44.群れの危機
飛び込んだダンジョンは汚染ダンジョン…などではなく、普通の洞窟らしい内装のダンジョンだった。
少なくとも、蝕化魔力による不快臭の類は感じない。
代わりに濃い茶属性魔力が臓腑にのしかかるような重みを感じさせ、リィンはすかさず魔力中毒を避けるための魔力緩衝剤を飲んだ。相変わらずダンジョンの魔力濃度は凄まじい。
「ネコヤくん、魔法薬持ってる?」
「一応持ってますけどぉ〜お前慣れてますねぇ〜」
「あはは…まぁ、色々あったから…」
トラブルに鍛えられた身としては苦笑しか出なかった。
それはともかくと、リィンは辺りを見渡す。
ゴツゴツした岩肌に、薄暗い視界。しかし、いかにも洞窟っぽい見た目の割に通路は狭くなかった。
それでも人間からすると進みにくさのあるダンジョンだが…夜行性かつ崖や岩場を縄張りにする九手霊狼型精霊にとっては苦ではないだろう。
現に、先に入った彫刻家のルーヴヌフマンは既にどこにも姿が見えない。一体で進んでしまったようだ。
(出入り口は…消えてない。これなら、目的を果たしてすぐに出られるかな?)
ざっと観察を終えた所でリィンは透明な魔石を二つ弾き、右手に魔力を込めて砕いた。
【索敵】
【魔力感知】
「えっと…どうかな、ソキウス。ルーヴヌフマン達は居そう?」
「…グルルゥ」
「それより魔物のお出ましみたいですぅ〜」
「ピッピィ!」
「シャーー!」
鉄面越しにソキウスの四つ目がギラリと光り、ウィズとシャルが威嚇する。
ネコヤの言う通り、二人の前方には大量のネズミ型の魔物がやって来ていた。
ネズミ型とはいえ人間の子供くらいの大きさがある上、薄暗い中魔物らしく生気のない赤い目が無数に光っているのは気味悪いものだ。
「って、多くない???」
「モデルは分裂鼠型魔獣ですかねぇ〜ポンポン増えてますぅ〜」
「ひょえ」
ディヴィラトスはその名の通り、己の体を分けて分裂する魔獣だ。分裂の度に魔力や力は少しずつ減っていくが、数の暴力という脅威は人間が一番よく知っている。
さて、分裂という特性上、この魔物達はなるべく早く一掃するべきなのだろうが…
「は〜面倒くさぁ〜」
「え?」
リィンが思考を回すより早く、鎖の擦れる音と共に飛んだ何かが通路の魔物達を轢き潰し砕いた。じゃらっと転がったのは巨大な球体で、鎖につながれたその根元は…欠伸をするネコヤの手元に繋がっている。
「えっ!?」
「グルーッ!」
「ピィピー!」
「ニャポ…」
「なんですかぁ〜そんな意外そうな目で見てぇ〜」
「いや、その、ビックリしちゃって…」
「あぁ〜大きさですかぁ〜?この方がわざわざ狙わなくてもいっぺんに片が付くのでぇ〜面倒じゃないんですよぉ〜。まぁ〜大きさは自由に変えられますけどぉ〜」
「そ、ソウナンダ」
鎖を引き、あっという間に手のひら大まで縮んだ球体を手元に戻したネコヤに、リィンはぎこちない笑みを浮かべた。ソキウスとウィズはキラキラした目で彼を見ているが。
面倒くさがりの行き着く先が圧倒的暴力なんて知りたくなかった。
「でぇ〜?ルーヴヌフマンは居そうですかぁ〜?」
「グルルゥ、グルッ」
「えぇと…たくさんの魔力が密集してる場所があるみたい」
「じゃあそこですかねぇ〜ディヴィラトスかもしれませんけどぉ~取り敢えずさっさと行きましょう〜」
リィンがそうだねと返すと同時にソキウスは彼女を抱き上げ、件の地点に案内するように歩き出す。
少し驚いたが、急ぎだし仕方ないかと納得したリィンはすぐに体重を預けた。そのままメモとペンを取り出し、マッピング作業に移る。
「えぇ〜…お前ぇ〜それでいいんですかぁ〜」
「不満がないとは言わないけど、合理的だからね…私、足遅いし、体力ないし」
「グルグル」
「ピィピィ」
「ニュルニュル」
「ひぃん…皆が肯定してくるぅ…!」
「うわぁ〜」
自分で言っておいて何だが、相棒達の容赦無い肯定にリィンは顔を覆った。悲しいし恥ずかしい。
ネコヤはドン引きである。
…
暗闇に強いシャルの目とソキウスの索敵を頼りに、リィンとネコヤはダンジョンを進んでいく。
途中、上から襲いかかってきたコウモリ型やガ型の魔物はウィズとシャルの魔法で撃ち落とされ、ネズミ型の魔物はネコヤの魔道武具でいっぺんに潰され、たまに壁をすり抜けてくるオバケ型の魔物は、魔石を割ってソキウスの魔法で対処してもらった。
別に火である必要は無いだろうが、一番効きそうなイメージだったので。事実よく効いたので結果オーライである。
そんな調子で特に苦労もなく進む一行だが、ネコヤはどこか難しい顔をしていた。
「ん〜簡単すぎやしませんかぁ〜?」
「え?あ、確かに…?そうだね。変だ」
いくらソキウス達が優秀でネコヤが強いとはいえ、学生二人でサクサク進める程度のダンジョンで精霊の群れが壊滅するとは思えない。
「もしかして、群れがいるのはこの階層じゃなくてもっと深部なのかな?」
「うへぇ〜それは面倒ですねぇ〜」
(でも、子供の精霊が迷い込む程度って考えると、そこまで深いって事も無いはずだけど…転移トラップとか?それとも別の何か…)
むむむ、とリィンが眉間にしわを寄せていると、どこからか地響きが聞こえてきた。
次いでドシン、ドシンと重いものが動く音。それから…強い魔力の動き。
「グルルルル…」
「これ…」
「あっちで何かが戦ってますねぇ〜?」
リィンはゾワゾワする魔力に腕を擦り、生き埋めにされたらこんな感じかと思うほど濃密に感じる茶属性魔力の香りに噎せた。どう考えても普通ではない。
少なくとも、今まで見かけた魔物達の範疇を軽く飛び越えている。
そして、ソキウスとネコヤが早足で進んでいった通路の先。視界が一気に開けたその瞬間…リィンは思い出した。
ダンジョンに出現するイレギュラーな魔物の存在を。
「ひっ…!」
「な、なんですかあれぇ〜…」
豪邸サイズの巨躯に、それを支える太い六本の脚。見るからに分厚い皮膚は鎧のように、けれども靭やかに全身を覆っている。
天に向かって伸びる額と鼻頭に生えた二本の角は、鋭さよりも打撃力がありそうな太さがあった。
細い尾の先は丸く膨らんでおり、無造作に地面に転がっている。ネコヤの魔道武具のよう…と言うより、素直に鉄球のようだと言うべきだろうか。
「六脚犀型魔獣の魔物…」
「というかぁ~あれってもしかしなくてもですよねぇ〜」
リィン達の出た高い天井の空間。まるで岩で出来た闘技場のような場所にいたのは、他とは一線を画す魔力と存在感を持った魔物だった。ここがボス部屋でない以上、可能性は一つだろう。
「ひぃん…やっぱり、徘徊ボスだよね…あれ…」
「グゥル」
「ピピィ!」
「ニャポニャ」
「はぁ〜最悪なんですけどぉ〜」
まさかの一階層目からのエンカウントに、リィンは勇ましくダンジョンに飛び込んだ事も忘れて涙目だ。ソキウス達の毛も全力で逆立っている。
当然、ネコヤの顔色も悪い。
間延びした口調で分かりにくいが、本気で最悪だと思っているし冷や汗だってかいていた。
逃走ダンジョンと呼ばれるタイプのダンジョンがある。
ずっと迫ってくる壁や天井などのギミックから逃げ続けるダンジョンの総称なのだが、この中にダンジョンの最初から最後まで徘徊ボスに追われ続けるタイプのものが存在した。
(妙に広いなって思った通路…この魔物のためだったんだ)
更に言えば、そのタイプのダンジョンは多くの場合、ボス部屋でなくとも"戦場"が整えられている。どこでも、どの階層でも徘徊ボスと戦えるようにというダンジョン側の気遣いだろうか。
その点この、二段重ねのホールケーキを逆さまにしたらピタリと嵌りそうな形にくり抜かれた闘技場は、成る程"戦場"と呼ぶに相応しかった。
ご丁寧に、まるでどの道どの通路を選んでもここに出られるようにとゴツゴツした岩肌にはいくつもの穴まであいている。
要するに役満というやつだ。二人の顔が引きつるのも致し方ない。
「グルル!」
「ニャポ!ニャポニャ!」
「ピピィ!」
「あわわわ…!ネコヤくん!ルーヴヌフマン達が…!」
「あぁ〜もぉ〜最悪に最悪が重なってますぅ〜!」
薄暗くて見えにくいものの、闘技場の二階部分にあたるこの場所から目を凝らせば、一階部分の広場には徘徊ボスの他たくさんの影が見えた。
だが、状況は最悪だ。
まず、一体のルーヴヌフマン…おそらく群れのボスだろう個体が血塗れの姿で徘徊ボスと対峙しており、ボスの後ろには子供や酷い傷を負ったルーヴヌフマン達が固まっている。
その更に後ろにはまだ動けるルーヴヌフマン達が、音などで集まってきてしまったのだろう雑魚魔物の大群を相手にしていた。
パッと見、広場の三分の一程が雑魚魔物で真っ黒である。あの状況かつ己の後ろに守るものを抱えているのだから、実力のある群れのボスとて満足に戦えやしないはずだ。
現に、魔物の突進攻撃や茶属性の魔法を防ぐだけで精一杯のようだった。
「あれ?えぇと、あの子は…?」
「雑魚の後ろでぇ〜チクチク攻撃してるのがそうじゃないですかぁ〜」
ネコヤの指先を追えば確かに、リィン達の真下近くで雑魚魔物の大群に岩塊の魔法で攻撃しているルーヴヌフマンが一体見える。おそらく彫刻家のルーヴヌフマンで間違いないだろう。
「はぁ〜徘徊ボスをどうするかの前にぃ〜まず雑魚を蹴散らさなきゃですかねぇ〜」
「…よし、行こう!」
「はいはいぃ〜」
「グルッ!」
「ピピッ!」
「ニャポ!」
ネコヤが巨大化させた球体と共に飛び降りるのに続いて、ソキウスもリィンをしっかりと抱き締めながら軽く下へ降りた。両者ともサラッとやっているが、リィンにはとても真似できない芸当である。
ズンッと重い音を響かせながら大群の一部を潰し砕いたネコヤは、ギョッと目を丸くする彫刻家に向けて球体の上からヒラヒラと手を振った。
「どうもぉ〜」
「ガルル…!?」
「グゥルルー!」
「ルーヴヌフマン!私達も手伝うから、キミはC案の彫刻を準備してほしいな!」
「ガル…?ガルッ!」
「C案ってぇ〜お前どんだけ作戦作ってたんですかぁ〜…」
「え?えっとね…」
「あぁ〜言わなくて良いですぅ〜」
「むぅ…」
リィンが不服そうな顔をしながらソキウスから飛び降りれば、その鮮やかな赤はすぐさまネコヤが潰した左翼側とは逆の右翼側へと駆け出した。そのままの勢いで魔物の一団に飛び込むと、リィンに視線を投げる。
それに応えるように、リィンは演算領域でせっせと組み上げていた魔法式を魔石に入れて砕いた。
【炎人形】
〈※※※※※※!!〉
飛び込んできたソキウス目掛けてネズミ型の噛みつき攻撃が襲う。鋭い前歯がその肩を噛み砕いた…かと思ったその瞬間、ソキウスだと思っていたモノが白い業火となって弾けたではないか。
さながら火力の強い花火が地上で弾けたようなそれは、炎に触れた周囲の魔物を一気に焼き砕いていった。
〈〈〈〈〈※※※※※※※※※※※※!?!?〉〉〉〉〉
「グルルゥ!」
「お見事!ソキウス、天才!」
この魔法は、シャルが扱う黒属性の偽人形の魔法をリィンが赤属性に組み替えた構築魔法だ。
ただの属性置換だけでなく、身代りが壊れる際に爆ぜ、炎で攻撃するおまけ付きで。
ピークメイアの頃から練り、きちんと中間考査の魔法構造学の試験で合格をもらえた自信作の魔法式である。
(でも…偽ソキウスの顔、やっぱり落書きレベルだったなぁ…知能の低い魔物だったから気付いてなかったみたいけど)
ソキウス画伯にはまだまだ練習が必要そうだという反省はともかく、一時的にでも魔物の数が減った事で体を動かせるスペースが出来た。
「今だよ!暴れておいで、ソキウス!」
「グルッ!」
リィンの声に任せろと鳴いた本物のソキウスは混乱する魔物達の背後を取り、まずネズミ型の背骨を砕くように左肘を落とす。
次いで右フックで振り返ったコウモリ型の魔物を砕き、流れるように右の裏拳でもう一体コウモリ型を屠ると、その勢いを利用した左の回し蹴りで周囲を一掃した。
「ピィピピィー!」
「ニャポ!!」
「ふわぁ〜魔物共ぉ〜邪魔ですよぉ〜」
ソキウスの健闘に触発され、ウィズとシャルもそれぞれ風刃と氷槍の魔法で羽根を持つ魔物達を中心に砕いていく。
ネコヤはマイペースに球を振り回し、広範囲を一掃しながら欠伸をこぼしていた。
リィンの組んだ構築魔法にうわぁという顔をしていたが、その顔をしたいのはどちらかといえばリィンである。
彼の殲滅スピードはとにかく速かった。
ソキウスとネコヤが両翼から攻め、ウィズとシャルが魔物達の後方正面から戦線を押し進める。
そこにルーヴヌフマンの群れ側からの攻撃と、四方向からの攻めともなれば大群とてひとたまりもない。
しかし、魔物達もただではやられまいと守りを固め始めた。それを見て、リィンはニッと笑う。
「じゃあ、もう一箇所攻め手を増やそう!ルーヴヌフマン、いける?」
「ガルゥ!!」
九つの手によって凄まじい勢いで奏でられていた削岩の音が消えた背後に問いを投げれば、返事と同時に魔物達の上へ三体の石像が飛来する。
大群のど真ん中に落ちたそれらは数体の魔物を押し潰すも、ただそれだけ。誰もが岩塊の魔法と大差ないように思った。
マッスルポーズをとるルーヴヌフマンの造形美は見事だが。
魔物達も警戒なく再びひしめき合い、石像を埋めた…その時である。
ゴッと何かが嵌まる音がしたと同時に、石像周辺の魔物が砕かれたのは。
〈〈〈〈〈※※※※※※※※※※※※※※!?〉〉〉〉〉
何が起こったかを理解する前に石像は割れて砕け散り、次の石像が飛来する。そして今度は間髪入れずにゴリッと音が鳴り、またしても周辺の魔物を砕いた。
〈〈〈※※※※※!?!?〉〉〉
「な、なんですかぁ〜?」
「「「ガォウ…?」」」
困惑の声がネコヤからも、魔物の向こう側の群れからも聞こえる。しかしさすが、皆はこの好機を逃しはしなかった。
陣形が崩れた大群の懐に切り込んで暴れてしまえば、壊滅が早いのは道理である。
程なくして、魔物の大群はようやく殲滅に至ったのだった。
残った数体の残党を潰しつつ、ネコヤは戦場に似つかわしくないモノをジトリと睨んだ。ついでにリィンにも同じ目を向ける。
「でぇ〜?何なんですかそれぇ〜」
「え?あの子の作品だよ」
ほら、とリィンの柔らかい手が示す先を、ネコヤのみならず満身創痍のルーヴヌフマン達も追った。
そこには唯一壊れず残っていたムキムキなルーヴヌフマンの石像…己の作品たるそれを色々な角度から眺めている彫刻家のルーヴヌフマンがいたのだ。目がちょっとゾーンに入っていて怖い。
「ボク、ギリギリ見えましたけどぉ〜石みたいなのが石像から飛んでましたよねぇ〜?」
「え、凄いねネコヤくん!銃弾とか目で追えそう…」
「はぁ〜〜〜?」
仕組みだけならとても単純だった。
まず、鐘のようなイメージで中が空洞の石像を作る。
次いで、その空洞から石像の表面向けてに小さな穴を開け、弾丸となる石を詰めてから表面側の穴に蓋をして隠す。
最後に、底面の穴に少し外に突き出た栓をして準備完了だ。
後は、地面に立った石像に重量増加の魔法を一気に掛けて底面の栓を押し込む…それだけで作業は終わり。
「注射器の先に栓をして、ピストンを思いっきり押すと…ポーンって栓が飛ぶでしょ?それと同じだよ!」
「うげぇ〜"ポーン"って軽ぅ〜い効果音で済むものですかねぇ〜コレぇ〜」
空気圧に押し出された勢いの恐ろしさもさることながら、地面からネコヤが拾い上げた"弾丸"とやらは…ゾッとするほど鋭い棘のついた石だった。
そして、その石を拾い上げるために屈んだついでに気付く。
異常に削られた地面を見るに、件の弾丸は斜め下を目掛けて発射されたらしい事に。
そのおかげで至近距離の魔物にしか当たらず、跳弾してもネコヤ達を飛び越えたのだろう。
「どうりでボク達に当たらなかったわけですねぇ〜いっそ頭おかしいですよぉ~お前ぇ〜」
「何で貶されるの???あと、その角度を調整したのは私じゃないよ?ね?」
「ガルッ!」
「はぁ〜〜〜〜??」
その絶妙な角度を調整したのは、他でもない彫刻家のルーヴヌフマンだ。
そもそも、原理や仕組みこそ作戦会議の際に教えはしたが、ここはリィン達が想定していたフィールドではない。
それでも角度や飛距離を魔物の大群へピタリと嵌めたのは…他でもないルーヴヌフマンの、彫刻家故の空間認識能力とバランス感覚という才能だった。
精霊というのは基本的に賢い。
仕組みを皆まで理解せずとも、自分達が何に助けられたのかは分かったのだろう。
彫刻家のルーヴヌフマンを見る群れの目が、明らかに変わったのをリィンは見た。
「って、満足するには早いよ!早くボスさんを…っ!?」
「危ない〜!」
「グルッ!!」
「ニャポ!!」
「ピッ!?」
ネコヤが巨大化させた魔道武具で防御の姿勢を取り、ソキウスがリィンをその裏に連れ込む。シャルもウィズを触腕で引っ張り込みながらそれに続く。
何事かと目を丸くする暇もなく、何かがこちらに吹っ飛んできた。それは群れの数体を巻き込み、彫刻家の作った作品を壊しながらゴツゴツの岩壁に打ち付けられ、ドシャリと倒れ伏す…群れのボスだったのである。
…
「っ!?ボスさん!!」
「ガル…!?ガル!ガルルガオ!?」
群れのボスたるその精霊は、無事な部分などないのではと思うほどに血塗れで、手足もおかしな方向に曲がっていた。
魔法の残滓もあるが、濃くはない。おそらくはほとんど物理的にやられたのだろう。
九手霊狼型精霊は名の通り亡霊系の精霊ではあるが、物理無効を持ってはいないのだ。
(それでも耐性はあるはずなのに…こんな…)
彫刻家のルーヴヌフマンが慌ててその体を揺さぶるも、ピクリともしなかった。
辛うじて生きていることは、か細い魔力で感じられるが…急がなければ手遅れになるだろう。
リィンは咄嗟に駆け出そうとして、しかし踏みとどまった。ネコヤは意外そうな目を向けたが、すぐに納得の色を灯す。
「っ…!皆、今すぐ子供達と動けない子達をこっちに下がらせて!!じゃないと、っ、意味がない!」
「「「ガ、ォ…?」」」
それは頭という絶対の支柱を失って乱れかけた群れに飛ばされた叫びである。
一体で壁を担ってくれていたボスが倒れたと言うことは、その背後に守られていた存在が無防備になると言うこと。
それらが蹂躙されてしまえば、ここまでズタズタになったボスの努力が報われない。
「はぁ〜お前達のボスの働きを無駄にしたいんですかぁ〜?良いから早く動いてください〜」
「「「ッ、ガォ!!」」」
「面倒ですけどぉ〜退避が終わるまではぁ〜ボクがアレを引き留めますぅ〜お前は下がって治療しててください〜」
「分かった…!ネコヤくん、気を付けて!ソキウス、ウィズ、ネコヤくんの援護を頼める?シャルは私の手伝いをお願い」
「グルッ!!」
「ピッピィー!」
「ニャパス!」
今度こそリィンは血塗れのボスの元へ駆け寄り、スライディングでもするような勢いでしゃがみ込んだ。
枯渇ギリギリの魔力。大量の出血。体力だってとっくに限界だろう。それでもこの精霊は戦っていたのだ。
(ルーヴヌフマンを虐げていた事は、正直気持ちの良い事じゃないけど…キミはきちんと、ボスなんだね)
魔法薬を広げ始めたリィンの一方で、ネコヤはうんざりした顔で徘徊ボスを睨みつける。
〈ゴォォォォォ〉
近くで見ると馬鹿みたいに大きく、肌が粟立つような魔力の塊だった。
まさか自分がこんなものを相手にする日が来ようとは。
心底面倒くさいが、ネコヤは魔道武具の鎖を握りしめた。
「ここで逃げるとかぁ~あまりにもダサいですしぃ〜やれるだけやりますぅ〜」
本当は、周りに自分以外何もいなければ…契約魔獣のオフトンに高火力の魔法をガンガン撃ってもらうのだが。
彼に似て面倒くさがりな魔獣は制御というものをまるでしようとしない。つまり、周囲全部巻き込むので呼び出せないのだ。
考えても仕方のない事は思考から捨て、ネコヤは巨大化させた魔道武具を魔物に向けて投げる。しかし…ゴインと鈍い音と共に弾かれてしまった。
「うげぇ〜硬ぁ〜」
〈ゴガァァァァ!!〉
「っ!」
攻擊されたと理解した魔物が、目をギラつかせながら六本の脚で地面を蹴る。
その巨躯に似合わぬ勢いで加速した魔物はそのまま、鼻頭の角でネコヤに突撃した。
「ぅぐ!?」
硬いだけではない。この魔物、パワーも凄まじい。
防御や硬質化などを発動させながらネコヤが咄嗟に引き戻して盾にした魔道武具を、なんと一撃で砕いてしまったのだ。
幸い彼の魔道武具の本体は鎖の方なので、球体はすぐに修復されたが…衝撃で吹き飛ばされた体は無事じゃない。
「ピピィ!」
「うわ、ありがとうございますぅ〜は〜いったぁ〜…」
ウィズの風魔法で落下の衝撃こそ免れたが…腕と肋の骨は逝った。しかしネコヤは顔を顰めながらも迅速に回復薬を服用する。
「アレと真正面からやり合うにはぁ〜ボクじゃ荷が重すぎますねぇ〜」
力を絶対とするルーヴヌフマンのボスが勝てないのも道理だ。力と力が正面からぶつかるならば、純粋に強いほうが勝つに決まってる。
ネコヤもまた力でゴリ押すタイプなのでよく分かるのだ。
それでも、ボヤきつつも彼は体がある程度治ると同時に魔道武具を構えて駆けた。なんだかんだ言って、彼とて男の子なのだ。やられてばかりは普通にムカつくし、格好悪い。
「ピィピピィー!!」
〈ゴォォォォ!!〉
「ピッ!?」
「グゥルルァ!!」
ネコヤが態勢を立て直す間、ウィズとソキウスも魔物相手に苦戦していた。
ウィズの突風の魔法はそよ風程度と見向きもされず、ならばと放った風刃の魔法はまったく通らない。
むしろお返しに岩槍の魔法で貫かれそうになり、ソキウスの拳に助けられた。
そのソキウスの体術も、あの分厚い皮膚にはまるで通らないのだが。
ソキウスはチラリと己の背後にいるリィンを見た。そこには絶対の信頼がある。だからこそ、無駄と分かっていても魔物へ飛びかかったのだ。
「…っ、何とか…命は繋いだけど…」
「ニュルニャ…」
「ガ…ォ…ッ!」
そのリィンはと言えば、あまりにも悲惨な状況に顔を歪めていた。
ボスの治療は何とか間に合ったが、それでも尚ズタズタの体はすぐに戦線復帰が叶うレベルではない。学生の持つグレードの回復薬などそんなものだ。
余程の高級品でもない限り、回復薬は怪我の程度に応じた倦怠感をもたらす。気力回復薬との併用で誤魔化せはするが…誤魔化してなお、目覚めさせる程度が限界だったのだ。
ボスは必死に地面を引っ掻いていても、立つことすら出来ない。何なら、群れの仲間がやめろと止めている。
「うぅ…本当なら群れを逃がそうと思ったけど…動けない子が多すぎるや…」
「ニャポニャポ」
バカ正直に徘徊ボスとやり合う理由はないのだから、リィンは戦略的撤退を選ぶつもりだった。
しかし、ボスと同じように治療しても動けないルーヴヌフマンがあまりにも多く、皆を連れての脱出は現実的ではない。
彫刻家に荷車を作ってもらおうとも思ったが、ネコヤを吹き飛ばした魔物の動きを見るに…とてもじゃないが荷車を転がしながら逃げ切れそうな相手ではないと思い直したのだ。
「ガォ、ガォウ」
「ガォル?」
「ん?あ、そっちの子も目を覚ました?ありがとう」
「ガォガォ」
「それは私がやるから、キミはあの子に氷を持っていってあげて」
「ニャポ、ニャパス」
「ガォウ」
「ふぅ…これで退避は大丈夫かな?」
「「「ガォガォ」」」
いつの間にか群れを仕切る羽目になっている事に苦笑をこぼしつつ、今は仕方ないと割り切ることにする。
どうも、ボスを助けたことで一目置かれてしまったらしい。そのボスにまで仕切ってる現状をお目こぼしされているのだから合法である。
(それは良いけど…何かさせてくれってキラキラした目で見てくるのはやめてほしいよぅ…)
動けるルーヴヌフマン達は、まるで命令を待つ犬のように九つの手をみちっと前に揃えてリィンの周りを浮いているのだ。勘弁してほしい。
(…いや、でも…それならいっそ…頼み事、してみる…?)
リィンは戦場に目を向け、静かに思考を回す。
全員が助かる方法は一つだ。それをたぐり寄せるピースなら…実はある。
実行できるかどうかの鍵は、二体のルーヴヌフマンだった。
「ねぇ、ルーヴヌフマン。まだキミは皆を見返したいって思ってくれている?」
「ガル?ガルガル!」
「そっか…なら、よし!A案の仕掛けを使おう」
「ニュルニャー?」
勿論だと牙を剥き出しにするルーヴヌフマンに、リィンはペチっと両頬を叩く。
不思議そうに腕に巻き付くシャルを撫で、ボスの元へ向った。
そして、静かに憤怒を宿して魔物を睨みつけていた赤い目を覗き込む。
「ボスさん。治療の対価に、一つ私と取引をしない?」
ニッと笑った笑顔は虚勢と怯えで歪でも、凪いだ薄墨の奥に煌めく星の光は鮮烈で…ボスは鼻で笑いながら、一時は千切れかけていた耳を彼女へと向けたのだった。




