱり治療院に……っ、間に合う、かな…」


一個、二個、三個と魔法薬を取り出す子供っぽさにベルセルは嘆息する。

数を重ねて治るものでもないと頭では分かっていても、他に方法を知らないからこその行動。

馬鹿になどしていない。遠い昔、かつてベルセルも、それを試した事があったから。

だからこそ、無駄だと知っている。


「はぁ…場所をあけろ」

「ベルセルさん…」

「…そんな顔をする必要はない。わたしの計算では…この魔獣はまだ助かる」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、だから任せるといい」


ベルセルの疲れ切ったような目の奥にいつもチラつく強い意志の色。

それが強くなったように見えて、リィンはすぐにヘルバアウィスの前からどいた。


ベルセルは手慣れた様子で護謨手袋型魔具(オペリア)を嵌め、浄化(ピュリフィケーション)の魔法を発動させながら魔法薬だろう薬を一つ白衣のポケットから取り出す。

試験管に揺れるそれはガウラの栄養剤に負けず劣らず派手な色合いで、蛍光グリーンとネオンブルーが激しく主張していた。


「あの、ベルセルさんそれは…?」

魔力中和薬(マギアドベンサー)だ。蝕化魔力の汚染進行により発生する毒素や有害魔力と拮抗する魔力や薬剤を数種類混ぜ、有害成分を一つずつ打ち消し合い、その隙に魔力排出を促して蝕まれた魔力を排出させ…」

「???」

「…つまり、その…解毒剤だ」

「なるほど」


ベルセルはどこか不服そうな顔をしつつ、中和薬をほんの一口ヘルバアウィスの嘴の中に垂らす。

飲み込んだのを確認し、今度は中和薬を新たに取り出した別の液体と混ぜ、今度は多めに嘴の中に。


「わぁ…」


無駄のない手際と試験管を振るこなれた動作に、研究者と名乗った彼の本質を見た気がして、リィンは思わず見とれてしまった。

少し変かもしれないが…彼女の感性は、それを綺麗だと形容する。


そんな事を思われているとはいざ知らず、ベルセルは残った中和薬の原液を綺麗な布に染み込ませ、抱き上げた魔獣の体を丁寧に拭き始めた。


それなら手伝えそうと手を伸ばしたリィンだったが、やんわりと遠ざけられてしまう。


「これはわたしのような専門家がやるべき仕事だ。子供が首を突っ込む領域ではない」


やはり蝕化魔力とやらは危険らしい。

ただ、彼の目と仕草が直向きに子供を守ろうとする親魔獣に似ていたのでリィンも文句を言い難く、仕方なく頬を膨らませるだけにしておいた。

そういうところだぞ、と思われているとはつゆ知らず。


ベルセルは丁寧に拭き終わった後、ボロボロになった布を黒い箱型の収納型魔具(ストレージ)に入れ、別の液体と混ぜた方の中和薬に魔道具を取り付けてヘルバアウィスの全身に満遍なく噴霧した。


「混ぜた液体も中和薬なんですか?」

「いや、純水だ。使い勝手のために粘度は弄っているが」

「水??」

「中和薬一に対して水二で薄めている。原液だと薬に含まれている魔力が強過ぎて体毛や皮膚を傷めるからな」

「ふむふむ…じゃあ、じゃあ、どうして二回飲ませたんです?」

「好奇心は猫を殺すぞ…はぁ、一度目の原液で一気に症状の進行を止め、二度目の希釈液で緩やかに解毒、安定させる。その後、状態に応じて希釈液を追加するが…」

「はぇ~…」

「…よし、こいつはこれでもう問題ない。持っていろ」

「え、あ、はい!」


いきなり無遠慮に差し出されたヘルバアウィスを、目を白黒させながら受け取る。

あれだけ汚染を警戒して遠ざけていたのにこうもあっさり態度を変えるあたり、己の処置に自信があるのだろう。


リィンは腕の中の魔獣を見つめた。

呼吸はすっかり安定し、体温も上がってきていた。魔力はかなり減ってしまっているが、先ほどのような気持ち悪さは感じない。今は眠っているだけのようだ。


「はぁ…よかったぁ」

「こちらも終わった」

「え、あ、匂いがなくなってる…!いつの間に…」


ヘルバアウィスに気を取られているわずかな隙に、ベルセルは魔力汚染の処理を終えたらしい。

見逃した、とリィンは少し肩を落とした。


「…やっぱりヘルバアウィスみたいに羽ばたいたんですか?白衣で」

「キミにはわたしが何に見えているんだ???」

「いや、出来そうだなって…ふふっ」


勿論そんな事は思っていない。度々人外扱いされた意趣返しだ。

からかわれる事に慣れていないのだろう。困惑気味に眉を寄せつつムスッと口を結ぶ大人が、なんだかとても可愛く見えた。勿論口には出さないが。


「あの、ところで…蝕化魔力って何なんでしょうか?」

「あぁ…いや待て。何も知らないのにこのスポットを見つけたのか??」

「えぇと、そうですね?」

「はぁ…」


ベルセルに呆れの目を向けられたリィンは遺憾の意を表明したい。

最初からひと言も知っているなど言っていないではないか、と。


蝕魔塊(マギアキャンサー)…カタルシアが抱える一つの問題だ」


カタルシアのみならず、エルーセ・ウルナに存在する国々には、その土地を巡る魔力の流れ…地脈や龍脈と称されるようなものが存在していた。見えない川とでも思えば大体あっている。

カタルシアではそれを魔脈と呼ぶらしいのだが、国全土に魔力を巡らせているその一部に問題が生じているのだそう。


それが、蝕魔塊という…清らかな川の中でヘドロのようにこびりついた汚れだとベルセルは言った。


「その汚れが吐き出す魔力…蝕化魔力(カルマギア)は、正常な魔力を蝕んで広がっていく。これに汚染されると自然も魔獣も精霊も勿論人間も、己の魔力を猛毒に変えられていずれ朽ち果てる。この病が蝕魔(カルマ)だな」

「ひょえっ…まるで癌ですね…!物凄く怖い風土病だや…」

「風土病、か…はは、そうだな」


リィンはジクリと胸の奥に痛みを覚えた。別に、蝕化魔力が怖いからではない。

から笑いをこぼしたベルセルの目が痛みを堪えるような色を宿していたから。

何か、この蝕化魔力関連で辛い目にあったのだろうか。

踏み込んで質問する勇気は、なかったけれど。


「…ピ、ピ?」

「あ、ヘルバアウィス!気が付いた?」

「ピ、ピピィ」


聞こえた鳴き声に、緊張感が消えて空気が緩む。

リィンの腕に抱かれたヘルバアウィスがぼんやりと目を覚ましたのだ。

そのままもぞもぞと動き、すっかり消えた蝕化魔力のスポットとベルセル、そしてリィンを順番に見つめた。


「もう苦しいところはない?大丈夫?」

「わたしが処置したのだから問題ないだろう」

「もぅ!そう思ってもちゃんと確認は必要ですよ!」

「ピピ、ピ!」

「わ、もう飛べるの?あんなに弱ってたのに…」

「魔獣の生命力は計り知れないからな」

「ベルセルさんでも?」

「ああ、わたしでも」

「ピピィ!」

「ふふ、なぁに?擽ったいよ!」


飛び上がったヘルバアウィスはすぐにリィンの肩に着地し、まだ中和薬で湿っている体をまろい頬に押し付ける。

擽ったさに彼女が笑いながら指で撫でれば、もっともっとと強請った。


「ほら、ヘルバアウィス。元気になったなら帰らなきゃだよ」

「ギュビ!」

「すごい声…」


指で空を示しただけなのに、魔獣はまるで突風に吹かれる直前のように彼女の肩をギュッと掴む。


「…懐かれたな」

「えぇ…助けたのはベルセルさんなのに…」

「見つけたのはキミだろう」

「ピ、ピ、ピィ」

「ね、ヘルバアウィス、私達もう行かなきゃ…」

「ギュビィィ!!」

「痛い痛い痛い…」

「はぁ…離れる気はなさそうだな」

「うーーーーん」


リィンは情けなく眉を下げ、絶対に離れるもんかと身まで低くしてしがみつく魔獣を見る。

無理やり引き剥がす事が出来ないわけではないが…


「…あのね、私にはもう契約魔獣がいるんだ。だからキミと正式な契約は出来ないの」

「ピ!」

「き、気にしてなさそう…」

「はぁ…勝手にさせればいいだろう。そのうち飽きたらどこかに行くはずだ」 

「えぇ…いいのかなぁ…?」

「ピピ!」

「いいんだ…」


ご機嫌な様子で力強く頷く魔獣にリィンは深呼吸をし、仕方ないなぁと柔らかい笑みを灯した。

リィンは魔獣が大好きなのだ。

それはもう、魔獣が自由に生きているだけで天に感謝を叫びたいほどに。

なら、この小さな魔獣の望む自由を…リィンといたいという我が儘を叶えるくらいわけない。むしろご褒美だ。


それは、つまり、あまりにもポジティブな開き直りだった。


「分かったよ。好きなだけ一緒においで」

「ピッピピィー!」

「たらしだな」

「真っ先に提案したのベルセルさんですよね???」

「…そうだったか?」

「ぐぬぬ…!」


とぼけてみせるベルセルの腰をベシベシと叩くと、低く響く声が愉しげにクツクツと跳ねる。

それに頬を膨らませるリィンが更にツボに入り、追撃にその頬を擦り寄ったヘルバアウィスがぽひゅっと頬を潰したらもうダメだった。


隠す努力すら止めて笑うベルセルに途中からリィンもなんだか面白くなってしまって、二人して笑いながら野営地へと戻ったのである。


尚、留守番をしていたフラーテルは、ようやく帰ってきた主に心配したぞと一発軽い痺れ魔法をお見舞いし、見慣れない新入りを肩に乗せたリィンに呆れの眼差しを向けたのだった。



蝕化魔力の対処をしているうちに、気付けばすっかり日が落ちている。

幸い、帰り道は困るほど真っ暗ではなかったものの、ベルセルがフラーテルのお叱りから立ち直る頃には、相手の顔を判別するのも苦労する程になっていた。

迷彩模様だった天井はもう空も木の葉も区別がつかず、夜の色一色である。

たまに枝葉の隙間にきらめく星と月がなければ、大黒幕を頭から被ったと錯覚したことだろう。


「ベルセルさん、大丈夫ですか?」

「はぁ…問題ない。わたしの心配より、早く火おこしの準備をしろ。夜行性の精霊なんぞに目をつけられては面倒だ」

「あはは、攫われちゃいますからね…よし、任せてください!ソキウス、ウィズもおいで」

「グル!」

「ピピィ!」


ソキウスとはぐれた事が効いたのか、リィンは魔獣達をきちんと目の届く場所に呼び寄せた。

ベルセルは疲れた体を木の幹に預けつつ、彼女の成長をそっと喜ぶように口元を緩める。

が、バッとすぐに体を起こした。


「いや、待て、ウィズとは誰だ?」

「誰かさんの入れ知恵でついてきちゃった香草小鳥型魔獣(ヘルバアウィス)ですけど…」

「人のせいにするんじゃない。…契約していないのに名前を付けたのか?」

「だって種族名だと長いですし…本人も気にしてなさそうなので」

「ピ!」

「グゥ!」


あの後顔合わせさせたが、契約魔獣であるソキウスとの仲も悪くないので、リィンは行けるところまで開き直った次第である。

というか、誰だってよく遊びに来る近所の猫にクロとかタマとか呼び名をつけるだろうに。それと何が違うのか。

純粋無垢な顔でそうのたまったリィンに、ベルセルは頭を抱えた。


「名前は魔獣や精霊にとって非常に重要だ。普通なら軽々しく名付けなどさせない」

「え…ウィズ、実は呼び名嫌だった?」

「ピ?」

「大丈夫そうですけど…」

「…そうだな」


ベルセルは諦めた。

本人達が良いのだから部外者が口を挟むことではないと己を納得させなければ、脳がエラーを吐き出しそうだったので。


そのまま暫しの休憩と、彼は目を瞑った。

別にサボりだとか楽をしたい訳では無い。経験を積ませるためにも、野営の準備はなるべく彼女に任せるつもりなのだ。勿論、手こずっている気配があれば手伝うつもりで。


カチ、カチ…

カチカチ…

カチカチカチカチ…


「ん?」


だが、彼の計算に無いおかしな音が聞こえてきた。

火の気配はするので大丈夫だとは思ったが、鳴り止まないそれについぞ目を開ける。


「……」

「もう、ちょっと…あ、火が付いた!これを薪に…」

「ピーピィー!」

「あ、こら!ここで暴れたら…ありゃ消えちゃった…」

「ピィ…」

「あはは、大丈夫!気にしないで!よし、もう一回…」


カチ、カチ…

カチカチ…


「!?!?」


ベルセルは目の前の光景が理解できず、すぐさま己の多機能型通信魔具(タブレット)を開いた。

迷わずカレンダーの昨日を呼び出し、自分の記憶と照らし合わせる。


「ベルセルさん?急にどうしました?」

「いや…もしや知らないうちに時間捻転魔法にでも巻き込まれて大昔にいるのかと…」

「え?」

「それだ」

「これ…?火打ち石がどうしました?」


キョトンと目を丸くしながら両手にもつそれ…火打ち石をカチカチ鳴らすリィンに、ベルセルは頭痛を覚えて額を抑えた。


「はぁ…計算外だ。キミは一体何時代から来たんだ」

「失礼な。生まれも育ちも現代ですよ!もう…アナログで悪かったですね!」

「野営のセットに着火魔具(ライター)は付いていなかったのか?」

「ありましたけど…靴とかと同じで、やっぱり使い慣れているものが一番かなって!」

「使い慣れているのか…」

「まぁ、野営スキルは一般常識なので…」


なんせ彼女の故郷であるラントリイはド田舎かつ、魔法技術による発展度が最低ランク。街と街を繋ぐ街道を除いて交通インフラすらまともに整っておらず、移動は徒歩、自転車、魔獣か精霊による補助で成り立っている国だ。

加えて観光客などまず来ないので、宿泊施設などもまともに存在しない。ギルドの支部や民家の好意が旅人の宿代わりだ。

旅をするにしてもしないにしても、野営くらい出来ないと他の街に行くだけで一苦労なのである。


「…不便だな」


ベルセルの中でどんどんラントリイが未開の地になっていく。

いや、発展めまぐるしいカタルシアや他の国からすれば似たようなものなのだろうが。

しかし、その通りだとは思いつつ、リィンは口をへの字に曲げた。


「あのですね!不便を不便と思うのは、便利さを知ってるからですよ?」


カチッと打った火打ち石から火花が散り、火口に着火する。

それを焚き付け材の葉に移し、組んだ薪に近づけると、優しく息を吹きかけた。

一連の動きはベルセルが薬剤を扱うときのように滑らかである。


「ほう…見事なものだな」

「えへへ!…私含め、あそこで暮らしていた皆は、そういう環境でも別に困ってなかったんですよ。まぁ、こっちに来て色々すごい魔道具とか知っちゃったので、ベルセルさんが不便だって言うのも分かっちゃいますけど」

「便利を知ったから不便を知った、か…興味深い考え方だ…ところで」

「はい?あ、焦げてるや。火が強いみたい…ソキウス、弱められる?」

「グルル!」

「…そっちは、何をしているんだ」


ベルセルが指さした先には、森で採れた木の実や干し肉が乗せられた簡易的なバーベキューグリル…の下で火球(ファイアボール)の魔法を維持するソキウスがいた。

彼が感じた火の気配はこちらだったようだ。


「焼いてます」

「だろうな。だがわたしは"何故ソキウスに焼かせているのか?"の説明を求めているんだが?」


あらゆる要素を削ぎ落としたシンプルな答案に不可の赤字を返す。

リィンは休む前より疲れた様子の彼に不思議な顔をしながら、ちょうどいい答えを探した。


「ラントリイ式トレーニング?」

「は??」

「えっと、魔法式を描くのは契約者ですけど、実際魔法を使うのは契約魔獣じゃないですか?」

「そうだな」

「だから、こういう繊細な力加減を学ばせる事で、いざという時の技の精度や威力の幅、戦略の糧になる…らしいです。昔、近所のおじさんが言ってました!というか、ラントリイだとわりとメジャーなトレーニング方法だったはずですよ?」

「そ、うか…」


結論が出た。

深く考えたら負けである。

ベルセルは、世の中には自分の常識で測れないものがあるのだと再確認した。


約1名の疲労度は増したが、野営の準備は恙無く完了。

時折ウィズが風を送る焚き火には優しくも強い炎がゆらゆらと踊り、ソキウスが焼いた焦げ気味の木の実と干し肉を挟んだパンはいい出来である。


「ん!おいしい!おいしいよ、ソキウス!」

「…悪くない」

「クゥ!クゥールィ!」

「グルルゥー!グル、ルール!」

「ピピィ!」


遠くで梟、もしくは梟型魔獣の鳴き声がする中、穏やかに時間が流れていく。


「あの、ベルセルさん」

「なんだ」

「さっきの話からずっと考えてたんですけど…便利さって何だか難しくないですか?」

「…どうしてそう思う」


パチッと焚き火が爆ぜる。ウィズが驚いてずっこけ、ソキウスとフラーテルに笑われていた。


「この重たい火打ち石で時間をかけてやっていた事も、魔道具であっという間、魔法を使えば道具すらもいりません。便利ってそういう、時間や手間の短縮の事なんですよね?でも…それって、何が残るんでしょう?」

「…模範的に答えるなら、"自由な時間"だろうな」

「なるほど?うーん…」


成る程と口にしつつ、リィンは納得していなかった。

どうにもしっくりこないのだ。きっと、ベルセルの言っていることは正しいのだろう。それでも、うまく飲み込めない。

少し悩んで、自分では答えが出ないと思った彼女は、その葛藤をベルセルに投げることに決めた。


「例えばですけど…私はさっきみたいに火付けをしている時間、他愛ないお喋りをするのが好きです。魔道車を使うでも瞬間的移動魔具を使うでもなく、歩いてどこかに向かう間、同行者と意見を交わしたり、ゆっくり景色を見る時間が好きです。便利さで削ぎ落とす事ができるだろうそういう時間って、本当に無駄でしょうか?"自由な時間"って、その時にしか出来ない体験よりも大切なんでしょうか?」


とりあえず思ったことを並べたリィンは、薄く笑うベルセルに目を瞬かせる。


「……理想論だな」


いかにも子供らしい甘く幼い考えだと嘲笑った。

しかし同時に、それを口にできる純真さが尊いものだとも思った。


現実は彼女のように"無駄な時間"を楽しむ余裕などなく、大人は常に時間に追われる日々を余儀なくされる。

自分の時間すら満足に持てない日々だからこそ、"自由な時間"を捻出することに余念がないのだ。


けれどもし、時間の檻がないのだとしたら…成る程確かに、ベルセルも"無駄な時間"が…その時にしか出来ない時間が好きだと言えるだろう。

実際、今この瞬間、リィンとの時間を楽しんでいる自分がいるのだから。


本来、この森に通い慣れたベルセルの足なら野営をせずとも森を抜けられていたし、そもそも手持ちの移動魔具を使えば目的地まで一時間も必要ないのだ。

予定は詰まっているし、やりたい事もやらなければいけない事も山程ある。


それでも…この旅路が早く終われとは思わない。

元々はただ、知り合いの教え子が野垂れ死にしないようにと思ってのお節介であったが…存外絆されていたようだ。

気付いて、自嘲する。

困ったことに、悪い気はしなかった。


「…キミはそのまま大人になるといい。つまらない人間になどならずにな」

「ふぅん?ベルセルさんみたいな?」

「ほう…わたしはつまらないか?」

「…ぷっ、ふふ!いいえ!ベルセルさんは、私が出会った中で一、二を争うくらい面白い人ですよ!」

「…それは、喜んで良い事か?」

「存分に!」

「「っふ、あははは!」」


いつもいつも考え方が違う二人であるが、この時ばかりは同じ事を思っていた。

この時間が、少しでも長く続けばいい、と。



たくさん用語を出してしまったので、簡単にまとめ。

・蝕化魔力→悪い魔力。要するに病源(癌細胞)

・蝕魔塊→悪い魔力の塊。腫瘍(悪性腫瘍)

・蝕化魔力汚染度→悪い魔力に虐められた正常な魔力の度合い。要するに病の進行度(癌のステージ)

・蝕魔→病名というか、デバフ名(癌)

蝕の字がゲシュタルト崩壊しそうだね。ごめんね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ