43.転機の種
夜更かしが祟って少し眠気を引きずってはいるが、リィンは何とか午前中に起きた。目はしょぼしょぼするものの、今日の予定は街を散策するだけなので問題はないだろう。
迷子になりそうな道をぶらぶら歩いていると、住民達の気取らない日常が聞こえてきて楽しいものだ。
いい目覚ましである。
「今年の木は元気がないわねぇ」
「何だか魔力の巡りが弱いらしいわ」
「でもここは無魔法薬がウリだもの、やりようがないわよ」
「聞いた?また泥棒ですって」
「怪事件だけでもうんざりなのに…警備の人手不足には困ったものだ」
「警備なら、先月魔道具を増やしたんじゃないのか?」
「一月もあれば突破されるって事だろ。魔道具の動きなんざ、ある程度パターン化されてるし」
「また冒険者を雇うしかないか…」
「この前運搬用の魔道具が誤作動を起こして、積んでた荷物が一気に落ちてきてさ。荷物を退かすのにも一苦労で…時間かかり過ぎておやじの足ダメになったんだ。魔法薬で治りはしたが…」
「そりゃトラウマになるわ。魔道具不信ってやつ」
「メンテしててもたまにバグるもんな…メンテ代だって安くないのに」
「いい魔道具程繊細らしいからね。本当はもっとマメな調整が必要らしいよ」
リィンはふむふむと白衣を揺らし、手元のメモにペンを滑らせる。
街の景観に添えられるちょっとした世間話たち。
意外なことに、これだけ至る所に高度な魔道具技術を忍ばせてなお、人々は不便を抱えるらしい。
こう言っては失礼なのかも知れないが、悩みの中身がラントリイと大差ない。発展とは難しいものだ。
「おや、学生さん。散歩かい?」
「あ、こんにちは!えへへ、街の風景を見たくてぶらぶらしてました」
「ははは!やっぱりちょっと変わってるね、学生さんは。大都市に比べたら殺風景なものだろうに。時計塔だとか空中回廊だとか、それらしいシンボルもないしね」
「私から見れば、果樹園も醸造所も街並みも見所ですよ?」
街に来た初日にお世話になった恰幅のいいおじさんは、少し嬉しそうだが力なく笑った。
「確かに、その辺りを見に来てくれる人は多いけど…それだけなんだ。ちょっと街を見て、それで終わり」
「なんて勿体ない…」
「まぁ長居する理由もないし、わざわざ足を止めてまで見たいと思う観光名所もないから仕方ないよ」
理由、と口の中で転がし、リィンはメモにさかさかとペンを走らせる。
己のモヤモヤを解消すべく街歩きをしていたが、やはり現地の人の意見が一番だと実感した。
「ほら、そこの土地も…一時は観光客の為にって大きな宿泊施設があったんだけど」
「…更地、ですね」
「むしろ荒地だよ。ははは…俺の土地だけど、どうしたもんか」
「あ、あの!じゃあ、その…少しだけお借り出来たりしますか?」
「ん?あぁ、勿論!むしろ毎年、実習生の好きに使ってもらってるからね。あの…ホテルにずっといる子もよくそこで日向ぼっこしながら寝ているし、学生さんも好きなだけ使うといい…その程度の利用価値しかないから」
ネコヤは外に出ても尚寝ているらしい。しかも、ハンモックだったり簡易ベッドだったり寝袋だったりと、毎回寝具を変えているのだそう。
何というか、睡眠に対するこだわりというか…一本芯の通ったあり方にいっそ感心する。
それはともかく、いいことを聞いた。
リィンはメモの上にご機嫌な文字を弾ませつつ、勿体無いなとちょっぴり眉を寄せる。
元々が宿泊施設の土地とあって、街の中腹辺りにあるこの場所は立地も良ければ見える景色もいい。果樹園が一望できる上、飲食店の並びも近いのだ。
(まぁ、好きにしていいってお許しも貰ったし、ネコヤくんも好きに使ってるみたいだから…私も好きに使おう)
と、一通り満足するまでメモとスケッチを終えたリィンは、どこかしんみりと街を見つめるおじさんに改めて声をかけた。
「あの、ところで…九手霊狼型精霊ってこの辺りにいますか?」
「ルーヴヌフマン?」
「はい。えっと、昨日ちょっと…噂を聞いたので気になって…」
精霊の話題だからか、おじさんの表情が少しばかり歪んだが、彼は突っぱねることなく顎をさすりながら視線を宙に投げた。
ちゃんと考えてくれるあたり、やはりこの人自体は優しい人なのだろう。
「そういえば…いつだったか冒険者が話してたな。街外れの崖の方に住み着いてる群れがいるから気をつけろって」
「群れ…」
そういえば、図鑑にも"群れで獲物をいたぶり尽くして"とあった事を思い出す。しかし、昨日見たルーヴヌフマンは一体で、群れの気配などどこにも無かったように思う。
そんなリィンの表情に気付いたのか、おじさんはひょいと眉を上げた。
「あぁ、それとも…ハズレ者の方の噂かな?群れの中で一体、別行動してるとかいう」
「ハズレ者、ですか?」
「大方群れとソリが合わなくて爪弾きにでもされたんだろうよ」
確かに、群れを作る魔獣や精霊は異端を弾く事がままある。その点は人間も大差ないが。
(でも、確かに…あの子は"らしく"なかった。じゃあ、ハズレ者って…)
話の直後誰かに呼ばれ、じゃあまたと去っていくおじさんを見送りながら、リィンは曲げた人差し指を顎に添える。
「ハズレ、ねぇ…うーん、私は凄い特技だと思うのになぁ…。まぁ、野生の精霊からしてみれば、彫刻を見てもなにそれ?って感じなんだろうけど」
野生の精霊に芸術を理解しろとは思わないが、ただただ勿体ないとは思う。
だってあの彫刻を作れるほどの器用さは…とてつもなく強い"武器"だと思うから。
…
「今日もルーヴヌフマンに会えるかなぁ?」
「グゥル…」
「ピュイ…」
「ニャポ、ニュルル」
「あのぉ〜リィンさん〜?」
「あ、こんばんはネコヤくん!」
「はぃ〜こんばんはぁ〜ではなくてぇ〜…どうしてまたこんな時間にぃ〜」
「当然、ルーヴヌフマンに会うためだよ!」
時刻は丑三つ時。あの後も街をたっぷり散策し、思う存分スケッチしてから昼寝を挟んだリィンは元気いっぱいだ。
ネコヤも日中散々寝まくっているので夜更かしくらいどうってことないのだが…リィンの行動力にはついて行けない。いや、ついては行くが。
「お前ってぇ〜サワナちゃんより大人しいフリして実は大差ないですねぇ〜」
「え、それはさすがに否定したいけど…」
少なくともリィンは友人を勝手に昇格試験にエントリーしたりしない。
苦笑するリィンにネコヤはため息をついた。
「もぉ〜さっさと探しますよぉ〜」
「え、あ、ありがとうネコヤくん!」
「ここで見捨てる方が後味悪いのでぇ〜サワナちゃんやアルスに怒られたら面倒ですしぃ〜」
なんだかんだ言いつつ一歩前を歩いて周りを警戒してくれるネコヤに、リィンは再度感謝を述べ、ホテルを出て夜の街を散策する。
当然ながら待ち合わせをしているわけではないので、ルーヴヌフマンを探すところから始めなければならないのだ。
「夜のフルーティオって…なんだか不思議だね?」
「というか不気味ですよぉ〜人間は静まり返ってるのにぃ〜無機質な魔道具の音と魔力だけは感じるんですからぁ〜」
「そうそれ!生気がないというか…やっぱり夜行性の魔獣や精霊がいないからだよね。静か過ぎるんだ」
正直な所、怪現象云々より夜のフルーティオそのものの方が怖い。"何かがいる"のもホラーなら、"いるはずのものがいない"のもまたホラーだ。
密やかにそんな会話をしながら歩いていると、ネコヤが急に立ち止まった。
アルスより大きなその背から前を覗き見ると、リィンは目を丸くして駆け出す。
「ルーヴヌフマン!」
「…ガル」
「え、わ、どうしたのこの傷…」
「…」
「…えっと、治療してもいい?触っても平気…?」
「…」
「ニャポ、ニャパス!ニュルニュー」
「…ガルル」
「ふふっ、ありがとうシャル。じゃあルーヴヌフマン、慣れてないとちょっと気持ち悪いかもだけど…我慢してね?」
過去、リィンに押し切られた事のあるシャルの仲介により、ルーヴヌフマンは大人しく治療を許してくれた。
尚、仲介というより…"抵抗は無駄よ。突っぱねようが傷付けようが問答無用で、絶対諦めないもの。そこらの怨霊よりしつこいわ"と半ば脅しに近い説得だったのだが、リィンが知ることはない。
リィンは少しずつ様子を見ながら、傷口に回復薬をかけていく。活性化された生命力がじわじわと傷を消していった。
「切り傷と打撲がこんなに…」
「ニャポ…」
「これは…刺し傷?茶属性の残滓が強いから…魔法の傷かな。もう一本回復薬使わないと。うぅ…見てて私が痛い…」
「グゥルル?」
「ピィ?」
「あはは、大丈夫。私じゃなくて、この子を心配してあげて?」
「ピュイ!」
「グルル、グルー」
「どうしたの、ソキウス?…あれ、この感じは黒属性…?何かデバフくらってるのかも。シャル、分かる?」
「ニャパス!」
「うわぁ〜手慣れてるぅ~」
「…ガル」
リィンはソキウス達の助けを借りつつ、テキパキと魔法薬を使い分けながらルーヴヌフマンの治療をしていく。
伊達に何度もトラブルに巻き込まれていない。そうでなくとも、ソキウスもウィズもシャルも暇さえあれば模擬戦で傷をこさえるのだ。そりゃ慣れもする。
「ねぇ、ルーヴヌフマン。どうしたのって聞いてもいい?」
「…」
ルーヴヌフマンは何も言わない。ただただ諦念だけが灯る目を静かに瞬かせ、やがてすぅっと逃げるように消えてしまった。
「まぁ〜十中八九群れでトラブルでもあったんでしょうねぇ〜。茶属性も黒属性も〜ルーヴヌフマンの得意な魔法ですしぃ〜」
「…やっぱり、ネコヤくんもそう思う?」
「むしろぉ〜それ以外無くないですかぁ〜?ここの連中がぁ〜わざわざ嫌ってる魔獣とか精霊に〜魔法を指示したりはしないでしょうしぃ〜」
「なるほど」
リィンはそれだけを呟き、ルーヴヌフマンが消えた場所をじっと見つめる。
パラパラと落ちた土の屑が、確かにそこにいた事を物語っていた。
「肩入れしすぎじゃないですかぁ〜?」
「うーん、そうなんだろうね…でも」
リィンはウィズの顎をくすぐり、シャルの頭を撫でる。
ソキウスは仕方ないなと首を振りつつ、彼女の後ろから囲うように抱きしめた。
「キミ風に言うと、ここで見捨てる方が後味悪い、かな」
気弱そうに眉を下げるクセして悪戯っぽく笑うリィンに、ネコヤはキョトンと目を丸くする。次いで、風船の空気が抜けるように笑って両手を上げた。
「お前ぇ〜イイ性格してますねぇ〜」
「それは喜んでいい評価?なんか棘がない??」
「どうでしょうねえ〜」
心底、心底面倒くさいが…退屈はしないクラスメイトだ。
ネコヤは欠伸をこぼしながら、納得いきませんと顔に貼り付けたリィンを連れてホテルへの帰路に爪先を向けたのである。
…
次の日。リィンはまだちょっとボヤける頭をコンコンと叩きながら、フルーティオの外にいた。
「うぅ…レポートに没頭しすぎたなぁ」
「グルッグルゥールル!」
「ご、ごめんってばぁ…でもほら!おかげでザッと完成したし…!」
「ニャポ!ニュルニャ!」
「ピュルルィ!ピピィ!」
「ひぃん…皆がベルセルさんみたいに怒るぅ…」
心なしか彼特製リュックまで重いような気がするのは、少なからずリィンにもやっちまったなという負い目があるからだろう。反省。
「えっと街外れの崖ってあれかな?」
「グルル」
「崖というか、大きな岩場って感じだね。よし、行ってみよう」
リィンの視線の先には、草原の切れ目とゴロゴロと大きな岩が転がる岩場。スチームンド自治区との境目である岩山の一部から続いている、低めの崖があった。
そう、彼女が街の外にいる理由は、ルーヴヌフマンの様子が気になったからだ。
名前や見た目からして夜行性なのだろうが、いくらリィンとて一番活発だろう時間に精霊のテリトリー…それも群れの縄張りを踏むほど馬鹿じゃない。
そんな行動、狩りの標的にされても文句は言えないだろう。
「ニュル…ニャポ」
「シャル、どうかした?」
「グルグルゥッ」
「ピィピ」
「皆も…何か聞こえたんだね?」
不意に耳を立てたシャルと、体を硬くしたソキウス、不快そうに鳴いたウィズが見つめる方向…岩場に囲まれた崖の外れにそっと足を進める。
幸いこちらは風下なので、気付かれる心配は少ないだろう。
一歩進むごとに聞こえる音、笑い声、うめき声。
嫌な予感がして、リィンは思わず白衣の裾を握り、もう片手でソキウスの手を握った。
「…っ!?」
そうして岩の隙間から覗き込んだ彼女が見たのは、予想通りの…否、予想より酷い光景である。
一体のルーヴヌフマンが、大勢のルーヴヌフマンに殴られ、蹴られ、魔法を撃たれ、成す術なく蹂躙されていた。
崖の一番高い所からそれを見下ろす一回り体の大きなルーヴヌフマンが笑っている。
おそらくあれが群れのボスであり、だとしたら蹂躙されているのは…
「…っ」
リィンは動きそうになる足を努力して抑えた。悲鳴を抑えるよりずっとずっと大変だったが…これは、人間の踏み入る領分ではないと理解している。
彼女は野生のルールを、精霊達の社会を侵すつもりはないのだ。
どれだけ時間が経っただろう。岩場から少し離れ、体育座りに顔を埋めるようにして遠い暴虐の音に耐えていたリィンは、静まり返った世界に顔を上げた。
ソキウスがウィズとシャルにリィンを任せ、トッと地面を蹴る。
そしてすぐ、彼女の前にボロボロな姿で気を失っていたルーヴヌフマンがそっと降ろされた。
きっと群れの見張りには、魔獣が獲物として持っていったように見えただろう。
「ありがとう、ソキウス」
「グルルゥ」
「…ルーヴヌフマン、ごめんね。勝手だけど…治療するね」
夜に見た傷と同じような傷跡。ネコヤの予想は間違っていなかった。
静かに呼吸を繰り返すルーヴヌフマンから感じる魔力は弱々しく弛緩していて、生きる気力が酷く薄いように感じられる。
油断したら、今にも命がするりと零れ落ちてしまいそうだ。
亡霊系の精霊だから、とは少し違う。昨日も、嬲られている間も、ずっと携えていた諦めの目が、そう感じさせるのだろう。
「…ガ……ル…」
「あ、気が付いた?」
「……」
薄く開いた目が、弱々しい光でリィンを見る。覇気なんてまるでないそれに、彼女は困り顔で口を開いた。
「キミは、悔しいって思ってはくれないんだね」
「…ガル」
ルーヴヌフマンは瞬きで肯定を示す。
自分が周りと違う事はよく理解しており、その"違い"が欠陥であることも分かっていたから。
ルーヴヌフマンは群れの仲間のように獲物を甚振ることに楽しさを感じない。怯えに震えた魔力を貪り食らうのに幸せを感じない。
ただ、いつぞやに見た精巧な彫刻にだけ…その技巧にのみ興味を抱いた。感動を覚えた。感情が動かされてしまった。
だから狩りのための力より、強さの為の魔法より、芸術のための技量を磨いたのだ。
結果今では群れの中で一番弱く、一番の腰抜けだと虐げられるようになったのである。
構わなかった。仲間達に役にも立たないくだらない技と罵られても、気まぐれに立ち寄る近くの街の人間に変な彫刻だと気味悪がられても。
構わなかった…はずだった。
「ガル…ッ」
この、変な人間…リィンが真正面から作品を褒めてくれるまでは。おかげで理解してしまったのだ。
何故わざわざリスクを冒してまで人間の街で彫刻を作っていたか。
見て欲しかったからなんて、認められたかったなんて、誰かに褒めて欲しかったなんて、そんなチンケな欲を。
諦めとともに沈めて蓋をしていたそれを、リィンがあっさりと壊してくれてしまったから。
だからつい調子に乗って、群れの住処で彫刻なんて作って…結果群れの連中に馬鹿にされ、身も心も傷付くハメになったのだ。
「…ガルゥ…!」
「ふふっ」
だのに、お前のせいだと睨んでも…リィンは優しく笑うだけ。
彼女はルーヴヌフマンの諦めの奥を覗き込み、安心した。
「なぁんだ、キミ…ちゃんと怒ってるんだね」
「…ガルル」
「それは、自分に?自分を認めない群れに?それとも余計なことをする私にかな?」
「ガル」
「なら、私もキミに怒ってるから、お互い様だね」
リィンは小さく息を吐いて、笑みを下げてルーヴヌフマンを静かに睨む。
「私の好きな芸術家さんを、馬鹿にしないで」
夜、あの諦めたような目を見た瞬間から、彼女はただそれだけを伝えたかった。
そんなことの為だけにここまできたのである。
「キミが仲間に馬鹿にされているのも正直納得がいかないけど、私はキミ自身が諦めてるのが気に食わないよ。せっかく、キミが磨いた力なんだから…それを、キミだけは否定しちゃダメだ」
「…」
そんな事を言われても、野生で役に立たないのは事実だ。
そりゃ自分だって、ああそうだ自分だって…胸を張って己の技術を誇りたい。
群れのボスが力を鍛えに鍛えたように、ルーヴヌフマンだって技術を磨いて磨いて磨き続けたのだ。棘だらけのくず石がようやっと丸みを帯びて、微かな宝石の色を覗かせるくらいに。
なのにあちらは皆に成果を見せつけ誇れるのに、自分は笑われ蔑まれ、こそこそと隠すしかない。
「ヴガァ!!」
「わ!?」
ギリッと奥歯を噛み締め、ルーヴヌフマンはリィンに掴みかかった。上下が入れ替わる中、ソキウス達が飛び出そうとするのをリィンが咄嗟に止める。
だって、ルーヴヌフマンは泣いていたから。
諦めで蓋をし、仕方ないと隠していた気持ちの奥を暴かれて、溜め込み続けた悔しさが溢れてしまったのだ。
「ガオオゥ!」
だからルーヴヌフマンは吠える。何故暴いたのだと泣く。
そして、お前が暴いたのだから…責任を取れと言いたげに、リィンに縋り付いた。
「クゥーン…クゥーン…ッ!」
「えっと…」
縋りつかれたリィンはと言えば、困惑しながらルーヴヌフマンを撫でてもいいものかと手を彷徨わせる。
言いたいことを言った結果、まさかこんな風に泣かれるとは思っていなかったのだ。
彼女はただ、発破をかけたかっただけだったので。
「グゥル、グルルールゥ!」
「ピィピピッ、ピュピィ!」
「ニャポ、ニャニャパス!」
「ちょ、なになに、皆なんで私を紹介するみたいな構図になってるの??」
「…ガル?…ガゥ?」
リィンの肩を叩きながらルーヴヌフマンを宥めるソキウスを筆頭に、大丈夫この人が何とかしますから心配しないで!とでも聞こえてきそうな雰囲気だった。
皆からの信頼がおかしな化学反応を起こしている気がしてならない。
しかもルーヴヌフマンが期待したように見てくるものだから、当たらずとも遠からずである事を悟る。
「あーもー…分かった。分かったよ」
四体分の圧に負け、リィンは盛大に息を吐き、ゆっくりと起き上がった。
そして、しおらしいルーヴヌフマンを覗き込んで目を細める。
「えっとね、もしも、もしもだけど…少しでも、キミが、キミの力で仲間を見返したいって思うなら…手伝うよ、私」
「…ガ、ル?」
「うん!キミの…芸術を生み出せるその技巧が、どれほど凄いのか教えてあげる」
「グルグゥル!」
「ピィピュル!」
「ニュルニャ!」
リィンをはじめ、ソキウス達は知っている。力だけが強さではない事を。
「だから、キミが諦めたキミを、一度だけ私に頂戴」
それがどれほどの殺し文句なのか、本人は少しも分かっていなかった。
「さぁ、作戦会議をしよう!」
ニッとメモとペンを取り出した少女は、悪戯を考える悪童の顔をして目を細めたのである。
…
「お前ぇ〜〜〜!」
「ひぃん…!」
「ガル…」
作戦会議と称し、ルーヴヌフマンやソキウス達と共に草原で野営をしていたリィンは、朝日ではなくおっかない顔をしたネコヤのアイアンクローで起こされた。
ルーヴヌフマンは困惑しているが、この暴挙を許したソキウスは悟りを開いた僧のような穏やかさだし、ウィズとシャルは気にせず焚き火でりんごを焼いている。
「昨日の夜もぉ〜馬鹿するんだろうなって起きてたらぁ〜お前が朝から帰ってきてないって聞いたボクの気持ち分かりますかぁ〜??」
「あ、心配してくれたの?ありがとう!って、いたたたたたた!!」
「心配ぃ〜しましたけどぉ〜?文句ありますぅ〜?まったくぅ〜心底面倒な思いさせてくれちゃいますねぇ〜?」
「ごめんごめん!だって何か盛り上がっちゃったからつい…!」
「はぁ~〜〜〜」
ダメだこりゃと匙を投げたネコヤに、ソキウス達がお前なら出来る!諦めるな!と果実という賄賂を積むが、あいにく彼は面倒くさくなった。もう無事ならいいや、と。
「でぇ〜?何してたんですかぁ〜?というか、何でルーヴヌフマンまでいるんですぅ〜?」
「何でって、この子が主役だから!ね!ルーヴヌフマン」
「ガル」
リィンの手元には広げられたジオラマと、文字やイラストが散りばめられたメモ書き。ジオラマで作られた岩場は精巧で、いくつか転がっている模型はリィンのイラストそっくりだ。
魔道具かと思ったが、そんな気配はない。
当然である。これはルーヴヌフマンの手作りなのだから。つまり岩製。
「ふ〜ん…設計でもしてるんですかぁ〜?」
「わ、鋭いね!その通り!相手を技巧で嵌め倒すための設計をしてるんだ!」
「なんてぇ〜???」
「え??だから設計…」
リィンは、何故答えを言ったのにネコヤは意味不明だという顔をしてるのか?と首をひねった。
対してネコヤが言ったのは、雑貨とか玩具とかの設計か?という意味であり、何言ってんだという顔をしたいのは彼の方である。
「何かの作戦を立ててるって事ですかぁ〜?ボクは面倒なのでしたことありませんけどぉ〜」
「作戦は作戦だけど、今はフィールドとギミックを設計してるの」
「はぁ〜??」
「そりゃ、いつもなら作戦も戦略もその時になったら即席で考えてるけど…付き合いの浅いルーヴヌフマンにいきなり察しろ!とは言えないし、ましてや造形物となると余計にその場でのアドバイスは難しいだろうから、あらかじめ…」
「はぁ~〜???」
ネコヤは半分も理解できなかったが、リィンの頭が思いの外おかしい事だけは理解した。
「もういっそお前の観察レポート出したほうが面白い気がしてきましたぁ〜」
「物凄く失礼な事言われてるような…というか、アルスも似たような事目論んでたな…」
男の子って不思議、とお前が言うな大賞を受賞しそうな事を考えつつ、リィンはようやく顔を出した朝日にぐっと伸びをする。
「さてと…皆、目覚ましがてら模擬戦でもする?」
「グルルゥ!!」
「ニュール!!」
「ピュイッ!!」
「わぁ、凄い圧。ルーヴヌフマンは岩塊の魔法とそれを成形する作業の練習しようね」
「ガル」
「はぁ~〜ボクはもう寝ますぅ〜」
「あはは、本当にごめん…でも心配してくれてありがとう!」
「別にぃ〜ボクの勝手なのでぇ〜…ふわぁ〜オフトン〜」
「くか〜〜?」
ドシーンと亜空部屋から現れたオフトンに、リィン達はほんの少し浮いた。
見た目通りの重量が詰まっているのだなと思って見ていると、仰向けになったオフトンの腹の上にネコヤが慣れた様子でよじ登り…
「「くかぁ〜〜〜」」
「あ、ここで寝るんだ…」
爆速で聞こえた寝息のデュエットに、リィンはくすくすと笑みをこぼした。
取り敢えず、模擬戦はもう少し離れた場所でやってもらおう。起こして大波の魔法なんて放たれてはたまらないので。
…
そして時刻はあっという間に黄昏時。
「本当に行くんですかぁ〜?」
「勿論!その為の作戦会議だったからね」
「ガルッ」
「うへぇ〜〜」
自分とオフトンの事は棚に上げ、慣れた様子でソキウスに抱き上げられたリィンを二度見したネコヤは、彼女の向かう先に難色を示した。
そりゃ、図鑑に残忍と書かれた精霊の群れに突撃など気が進まなくて当然だが。
それでも着いてきてくる優しさに、リィンは締まりのない顔で感謝を紡ぐ。当の本人には、はいはい〜と流されてしまったが。
しかし、緊張と共に群れの縄張りにやって来た二人を出迎えたのは、異常なまでの静けさだった。
「ガルル?」
「…ここがそうですかぁ〜?」
「その、はずなんだけど…ソキウス、いい?」
「グルッ!」
【索敵】
リィンが透明な魔石を砕くと共に、ソキウスは渡された魔法式を用いて魔法を使う。
少なくとも群れの縄張りの範囲程度なら、問題なく存在を探れるとは思うのだが…
「グル」
「何も…いない?」
「ニャニャポ」
「ピィ」
するりと巻き付いていたリィンの腕から離れ、シャルは影潜の魔法で影にとぷんと潜った。おそらく偵察に向ったのだろう。
ウィズも崖の方に飛び立って上から様子を見て来てくれるらしい。
ネコヤは自主的にリィンの為に動く二体に頭痛を覚えつつ、ソワソワとしているルーヴヌフマンを見た。
「縄張りの移動とかってぇ〜ありえますかぁ〜?」
「ガルルガ…」
ルーヴヌフマンは首を振る。ネコヤは小さく舌を打った。そもそも精霊はここと決めた場所から動く事は少ない。
ならばと群れ総出で狩りに出てる可能性も問うたが、それでも縄張りを空にすることはあり得ないとのこと。
つまり、"何か"が起きている。
と、索敵の魔法で辺りを探っていたソキウスが不意に顔を上げた。
「グルッ」
「ピィィィー!」
それと同時にウィズの鳴き声がし、リィンの影から飛び出してきたシャルが腕に巻き付き直しながら触腕をある方向に伸ばす。
「ニャパス!」
「あっちに何かあるんだね?…ネコヤくん」
「はぁ〜ここまで来たら付き合いますぅ〜このままじゃ気になって安眠出来ないのでぇ〜」
「あはは、ありがとう」
シャルの案内で崖…から少し外れた岩場に向かってみると、砂利状になっている斜面の下に"それ"はあった。
一見すればただの洞窟の入り口のようだが、それは岩壁に開いているのではなく…何もない空間に、入り口だけが浮いていたのである。
「ダンジョンの入り口だや…」
「それだけじゃないですよぉ〜」
「え?…っ!?」
ネコヤが指を差したのは、ダンジョンのすぐ近く。
ボロ雑巾のように落ちていたのは、ズタズタの状態で倒れ伏しているルーヴヌフマンだった。
どうやらダンジョンから飛び出してきたのだろう。それにソキウス達が気づいたのだ。
「…ァ……ガゥ…」
「っ、生きてる!ソキウス、お願い!」
「グルルゥ」
ネコヤが止める間もなくリィンとソキウスは斜面を下り、彼女の頭に偵察していたウィズが舞い戻る。
魔法薬での治療の最中、ルーヴヌフマンは傷だらけの仲間から事情を聞き、手近な石ころを器用な九つの手で加工して二人に見せた。
曰く、遊んでいた群れの子供達が誤って砂利斜面から滑り落ち、前々からそこで口を開けていたダンジョンに入ってしまったのだという。
それを追って群れの数体が入るも戻って来ず、事態を重く見たボスが残りの群れを引き連れてダンジョンに入ったのだ。どうも、子供の中にはボスの子もいたらしい。
「でぇ〜この有様って事はぁ〜群れは全滅ですかぁ〜?」
「ガァル!ガル…ッ」
傷だらけのルーヴヌフマンは首を振り、縋るようにリィン達を、ハズレ者のルーヴヌフマンを見た。その視線の意味は、他者の感情に敏いリィンでなくても分かる。
「助けを呼ぶために、キミは逃がされたんだね」
「ガァル…!」
「ガル…ガルル…」
「でもぉ〜そいつってお前達がぁ〜弱いって馬鹿にしてた奴ですよぉ〜?正気ですかぁ〜?」
「こら、ネコヤくん」
「だってぇ〜そうでしょ〜?それって…ちょっと虫が良すぎません〜?」
ネコヤの言ってることは正しい。散々詰って、嬲って、痛めつけて、嘲笑っておいて…いざとなったら助けてくれなど、手のひら返しが過ぎた。
リィンもそれは分かっているし、ソキウス達もネコヤに同意するように頷いている。
縋ったルーヴヌフマンもバツの悪そうな目をしていた。
リィンはふぅと小さく吐息をこぼし、彫刻家のルーヴヌフマンを見つめる。
「これは、キミが決める事だよ」
「ガ、ルル……ッガル!!!」
ルーヴヌフマンは葛藤の末、牙を剥き出しにしながら扉へ飛び込んだ。
ネコヤはぎょっとその背を目で追い、なんでと呟く。
一方のリィンは静かな薄墨を伏せて眉を下げながら立ち上がり、白衣の裾を払った。
「んー…あの子は本気で、心から、見返してやりたいって思ってたみたい」
「はぁ〜?」
「だからこそ、許せないんじゃないかな。リベンジも出来ずに群れが滅びるって事が」
「ふ〜ん。馬鹿みたいですねぇ〜そんなの〜…で?お前は何をしてるんですかぁ〜?」
リィンは白衣の袖を捲り、トントンと靴の調子を確認しながらネコヤを振り向く。
その目は何を当たり前のことをと雄弁に語っていて、ネコヤはひくりと口端を引きつらせた。
「私がふっかけたようなものだもん。…逃げるなって言った私が、逃げるなんて許さない。ちゃんと見届けないと!それに、精霊との約束を破るなんてタブー中のタブーだよ」
そう言ってリィンはソキウスの手を握りながら、共にダンジョンへ飛び込む。勿論、ウィズとシャルも一緒に。
「それはぁ〜そうですけどぉ〜〜〜あ〜〜もぅ〜!わかりましたぁ〜ボクも行きますぅ〜!!」
ネコヤは顔を覆いながらうめき声を上げ、しかしすぐさまリィンの後を追った。
知り合いが死んだり、それに自分が心揺らされたり、サワナ達が悲しんだりしたら、心底面倒だから仕方なく。そう、仕方なくだ。何とも難儀な性格である。
そんな人間達を、残されたルーヴヌフマンは呆然と見つめていた。




