46.林を守るもの
フルーティオから真っ直ぐ南に下って行けば、目的地であるオセアールはそう遠くない。
しかし、リィンはあえて進路を東に向けていた。
シャルの故郷があるという海蝕洞窟帯を見てみたかったのだ。
「結構な寄り道にはなっちゃうけど…サイカスさんはゆっくりで良いって言ってたもんね!」
「グゥルルッ!」
「ピュピィ!」
「ニャポ…」
『…』
恥ずかしいのかシャルだけは何とも言えない表情であるが、皆リィンに同意してくれている。それに、シャルだって何だかんだ嫌がってはいないのだ。
そんな訳で、一行は無言で進む案内魔具のミラくんの背を頼りに、ご丁寧に引かれた石畳から外れた草原を進んでいた。
朝はひと雨降ってきていたが、魔道具のリュックからベルセルの気遣い…パッと結界魔法で出来た傘が出てきたので濡れずに済み、弾む雨粒の演奏を楽しんだものである。
ただまぁ、やたらと澄み渡った魔力で出来た傘を見ると、大精霊の魔力の贅沢すぎる使い方に苦笑を禁じ得なかった。
とはいえ魔力の供給源になっている種の魔力は、そもそもリィンから吸収された魔力ではあるのだが…気分の問題である。
そんな雨も今はすっかり止み、空には虹のなりそこないがほんのり掠れていた。
「でもさっきの雨は前ほど酷い匂いはしなかったね。全部が全部"カタルシアの涙"ってわけではないのかな?」
「ピュイ?」
「まぁでもそうか…全部がアレだったら、今頃カタルシアの草木は全部枯れちゃってるよね…」
「グゥル」
とは言え、まったく綺麗というわけでもないのだろう。
それは、潮の香りを上回るくらいに強まったドブを覗き込んだような生臭さが物語っていた。
雨に混じっていた僅かな黒属性魔力が、大気中や土の魔力に溶け込んだ結果だろう。
それはさながら水面がじわりと上昇してくるように、不快臭との距離が近付いてきた感覚。顔を顰めるほどではないが無視できない存在感がある。
リィンの同行者のうち一番蝕化魔力に敏感なウィズはちょっと落ち着かないようで、ずっと彼女の頭の上でソワソワしていた。
と、雨雲が去ったはずの頭上に大きな影が差す。
思わず空を見上げると、とてつもなく大きな鳥が滑るように飛んでいた。
「わ、わ、凄い!!…っと!」
ブワッとその鳥が連れてきた風が吹くと、突き抜けるように爽快な香りが雨上がりのベタついた空気を吹き飛ばす。
それと同時に、あの生臭さも吹き飛んでいった。残ったのは潮風が連れた海の香りと、滝つぼで感じるような静かで清々しい黄属性の魔力だけ。
「高度が低い…近くに降りるみたい!行ってみようか!」
「グルッグルゥ!」
「ピュピッピィ!」
「ニャパス!」
雨の残滓が吹き飛ばされた、けれども瑞々しい草を踏みながら早足で影を追って進むと、何もない草原のど真ん中にその生き物はゆっくり降り立つ。
猛禽類を思わせる焦げ茶色の羽に覆われた筋肉質の立派な体躯と、鋭い爪を持つ野性的な足。
冠羽がまるで制帽のような形を成して頭に乗り、その下では鋭い金色の瞳が冷やかで厳粛な知性の光を湛えていた。
カギ状の嘴が整える翼の羽は目に見えるほどの黄属性魔力に満ち、パチパチと電気を帯びていて、襟元にはブラシ状の羽毛がゴルゲットよろしくこんもり生えている。
(はわわわわ…!か、カッコいい…!!)
リィンは感動に戦慄く口をおさえつつ、腰元の多機能型通信魔具を静かに起動させて図鑑を開いた。
そして、画面上のページをもたもた捲りながら目的の項目を見つけ出す。
(電離鳶型魔獣…空から縄張りを見守る巡回者で、全身から出る黄属性魔力にはリラックス効果と空気を綺麗にする力がある…って、凄い!やっぱりカッコいい!)
生きた空気清浄機のような解説に感動する一方で、穢れや悪意に敏感らしく、事線に触れるとすぐ粛清に動くので注意というちょっぴり怖い事も書いてあり、思わずひょえと悲鳴がこぼれた。
どうやら気難しい性質の魔獣らしい。
「…ん?他の魔獣や精霊を束ねて群れを作るってあるけど…」
リィンはメモとペンを取り出しながら、ぽつねんと立つイオニミルウスを眺める。
目を細めて風を受け止めている魔獣の周囲に他の生き物がいる気配はなかった。
お一人様なのかと思いながらスケッチしていると、不意にその怜悧な瞳が空を見る。
と、同時に聞こえてくるいくつもの軽い羽ばたきの音。
やがて、落ちるように見覚えのある小鳥…香草小鳥型魔獣達が降りてきた。
「って、何か変じゃない?今本当に落ちてこなかった??」
「グゥル」
「ニャニャ?」
何やら様子がおかしい。
落ちるように…数体は本当にポトリと落ちて草原に降り立ったヘルバアウィス達は、異常に疲れている様子だ。
それだけではない、かなり魔力が弱っている。
よくよく目を凝らしてみれば、群れ全体が傷だらけではないか。平然として見えるイオニミルウスでさえも足や腹部に酷い怪我を負っており、一部のヘルバアウィス達は見覚えのある苦しみ方をしている。
何より、皆から漂っている魔力が問題だった。
「蝕魔…?」
思わずウィズを見た。ノコリの森でウィズと出会った時と同じ、毒に侵されたような、しかしそれよりも深刻な弱り方。
遠くからでも感じ取れる気持ちの悪い魔力の気配は、間違いなく蝕化魔力のそれだ。イオニミルウスの力か、あの腐敗臭にも似た香りは薄いが…
(あの子たちもウィズみたいに…蝕化魔力を浄化しようとしたのかな…)
あの時ウィズは一体だけだったが、群れをもってしてもこの有様だなんて…どれほどの汚染度だったのだろうか。
考えただけで恐ろしい。
「ピュルィ!ピィピ、ピュイピッ!!」
「ウィズ…?」
「ピュイピュイ!」
「…ふふっ、分かった。話してみようか」
はてさて人間が出しゃばって良いものか。リィンのそんな葛藤を察したのか、ウィズが縋るように鳴きながらぐいぐいと髪を引っ張る。
友達の頼みという大義名分を得たリィンは、そっと己の背を見た。
中和薬はある。あの群れを治療しても十分余るくらいにはベルセルが持たせてくれているから。
「…よし!ちょっぴりイオニミルウスは怖いけど、女は度胸!」
「グルッ!」
「ニャパス!」
「ピィッピー!」
メモとペンをしまい、リィンはわざと音を立てながら草原を進む。
イオニミルウスの体がピクリと動いた。
「あ、あのー?」
「…」
(す、凄い眼光…油断した瞬間にでも食い千切られそうな…いやいや、怯んじゃダメ!)
自分に向けられる瞳は想像以上に冷ややかだが、リィンはむんっと腹に力を入れる。そうだ、ベルセルの説教よりは怖くない。
「い、いきなりごめんね。ただあの…それって蝕化魔力だよね?はやく治療した方がいいと思うの…えっと、私、薬もってるから…ほら、これ!」
「…」
トプンと試験管の中で蛍光グリーンとネオンブルーが激しく主張する。
見るからに怪しい液体に、イオニミルウスの視線が鋭さを増した。
「あ…いや、この薬、色はアレだけど安心安全だよ!?何なら飲んでみせるけど…」
「…ヒュロ」
「え?」
わたわたと安全性を説くリィンに、低い笛の音に似た声がかけられる。
パチリと瞬けば、ジッとリィンを見透かさんと向けられた目が、問の色を宿しているような気がした。
本当に出来るのか?と。
だからリィンは試験管を握って、自信満々に強く頷いてみせる。
「大丈夫!ベルセルさんの薬はピカイチだよ!ね、ウィズ!」
「ピィピピッ!ピッピィルル、ピュイピィ!」
リィンからのパスを受け取ったウィズはその通りだと声を上げ、イオニミルウスに己が助けられた時の事を話し出した。勿論、リィンに魔獣の言葉は分からないが。
当事者の、それも率いている群れの魔獣と同種の言葉は信用に値したのだろうか。
イオニミルウスは逡巡の後に鷹揚に頷いて…
「…ん?」
「グルッ!?」
「ニャポ!?」
「ピョエッ!?」
ガシリとリィンを捕まえて大空へ飛び立ったのである。
「ひょえぇぇぇぇ!?」
雨上がりのマーレリアに間抜けな悲鳴が響いた。
…
さて、イオニミルウスにまさかの拉致をされたリィンがどこにいるかというと…
「あはは…まさか、檻に入る日が来ようとは…」
「ヒューロロ」
そう、檻である。正真正銘の魔金属製の丈夫な檻に、リィンはポーンと入れられていた。
年季が入った中古物件らしく、出入り口の鍵や檻の柵数本は腐食して壊れており、植物の蔓や丈夫そうな枝で代用されている。
広さだけは大型の魔法生物を想定したものなのかリィンが五人くらい寝そべっても余裕だが、その分天井部分も高かった。その天井も吹きっ晒しの開放的な一軒家である。
立地としては海蝕洞窟帯のある東の崖上に茂る林の一角で、どうやらイオニミルウスが面倒を見ている群れの巣であるらしい。
日差しの差し込むギャップには、ヘルバアウィス達はもちろん林に住む様々な魔獣や精霊達も集まっており、皆イオニミルウスに守られて生活しているようだ。
(檻が完全に人工物だからびっくりしたけど…誰かの契約魔獣って事は無さそう)
世の中には契約魔獣や精霊に悪事を手伝わせている人間もいる。
また闇ギルド案件かと身構えたリィンを嘲笑うように、ここには人の気配というものが存在しなかった。
ノコリノ森には及ばないながら、豊かな緑属性の青臭さと少し弱い茶属性の土の香りが満たす空間は、雨上がりということもあって湿っぽい。
どこかに果物でも実っているのか少しばかり甘めのフルーティな香りもした。南国感があって大変よろしい。
その中で、ソキウス達も居心地悪そうに身を寄せ合っている。
拉致の瞬間、ソキウスはすぐさまイオニミルウスに飛び付き、シャルはウィズに掴まりながら飛び立つイオニミルウス達を追ってきてくれたのだ。
リィンは何だかんだ傷一つない自分と、林の面々に歓迎されて困り顔の相棒達を見て安堵する。
どうやらこちらに危害を加えるつもりはなく、監視したいだけなのだろう。悪意も敵意も特に感じないので。
(むしろ…傷だらけなのは…)
「ヒュロロ」
「これでキミが安心するならいいよ。いきなりで驚いてはいるけどね」
「…」
眉を下げてニコニコと笑うリィンに、イオニミルウスは居心地悪そうに嘴を動かした。
「さ、取り敢えず早く治療しよう!進行しちゃったら大変だもん!症状の重い子からで…あ、そうだ水が足りないや…ごめんね、水を貰うことは出来る?」
「…ヒュロ」
「じゃあお願い!キミ達にとって大切な資源だろうけど…」
よーしやるぞと乱れていた白衣を整えるリィンは、この状況を少しも苦に思っていない。
むしろ、檻の有無はともかくラントリイみたいでちょっぴりワクワクしてきた。
そもそも野生の生き物に受け入れられるのが簡単ではない事くらい分かっているし、攻撃されないだけ御の字なのだ。
「あ、そうだ!私はともかく、ソキウス達とは仲良く遊んであげて欲しいな」
「グゥルル…」
「あはは、私は大丈夫だよ!気にせず、たくさん遊んでおいで。修行をつけてもらうのも面白いかもよ?いつも同じ顔ぶれでの模擬戦ばかりだし」
「グル!」
「ニャポ!」
「ピ!」
林の生き物達は困惑した。
イオニミルウスも困惑している。
人間ってこんなに肝が座っているものだっただろうか?と。ましてや子供で、女の子なのに。
良いよね?と期待を乗せて見つめてくる一同に、イオニミルウスと林の皆は頷くことしか出来なかった。
何だコイツと思われているなど露知らず、イオニミルウスに了解をもらえたリィンは満足そうに目を細める。
「よし!私も私に出来ることをしないとね。あ、迷彩鯢魚型精霊さん、水はここにお願いします!」
「ボー…」
迷彩柄のオオサンショウウオに似た精霊が持ってきた大きな木の実…の中に入っていた水をもらい、リィンは中和薬を見せつけるように揺らした。
「イオニミルウスも皆も見ててね…ゴクッ……この通り、中和薬は体に悪いものじゃないよ!」
「ヒュロ」
「あれ?なんかあっさり…いや、そもそも毒とかだったらイオニミルウスが気付けるのか…?悪意に敏感なんだもんね」
直接触ってはいけないことを知っているのか、誰かの魔法で運ばれてきた蝕魔状態のヘルバアウィスに、リィンはテキパキと中和薬による処置を開始しする。
未だかつて、こんな人間は見たことない。
困惑の裏にじわじわと好奇心が滲んでくる。
イオニミルウスという強者の目がある安心感もあって、特に幼い生き物達がちょこちょことリィンの檻の周りに寄っていった。
「モゾ?」
「ノコノコ?」
「んー?あ、丸芋虫型精霊と茸小人型精霊の幼霊だ。ふふっ、気になる?今、こうやってヘルバアウィスの体についた蝕化魔力を綺麗にしてるんだよ。分かってるだろうけど、終わるまで触らないでね」
まん丸の芋虫と、手足の生えたきのこにしか見えない精霊が近付いてじっと見てくる。
「キーキ!コロロン!」
「果物、かな?優しい子だね、丸猿型魔獣。起きたら食べさせてあげようね」
ボールのような体に短い手足と丸い尾を持つサル型の魔獣が、お店でも開くように果物を並べ始めた。
「キュン!キュン!」
「わ、手尾狐型魔獣?何かしたいのかな?じゃあ、治療が終わった子の様子を見ててあげて欲しいな」
任せろと胸を張ったキツネのような魔獣が、人間の手のような二尾を使って葉っぱで寝床を作り始める。
そんな仲間たちと、柵の隙間から一生懸命手を伸ばし、せっせと治療していくリィンをイオニミルウスはジッと見つめ…やがて馬鹿らしくなったとでも言いたげに大きく息を吐き出した。
そして、大人の魔獣や精霊達に何かを伝えると、翼を広げて飛び立って行った。元気なヘルバアウィスが続いていったので、見回りか何かだろう。
「この子は汚染より傷が酷いね…切り傷…まるで剣か何かで切られてるみたいな…そう言えば、イオニミルウスの傷もそうだったね」
リィンはリュックから回復薬を取り出し、遠くからこちらを見ていた追跡蜂型魔獣を呼んだ。
「これに害がないって見せるから見ててね!えっと…」
「ビービ」
「ん?え、何で止めるの?」
ベスティアピスは、リィンと回復薬を順に示し、首を横に振る。リィン、回復薬、要らない。
「…もしかして、態々見せなくて良いってこと?」
「ビビ」
「…そっか。ありがとう」
イオニミルウスが何か言ってくれたのだろうか。ともかくリィンは少しは信用してもらえた喜びを噛み締めつつ、期待を裏切らないようにと白衣の袖を捲り直した。
ベスティアピスの半分潰れた複眼や、興味津々に見てくる幼獣幼霊達についた痣や傷、他の生き物達にもある痛々しい痕跡を、今は気にしないようにと努めながら。
…
そんなこんなで治療と経過観察をしながら数日。
「ピッ」
「ピィ」
「ピピッ」
「ピュ?」
「ピピィ」
「ふわふわだぁ…」
リィンはヘルバアウィス達のもこもこ団子に埋まりながら、監禁生活をエンジョイしている。
林の皆は優しく、食べ物はあれもこれもとくれるし、寒くないようにとギュムギュム身を寄せてくれるのだ。
なんなら、ソキウス達も普通に来る。
天井がオープンな賃貸(檻)のため、運動神経が雑魚なリィン以外なら誰でも入ってこれるので。
清潔感も体用洗浄魔具…魔力を込めて頭上に浮かべると洗浄の魔法によって一瞬で体を綺麗にできる優れもののおかげで、問題なく保てているし。
野営と考えるならどこまでも快適であった。
尚、林で取れた木の実を齧っているソキウス達は毎度の如く呆れ顔だ。
しかしリィンは知っている。
暇さえあれば鎌のかわりに拳を持つカマキリ型の精霊…拳蟷螂型精霊や、筋骨隆々なウサギの筋肉兎型魔獣といった肉体派の生き物達と組手をしているソキウスも。
巨大なクモ型の罠蜘蛛型精霊や、すぐに消える八脚のカメレオン型の魔獣…避役型魔獣と嫌らしい戦い方講座や悪戯談義で盛り上がるシャルも。
イオニミルウス達について行って職場見学のようなことをしているウィズも、全員もれなく林の皆にマイペースな奴らだよなと思われていることを。
「…ヒュロロ」
「ピュピィ!」
「あ、おかえりウィズ!イオニミルウスとヘルバアウィス達も!」
帰ってくるやいなや上から檻に入り、ウィズはヘルバアウィス団子に加わった。リィンの顔が更に溶ける。
そんな彼女を視界に入れつつ、イオニミルウスは己の巣をグルリと見渡した。
連中の破天荒さに感化されたのか、明るくなった仲間達。
もうすっかり元気になったヘルバアウィス達。
昨日仲間達に押し切られて治療してもらった、ズタズタだった己の足と腹の傷も、綺麗に治ったし痛みもない。勿論何もされていない。
「ヒュロロ」
「ん?どうしたのイオニミルウス…て、あれ?」
リィンが目を瞬かせると、不意に自分の体が浮いた。
耳元で聞こえるブーンという羽音に、ベスティアピスに持ち上げられているのだと気付く。
そして…
「ひょわぁ!?」
獲物よろしく攫われ、かと思いきや落とされ、気付いたら檻の外でソキウスに抱えられていた。
「ビックリした…釈放するならもっと優しくしてほしい…」
「グルルゥ!」
「ピィピィ!」
「ニャポニャ!」
顔を引きつらせたリィンに頬を擦り付けるソキウスと、首に手を回して抱きつくシャル。
中に置き去りだったリュックを持ってきてくれたウィズ。
皆をまとめてわしゃわしゃと撫でくりまわし、リィンはイオニミルウスに向き直る。
「…私はキミの役に立てたかな?」
「ヒュロロ、ヒュイ」
「えへへ、なら良かった!あ…なら一つだけ我が儘言っても良いかな?」
イオニミルウスの目が警戒するように、ほんの僅かに細められた。
「もう一日ここにいさせて!!理想ののんびりライフがここにあるの!!」
イオニミルウスが一瞬前の己を恥じてため息を吐く。警戒した自分が馬鹿だった。
だが、リィンにとっては切実である。
多少の制限はあったものの、ソキウス達とのんびり過ごす事が出来る上、数多の魔獣や精霊と一緒にいられるなど彼女にとっては天国でしかないのだ。
その制限も無くなったとなれば、この機会を逃す手はない。
林の生き物達は歓迎ムードである。ならばイオニミルウスに否は無かった。
「ヒュロ」
「やったー!皆、ようやく遊べるよー!」
「モゾ!モーゾ!」
「キーキ!コロン!」
「キュンキュン!」
「ノコノコッコ!」
「グゥルルー!」
「ウサ?ムキッ!?」
「ニャパス!」
「…チキチキ…」
「ピュルィ!」
「「「ピピー!」」」
リィンははしゃいだ。それはもう、童心に返ったようにはしゃいだ。
いや、そもそも彼女は子供であるのだが、ラントリイの野山を駆けて、即バテしてはまた駆けての頃に戻ったのである。
都会なカタルシアに合わせた、ちょっとおませさんな女の子は休業だ。たまには土草まみれでも良いだろう、と。
イオニミルウスは己の居場所である巨大な切り株で目を伏せる。
ああまったく、ここはこんなに賑やかだったかと羽が笑うように擦れた。
いつも穏やかだった空間の魔力が生き生きと跳ねているのは、皆がそれほどまでに生き生きしているということ。騒がしくとも、嫌と思うはずがなかった。
年長の者達も、まるで昔を懐かしむように目を細める。
こんな物好きと狼藉者以外立ち寄らないような林で身を寄せ合っているが、本来は彼ら彼女らだって別の居場所があり、楽しく…そう、こんな風に人間と楽しく過ごしていたのだ。
それが変わったのは、果たしていつの事だったか。随分と昔…気の遠くなるような昔の事だったと思う。
もうすっかりそんな過去を忘れ、憎しみ合って距離を置き、別の世界に生きるものだと割り切っていたが…
「それー!あ、イオニミルウス!レシーブ、は無理だな、ちょっと頭持ち上げて!」
「…?」
ポン、と頭が何かを弾く。何かと思って見てみれば、防護の魔法がかかっているだけのただのボールだった。
「ウルペヌスカの親御さん、それこっちに…」
「…キシャシャッ」
「あ!意地悪した!?ひぃん、遠いよぉ!ね、ね、ピエジェアレ二、あれとってくれたり…」
「…チキチキ…」
「あ"ーー!もっと遠くに!?嘘でしょ!?めっちゃ笑ってるしぃ!!」
まったく、年長まで混じって何をしているのか。
イオニミルウスは緩めた目でリィンの置いたリュックから感じる気配と、そこについているストラップから漏れ出る魔力の源を順に眺めた。
「ヒュロロ」
どうやらまだ、捨てたものではないらしいぞ。御仁方。
「ペラペラ」と微かな音と共にリュックが震え、同時に種の魔力がほんのりと揺らいだ。
…
「!!」
「…?どうしたの、ムスク二ルス」
ひたすらに遊び回っていた最中、不意にムスク二ルスが長い両耳をピンと立て、ググッと豊満な筋肉を盛り上がらせる。かなり警戒しているようだ。
林の皆も同じように警戒と怒りをあらわにし、どこか一点を睨みつけている。
リィンが首を傾げていると、ソキウスが己の耳とリィンの耳を交互に示した。どうやら、貸してくれるらしい。
【感覚共有】
感謝と共に魔石を砕くとソキウスはリィンの左耳に魔法をかけ、林を駆けた。そしてすぐ、声が聞こえたのである。
「さーて今日もオシゴトしますかぁー」
「まったく…何でギルドは毎回、魔獣退治とか精霊退治の依頼を拒否るんだろうな」
「ギルドマスターが穏健派だからだろ」
「おかげで俺らみたいな低ランクでも小遣い稼ぎが出来るんだからいーじゃん」
「そうだ。悪者は俺達が退治すればいい」
「だな。よしっ、今回は群れで飛んでる鳥の魔獣が怖いから退治してくれって依頼だったか?」
「大きなウサギの魔獣が怖いから退治、じゃなかったか?」
「この前仕留めそびれたチビ共の退治は?」
「あー取り敢えず見つけたやつ全部退治すればいいだろ!皆人間の敵なんだし!」
リィンは口を覆い、腹の底から湧き上がる怒りを必死で飲み込もうと努力した。
ともすれば、悲鳴どころか怒号が飛んでしまいそうだったから。
シャルやウィズも怒り心頭といった様子で、目を釣り上げながら毛を逆立てている。
そんなリィン達の一方で林の皆は呆れと諦念を滲ませ、気にする必要はないと首を振る。
(そっか、林の皆が傷だらけなのは…こんな事がずっと続いていたからなんだ。きっとあの檻も…どうして…)
人間に嫌われるような事をする魔獣や精霊にはとても見えず、そもそも冒険者らしき三人の悪意には中身が無い。
誰かが悪者と言ったから悪者。紙に悪者って書いてあるから悪者。
そんな、フルーティオの人達から感じたそれと、まるで同じだった。
否、それよりも厄介と言うか…行き過ぎた嫌悪感が都合良く正義感を振りかざしているような、そんな感覚である。
(そもそも何その依頼!"怖いから退治"って…!おかしいよそんなの!あの人人相悪いから逮捕してって言ってるようなものだし、だったらベルセルさんなんて即逮捕だよ!)
おかしな流れ弾に、遠くのベルセルがくしゃみをした…かもしれない。
「ヒュロ」
「…手を出すなって、言ってるんだよね」
「ヒュロロ」
その理由は分かる。もし手を出してしまえば…本物の討伐依頼が出されてしまうかもしれないからだ。
今はギルド側が跳ね除け、声の主たちが勝手に行っているに過ぎないが、正式な依頼ともなれば皆の無事も先の安寧も保証できない。
(でも、ギルド側が止めているって事は…あの人達が自主的に"来たくない"って思えばいいのかも)
魔獣や精霊の反撃が許されないのなら、人間ならどうだろう。勿論、真正面から挑む愚行は冒さない。
時刻は間もなく夕刻を迎える。それならば…弱いものいじめしか出来ない臆病者にピッタリの仕返しをしてやろう。
「ふんす!私の天国に手を出した罪は重いんだからね!」
「ヒュロ…?」
…
いつもの三人組がザクザクと林を進む。
今日も林を根城にする悪者退治に来ていた。しかし…
「霧…?」
深い深い霧が出て来た上に、なぜだかいつもより薄暗い。
それがソキウスの火炎の魔法とシャルの氷塊の魔法によるものとも、カマレフォルミの幻影の魔法とも気付かぬ三人は、いつもより慎重に歩いた。
ヒュウオゥ、ゴゥ。ヒュウオゥ、ゴゥ。
「ひっ!?な、何の音だ…?」
「どうせ魔獣か精霊の声だろ…なぁ…?」
「こ、こんな声のやついたか…?この林に…」
ヒュウオゥ、ゴゥ。ヒュウオゥ、ゴゥ。
ポワントレリとムスクニルスが穴を開けた岩塊の魔法に、ウィズが送り込んだ風が鳴く。
湿っぽさと気持ち悪さに、三人ともジトリと嫌な汗をかいた。
歩けども歩けども魔力の気配どころか、あの不気味な音以外は自分たちの息遣いしか感じない。
当然だ。皆己の魔力も存在感も極限まで潜めているのだから。野生を生きる上でこのくらいは容易いこと。
そしてふと、トントン…と肩を叩かれる。
「…?」
しかし、振り向いても誰もいない。何もいないし、気配もない。また少し歩く。
トントン…と肩を叩かれる。
「おい、お前。ふざけてんなよ」
「は?何が?」
「俺の肩叩いただろ」
「俺じゃないし。つーか、お前こそ叩いただろ」
「え、お前らじゃないの?俺の肩叩いたの」
「「「…は?」」」
それが気配も魔力も消せる影潜の魔法によるシャルの悪戯とも知らず、三人はこの話題から目を逸らした。
そのまま進むと、見たことのない白いヒラヒラした紙があちこちにぶら下がっているのが見える。
「な、なぁ…やっぱおかしくないか…?」
「なんか…あの紙気持ち悪い…」
リィンのメモ用紙で作ったとはいえ、紙垂を知らない罰当たりが更に足を進めると…調子の外れたガタガタの鼻歌が聞こえてきた。
すると、深く生暖かい霧の向こうに、全身が真っ黒な少女が立っているではないか。その手に持っているユリすら黒い。
その少女は、地面をじっと見ていた。穴を掘って埋め直したような柔らかい土と、そこに刺さった木の板を。それはまるで…墓。
誰かの喉がひゅ、と鳴った。
「な、なぁ…君?そんな所で何を…」
「っば…!?」
「おい…っ!」
「……」
気味の悪い鼻歌がピタリと止み、少女が三人を振り向くと…途端、ギョロッと大量の"目"が霧の向こうから林の中から空や地面から向けられる。
それが隠れていた魔獣や精霊のものだなんて考えればすぐに分かるだろうが、彼らにそんな余裕はなかった。
「招かれざる客だ」
黄昏時。誰そ彼。
逆光が彼女を喰らいつぶし。顔も見えない。
それでも爛々とその目だけは煌めき、ニィと弧を描いた。
「ダメだよ、勝手に入っちゃ。それとも…"お友達"になってくれるの?」
少女…リィンが紙垂を指さしながらこっそり魔石を砕くと、ボッと火が噴き出す。ただの火ではない。
血のような赤、鮮やかすぎる緑、寒々しい青緑、異様な紫…紙に染み込ませた物質による、普通でない炎色反応を利用した火が、ゆうらゆうらと揺れていた。
それと同時に、今まで静まり返っていた林が洪水のようにざわめき出す。みんな思いの外荒ぶってるやと内心苦笑するリィンはともかく、三人組は弾かれたように来た道を戻り始めた。
地面はシャルの氷とカモフラマンドの水の魔法で泥濘み、逃さないとその足をとる。
林からウネウネと伸びる魔法の蔦が、どこへ行くと捕まえようとする。
林に潜む皆の目がついてくる。
そこかしこでソキウスの火によって霧というスクリーンに映し出された巨大な影達が嗤う。
誰かがそれを攻撃するが、当然手応えなどない。
「無理無理無理無理っ!!」
「なんっ、なんだよあれ!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
ソキウス快速便で連中に追いついたリィンが、また鼻歌を歌う。調子外れの音がついてくる恐怖に、とうとう三人の目から涙がこぼれた。
そして、ようやく林の出口、薄暗い森に光が差す。安堵に表情を緩め…しかし、キラリという光と共にそこに浮かんでいた少女の首に絶叫して、バツンと意識を飛ばしたのである。
「じゃーん!鏡を使ったトリックでしたー!…あれ?お兄さん達?もしもーし?嘘っ、肝試し程度で失神しちゃった…?」
「グルルゥ!」
「ヒュロ…」
ドン引きしていたイオニミルウスを除き、ソキウス達と林の皆はざまぁみろと大爆笑の大喝采。
その後、イオニミルウスが三人を丁重にギルドに届けた結果、彼らはどうやら彼が自分達を助けてくれたのだと思い込んだらしく、一生ついて行きます旦那!と要らぬ舎弟を得ることになったとか。
上記のように思い込みが激しい三人は更に、リィン演じた真っ黒少女がイオニミルウスの元契約者で、「イオニミルウスの旦那は彼女の眠りを守ってるんだ!」ととんでもないストーリーをでっち上げていた。
ともあれ、おかげで林を脅かす冒険者は彼らが「旦那とあの子のシマを荒らすんじゃねぇ!」と蹴散らしてくれるようになったらしいので、結果オーライである。
当然、リィンは知る由もない先の話であるが。
…
翌朝、たっぷり遊んだ満足感ととんでもない筋肉痛を携えつつ、リィンは林の出口から振り返る。
ズラッと木々や草むらの間から顔を出す皆に、ついつい顔が緩んでしまう。
始めこそぎこちなかったが、これはもう仲良しな友達と言ってもいいのではなかろうか。
名残惜しさを感じつつ、リィンは草原に立つイオニミルウスに顔を向けた。
相変わらず見事な存在感だ。
「イオニミルウス、数日間お世話になりました!楽しかったです!」
「ヒュロロ」
イオニミルウスの怜悧な瞳が緩んだのを見て、リィンもふにゃりと笑う。昨日子供らしく遊んだ反動か、その表情はどこか幼い。
だからだろうか、そういうことにしておこう。イオニミルウスはそう己に言い聞かせ、リィンの腰にある魔道具を示した。
「え?これ?多機能型通信魔具?…マップ?」
「ヒュロ」
「えぇと…はい、マーレリアのマップだよ」
イオニミルウスはチカチカする画面と空から見た景色を照らし合わせ、ある一箇所を軽くつつく。そして首を振る仕草をした。
「ここ、ダメ…行くなって事かな?」
特にマップに何か書いてあるわけでもない、ただの地点。
(険しい表情…悔しい、というか怒り?軽蔑ともとれる…)
元々通る予定のない場所ではあるが、頭に入れておいて損はないだろう。
「ありがとう、イオニミルウス。気を付けるよ。キミも、無理はしないでね?」
「…ヒューイ」
善処しますとでも言ってそうだな、とちょっと視線を逸らして返事をしたイオニミルウスにリィンは肩をすくめた。
「じゃあ、私達はそろそろ行くね」
「ヒュロロ」
「皆ー!楽しかったよー!ありがとう!!ヘルバアウィス達はお大事にねー!」
「グゥルルールー!」
「ピィピピュイー!」
「ニュルニャパス!」
声を張り上げて手を振れば、林の皆も手を振ったり声を上げてくれたり、その全てが行ってらっしゃいと言ってくれているよう。
リィンはじんと潤みそうになる目を細め、叫んだ。
「いってきます!!」
リィンの混じり気のない黒髪と、たっぷりブラッシングしてもらったおかげでツヤツヤピカピカな彼女の相棒達が、林の影から出て陽光に煌めく。
その背に、イオニミルウスは翼を器用に折り、敬意のこもった敬礼を贈る。
「ピィーーーーヒュロロロロロ!!」
甲高い笛に似た、空にたなびく長い音が響き渡る。独特の揺らぎで転がされたその声は、青空によく映えていた。
さあ、期せずしてシャルの故郷、海蝕洞窟帯は目の前だ。




