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4.ノコリノ森


「わぁ…!森だぁ…!!ソキウス、森だよ!」

「グルルルゥー!」


草原を抜け、無秩序に並ぶ木々の門を抜けた先。リィンの目に映る世界は一変した。


視界は立派な幹に遮られ、遠くなどまるで見渡せない。

空は木々の伸ばした枝葉の向こうにあり、緑と淡い青が迷彩模様となってかぶさっているよう。

陽の光は木の葉の網に絡め取られて地面にまで届かないのか、足元は暗くジメッとしていた。


ついつい両手を広げてクルクルと回る彼女と、あちこち走り回るソキウスを、同行者…ベルセルは呆れを含む目で見やる。

その隣では、変異長耳手兎型魔獣(アウヌスレプス)のフラーテルが微笑ましそうに尾を揺らしていた。


「…そんなにはしゃぐことか?」

「クゥールゥ」

「ベルセルさん!きのこ!きのこ生えてます!なんかいっぱい!」

「はぁ…それは毒きのこだから触らないように…魔法で燃やしても無駄だ。食えんぞ」

「ありゃ…だってさ」

「グル!?グルル…」


ベルセルは少し…ほんの少しだけ己の選択を後悔したくなった。子供の元気さを見誤っていたと言ってもいい。


「…計算外だ」

「何がですか?ベルセルさん」

「気にするな。それより、袖がまた落ちているぞ」

「あ、本当だ…」


リィンはいそいそと指摘された袖を…ベルセルから借りている白衣の袖をまくった。

彼の身長に合わせたそれは当たり前ながら彼女には大きく、袖は手の先まですっぽり覆って尚余っているし、丈は足首にまで達するほど。残念ながらサイズを勝手に調整してくれる魔法はかかっていないらしい。


正直とても動きにくいが、自分を心配して渡されたものであることは分かっているので、リィンはありがたく着させてもらっているのだ。

…白衣から香る、薬品が混ざったような不思議な匂いと残り香程度のムスク、それから冬の空に似たツンとする魔力には落ち着かない気分になるが。

ソワソワと白衣をいじっていると、風がその白を遊ばせた。


(風と、葉の音と、緑属性の魔力…森が深呼吸してるみたい)


森は静かでありながら騒がしい。

人や人工物の発する音とは無縁で、代わりに木々とそこに住む生き物達の気配は賑やかだから。


「んーー!やっぱり森の空気っていいですね!気持ちよくて!」

「まぁな。確かに人混みの中なぞよりは余程いい」

「でも、ふふっ」

「なんだ急に」

「いえ、やっぱり違うんだなぁって」


ベルセルの目がついっと問いを投げてきたので、リィンはちょっと胸を張って賢しげに人差し指を立てた。

別に白衣という服装に影響されたわけではない。断じてない。


「私、ラントリイって小国から最近来たんですけど…そこの森とは匂いとか、なんだろう…空気?魔力?とかが全然違うなって」


例えば、とリィンは指をくるくる回す。


「よく遊びに行っていた森はいつ行ってもしっとりした空気で、吸い込んだら肺に森林ができるんじゃないかってくらい植物の息吹?みたいなので溢れてます。で、スッキリしているってよりは、ずっしりと地に足ついた香りなんですよね。土が持ってる魔力も木の魔力に負けないくらい強いからかな?」


家の近くではないが、森の麓に友人がいたこともあり、彼女がそこを訪れた回数は少なくない。

丸芋虫型精霊(エールーカ)を何匹身体に乗せられるか試したり、野生の長耳手兎型魔獣(アウヌスレプス)の可愛さに悶えたりしたのはいい思い出だ。


「こっちの空気も似てはいますけど…あっちより木の香り…魔力が弱い感じがしますよね。ちょっと元気がなさそう?それとなんだろう、木と土の匂いに混ざって違う香りもします。たぶん…水かな?もしかして川とかあります?それと………うーん?鼻が痺れるような、変な香り?いや、これは魔力かなぁ?それがずっと混ざってくるんですよね…ちょっと私は苦手かも」


きゅっと鼻を抑え、答えになっただろうかとベルセルを見る。

彼は…明らかに不可解な生き物を見る目でリィンを見ていた。


「あの…何ですかその目は」

「いや…キミは魔獣か何かか??」

「上から下まで人間ですけど」

「しかしまぁ…悔しいが理解はできる。…なぜこの森にその感想を付けたのか、な」

「えっと、的を射てるって事でいいんでしょうか?」

「やたらと優秀な鼻をお持ちのようだ。魔力まで擬似的に香りで感じ取れるなど稀有な才だ」

「……それ、褒めてます?」

「存分に」


鼻で笑うベルセルにリィンは頬を膨らませる。

そんな子供っぽい仕草と妙な鋭さのギャップに、彼は笑みを隠すふりをしながら下がった口元を隠した。


他国と比べた時、浮き彫りにされた差が…痛いくらいに悲しくて、正しかったから。


つまらない感情を飲み込み、ベルセルはリィンを真似るように人差し指を立てる。もう片手を後ろに回した姿は彼女より堂に入っていた。


「ここはノコリノ森という。元の名は違ってもっと洒落ていたようだが…厳しい環境を耐え残った事でそう呼ばれるようになった」

「はい、先生!」

「グゥルグル!」

「先生ではないが、なんだ」

「耐え残ったって、昔なにかあったんですか?」

「何かどころか…いや、そうか」


リィンと彼女の隣で首を傾げるソキウスの純粋過ぎるほど純粋な疑問の色に、彼は一度口を噛み締めるように閉じる。


「グルル?」

「ベルセルさん?もしかして、聞いちゃいけない事だったりします…?」

「いや…その逆だ。実習の上で必要な話だが、カタルシアの者なら知っていて当たり前の事だったからな。少し戸惑った」

「クゥールゥ」


他の国の事がまったく耳に入らないとは言わない。ただ、彼女の故郷はとにかく情報に疎く、尚且つカタルシアと特別親交が深かったわけでもなかった。

結果、ほぼまっさらな状態で実習に挑む羽目になったわけだが…今その現実を改めて突き付けられて、リィンは小さな頭痛を覚える。

とりあえずソキウスに抱きついて吸うことにした。回復。


「そうだな…ふむ、キミから見てフィオーレ自治区はどんな印象だった?」

「えっと…緑豊かで、自然が綺麗でした!」

「では、フィオーレ自治区が…少し前まで草は枯れ、木々は倒れ、地面は乾いて割れ、魔力は汚染され、場所によっては砂漠一歩手前だったと言ったら…信じるか?」

「え!?」


信じるか以前にまるで想像が出来なかった。

そのくらい、頭に残る景色は鮮やかであったから。


「本来この森はもっと広大で、それこそ、キミ達が歩いてきただろう草原もほとんどが森だった。点在する木々はその名残だな」

「あの草原が、森…?」

「ああ。だが、30年前…様々な要因が重なって、下草もろとも木々が枯れた。枯れた木々は倒れ、根は腐り、植物を失った土は水分を保てなくなって渇いていく。土壌の魔力も枯渇もしくは汚濁し、荒野と呼ぶのも烏滸がましいほど荒れ果てた有様だった」


想像しようとして、ふと先程の突発ダンジョンで見た枯れた森を思い出す。

もしあれが過去の記憶なのだとしたら…良くも悪くも豊かな地で育ってきた子供にとって、その災禍はあまりにも未知であった。あれが現実だったかもしれないなど、正直上手く飲み込めない。

けれども、その悲痛さだけは…ベルセルの瞳から映し取ることができた。

感情も想像も追いつかないが、ただ、胸の奥だけはじくりと痛む。


そんなリィンを心配したのか、ソキウスがギュッと抱きしめる。

フラーテルもまた、宥めるように背を叩いてくれた。

気の遣えない契約者にジトリと視線を送りながら。


「…コホン。まぁ、当時の人々の尽力で、今はこの通りなんとか持ち直している。さすがに魔力が乱れた土地ですぐに森を再生させるのは難しいが…草原にまではなった。そして、ここは…そんな悲劇の中、かろうじて残った森なんだ」


何と感想を言うべきか、彼女は迷った。

よかったですね、すごいですね、悲しいですね、頑張ったんですね…どれもそうだし、どれも違う。

逡巡し、やがてリィンは顔を上げる。

語り終えたベルセルは平然としていて、けれどもやっぱり三白眼の奥には傷が見えた。


「なら、大切に守らなきゃ…ですね!」


だから、選んだ言葉は傷をふさぐための…未来の言葉。

ベルセルは分かりにくく目を丸くし、空気が抜けるように笑った。


「…ああまったく、その通りだ!ポイ捨てなどもっての他だからな?」

「しませんよそんなこと!?」



タッタッタッと軽やかな足音が森に響く。


「もー、ソキウス!あまり遠くにいかないでよ?」

「グルルゥールール!」


長すぎる白衣の裾に足を取られつつ、リィンは燃えるような赤を見失わないように森を進んでいく。

傍らのベルセルは時折何か魔道具を取り出しては操作し、メモを付けていて…そこでふと、自分も記録をしなくてはいけない事を思い出した。


「ソキウス、待って!ベルセルさん、少し時間をもらってもいいですか?」

「ああ、かまわない。…丁度そこに川もあるからな。一休みにしよう」

「クゥ!」

「…あ、本当だ!水の音がします!というか、本当に川があったんですね!私の鼻ってば中々の精度では?」

「はぁ…だから言っただろう、優秀だと。わたしが言うのだから間違いない」

「わぁ、自信がすごいや…」


優秀らしいよ、とリィンは己の鼻の頭をちょんと触る。何だかむず痒い心地である。


彼の言う通り、少し茂みをかき分けた先には川が流れていた。

見た所流れも穏やかで、灰色の石でできた河原は一休みするにはちょうどいい。


「グゥ!」

「うん、あのへんに座ろっか…っ、わぁ!?」

「グルッ!?」


横たわる倒木を乗り越えようと足を上げたはいいが、うっかり長い白衣の裾を踏んで盛大に足を滑らせてしまった。

とはいえ、砂利に顔からダイブする悲劇は避けられたが…


「ベルセルさん…ありがとうございますぅ」

「はぁ…」


間一髪でベルセルが襟を掴んで支えてくれたので。

猫の首根っこでも掴むような状態なのは突っ込まないでおこう。


「まったく…計算外にそそっかしい」

「いやでもこれは白衣のせいもあるというか…」

「そもそもは装備の甘いキミのせいだが」

「ぐぬぅ」


口で勝つのは無理そうである。それはそう。リィンはあっさり白旗を挙げたのだ。


そんな一騒動がありつつも、一同は河原に腰を落ち着けた。

フラーテルは果物を齧りながらのんびり木陰で横になり、ソキウスは河原を走り回ってはたまに跳んでくる水飛沫に驚いて転んでいる。

ベルセルは…ブツブツと難しい事を呟きながら魔道具を次々に取り出し、メモに何かを書き殴っていた。あれは果たして休めているのだろうか。


リィンは手近な切り株に腰掛け、メモとペンを手に視界を広げて森を見る。


木の上でニマニマと笑みを浮かべつつ手と尾を振っているのは尾長猿型精霊(クグノン)…あれは悪戯を企んでいる顔だ。

念のため荷物を自分の方に寄せると、つまらなそうに去っていった。精霊は悪戯好きが多いが、油断も隙もない。


木の葉の隙間に見えるあの緑は丸芋虫型精霊(エールーカ)だろうか……いや、葉芋虫型精霊(フイユルーカ)だった。残念。

間違えた事を悟られてはいないだろうが、もしゃもしゃと葉を齧る顔が不満そうに見える。


「グル?」

「ポン?」

「ガジガジ」


河原にはいつからいたのか浮輪犬型魔獣(ナタトリウス)堰止鼠型精霊(バラージラ)の姿があり、ソキウスとお喋りに興じていた。社交的で何よりだが、気を付けないと川の中から玉蛙型精霊(テタール)が狙いをつけているように見え…いや、フラーテルが牽制してくれたようだ。


そんなフラーテルの背後からは、果物を狙ってか森狐型魔獣(ウルペス)が近づいて来ていたが…あの針が付いた尾を向けられてすぐ飛び上がるように去っていく。

気持ちはとてもわかる。誰だって注射は怖いのだ。


と、ベルセルの足元に何かが転がっているのが見えた。 

ここから見る限り何かの部品のようだが…明らかに動いている。


「…精霊?動きは芋虫っぽいけど…」

「ん?ああ…」


視線が煩かったのか、ベルセルが気付いた。そして、その小さな精霊を鷲掴む。彼の手にすっぽり入ってしまいそうなサイズだ。


よく見えるようになったそれは、歯車にハマった黒い芋虫型のモヤと表すとしっくりくる。お尻の辺りはスパナに似た形で、歯車以外もどこか金属質な魔力で出来ているようだ。


もぞもぞもがく姿が可哀想になり、リィンはすぐに図鑑を起動する。


「えっと、あった。歯車芋虫型精霊(ルールーカ)…金属に含まれてる魔力が好きで、剣や魔道具も食べてしまう…わぁ、厄介者さんだ…あ、ベルセルさーん、ありがとうございます!もう大丈夫ですよー!」


頷いた彼は特に感慨もなさそうに、ルールーカをひょいと川向こうの茂みへ放った。


「えー…雑だなぁ」


怪我しないとかと心配になったが、すぐにゴインッと聞こえた音に目を瞬かせる。


「硬いんだ…あの音だと重さもそこそこありそう」


茂みの向こうに消えた小さな精霊は、すぐに逃げていったのかもう気配もない。

どんな魔法が使えるのだろう、どんな風に金属を食べるのだろう、想像は尽きなかった。


リィンは踊る心のままにペンを走らせる。

やはり魔獣や精霊を見るのは好きだ。

生き生きと自由に過ごす生き物達は、いくら見ていても飽きやしない。


「ほぅ、上手いものだな」

「ぅわひゃ!?!?」


感心を含んだバリトンが背後から聞こえ、思わずリィンは飛び上がった。

かろうじてペンやメモをぶちまけはしなかったが、心臓は飛び出したかもしれない。当然そんなことはないのだけれど。

一方のベルセルは悪びれる様子もなく、ペラペラと彼女の描いた生き物達の絵をめくっていた。


「今時魔道具を使うでもなくただのペンでスケッチなど、究極の変わり者だと思っていたが…どれも実によく書けている。素直に誇って良い才だな」

「えへへ…ありがとうございます」


文句の一つでも言おうと思ったが、最後に嫌味もなくストレートに褒められた嬉しさと照れで霧散する。

ベルセルは何かが気に入ったようで、何度も何度も絵を見返してはここが良い、そこがよく観察できていると気まぐれに褒め言葉を投げてきた。


「ふむ…他にはないのか」

「へ!?あ、ええと、昔ので良ければ…」


リィンはリュックから古びたスケッチブックを取り出し、ベルセルに手渡す。


「ラントリイにいた頃に書いたやつですけど…」

「拝見しよう」


受け取るやいなや、筋張った指がページをめくりはじめた。


近所の魔獣から遠出した先で見かけた精霊、一緒に遊んだ友達や、意地悪しつつもいざという時助けてくれた兄貴分、甘えん坊なクセに構いすぎると拗ねる末っ子属性。

一体一体指差して思い出を語っていくと、彼の手は止まった。そして、何やら難しい顔でリィンを見る。


「…これは一体何のスケッチなんだ?」

「え?お話した通りみんな私の友達ですよ。遊び相手には困りませんでした!」

「はぁ…どれも黒属性を持つ危険な魔獣や精霊ばかりだと思うのだが。例えばこれは毒液型精霊(プワゾンスライム)。全身が猛毒の塊で、毒魔法を撒き散らす精霊だろう。こちらの腐蝕鳥型魔獣(ポルウェス)も汚染魔法で魔力を損なわせ、つついたものを腐らせる毒が嘴にある魔獣だったと記憶している」

「おぉ、当たってますよ!さすがです!」

「危険なものが好きなのか??」

「そんな人をド変態みたいに…近くにそういった子が多く生息してたってだけですよ。どこもかしこも綺麗とはいかないんですからね!」

「怖いとは思わないのか。毒や汚染が」


突然の問いにリィンは不思議そうな顔をしたが、少しの迷いもなく口を開いた。


「思いませんよ?そりゃ厄介だし、危険だって知ってますけど…」


認識の齟齬が起きている事に気付かぬまま。


「でもほら…消せるものじゃないですか」


副音声をつけるなら、毒や汚染(状態)が、である。

直前までの話題を考えれば仕方ない事だが、彼女は黒属性の魔法がもたらすデバフ…要するに状態異常について話しているつもりだった。


一方で、ベルセルの考えていた毒や汚染とはデバフではなく、簡単に人を苦しめ、生活を脅かし、命に爪を立てるもの全般。

だから、なんと甘いことを言う子供だろうかと鼻で笑いたくなった。

けれどそれが出来なかったのは…


「消せる…か。そう、だな…ふふっ」


そうであって欲しいと、思ってしまったからだろう。

フラーテルはそう結論付け、離れた木陰で穏やかに微睡んだ。


眉間にシワを寄せたかと思えば急に機嫌が良くなった様子のベルセルに、ついぞリィンは納得いかず、足元の石に八つ当たりをしたが。


「…そういえば、カタルシアに来てから黒属性持ちをあまり見かけませんね」

「フラーテルで我慢しろ」

「あ、やっぱりフラーテルってそうなんですか。別にマニアってわけではないんですけど…フラーテルは愛でます」

「クーイ」

「グルル」

「勿論、ソキウスも愛でるよー」

「ドド」

「はいはい、爆弾実型精霊(ボンブノワ)も…ボンブノワ??」

「は??」

「あ、もしかしてさっき蹴った石が当たっ…うそ、ちょ待って待って待って!!?」

「ドドドドドドドドド…!」


この後のことをあえて言うのなら…

爆発オチなんてさいてー、である。



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