47.温かな氷洞
「よっ、ほっ…ぁ痛っ、うぅ…地面がゴツゴツだから天然の足ツボマッサージ受けてる気分だなぁ」
「ニュルニャ?」
時折絶妙に痛いツボを刺激されつつそんな事をボヤいたリィンは、波に削り取られた岩場を中心に様々な堆積物が集まっている海蝕洞窟帯の凸凹な道を、シャルの案内でえっちらおっちらと歩いている。
「あ、ここも洞窟になってる!これで何個目かな?」
「グゥルル?」
「ピュイッピィ!」
海蝕洞窟帯は、長い年月をかけて海とそこに含まれる豊かな魔力によって削られて出来た海蝕崖と数多の海蝕洞から成り、そこかしこに洞窟の入口があった。
海蝕洞は一本道の事もあるし、沢山の入口が一箇所に合流している事もあるし、とんでもない迷宮になっている事もあるとか。
自然のダンジョンとはまさに良い得て妙だ。
ちなみに、本物のダンジョンの入口もあるらしい。
「わ、ペッペッ!波の飛沫がここまで来た!しょっぱいよぅ…!」
「グルゥ」
「ピィ」
「ニャポ」
「ちょっと!皆で私を盾にしないで!」
ここは海が内陸に食い込んだ、いわゆる入り江のような場所である。
遠いと思っていた海が目の前にあるのは…何だか不思議な気分だった。
砂浜さえあればプライベートビーチにでもできそうだが、あいにくここは遊泳禁止。水着の出番はまだまだ先になりそうだ。
塩辛くてベタつく飛沫に、強い潮の香りと、波の満ち引きの音、それから覗き込むとちょっと怖くなる深い青。
漂う青属性の魔力は冷ややかで刺々しく、緑属性の魔力も優しい森より鬱蒼とした樹海寄りの不気味さがある。何より黒属性魔力の気配が感覚の底を確かに漂っていた。
五感で感じるここの海は、少しばかり余所余所しい。この野性的な海はどうやら、あまり優しくはなさそうだ。
「まぁ、こんなに崖を穴だらけにしちゃうんだもん…そりゃ優しくはないよね」
「グルグル」
「それにしてもこの海、凄く綺麗だけど…入り江の入口の方、何か溜まってるし…そっちから黒属性っぽい気配をかなり感じるんだよね…なんだろう?」
「ニュル?」
おそらく大きなゴミが流れ込まないよう網が張ってあるのだと思うが、何が引っ掛かっているのかここからでは見えない。
同じようなものが沢山あるようには見えるのだが…
「グルッ!?」
「おわっ!?大丈夫ソキウス?そっちは水が来てるから危ないよ。亜空部屋に入る?」
飛沫に飛び上がったソキウスを海から遠ざけ、ヤダヤダと首を振る姿に眉を下げながら背中を叩いて落ち着かせる。
赤属性の彼にとって、この広大すぎる青属性の気配は中々恐ろしく映るに違いなかった。
「ニュルニャ」
「ん?どうしたのシャル?…って、あれ?通信魔具が鳴ってるや」
白衣のポケットに眠っていた魔道具が独特の魔力を発している。見ればやはり、着信の文字が躍っていた。
「誰からだろ…あ、ベルセルさんだ!皆、ベルセルさんだよー」
よいしょと手近な岩に腰を下ろし、スマホの緑色…通話の部分をタップすると、画面には相変わらず不健康そうな男が映し出される。
傍らにはフラーテルもいて、ピコピコと耳を動かしていた。可愛い。
そんな二人を見た安心感がリィンの頬を自然と緩ませる。
「ベルセルさん、フラーテル!こんにちは!」
『クァイクルゥー!』
『あぁ…元気そうで何より。ガウラから話を聞いた。今はマーレリアにいるらしいな』
「はい!ベルセルさんの後輩だというサイカスさんに連れ出されました!先輩として何か言うことは?」
『馬鹿に目をつけられた己を恨むことだ』
「ひぃん…」
『ふん…どうせ楽しんでいるのだろう』
「それはもう!!聞きますよね、私の冒険譚!!」
『いいだろう。聞いてやる。この短期間にキミが何をやらかしたのか、な』
『クィークゥル!』
「言い方に棘がありませんかね???フラーテルが可愛いので許しますけど」
コホンとわざとらしく喉を鳴らしたリィンは、得意気な顔で人差し指を立てた。
そして、マーレリア自治区で始まったばかりの旅路を語る。
どんな景色を見て、どんな思いを抱いたのか。
どんな生き物達を見て、どれほど感動したのか。
とはいえ旅路と言うにはまだ短すぎるので、初めてマーレリアに足を踏み入れてからフルーティオでの一件までをいつもよりちょっと細かく語ってみた。
「…というわけで、しばらく美術館は継続してくれるそうなので、是非ベルセルさんとフラーテルも足を運んでみてください!」
『…はぁ……計算外だ…』
「あれ?おーい?」
『いや…計算外だが納得した。どうりであの馬鹿が美術館に行こうとトチ狂った誘いをしてきたわけだ』
「あ!サイカスさんズルい!!私より先に誘うだなんて!」
我企画者ぞとぷんぷこするリィンを見つめ、ベルセルは頭痛を堪える。
精霊の作品展というだけで普通ではないのに、よりにもよってマーレリアにそれが出来るなど誰が思うだろう。
相変わらずどうかしてると鼻で笑ったベルセルに、何となく珍獣扱いされた気がしたリィンは頬を膨らませた。
「…あ、そうだ!ベルセルさんのおかげで助かったので、お礼を言いたかったんです!」
『…助かった?』
「えへへ…実は今話に出たダンジョンで私、徘徊ボスの岩槍をモロにくらいまして…」
『は???』
『クゥイ!?』
「ベルセルさんのつけてくれた常時発動の魔法防御のおかげでこの通り!五体満足です!」
『は???』
地獄の底から這い出てきたようなド低音に、リィンはあれ?と冷や汗を流す。
なんなら徘徊ボスと対峙した時より悍ましい何かが、ちんまい画面の向こうにあった。
人間とは、たった一音にこれほどまでの重さを込められるものなのだな。ソキウス達はそっと目をそらす。
『正座』
「え、ここ岩場…アッすみませんします」
「グゥル…」
「ピィ…」
「ニャポ…」
事の経緯を話せば、淡々と飛び出てくる実に理性的で長文な罵倒の数々。
危険な目に遭ってほしくないから付けたのであって、それがあるから危険に飛び込んでいいというわけではない…反抗心など起きないくらいの論破である。それはそう。
『そもそも、何故子供だけで…』
「だってフルーティオの誰に頼めたんですか…皆、あんな目をしてたのに…」
『………チッ。とにかく深く、海に沈むくらい反省しろ』
「反省で溺れ死ねと…??」
『はぁ…それで、ダメージカットの為にかなり魔力を消費したと思うが…何とも無かったか』
「へ?大丈夫でしたけど…」
曰く、常時発動している防御系の魔法は魔力消費を最低限にするために薄く弱く設定されており、それが破られるとより強力な威力で発動する仕組みだったらしい。
ならばあのカッと光った白い魔法が第二発動だったのだろう。
『まぁ、キミほどの魔力量であれば問題は無いだろうがな』
「ちっちっち、甘いですよベルセルさん。私の魔力量は赤ちゃんです」
『頭に影響が出たのか。悪い事をした』
『クゥ…』
「辛辣すぎません?フラーテルも合掌しないで。目が笑ってるのバレバレだからね??」
リィンが魔力測定の仕組みと結果を話せば、さすがベルセルはすぐに理解を示した。
そもそも彼女の魔力が特異的であると一番知っているのは彼なので、当然と言えば当然である。
『それで、申告はしなかったのか』
「お医者さんに赤ちゃん扱いされたくらいで、別に困りませんし…仮に馬鹿にされても気にしませんし…」
『ふっ…キミらしいな』
『クゥイ!』
『まぁ、逆に好都合だろう。アレに狙われる可能性が格段に減る』
「アレって…吸血鬼事件ってやつですか?」
『はぁ…知っていたか』
「あの、それって結局どんな事件なんでしょう?私もフルーティオにいた友達に聞いただけで…」
『…知ることで防げる事もある、か。いいだろう』
どうもその事件は、フィオーレの騒動が終わった後から始まったらしい。
内容はネコヤが語ってくれたように、何らかの方法で意識を奪われた後、重度の貧血になるほど血を抜かれるというもの。
最初は精霊の悪戯か新手の通り魔程度の認識だったらしいが、少しづつとはいえ同種の事件が重なり、しかも被害者がすべてセントール学園の学生となると…
「確実に何か狙いがありますよね、それ」
『だからこそ事態を重く見たのだろう』
『クゥルクゥイ』
本格的な事件として捜査されることになったはいいが、犯行場所にも犯行時間にも一貫性はなく、行動範囲も最初はフィオーレ自治区とセントールだけだったものが、最近ではスチームンド自治区にまで広がっていった。
そんな訳で動きがまるで読めず、尻尾を掴めていないそうだ。ここもネコヤに聞いたとおりである。
「…何で行動範囲を広げたんでしょう?最初、スチームンドには手を出してなかったんですよね?」
『普通に考えれば、警戒が高まったが故の狩場変更。もしくは得物の減少による狩場変更だな…まぁ、わたしは違う理由と見ているが』
「違う理由?」
スチームンドに進出した後も普通にフィオーレやセントールで被害を出しており、そもそもの学生数で言えば実習生の多いフィオーレと学園のあるセントールが圧倒的だろう。
つまり、狩場の変更や獲物の減少が理由…とは考えにくい。ならば別の理由があると考えて当然である。
『仮説は二つだ。第一に、今までの被害者が"当たり"であった場合。犯人は移動せざるを得ない』
貧血に至るまで血を抜くという手口から考えれば、同じ人物から再度血を得るには時間がかかる。
被害者は増血の魔法薬を使うだろうから尚更だ。
血は補充されるが、魔法薬の成分がしばらく血液に残ってしまうのである。血を集める理由にもよるが、あまり好ましくはないだろう。
故に、犯人は短時間で血を集めるために他の標的を求めて次々に移動するしかなかった。別の言い方をすると、犯人の標的は決まった個ではない。
「過激すぎる献血…?」
『はぁ…魔力抜きの手間を考えるなら、魔力が多い者はまず選ばん』
少なくともカタルシアの医術では、輸血の際の拒絶反応を防止するために血の魔力を完全に抜く作業が義務付けられている。
当然、魔力が多い者なら血に含まれる魔力も多いので、余計な手間となるのだ。
『そもそも、今の所被害者の血液型に共通点はない』
「むぅ…それはほら、血を抜くまでは分からないじゃないですか」
『…残念ながらそれはない。犯人は確実に、学生の情報を知っている』
的確に魔力測定でB以上の生徒を狙い、防衛策として感じ取れる魔力量を誤魔化したり、鑑定系の魔法を騙せる魔道具を持たせてみても狙われたとなれば…疑う他無いだろう。
どこかで生徒の情報が漏れている。
ベルセルは明言こそしなかったが、そういう事なのだろう。
ネコヤから話を聞いた時もしやと思ってはいたが…こうして突きつけられると気持ち悪い話だった。
リィンは思わず腕を擦る。それに気付いたソキウスが後ろから抱き締め、シャルが腕に巻き付き、ウィズが肩に降りてきて頬に擦り寄った。
可愛いはメンタルによく効く。
『コホン、仮説の話に戻るが…第二に、今までの被害者が"ハズレ"であった場合。犯人は特定の条件に当てはまる血…明確な"個"を探している』
「特定の条件、って何です?」
『それが分かれば苦労しない。血そのものなのか、血はただの判断材料なのか…何にせよ、ろくな目的では無いだろうな』
「…魔力が豊富な血の利用方法なんて、危ない儀式とか違法な魔法薬の材料くらいしか浮かばないんですけど…」
『その可能性も十二分にあると伝えておこう』
『クゥイ』
「ひぃん」
確かに探し物をしているのなら、何かしらの情報をもとに移動してもおかしくはない。要は、犯罪者を探す警察や依頼のターゲットを探す冒険者と同じだ。
目撃証言や痕跡を元に右往左往しているという話なのだろう。
と、何かを考えんだベルセルの顔に僅かな険が宿った。
一瞬リィンを見たような気もするが…気のせいだろうか。
すぐにいつもの険しさに戻った彼は、眉間を揉みながら息を吐いた。
『はぁ…少し前から連日で出没しているようだ。動きが読めん以上、いつマーレリアに飛び火するかも分からん。キミも重々気をつけることだ』
「はぁい」
『くれぐれも魔力量を悟られるな。キミの魔力はその質故に周りに溶け込んで上手く察知はできないだろうが…その"目"は誤魔化しが利かん』
『クゥクゥ』
「目…?あ、星眼ですか」
「グゥル?」
星眼とは大量の魔力を持つ者が感情や魔力を高ぶらせると、目にキラキラと星のような輝きが宿る現象の事である。
別に特別な力もない、ある意味魔力制御の甘さを露見させる特徴だ。
『これを期に少しは自分の手綱でも握り直すことだな』
「…今日のベルセルさん、全体的に意地悪じゃないですか?」
『当然だ。意地悪しているからな』
『クゥイ…』
「ひ、開き直ってるぅ!?」
リィンはくしゃっと顔をしかめた。向こうはニヤリと笑っているので、これは確実に遊ばれている。
フラーテルも己の契約者に呆れ顔だ。それ、気になってる子にちょっかいかける幼子レベルの情緒だぞ、と。
彼の対人スキル…もとい人間性はまだ幼児レベルらしい。
リィンと組めば擬似赤子コンビだ。フラーテルは想像をやめた。そんなの誰も手が付けられないじゃないか。
『ふん…冗談はさておき、先程から海の音がするが…オセアールが近いのか?』
「いえ!海蝕洞窟帯ですよ」
「ニュルニャ、ニャポ!」
『あぁ…成る程。そっちにいるのか。フルーティオからだと距離があっただろう』
「あはは、電離鳶型魔獣のおかげであっという間でしたよ!」
『また随分と珍しい魔獣…待て、おかげと言ったか?またたらし込んだんじゃないだろうな』
「言い方!!」
「グゥルルール」
『クゥイ、クルゥー…』
『キミの契約魔獣は随分と苦い顔をしているようだが…弁明を聞いてやる』
「そうですよ!私の冒険譚の続き、まだ話してませんでした!聞いてください!私、野生のイオニミルウスに会って、拉致されて、今日まで檻に監禁されてて…」
『……は?』
「あ」
林の生き物達とたくさん遊んで肝試しもして仲良くなりました!と続けたかっただけなのだが…ちょっと話す部分ミスったなと思ってももう遅い。
『拉致…?監禁…??』
『クゥイ?クゥルークィルクゥ??』
「や、あの、怪我はしてませんしぃ…フラーテルもそんなに身を乗り出さなくても心配いらないから…」
『説明』
「はぁい…」
「グルールゥ…」
「ピュイ…」
「ニュルニャ」
結局リィンは再度くどくどとベルセルに説教されることとなり、せっかくチャージしておいたスマホの魔力残量と彼女のメンタルがゴリゴリと減らされたのである。
…
カツーンと靴音が反響した。
四方全てが光を乱反射する氷に覆われ、ここだけ雪が降ったかのような白銀が床に広がっている。
「はわわわわ!…寒っ!!!ソキウスぅー」
「ピィィィー」
「グルッ?グゥルルーゥ」
「ニャポ」
ベルセルからの説教というちょっとしたハプニングはあったものの、リィン達は無事シャルの故郷…氷の海蝕洞に辿り着いた。
冬真っ只中…どころか冷凍庫の中を思わせるその寒さに、リィンとウィズは堪らずソキウスに抱きつく。
ソキウスは満更でもなさそうにリィンを抱き上げ、ウィズを肩に乗せた。シャルは変わらずリィンの腕に巻きついている。
「でも凄い…!綺麗だし、天然氷みたいに澄んだ青属性の魔力でいっぱいだ!硬くて冷たい香りだけど、キーンとくる刺々しさはないし、森とは違った清涼感でスッキリする!」
「ニャポニャパス!」
「でも…」
洞窟内を満たす神秘的な景色と純度の高い青属性魔力に満ちた空気に感動し、氷に負けず劣らず目を輝かせるリィンだったが、こちらをじっと見ながら壁ギリギリに下がっていく魔獣と精霊達にはたと動きを止めた。
これはもしかしなくても…
「…怖がられてる?え、ごめん勢い強すぎた…?感動してつい…」
「ニュル」
静かに慌てる器用なリィンにシャルは苦笑しながら首を振る。そして単身で怯える生き物達の元へ向かっていくと、何かを喋り始めた。リィン達の紹介をしてくれているのだろうか。
とにかく今は刺激しないほうが良いだろうと、足元の雪で雪だるまを作ることにする。
「じゃん、ソキウスだるま!」
「グルゥ?」
「ピィピ?」
「ぐっ…評価低いな…なら二人も作ってみてよぅ!」
「グルルゥ!」
「ピュルルゥ!」
「フフ…フフ…」
「わ、可愛い!!雪うさぎだ!?この丸みといい顔のバランスといい…完璧では??本当に私と同じ素材で作った??」
「チチッ」
「雪玉鳥型魔獣も凄いと思うよね?雪女蝙蝠型精霊さん器用だや…それはそうと、あっちで後方彼氏面してる雪男蝙蝠型精霊さんは何…?」
雪玉のようなふわふわで真ん丸なピラクウィスを肩に乗せながら首を傾げると、どうやら後方彼氏面のもこもこで毛むくじゃらの飛膜を持つオムネージュリは、たおやかな振袖のような飛膜を持つファネージュリの旦那だそう。
照れる二体にあらまぁと口に手を当てるリィンの白衣を、真っ白なキツネ型の魔獣が引っ張る。
「コン!」
「雪狐型魔獣、次はキミを作って欲しいの?よし今度こそ私が傑作を…って、あれ?」
いつの間にか側に寄ってきて普通に馴染んでいた魔法生物達にキョトリと瞬いてシャルを見ると、ドヤ顔で爪の付いた触腕を組んでいた。いつの間にかお話は済んでいたらしい。
リィンは顔を綻ばせ、顔の横の髪の毛をかじり始めたピラクウィスをもふもふとつつく。可愛い。
ニクスウルペ達も負けじと群がり始め、青属性の密集により周囲の気温がぐんと下がった。でも可愛い。
体はヒエヒエなのに顔はすっかり溶けているリィンに、ソキウスはいつも通りだなとおやつを齧り始め、近くの幼い魔獣や精霊達にもお裾分けする。
ウィズは蝙蝠夫婦が魔法で作り出した氷の床で、夫婦の子供だろう幼霊達と滑って遊んでいる。
林に引き続き、全員が自由を極めている。
とは言え、実家で寛いでもらえるのはシャルとしても悪くない気分だ。
と、シャルの耳がピクンと跳ねた。瞬間、穏やかだったその顔がとんでもなく歪んだではないか。
それを見たリィンはギョッとし、次いで微かに流れ込んできた魔力に辺りを見渡す。
何かがこちらに近づいて来ているようだが、シャル含め洞窟の生き物達に警戒はない。
(仲間かな?それにしてはシャルの顔が凄いことになってるけど…っ!)
風を切るような音を連れ、何かが上の方の道から飛び出して来た。
リィン達の前にフワリと優雅に着地したのは…五体の影蛸猫型精霊だ。
先頭の一番大きな個体の鋭い目が見慣れぬ客人を舐め…
「ニャーニャポニュルミャーー♡!!」
「ニ"ィッ!?」
「はわわわわ…!」
シャルを見つけるやいなや、どこから出したのかと問いたいほど甘ったるい声と共に飛びついたではないか。
頬擦りをし、撫でくり回し、キス…はシャルに全力で阻止されているが、なんかもうデロッデロである。
愛を振りまく系の精霊でも白旗をあげそうなほどの甘ったるいオーラに、リィン達は揃ってドン引きだ。
尚、シャルの三つ目はすべて死んでいる。
「ニュ♡ニュ♡ニュルニャー♡」
「あ、あのー…シャル?こちらは…?」
「…ニャポ」
どんよりしたシャルに頼まれてリュックからメモを取り出すと、ハシリとサワナの描かれたスケッチを触腕で器用に抜き出した。
そして触腕が示したのは、自分はサワナのポジションで、あのシャピヴルはハシリのポジションだということ。
体の大きさと触腕の吸盤を見る限り、あのシャピヴルはオスだろう。
つまり…
「えっと…お兄さん?」
「ニュ…」
「ニュルニュルニャーパス♡」
「わぁ…」
「グゥル…」
その間もシャルを愛でることをやめないお兄さんは、リィン達などそっちのけである。
連れのシャピヴルは…諦めの表情なので、おそらくこれがデフォなのだろう。
そして、リィンは察してしまった。
(もしかしてシャル…このお兄さんが嫌でここを飛び出したんじゃ…)
彼女の推測は大当たり。
シャルは兄の過干渉が嫌すぎてグレ、家出した結果、前の契約者の両親に捕まったのである。
ふと、お兄さんが動きを止めた。どうしたのかと思えば、シャルの身体中にある傷に目をかっ開き、わなわなと震えている。
そして、リィンに飛び掛か…ろうとしてシャルにぶっ飛ばされた。
「シャ、シャル…守ってくれてありがとう…でもあの、お兄さん壁に刺さってるけど…」
「フンッ!」
シャルは御立腹である。当然だ。
これらの傷を負うに至る原因となった元契約者とリィンを混同されるなど、シャルにとっては許しがたい事だった。
「ニャポ!ニャパス!!」
「ニュ…?ニャニャ?ニュル…?」
「ニュルニャ!!ニュー、ニャポ!」
取り敢えず兄の事はシャルに任せる事にして、リィン達は他のシャピヴルに挨拶をする。
少しばかり警戒はされたが、全身ピラクウィスにへばり付かれながら笑っているリィンを見て馬鹿らしくなったのか、あっさり受け入れてくれた。
彼ら彼女らにとって姉御であるシャルが連れてきたというのも大きい。
「ニャパス!」
「あ、お兄さんとのお話は終わった?」
「ニュルニャ!」
シャルにベシッと叩き出されたお兄さんに、リィンはなるべく目線を合わせるようにしゃがんだ。
「始めまして、お兄さん。私はリィン。シャルには沢山お世話になってます」
「ニュル、ニュ」
お兄さんはシャルを前にしなければまともなのか、礼儀正しく触腕をドレスのように広げながら頭を下げる。
これには妹をトラウマや元契約者の呪縛から解き放ってくれた心からの礼が込められているが、当然リィンには伝わっていない。
なんせ彼女は、自分がシャルを救ったとはこれっぽっちも思っていないので。
「ニュルル、ニャパパニュル」
「ん?」
気のせいだろうか。それはそれとして、と聞こえた気がする。
瞬くリィンに、お兄さんはビシッと爪を向けた。
「ニュール!!ニュルーニャパ!!」
「待って待って、何でこんな怒ってるの!?ちょっとあれ、娘は渡さんって怒鳴る父親みたいな…あ、まさか本当にその感じ!?」
「ニューーー!!」
「そうなんだ!?いや、えっ、どうしたら…」
唐突な展開にリィンが目を回していると、お兄さんは臨戦体制になり、周りの魔法生物達は場所を開ける。
つまり、実力を見せてみろということらしい。
「無理無理!私戦えるタイプじゃないもん!?」
「グルルゥ!!」
「ソキウス…!代理で戦ってくれる、って事かな…?」
「グルッ!」
「な、なんかごめんね巻き込んで…いやキミ楽しそうだね?ただ体動かしたかっただけだったりする??」
答えはイエスだ。赤属性で体温の高めなソキウスですら、この空間は寒すぎる。
動いていないとやってられなかった。
シャルは兄の干渉にうんざりしつつも、自信満々に鼻を鳴らして触腕を組む。
すっかり場が整ってしまい、リィンはため息を吐く他なかった。
というか、子分のシャピヴル達が賭け事してるような…こらウィズ、シャルも、乗るんじゃない。
…
「ニュルミャー!」
「グルルゥ!!」
触腕を上手く使って上へ下へと宙を泳ぐように舞い飛ぶシャピヴルが、氷塊の魔法を縦横無尽に打ち出してくる。
それを躱し、いなしていたソキウスは、シャピヴルと飛んできた氷塊の魔法がピタリと直線上に収まった瞬間、回し蹴りで氷塊を弾き飛ばした。
「ミギャ!?」
「グルッ!…!?」
凄まじい勢いと風圧に、ギリギリ避けたシャピヴルの頬がチッと切れる。そして、青い目が真ん丸に見開かれた隙を突いてソキウスは地面を蹴った…が。
「ニャシャシャシャ!」
氷縛の魔法がその足をギチッと噛み、ソキウスは前のめりに体勢を崩す。どうやら、事前に罠を張っていたらしい。
ニンマリと三つ目が弧を描き、ソキウスの足元で魔力が揺らいだ。
リィンはすぐさま赤い魔石を砕く。
【火壁】
「ソキウス、真下!」
「グルッ!!」
「ニュ!?」
己の真下に魔法を使ったソキウスの体が、生み出された火の壁に持ち上げられた。ガシャンと足を掴んでいた氷が溶けて砕け、地面から飛び出してきた氷棘の魔石は空を切る。
自由になったソキウスは壁を足場にシャピヴルに飛びかかり、長い触腕…猫の尻尾のようなそれを掴んで地面へと叩きつけるように放り投げた。ドッと粉雪が舞い上がる。
「ッ…!」
「グルル!?」
「わっ!ソキウス、大丈夫!?」
しかしそこはシャルと兄と言うべきか…地面に打ち付けられながらも魔力を練り、すかさず氷槍の魔法を撃ってきたのである。
さすがのソキウスも避けきれず、腕から鮮血が飛んだ。
兄妹揃って凄まじい精神力だ。
しかもすぐさま広げた触腕をキュッと萎め、着地したソキウスの懐に飛び込んできたのだから。
「ッグル!!」
「ニュル!!」
キンッと爪同士がぶつかる音が硬く弾けた。
その衝撃を利用してフッと宙返りしたシャピヴルが、再びソキウスに飛び掛かる。
(…ん?)
「ニャパ!!」
「グゥルル!」
「…っ!ソキウス、違う!!」
振り被られた爪とソキウスと蹴りが交わった刹那、パキンとシャピヴルの姿が砕け散った。
いつかに見たその魔法…偽人形に、リィンはすかさず透明な魔石を砕く。
【筋力向上】
魔法式越しにリィンの思念を感じ取ったソキウスは、バッと振り返って拳を突き出した。
「グッ…!」
「ニュッ…!」
影潜の魔法で背後に回っていたシャピヴルの氷爪の魔法とソキウスの拳が拮抗する。
力を上げて尚これなのだから、そのままあの爪撃を食らっていたらと思うとゾッとした。
(お兄さんの踏み込み…攻撃にしては甘いと思ってたけど、危なかったぁ)
やがてせめぎ合った魔力に弾かれ、両者共に軽く吹き飛ばされる。しかしシャピヴルはスピード重視らしく、すぐさまソキウスに飛び掛かる…
「ニャッ」
「ッ!?ガボッ」
「ひょえっ!?」
ように見せかけて、すんでの所で地面を叩いた。
途端、ザバンと発生した波がソキウスを飲み込んで壁に叩き付けたではないか。小波の魔法だ。
シャルが水の魔法を使わないので忘れていたが、そもそも青属性魔法のうち、氷系は水系の上位。
つまり、氷の魔法が使えるなら使えて当然なのである。
「ニャパス!!」
苦手な青属性でぐっしょり濡れたソキウスに、地面を叩いた力でそのまま空中へ躍り出ていたシャピヴルが氷刃の魔法を飛ばした。
しかしリィンは臆さず赤い魔石を砕く。
【火炎】
「ソキウス!」
「グ、ルゥ!」
「ニャ!?」
ゴゥと燃える炎がソキウス自らを包み、氷刃の魔法を防ぐと同時に体の水気を消し飛ばした。
蒸発した水はすぐさま洞窟の空気に冷やされて、キラキラと凍って散る。
その向こうで、鉄面の隙間から見えた金の四つ目がギラリと光った。
「グルルゥ!!」
「ふふっ、わかってる。やるよ、ソキウス」
「ニュルニャー!」
リィンは薄く笑みを浮かべ、氷塊の魔法を撃つシャピヴルを見据えた。冷えてカサつく唇を舐める。
小細工が得意なのは、リィンとて負けてない。
ソキウスは右ステップで魔法を躱し、次いで突き出した拳で眼前に迫った氷を砕くと、次の氷塊を流しながらの間を縫ってシャピヴルに向かっていった。そして空中から撃ち出された二つ氷塊を使って三角跳びをする。
パキンと氷とは違うものが砕ける音がした。
まさか同じ目線になるとは思わかなかったのか、シャピヴルは一瞬の動揺を苛立ちに変え、爪を氷爪の魔法で覆うと…俯いているソキウス目掛けて飛びかかる。
リィンがニッと笑った。
「ニャポ!?」
鋭すぎる凍てついた一撃がソキウスを引き裂いたその瞬間、俯いていた顔が出鱈目な造形であると気づいた時にはもう遅い。
壊れた炎人形の魔法はカッと弾け飛び、シャピヴルを業火で焼きながら壁に吹き飛ばしたのである。
「わぁ!造形が下手なら顔を隠せばいいじゃない作戦…意外といけるね!ソキウス!」
「グ、グルゥ…」
造形が下手とズバリ言われ喜ぶに喜べないソキウスとはしゃぐリィンの一方で、壁にめり込んだシャピヴルは黒焦げのまま完全に意識を飛ばしていた。
そして、わっと観客達がそれぞれに群がったのを期に、シスコンのご乱心は幕を下ろしたのだった。
…
「ニュ♡ニュルミャ♡」
「えーーーっと…どういう状況かなこれ…」
魔法薬での治療を終えた瞬間、目を覚ましたシャピヴルにベットリ張り付かれたリィンは困惑を露わに周囲へ助けを求める。
子分のシャピヴル達は謎の祝福ムードで賭け金代わりだった食料を配っているし、ニクスウルペやファネージュリ達は見ないふりをしつつ配当を受け取っている。
ソキウスはシャルとその兄を見比べて肩をすくめているし、ウィズはリィンの頼みで氷を風の魔法で削っていた。
そしてシャルはと言えば…
「ニャニャニャニャ……ッ!!!」
「わぁ…」
赤属性だったかしら?と思う程の憤怒に燃え、リィンに頬擦りし始めた兄の尻尾を握り締めている。今から千切りますと言われても納得の形相だ。
「ニュール♡ゴロゴロゴロ♡」
「お兄さん、お兄さん、あの、好いて?くれるのは嬉しいけど、ちょっと命懸けすぎというか…」
「ニャポ♡」
「ニュルニャパス」
「ニャ?ニャッ!?ニ"ャ"ーーー!?」
「あらら…」
お兄さんはシャルにどこかへ引き摺られていき、しばらく後凄い音が響いた。
ソキウスは漸く静かになったと息を吐き、しれっとリィンの隣を陣取る。
さすが兄妹、好みも同じだなと思いながら。
「あの…大丈夫?治療する」
「ニャッ♡」
「ニャパス?」
「ミィ…」
「お兄さんが子猫みたいな声に…」
凄い音が何回かあり、戻ってきたシャピヴルはソキウスとの一戦後よりズタボロだった。
シャルは一仕事終えたとばかりにいい顔だったが。
「ほ、ほらほら!お兄さんもシャルも、皆もかき氷食べよう?ウィズ、ありがとうね。お手伝いの特権で一番に果物選んでいいよ」
「ピィ!!」
フルーティオでもらった果物をウィズの削った氷に添え、フルーツジュースをかければ、簡単なかき氷の出来上がり。
「いただきます!ん、むぅー!冷たくておいしぃー!」
「グルーッ!」
「ピィピー!」
洞窟の面々は初めて見る宝石のようなそれに首を傾げ、リィン達に倣って口に含むと…キラキラと目を輝かせてシャリシャリかきこみ始めた。
「ニャパス」
「ニュルミャ」
シャルも大人しくなった兄に桃のかき氷を渡せば、二人は小さく穏やかな会話を挟みながらシャクシャクと食べ始める。
取り敢えず兄妹喧嘩は一段落し、家族の時間となったみたいだ。
「ふふっ、いつもすまし顔なシャルの色んな一面が見れて良かったね!」
「グゥルルー!」
「それに綺麗な景色も見れたし、美味しいかき氷も食べれたし!」
「ピッピィー!」
「んふふ!最高の寄り道だ!」
また寄ってきた生き物達に埋もれながら、リィン達は穏やかに笑い合う。ここは寒いが、とても暖かかった。
「…?」
どこかで「ペラリ」とページの捲れるような音がしたが、気のせいだろうか。
…
「ありがとう、お兄さん、皆!またねー!」
「グルルールゥ!」
「ピュイルゥ!」
「ニャパス!」
しばらく遊んだ後、洞窟の皆に見送られながらリィン達は洞窟を後にした。さすがに夜を明かすには寒すぎたので。
「さてと、どこか野営できる場所は…ん?あれって…」
「グゥル?」
洞窟を逆戻りしていた一行の前に、わざとらしく一体の精霊…光蝶型精霊が現れた。
普通なら花畑や森の奥地にいる精霊なので、明らかに生息地ではなさそうな場所であるが…かと言って近くに契約者らしき気配もない。
首を傾げるリィン達をジッと見つめたルミエピヨンは、まるでついてこいとでも言うように視線を投げ、ゆっくりと光る羽を揺らして移動しはじめた。
リィンは数度瞬きを繰り返し、少し先で振り返る精霊に苦笑する。
「行ってみようか」
反対意見は出なかった。




