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1.旅立ち


ブツブツ、ブツブツ、ブツブツ


大草原のただ中を、ヨレヨレの汚れた白衣を着た男が歩く。

手元のメモ書きに集中しているからか、それとも他の要因か…男の足取りは覚束なく、足元で彼のパートナーである魔獣がハラハラとした表情で尾を揺らしていた。


控えめに言っても男の風貌は怪しく、十人が十人警察に通報しようとするだろう有り様だ。

現に、周囲の精霊は息を潜めているし、遠くの木には空の巡回者とも呼ばれる魔獣が目を光らせている。


彼のパートナーは弁明すべきかと辺りを見渡し、けれども諦めた。

怪しい見た目なのは事実だと、その魔獣も思っているので。


「…くそ」


そんな男の薄い唇から小さな悪態が漏れる。

焦りを含むそれは、外ではなく内…まるで自分に向けられているよう。

紙にペンを走らせる乱暴な音が、早口な上小さすぎて聞き取れない呟きに混じる。


ふらり。


不意に、その痩躯が大きく揺らいだ。

そして、二度三度と揺れた後、やがてバタンと力なく倒れてしまったではないか。


足元の魔獣はぎょっと目を見張り、慌てて男を覗き込む。

先ほどまで見ていた曇天にも負けぬ顔色の悪さに、思わず普段はきちんと制御できているはずの毒を長い耳の先からポタリと漏らした。


なんとかしなくては。

その思いで、魔獣は駆け出したのである。



「リュックよし!スニーカーよし!今日配られた図鑑データとマップが入った多機能型通信魔具(タブレット)も…あるね。えっと、レポートの為のメモ用紙をたくさんと、昨日アルスに勧められた筆記用具と野営用魔道具一式、念のための着替え、空っぽの魔石、さっきたまたま会ったガウラ先生に作りすぎたからって大量に渡された、栄養剤?…ものすごく怪しい色だけど、一応持っていこう。それと一番大切な…」

「グゥルー」

「可愛い相棒!」


気持ち程度に整えたベッドの上に広げられた品々を指差し確認したリィンは、最後にソキウスに抱きついて頬擦りした。


「よし、完璧!」


ここはセントール学園学生寮の一室。

家から通っても大丈夫だし、通えない距離でもなかったのだが、学生なら無料で使えるとあれば利用しない手はない。学園都市にすぐアクセス出来る環境は便利なのだ。


服や必要最低限の物しか送ってきておらず、さっぱりと綺麗な内装は少し物足りないが…追々自分好みにすればいいだろう。

とはいえ今日から早速実習が始まるので、家の部屋同様越して来て早々留守にすることになるのだが。


「さ、行こうかソキウス!」

「グゥ!」


チェックした物を間違いなくリュック型の収納型魔具(ストレージ)に入れ、背負う。

結構な量の荷物だったが、母のお下がりは問題なくすべてを収納してくれた。重さに変化もないし、実はかなり質のいい魔道具だったのでは?と思った瞬間である。

まぁどうせ、父が出張帰りにでも買ったご機嫌取りの一つだろうが。


ソキウスを一度亜空部屋(レクトス)に戻して部屋を後にし、自分と同じように様々な形の収納型魔具を担いだ生徒達の後を追う。ギターケース型の子もいたし、ジュラルミンケース型の子もいたし、ぬいぐるみ型の子もいたし…個性って素晴らしい。

実習は今日の授業、といっても実習時の注意事項や軽い説明が終わったその時から自由スタートなので、早い人はもう出発済みなのだろう。思ったより人影は疎らだ。


何度かすれ違うクラスメイト達と軽く挨拶を交わしながら歩けば、あっという間に門までついてしまった。


いよいよだ、とリュックを持つ手に力がこもる。

引き締めたつもりの口はしかし、隠せない好奇と興奮で歪んでしまっていた。

と、ポンと軽く肩を叩かれる。

覚えのある叩き方に振り向けば、思った通りの新緑色があった。


「や、リィン!今から出発?」

「アルス?てっきりもう出発してると思ってた」

「あはは、持って行く書籍の選別してたら遅くなっちゃって…図鑑とか色々」

「ず、図鑑…そっか」


軽やかに見える彼のボディバッグには、一体どれほどの荷物が入っているのだろう。収納型魔具は中身の重さをダイレクトに反映する事はないはずなのだが…紐の張り具合からしてどう見ても重そうだ。

それでも平然としているあたり、見た目は細いがやはり彼もしっかりと男の子であるらしい。


ところで、選別に困るほどの図鑑とは…どれほど持っているのだろう?グループ別?地方別?自分の愛読書も持っていたりするだろうか?是非とも語りたい…と内心大荒れのリィンだった。勿論、顔には出さない。強かなレディだもの。


「そうだ、リィンはどこに向かうか決まってる?」

「ううん、まだ特には」

「なら、ファームルワに行ってみるのはどうかな」

「ファームルワ…ちょっとまってね」


腰から下げていたタブレットを取り出し、慣れない手つきでマップを開く。

ファームルワの文字を探していると、少し筋張った指がとんと示してくれた。


「ここ。フィオーレ自治区の森の中にある村だよ」

「へぇ…ちなみに理由は?」

「この辺りは魔獣も精霊も比較的大人しいし、襲ってきたりしないんだ。街道沿いだから安全で道も歩きやすいしね。まぁ…結構広い森だから少し迷いやすいけど」

「そこはたぶん大丈夫」


ラントリイの子は自然の迷路には強いのだ、とこっそり胸を張る。なにせ、ほぼ全土が"そう"なので。

その分、人工物の迷路にはめっぽう弱いけど。


「何より、ファームルワにはこの国で一番古い遺跡があるんだ。カタルシア初心者のリィンにはもってこいでしょ?」

「なるほど」


アルスの言う事はもっともだ。

環境や生態を調べるのはともかく、歴史などの資料を自力で調べるのは骨が折れる。資料自体は簡単に見つかるだろうが、情報の正誤判断と取捨選択は難しいものなのだ。それも、カタルシアの事をほとんど何も知らないリィンなら尚更。

その取っ掛かりとして、信憑性が高く尚且つ古い遺跡というのは悪くない。

何より、興味がある。


「…うん。その案に乗らせてもらおうかな。アルスも来る?」

「それも楽しそうだけど、僕は高原の方を調べたいんだ。それに…離れて旅した方が、キミの変化を知るって楽しみができるしね」


パチッと綺麗に片目を閉じるアルスに、やっぱりちょっとキザだなと苦笑した。

それと、探求心がブレない。


「じゃあ、一旦お別れだね」

「だね。今度会った時は是非キミのレポートを見せてよ」

「いいけど、その時はアルスのレポートも見たいかな。人の旅路って確かに興味があるもん」

「…リィンも案外探求心強いよね」


あはは、と笑い合い、どちらかともなく前を向く。

踏み出した足先が向かう方向は違うけど、必ずどこかで交差するだろう。


「「じゃあ、また!」」


だから、その言葉には激励だけを乗せるのだ。



一面に広がる鮮緑の海。

少しばかりぼやけた空の下にあるそれは、だからこそより一層の鮮やかさでもって網膜の奥を殴りつけた。

リィンは少し開いた口の中で、音にすることさえ忘れた感嘆をこぼす。


綺麗だった。間違いなく。


家で嗅いだあの、カタルシアの香り。

それをもっと濃くしたものが彼女の黒髪を遊ばせながら流れていく。


「…すごいや」


ようやく絞り出した台詞は子供らしく拙いものだったが、それでも万感の思いが詰まっていた。


隣でソワソワしているソキウスの背を軽く押すと、待ってましたと駆け回る。体のわりに幼い行動をする姿に目を細めつつ、再度リィンは景色に目を向けた。


くるぶしが埋まるくらいの草の絨毯と、その間には鮮やかな花がお洒落な家具のようなすまし顔で揺れている…あれらも毒なのだろうか。気を付けねば。


所々に背の高い木がポツンと生えているが、何だが場違いのスイーツショップに入ってしまったおじさんを思わせる孤独感を背負っているように見えた。

それでも、木陰には魔獣らしき影が休んでいるので元気を出してほしい。


空はやはり霞んでいる。ミルクを数滴垂らしたような、いかにも混じり気のある青。けれどもその色が悪いわけではなく、故郷と違うそれはむしろ新鮮で興味深く思えた。


「グゥルルー?」

「ごめんごめん、とりあえず歩こうか」

「グゥ!」


リィンはようやく足を前に出しながら、リュックからメモとペンを取り出す。まずは環境調査だ。

たまに膝丈の草むらがありはするが、少し目を離したとてソキウスの大きさなら見失う事はないだろう。


「ソキウス、少し退屈かもだけど…あまり私から離れないでね」

「グル!」


とはいえ、釘を刺すのは忘れないが。


「まずは…とりあえず草原から見ていこうかな」


当然調査官の真似事など経験がない。何をすればいいのか手探りではあるが、とにかく何か始めなくてはとリィンは草原のスケッチを始めた。

自慢ではないが、絵は得意な方である。


軽く全体像。それからしゃがんで、生い茂る草の葉脈を全体像の端に。

少し土を掘り返して、土の香りや感触なんかも加えてみる。


「細い草が多いんだ…稲、とかじゃないみたいだけど…あ、これはクローバーかな?知らない草も見たことあるような草もある…土は、ちょっとパサパサ?うーん…なんだろう…あ、ずっと前に庭作りする時に買った砂?に似てる…気がしないでもない」


むむむ、と自然に寄っていく眉間のシワを時折解しつつ、まずは自分の感じたことを書き殴っていった。

どうせ専門的な用語なんて分からないのだ。必要なら調べればいいのだから、今はそれらしい言葉を探すよりありのままの感情を閉じ込めたほうがいいに決まってる。


「グゥルー…」

「ん?どうしたのソキウス…あれ、そこの草は育ちが悪いね。ふふっ、隠れても丸見えだ」

「グル!?」


当たり前だが、草原は均一ではない。遠くから見れば滑らかな絨毯だが、近くで見れば草の高さはバラバラだし、魔獣や人間が通った部分はあちこち踏み倒されて獣道になっていた。


「でも、何でだろ?ここだけ全然草が育ってないや。日当たりは良いのに、かろうじて伸びてる草も元気なさそうだし…あれ?」


リィンはさらに身をかがめ、すんと鼻を鳴らす。


「…なんだろう、この匂い…?下水…?」


なんとなく…なんとなくではあるのだが、汚水をイメージさせる何かが鼻を擽っていた。それと、体の奥がゾワゾワするような…不快感を感じる嫌な魔力が滲んでいる。


「うーん…いやでも、ないよね…?鼻が鈍ったのかな?魔力の方はともかく、こんなに綺麗で家もないような場所で下水の香りなんて…」


目を閉じる。何とも言えない濁り方をした水がコポリと泡を吐く。

目を開ける。爽やかで綺麗な草原を風が揺らした。

閉じる、開ける。

もう一度試しても同じで、視覚と嗅覚が齟齬を起こす。


「えぇ…なんで?頭バグりそう…」

「ピ?」

「ん?」


不意にソキウスとは違う声が聞こえて、ハッと顔を上げた。夢中になっていたせいか地面スレスレまで屈んでいたリィンは、声の主…見たことのない鳥型魔獣とほぼ同じ目線で見つめ合う。


「ピピ、ピ?」

「え、か、可愛い…」

「ピピ」

「ピピピピ」

「ピ」

「ピュイ」

「ピー」

「え、ちょ、声多くない…??」


ついその可愛さに目を奪われたが、周囲からあまりにも多い鳴き声が聞こえ、囲まれていると理解したと同時に立ち上がった。


見れば、同じ魔獣がそこかしこの草むらの隙間から顔を出しているではないか。数えなくともざっと十体はいる。

しかも、その全てがこちらを怪しむように見ているのだから肝が冷えた。


「わ、私じゃないよ!?私何もしてないから!ね!?」


とりあえず何かよくない疑惑を向けられている気がして、リィンは謎の弁明をする。

いや、何もしていないのは確かなのだが。


「ピピ」

「ピピピ?」

「ピ!」

「グゥルールー」

「ピュイ」


数羽がひそひそと会話?を交わし(何か混じってる気がするが)、やがて審議が終わったのか静かになる。

どうやら疑惑が晴れたらしいことは、猜疑の消えたつぶらな瞳からわかった。


「よかったぁ…いや、色々と腑に落ちないけど…あ、そうだ!」


警戒が外れたならばと、リィンはタブレットを起動する。

電子書籍としてインストールされていた図鑑をペラペラと指先でめくると、目的のページが見つかった。


「ええっと、香草小鳥型魔獣(ヘルバアウィス)…穢れを嫌う魔獣。特徴は薬草みたいな香り…あ、ホントだいい香りがする!」


ずんぐりした小さく丸っこい身体にびっしり葉っぱが付いているその魔獣は、なるほど確かにハーブのように爽やかな香りを纏っている。


と、その香りと可愛さに悶えている彼女にはお構いなしに、ヘルバアウィス達は動き出す。


「ピピ」

「ピピピピ」

「ピピィ!」


リィンが退いたのを良いことに、あの草の成長が悪い土壌を覆うように集まったヘルバアウィス達は、バッと一斉に羽を広げた。

そしてそのまま、飛び立つでもなく羽ばたかせはじめる。


広げられた翼は葉っぱで出来ており、だからなのか、羽ばたきの音はパタパタというよりサワサワというオノマトペが似合っていた。


「わ、すごい…!香りと魔力が強まって…これ、なんだろ…あ!そうだ!雨上がりの森!」

「グゥ、ググゥル…」

「あれ、ソキウスはこの香り苦手?」

「グゥ"ル"…」

「そんなしわくちゃな顔しなくても…」


香りの好みは人それぞれ。魔獣にだってそれは当てはまるということだ。


やがて葉が擦れる音が消える。ヘルバアウィス達が羽ばたきをやめたようだ。

何らかの儀式?が終わった事を悟り、何をしていたのかとリィンは好奇心のままに覗き込む。


「…え?うそ、草が…元気になってる!」

「ピ」

「ピピィ」


見れば、あれだけ萎びていた草が元気に立ち上がり、心なしかツヤツヤと葉が輝いているではないか。

それだけではない、剥き出しだった土からは小さいながらも草の芽がちらほらと出ていた。

驚きの変化である。目の前で起きたからこそ余計に。


ふと、彼女はこの変化の理由に考えを巡らせ…一つの可能性を思いつく。


「もしかして…」


ちょっとごめんね、とヘルバアウィス達に声をかけ、リィンは再度土がむき出しの草地に屈んだ。そして、少しの躊躇いの後鼻から思い切り息を吸い込む。


「…やっぱり!あの匂いが消えてる!魔力も!」


自分が汚水を思い浮かべた香りと不快な魔力がサッパリと消えていた。それこそ、呪い系の魔法を浄化するかのように。

穢れを嫌うとあったが、そういう生態なのだろうか。ともあれ、ヘルバアウィス達はあの儀式じみた行動により、この場所を綺麗に…浄化してみせたのだ。


「っ、すごい!すごい、すごいよ君たち!?」


感動だった。

本で知ったのでも、映像を介して見たのでもなく…直に自分自身の目でもって、魔獣がこの世界の一部なのだと感じることができたのだから。


と、遠くで力強い鳴き声がする。

きっと呼ばれたのだろう。

一仕事終えてのんびり羽繕いしていたヘルバアウィス達が、一斉に飛び立った。


「お疲れ様ー!またねー!ヘルバアウィス達ー!」

「ちゃもちゃー!」


ピィーと聞こえたのが、幻聴じゃないと嬉しいな、とリィンは空に向けて微笑んだ。



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