42.フルーティオ
マーレリア自治区は全体的に緩やかに海へ向けて下っていく。
だから、敷かれた白い道をなぞりながら少し歩けば、目的地である街らしきものは直ぐ見えた。
「…もしかして、あのドームがそうなの?」
『…』
案内魔具の生み出した幻影魔法に過ぎないミラくんは当然答えないが、向かっている方向的におそらく間違いないだろう。
それは巨大なドームに包まれた街だった。正確には、巨大なドームのような結界の魔法に包まれた街、だが。
例えるならビニールハウスをとびきり大きくして、街全体をすっぽりと覆ったようである。
ただ、結界そのものは透明なのだろうが、陽光の反射で中はあまり良く見えない。
「ふむん?暑くないのかなぁ、あれ。熱とか、魔力がこもりそう」
「グルルッ!」
「ニュ…」
「ピィ…」
「あはは、分かりやすいなぁ」
リィンは皆の反応を楽しみつつ、遠慮なく進むミラくんを追いかける。相変わらず製作者に似て不愛想だ。
さて、街の入口は思いの外下の方にあった。
見えているのに中々入れず、グルッと回る羽目にはなったが…この戸惑いもまた良い経験だ。
サイカスに朝から連れ出されたものの、今や太陽はすっかり真上である。
リィンがスケッチに立ち止まったり、皆で甘蕉蝦型精霊達の喧嘩を観戦したりと寄り道し過ぎたのだ。バナナにしか見えないエビがボクシングをしてるのはシュールだった。
あの戦いに感化されたのか、ソキウスがシャドーボクシングをやり始めたのは可愛らしいおまけである。ウィズとシャルは呆れ顔だ。
街に近付いてみて驚いたのは、結界の魔法は目に見えないほど薄く張られており、魔力こそ感じるものの圧迫感はまるで無いこと。見た目も反射が無ければ透明なので尚更だ。
「不思議…遠くからだとあんなにドームとして見えていたのに。これってアルス達とのショッピングで見かけた…そう!通信魔具の覗き見防止シートみたい!」
「ピィピ?ピイ!ピイ!」
「はいはい、わかったよ。入ろっか」
分かりやすく"ようこそ!"と書かれた石造りのアーチから一歩、街に入った…その瞬間、濃厚な香りがリィンを包みこんだ。
「わぁ…!っ、すごい!いい香り!」
「グゥルルール!」
「ニャパニャパス!」
「ピュルルィ!」
それは、鼻から果汁100%ジュースでも飲んだかのような、瑞々しくて甘酸っぱく、鮮やかにして強烈な果実の香り。
緑属性魔力の爽やかさと共に充満したそれに、思わずじゅわっと唾液が出た。
それだけではない。芳醇にして馥郁とした、少しばかりツンと鼻を刺激して頭を痺れさせるような香りも混ざっているようだ。これは、いつぞや家で父が飲んでいた…
「…お酒?」
「おや、もしかして学生さんかな?」
「え、あ、はい!セントール学園二年のリィンです!お邪魔しています!」
「おっと、そう固くならないでくれ!フルーティオにようこそ」
入口すぐで止まって鼻をひくつかせるリィンが目に入ったのか、やや恰幅のいい男性がニコニコと声をかけてくる。ふんわりと柑橘の香りがした。
「いやー、いきなり声をかけてすまなかったね。ここまで来てくれる子ってあんまりいないから、つい…まぁ、ずっと滞在している物好きもいるけど。あ、よかったらほら、採れたての果物食べていきな」
「え、わ、わ、ありがとうございます!」
横を飛んでいた小型飛行魔具の籠から立派なオレンジを取り出したおじさんが、ホイホイとリィンの腕に乗せていく。
一つ一つがリィンの手のひらでは掴みきれない大きさで、皮越しなのに香りとみちみちに詰まった魔力の気配がすごい。これは魔力を主食とする精霊にとっても大層な美味だろう。
「グルルゥ…!」
「ニャポ…!」
「ピュ!ピュイ!」
「ふふっ!取り敢えず、皆一つづつね」
何とか五つ乗っけたそれをソキウス達に配っていると、おじさんから妙な視線を感じて振り返った。
ほんの少し眉が寄ってしまったのは、その視線があまり気持ちのいいものではなかったからである。
「…どうかしました?」
「あぁ、えっと…その魔獣達は?」
「私の自慢の相棒と友達です!」
三体まとめて抱きしめ、ムギュムギュと団子になりながらそう言うも、おじさんは怪訝そうな目をやめなかった。
パートナー以外の魔獣や精霊がいる事を怪しんでいる…訳ではなさそうだ。ウィズやシャルだけでなく、ソキウスにも等しく嫌厭の目が向けられている。
けど、リィンは笑顔を崩さない。彼女には一ミリたりともやましい事はないし、嘘もないのだから。
そこにあるのは絶対的に揺るがないソキウス達への愛情と純真のみ。
さて、笑顔とは一種の威嚇である。
リィンにそのつもりが無くとも、その姿は正しく相手を責めていたのだ。
耐えかねたのだろうおじさんは、しばらくの後に渋々納得したようにぎこちない笑顔で「そうか」と呟いた。リィンの勝利である。
「こほん。さて、ここは果物と果実酒が有名なんだ。ご覧!」
「わ…!」
気を取り直したようにヒラリと示したおじさんの腕を追い、リィンは左側を見て目を丸くする。
そこは広く平地になっていて、見渡す限り果物の木が並んでいた。立派な木々の魔力で満ちた巨大な果樹園だ。
緑の葉の隙間では赤や黄色の果実が陽光をいっぱいに浴びてキラキラと輝き、一つ一つがまるで宝石みたいである。
「凄いですね…!ピークメイアから見えた、整列した木の群れってこれだったんだ…!」
「ははは!いい表現だね。ここの果樹園は種類や品種ごとにキッチリ区画分けされてるんだ」
曰く、その区画毎に作物が一番良く育つ気温や湿度、土の魔力の属性割合から空気中の魔力の属性割合まで、全てが一定に保たれているのだとか。当然、魔道具の力である。
「…もしかして、そのための結界魔法ですか?」
「お、鋭いね!その通り。基準として街の状態を一定にしておく必要があるらしくてね。それだけじゃなく、潮風による塩害や"カタルシアの涙"、魔獣や精霊による食害も防げるし、酒も作りやすいんだ」
そういえば、街に入る前は暑そうだと思っていたのに、全然そんなことは無いと気付いた。むしろ街の外より涼しいくらいだ。
果樹園には多くのドローンが飛び交い、区画の境界だろう場所には柵状の魔道具がある他、様々な数値が幻影の魔法で浮かんでいる。
けれども、それでも尚、人の手が入っていない訳では無い。むしろ、かなり多くの人々が木を世話していた。
「魔道具任せではないんですね」
「まぁねぇ。勿論、魔道具に任せたって美味しくて均一な果実は実るんだろうが…あと一押しっていうのはやっぱり、人の手じゃないと出来ないものだよ」
「なるほど…」
リィンが手早くメモし始めると、おじさんはどこか嬉しそうに目を細める。
シャクシャクと果物を頬張るソキウス達を見る余所余所しい目との温度差に戸惑うも、たぶん悪い人ではないのだろう。たぶん。
(苦手と言うには嫌悪が強過ぎるけど、悪意と言うには中身が無い。…何もしてこないなら、まぁいいけど)
「で、あっち。街の上の方に並んでるのが醸造所だよ」
「街の上…っうわぁ…!」
平地の反対側。右側を見上げると、こちらもまた息を呑むような光景が広がっていた。
マーレリアの丘陵を利用した、段々畑のように幾重にも重なってそびえ立つ不思議な立体都市。
優しく太陽の光を照り返す薄黄色の石壁の家々と、その隙間を埋める灰色の石畳が続いている。
その石畳に適当な机と椅子を広げ、昼から酒盛りをしてる人も多いみたいだ。
街の頂上にある赤レンガ造りの建物達が、おそらく醸造所とやらだろうか。
アーチ窓や凸凹が並ぶパラペットの施されたそれは、他の建物よりくすんでいる事も相まってまるで古城のようである。
それにしても…
「えっと…どうやって上まで行くんだろうこれ…?」
「ははは!分かる分かる!初めてだとそうなるよ。住民ですら迷うんだから」
そう、街を走る通路は迷路のように入り組んでいて、遊び心が強すぎるあみだくじのように緩い坂道とすり減った石の階段があちこち交差しているのだ。
リィンが頑張って目で道を辿っていると、石畳の上を荷車型の魔道具が滑るように浮遊していく。
その横でドローンが人より勤勉に高低差の強い街を行き来し、重そうな荷物を運んだり宅配魔具の配送ボックスに荷物を置いたりと忙しそうだ。
一休みに来たらしい青年が自販型魔具から水を受け取り、その足元ではワラジムシみたいな清掃魔具がせっせと石畳を磨いている。
アンティークな魔力街灯の横には今日の果実の取引価格や、おすすめの果実酒の名前が幻影の魔法で幾つも浮かび上がっていた。
街はどこか古めかしい印象なのに、高度な魔道具達がうまい具合に溶け込んでいて、リィンは不思議な気分になる。
まぁ、魔道具が溶け込んでいる代わりにというか…やたらと統一感のない彫刻がいたるところにあるのだが。
芸術か何かだろうか。あいにく、リィンはスケッチは好きだがそちらに学はない。取り敢えず溶け込めてないのは分かる。
「ははは!そんなに目をキラキラさせてくれる学生さんは始めてだ。そう珍しいものでもないだろうに」
「いやいや!そんな事ありませんよ!」
確かに、フォレスタやインダスティオのような都市を見慣れている人からすれば特別でもないのかもしれないが、少なくともリィンにはどれもこれもが珍しかった。
ただ一つだけ気になるのは…
(魔獣や精霊が全然いない…んだよね。ついでに、おじさんだけじゃなく…他の人もソキウス達を見る目が酷いというか、怪訝そうに見てる)
ふと思い出すのはサイカスの忠告。
もしかしたら、その意味するところは…
「そうだ、学生さんなら滞在先はホテルかな」
「はい!その予定です」
「それならこの大通りを果樹園に沿ってまっすぐ行くとあるよ」
「あ、分かりやすそう…」
「ははは!毎年学生が迷子になるから、数年前から分かりやすい所に移動したんだ」
「あはは、ありがたいです。街のこと、色々教えてくださってありがとうございました!」
「気にしないでくれ!じゃあ、いい旅を」
ニッと人好きのする笑みを残して去っていったおじさんは、やはりソキウス達にだけはぎこちない様子だった。
…
「あ、リィンさんだぁ〜」
「…え?あ、クラスメイトの…」
無事辿り着いたホテルにチェックインをし、部屋でおじさんの話やスケッチを整理しようと階段に向かっていた足を止める。
リィンを呼んだのは、ロビーで巨大なゴマフアザラシ…否、眠大海豹型魔獣の上に寝転んでいた少年だ。何故そこに。
「確か…ネコヤくん!」
「そぅ〜、覚えててくれたんですねぇ〜」
「あはは、まぁね」
彼はサワナとは真逆の印象で、サワナが他よりツーテンポくらい先を行くなら、ネコヤは他よりツーテンポくらい後ろを行くクラスメイトだった。
あまりにものんびり屋過ぎて記憶に残っていたのである。
今にも寝そうな程トロンとした表情に、特徴的な丸い眉、白髪混じりの柔らかそうなミルクティー色の髪が丸っこい顔を包んでいて、リィンはなんとも愛嬌のある男の子だなと思ったものだ。今見ても思うが。
「ネコヤくんはマーレリア自治区を調査してるの?」
「はぃ〜。ボク、地元がスチームンドなんでぇ〜、違う土地の調査がしたいなぁ〜と思ってぇ〜」
「なるほど…あれ?それならフィオーレでも良かったんじゃない?」
リィンが首を傾げると、ネコヤはもにゃっと作画コストが下がったような顔になった。
何がどうしたらそんなに、利き手とは逆の手で書いたような有様になるのだろう。表情筋がどうかしている。
「あ~ほら~、フィオーレはぁ〜…その〜…実習生が多すぎるのでぇ〜」
騒ぎに巻き込まれっぱなしで気付かなかったが、実習生の多くはフィオーレでの調査を中心にするらしい。昇格試験は簡単ではないし、実習そのものは範囲を指定されていないので。
逆にリィンやアルスのように各地を巡る生徒は稀なのだそう。
と、そこまではもっともらしい理由を並べていたネコヤだったが、顔面の作画崩壊が酷くなると同時に面白いことを口走り始めた。
「それに〜ほら~その〜…サワナちゃんがぁ〜いるしぃ〜…」
「確かにサワナちゃんはフィオーレ自治区を調査してるって言ってたけど…あれ?もしかして苦手、とか?」
「ま、まさかぁ〜!ただぁ〜えと、ちょっとぉ〜、近くにいるとドキドキしちゃってぇ〜苦しくてぇ〜…ほら〜のんびり出来ないからぁ〜…」
「へーふーんほほーん?」
くんくん、思わぬ所から青春の気配が。
リィンは自分の事となると恐ろしく鈍いが、人の事ならちゃんと察する。
というか、年頃のおませさんな女の子としては実に興味をそそられる話題だ。甘酸っぺー話は大歓迎。
とまぁ、そんなやむにやまれぬ事情があり、ネコヤはのんびりした安寧の為に爆速で昇格試験を突破してここに滞在しているらしい。のんびりとは。
「えっと、そのドルミグランポカはネコヤくんのパートナーなの?」
「はぃ〜、ボクの相棒でオフトンですぅ〜」
「…くかぁぁ」
「ざ、斬新な紹介だ…」
「だって、そういう名前なのでぇ〜」
「あ、名前がオフトン…筋金入りだや…」
「この子も寝るのが大好きなのでぇ〜、邪魔する奴は大波とか渦潮の魔法で根こそぎ蹴散らしてくれるんですぅ〜」
「そ…れは…頼もしい味方だね…?」
「はぃ〜助かってますぅ〜」
リィンは顔が引きつるのを感じた。取り敢えず、彼とオフトンは怒らせてはいけない。
「リィンさんは…なんだか凄く好かれてますねぇ〜」
「えへへ、そう見えるなら嬉しいな!この子が相棒のソキウスで、ウィズとシャルは友達なんだ!」
「グゥル!」
「ピュイ!」
「ニャポ!」
「んん〜???お友達にも名前があるんですかぁ〜?」
「え?友達に名前があるのは当たり前じゃない?」
「???」
そもそも、パートナー以外の魔獣や精霊を友達として紹介してくる人が前代未聞で混乱するのに、名前まであるとは理解できない。両親か誰かの契約魔獣とかだろうか?それにしては懐き過ぎでは?と色々な想像が鈍い脳内を巡る。
「…そうなんですねぇ〜」
結局、ネコヤは面倒くさがり故に理解を放棄した。英断である。
ちなみに混乱の元凶は何食わぬ顔でキャッキャしているが。
「あははっ!皆擽ったいよぅ!んふふ、ギュー!」
「お〜…そんな体の一部みたいにお団子になってぇ〜…本当に仲良しですねぇ〜」
「グルーッ!」
「ニューッ!」
「ピィーッ!」
「私も皆が好きだよー!」
「はぁ〜凄いなこの人ぉ〜」
受付のお姉さんは、どっちもどっちだよと言いたいのを必死に我慢する。
この人はプロである。プロではあるが、ひくつく口元は隠せなかった。まぁ誰も見ていないのでセーフ。
「ふあぁ〜…まぁ、オセアールはともかく、ここはのんびり出来ていいですよぉ〜。吸血鬼事件も無いですしぃ〜」
「吸血鬼事件…?」
「あ〜知りませんかぁ〜?何だか最近〜セントールの学生が血を抜かれるってぇ〜怪事件が流行ってるとかぁ〜」
「事件が流行るって言い方嫌だね…でも、聞いたこと無いよ、私」
「まぁ〜、知らない間にぶっ倒れてぇ〜、起きたら極度の貧血ってだけなのでぇ〜。そんなに大事じゃないですよぉ〜」
「大事では???」
ネコヤ曰く、狙われるのは学年問わずセントールの学生のみで、外傷も後遺症もなし。ただ、魔法か魔道具か魔法薬かで意識を奪われ、その間に貧血になるほどごっそり血を抜かれているそうだ。怖すぎる。
どう考えても大事だと思うのだが、ネコヤは欠伸を零しながらあっさりと述べた。
いくら命に別状はないとはいえ、学生の血を抜くという行為そのものが悍ましい。
野生のマッドサイエンティストでもいるのだろうか。
狙いも犯人も分かっていない上、犯行現場も東のフィオーレから西のスチームンドまで広範囲に及び、今の所進展は無いそうだ。つい数日前もセントールで被害者が出たらしい。
(丁度私達が温泉に行ってる頃だ…ガウラ先生には感謝しなきゃ。いや…もしかして…守られた、のかな?)
高級宿故の堅牢なセキュリティを思い出して、リィンは眉を下げた。まったく、担任の彼女には頭が上がらない。
絶対に休ませるという意思が、事件からリィン達を遠ざけていたのだろう。
「あ〜でも〜、唯一分かってる事があってぇ〜…狙われてるのはぁ〜魔力の高い学生だけみたいですよぉ〜」
「…あれ?それって、魔力測定の結果が漏れてるって事…?」
「さぁ〜?ボクは興味ありませんしぃ〜詳しくないのでぇ〜」
「いやいやいや、ネコヤくん…キミってこれ、魔力量かなりあるよね?気を付けないとじゃない?」
「はぁ〜まぁ〜、注意勧告は来ましたけどぉ〜この辺りでは事件起きてませんしぃ〜静かなのでぇ〜。ただ、何か最近…街の皆さんは困ってるみたいでぇ〜騒がしいですけどぉ〜」
「困ってるって、何に?その吸血鬼?」
「さぁ〜?ボクは面倒ごとは嫌いなのでぇ〜」
「お、いたいた!おぅい、学生さん!」
聞き覚えのある声に振り向くと、先ほど町の案内をしてくれたおじさんがホテルの入口で手を振っている。
チラッとネコヤを見ると、すぴぃとオフトンと寝息を立て始めてしまったので、リィンはおじさんの方へ歩み寄った。
「どうかしましたか?」
「ああいや、良かったら果樹園を見学しないかい?学生さんの事を話したら、俺の知り合いが是非にって」
「え、いいんですか!?」
「言い出したのは向こうなんだから良いに決まってるよ。どうだい、行けそうかい?」
「はい!お願いします!」
「よしきた!」
今回も第一街人に恵まれたなとニコニコしながらおじさんを追いかけようとしたリィンの背に、寝たと思っていたネコヤの声がかかる。
「リィンさん〜気づいてるでしょうけどぉ〜ここの人は魔獣とか精霊が苦手みたいなのでぇ〜亜空部屋やホテルの部屋で待っててもらった方がいいですよぉ〜」
「あ、やっぱりそうなんだ…」
「グル?」
「ピィ?」
「ニュルル」
「えっと、皆どうする?」
彼の言うとおり薄々気が付いていたリィンは、皆の意見を聞いてみた。結果、ソキウスだけは亜空部屋でリィンが呼んだらすぐ動けるよう待機し、ウィズとシャルはホテルで休むとのこと。
どうやら、あの視線に対して気を張っていたらしく、疲れてしまっていたようだ。
まぁいいかと流していた自分に反省し、リィンは後ほど皆に果物の献上を約束したのである。
…
「ここからあっちはリンゴ、向こうはオレンジ、もっと先に行くとバナナがあって…」
「はわわわわ…!」
果樹園は近くで見るとより見事なもので、大粒の実をこれでもかとつけた木々が重そうに戦いでいた。
出したままの絵の具をそのまま乗せたように発色は鮮やかで、見ただけでこれは美味しいと脳が決め込むくらいである。
ただ、森を思わせるほど健康的な緑属性魔力が多く漂う中、更に大量の魔道具が可動する果樹園内は魔力の濃度が高くなっているのか、少し魔力酔いを起こしそうな感覚があったが。
「あの、野菜とかは隣で育てると良くないってものがありますけど、果物は大丈夫なんですか?」
「おや物知りだ。ここでは心配要らないよ。見えず触れずともそれぞれに魔法の壁があるから、影響ないのさ」
「はぇ〜、魔道具の技術って凄い…」
メモを片手に果樹園のお兄さんの話を聞きつつスケッチしていたリィンは、ふとあるものに目を留める。
それは果樹園のど真ん中にある、珍妙な彫刻。ここにもあるのかと見つめて、気付いた。
「ってあれ?この木…リンゴの木じゃ…」
「へ?…あぁ!?クソ!またやられた!!」
「また…?」
「コレだよコレ!この妙な彫刻!街でも見ただろう?」
「えっと、はい。沢山ありましたね…どなたかの芸術作品とかじゃ…」
「とんでもない!!今、街はこの怪現象に頭を悩ませてるんだ!」
なるほどコレがネコヤの言っていた困り事かと思い至り、リィンは話を聞いてみる。
どうやら、しばらく前からこのような彫刻が街中に現れ始め、不審に思った警備員や一部の住民が夜中まで見張ってみたらしい。
すると、夜な夜な、丑三つ時になると変な人影のようなものがボゥと浮かび上がり、その辺の石や家の塀、果樹園の木まで彫刻にしてしまうのを見たと言う。
まさかの怪現象を誰もが恐れ、監視用の魔道具や警備用の魔道具を増やしてみたり、性能を強化してみたりしたのだが…どれも効果なし。映らないし引っかからない。
かと言って冒険者に依頼を出してみても正体は暴けていなかった。いたと思ってもスゥと闇に溶けるように消えてしまうのだ。魔力すら追えず、後に残るのはいつも妙な彫刻だけ。
「わぁ…唐突なホラー展開」
「被害が酷いってわけでもないが…気味が悪いったらない!」
「うーん…」
リィンは改めて彫刻を観察する。
シルエットこそ珍妙だが、彫られた細工は美しく繊細で、所々にあしらわれた魔獣や精霊のモチーフは今にもそこから飛び出して動き出しそうな息吹すら感じた。
(近くで見れば見るほど凄く精巧…!全体像はともかく、ここの透かし彫りなんて綺麗で素敵だし…)
リィンはわぁわぁ謎の彫刻家に文句を述べる男をよそに、そっと果樹園の上空に映る幻影魔法の時計を見つめる。
丑三つ時か。なるほど、なるほど…
「…でぇ〜、こんな夜中に街歩きですかぁ〜」
「えへへ…作者が気になっちゃって…」
「グルゥール…」
「ピュルィ…」
「眠たいなら寝てていいよ?」
「ニュル、ニャパス!」
「いやぁ〜正直男子としてはぁ〜こんな時間に女子だけになんてさせられないものなのでぇ〜」
「…もしかして、ネコヤくんそれでついてきてくれたの?」
「まぁ〜サワナちゃんの友達ですしぃ〜知らない仲でもないですからぁ〜」
紳士だ…!と呑気に感動しているリィンに、ネコヤはひっそりため息をつく。
一体全体どうしたらこんなに警戒心のバグった人間が出来上がるのだろう、と。
吸血鬼事件の話をしたばかりでこれである。確かにこっちに被害はないと言ったが、警戒を捨てるには早計だ。ネコヤの心配をしている場合か。
マーレリアのギルドマスターではないが、直感的に嫌な予感がしてロビーを張っておいて良かった。
「丑三つ時って、深夜の2時くらい…だったよね?」
「ニャポ!」
「はぃ〜そろそろ時間ですよぉ〜。リィンさんはぁ〜その彫刻家がどこに出るか分かってるんですかぁ〜?」
「まったく!」
「わぁ〜…」
「グルルゥ…」
「ピピィピ…」
「あはは、ただの見れたらいいなって好奇心だ、から…?」
軽く笑ったリィンだったが、不意に視界に捉えたものに目を丸くする。
「どうかしましたぁ〜?」
「ネ、ネコヤくん…あれって…」
「あれぇ〜?…あ」
リィンの指先を追ったネコヤもまた、彼女と同じくいつもは半眼気味な目を見開いた。
二人の視線の先、街の景観に溶け込んでいた石造りの柱の前に、何かの影が揺れている。
ソキウスが寝ぼけ眼を消してリィンの前に立ち、ウィズも定位置で体を膨らませた。シャルは夜目が利くからか、青い三つ目は静かにそれを捉えて睨みつけている。
それは全体的に黒く、けれど長い白髪のようなものを陰気臭く垂らしていた。
その隙間、暗闇で恨めしそうな赤い目が光り、しかし狂喜を携えた口が嗤っている。
デロリと溢れる赤い舌は熟れすぎて腐ったリンゴのようで、目に毒だ。
「あ、足…ない、よね…」
「な、ないですねぇ〜…え、マジなんですかぁ〜???」
「っよし…!あ、あの!!」
えっ、とネコヤはこの世の物では無いものを見る目でリィンを見る。目の前の怪現象に向ける目と同じだ。
彼が叫び散らすタイプの性格なら、なんで声かけてんの!?と絶叫していただろう。
「あの、彫刻家さん…!」
「……」
赤い目がチラリとリィンを見て、元々黒い霧のようだった下半身からすぅっと消えていく。
「まっ、待って!私、あの…!す、素敵な彫刻ですね!!」
「…?」
「そ、それを言いたかっただけなんです!えと、細工が細かくて、彫られてる生き物も生き生きしてて…ほら、あの、家の塀にあった兎とか凄く可愛かったし、向こうのオレンジの木のカモメは今にも飛び立ちそうだったし…!あと…」
「り、リィンさん〜??」
「グルゥル…」
小声であれが良かったコレが素敵だったと捲し立てるという器用な真似をするリィンに、ネコヤも、影もその場でポカンと棒立ちになった。ソキウス達だけは彼女の奇行に悟りの表情だが。
それを良いことに、リィンはええいままよと影に詰め寄る。
「とにかく!私はあなたの作品が好きです!でもあの、街の迷惑になるのは…って、え?」
「……ガル」
「あ、ご丁寧にどうも…じゃなくて!え、キミ…」
リィンの賛辞に感謝を示すようにゆっくりとお辞儀したのは…
「せ、精霊!?」
「ガルルール」
「えぇ〜!?」
「グゥル?」
「ピュイ?」
「ニャポニャ」
黒い毛並みに、重く重力に従って伸びた白いたてがみ。恨めしそうに赤く光る目と、ニタリと裂けたような口に、そこからのぞく鋭い牙と毒々しい赤の舌。
その周りには鋭い爪のついた手が…手だけが九つ人魂のようにぼぅと浮かんでいた。
本来下半身があるべき所は黒い霧状になって浮いている。
「あ~九手霊狼型精霊ってやつですねぇ〜」
「えっ本当に精霊なの!?」
リィンは静かにこちらを見つめるルーヴヌフマンに一言断りを入れ、多機能型通信魔具に内蔵されている図鑑を捲った。
「えっと…ルーヴヌフマン、本当だ同じ…非常に陰湿で残忍。恐怖心に染まった魔力を好むため、群れで得物をいたぶり尽くす、って…」
リィンと、リィンの開いているページを覗き込んだネコヤは、タブレットの明かりの中で顔を見合わせる。
「「いや怖」」
「ガル?」
いかにもたちの悪い亡霊系の精霊ちゃんですありがとうございました、といった説明文だが、それにしてはどうも目の前のルーヴヌフマンは大人しい。
それに図鑑のどこにも彫刻好きだなんて文は書かれていなかった。
「うーん、彫刻ってキミの趣味なの?」
「ガル」
「そっか!独学でこれなんて、本当に凄いや!沢山練習したの?」
「ガル、ガルガオ」
「ふふっ、私もね、絵を描くのが好きで沢山練習したんだ!あ、ちょっと待っててね!」
リィンはそう言って適当にメモをリュックから取り出すと、ほら!とルーヴヌフマンに向ける。
ルーヴヌフマンは一瞬目を丸くし、それをまじまじと…真剣な顔で見つめていた。
「どうかな?一応そこそこ褒められたりはするんだけど…」
「ガルガル!」
「わ!本当!?嬉しいなぁ」
「いやいやいやぁ〜ちょ~っと待ってくれますぅ〜??」
会話に花を咲かせていたリィンとルーヴヌフマンがキョトンとネコヤを見る。
ネコヤはヒクリと顔が引きつるのを感じた。
「なぁんで意気投合しちゃってるんですかぁ〜?」
「何でって…気があったから?ね?」
「ガル」
「ちょ〜お前たちのご主人でしょぉ〜?何とか言ってやってくださいよぉ〜」
「グゥル、グルールゥ…」
「ピィピュィルゥ…」
「ニャポ、ニュルニャ…」
「諦められてるぅ〜」
揃って肩をすくめるソキウス達に、ネコヤは天を仰いだ。
そして悟った。あぁこれはボクの手に負えないな、と。彼は面倒くさがりなのである。考えるのは嫌いだ。
「ガル、ガル」
「ん?なぁに?…もしかしてその絵が欲しいの?」
「ガルガ!」
「ふふっ、恥ずかしいけどいいよ。あ、その代わり…私もキミの作品が欲しいな!いつでも良いから」
「…!ガ、ル…ガルガオ!」
リィンの描いた、戯れる綿毛型精霊達の絵を爪で傷付けないように抱いたルーヴヌフマンは、どうしてか彼女の言葉に嬉しそうに黒霧を振った。尾だろうか。
そしてそのまま、今度こそすうっと消えていったのである。
「はぁ~あ〜で、どうするんですかぁ〜」
「どうするって?」
「ボク達ぃ〜うっかりこの街の怪現象の正体知っちゃいましたけどぉ〜」
「あ、本当だね。お化けの正体見たり!なんちゃって」
無邪気に笑うリィンに、ネコヤはこめかみを抑える。面倒な事になりそうだな、と。
しかし一方でリィンは、別に楽観視しているわけでもなかった。
魔獣や精霊が苦手な街の人達が、怪現象は精霊の仕業だと知ったら…たぶん、あまりいい結果にはならないだろう。
最悪な事にもなり得る。
けれど、リィンは思うのだ。
このままで良いのかな?と。




