38.学生のひととき
「リィンちゃーーーーーん!!」
「え、ふぎゅっ!?」
「リィン!?ちょ、サワナ!締まってる!締まってるから!!」
アルスがベリッとサワナを剥がしてくれたおかげで、リィンはなんとか窒息を免れた。
せっかくテストが終わったと思ったら、人生まで終わるところだったなんて笑えない。
そう、テスト。テストである。
スチームンド自治区でベルセルに言われた後、嘘であれと一抹の望みを込めて確かめてみれば…バッチリと年間スケジュールに書かれていた"中間考査"の文字。しかもご丁寧に赤字で。
リィンは慌てて風乗板型魔具を全力で走らせセントールに飛び帰り、久しぶりに帰った寮を楽しむでもなく机に齧りついたものだ。
そうして今、涙目になりながら一週間頑張ったかいもあり、リィンは何とか三日間の中間考査を乗り切ったのである。
「どうだったー?」
「オレ、ヤバいかも…これまた赤点記録更新かも…」
「私今回自信ある!」
「はっはー、筋肉では乗り切れなかった!!」
「それはそうだろ」
「基礎魔法学の三問目悩みすぎて時間が無くなったござる…」
「予習したとこ出てテンション上がったわー!」
「ねぇ応用魔法生物学難しくなかった??」
「それな」
「うむ。誰か答え合わせを共にしないか」
「なんで即座に現実を直視しようとするの???」
テスト終わりの教室は悲喜交交。安堵と絶望感なんて真逆の感情が同居しているというのは、クロマではないがカオスだなと思う。少しスケッチしたくなった、というのは失礼だろうか。
「リィン、余裕そうだね?」
「まさか!余裕じゃなかったよ…特に数学とか国語とか公民とか…」
「あっはは!まさかの一般教養ー!」
「まぁ、確かに魔法生物学とか魔法学なんかはリィン得意そうだもんね」
そう、リィンはとにかく知識が偏っている。
大好きな魔法生物関係は勿論、その大好きな生物達が使うからという理由で魔法の知識も蓄えは万全だ。
ついでにラントリイでの生活で身についた自然科学系の知識や雑学も得意分野だが…あいにくテストには存在しなかった。カタルシアでは重視されないらしい。
その一方で興味の無い政治経済の仕組みや普通の数式、古書の独特な文章などとは仲良くなれなかった。
一般教養の問題と教科数が少なめであったのがせめてもの救いだ。
リィンは共に頑張ってくれた筆記具を労りながら片付け、チラリと時計を見る。
「えっと…この後って、個別面談だっけ?」
「そうだね。レポートの進捗確認も兼ねてるみたいだよ」
「ガウラ先生とお話してー、恋バナしてー、ガールズトークするんだよね!やったー、私めっちゃ得意ー!」
「サワナ…真面目にやらなきゃ怒られるよ」
「あのね、あのねー、魔法の呪文があってねー!ガウラ先生って、"あの人とあの人がいい感じらしいよ"って呟くとめっちゃ食いついてくるの!」
「あはは…先生…そういう話好きなんだね…」
「他にもね、あの子とあの子が犬猿の仲とか、あいつとあいつはライバルだとかって話も食いつくのー!詳しく教えなさい!って!面白いよねー!」
「結構見境ないな…」
「ふむん?つまり先生は関係性フェチってこと?」
「リィン???」
「それでね、それでねー、私達も先生に食い付いてもらう仲良しさんになるべく遊ぼうと思うんだよねー!ね!」
おっと話が飛んだなと久しぶりの感覚を感じた時には遅く、リィンの腕はサワナによってバッチリ絡め取られていた。その手慣れた感じは、今頃寮の部屋で好きに寛いでいるだろうシャルのようである。
感心しているリィンの反対側には、巻き込まれたらしいアルスが引きつった顔をしていた。
「え、僕も?いやいや、僕いらなくない?」
「いるいる!アルスは荷物持ちー」
「いきなり会話通じるようになるなよ!わざとだなサワナ!」
「まぁまぁ、アルス。皆面談の順番まで時間があるし…」
実際、この中で一番早いアルスでも二時間は先である。一番最後であるリィンなんてもっと遅い。
予定がある訳でも無いので、友達と遊んで時間を潰せるならリィンとしては願ったり叶ったりだ。
アルスも別に嫌な訳では無い。ただ、本当はリィンを誘ってインダスティオで中途半端になってしまったお出かけのリベンジをしたかっただけで。
ついでに、サワナと一緒は間違いなく疲れる。というか、もう疲れてる。
「よし!じゃあ出発ー!おー!」
「お、おー?」
「はぁ…大丈夫かな…」
三日間戦いを共にしたクラスメイト達に手を振りながら、リィン達はサワナに引き摺られるようにして教室を飛び出したのだった。
…
同じように時間を潰そうとしている学生が多いのだろう。セントールの学園都市は前に見た時より賑やかだ。
「どこにする?あそこの雑貨屋?向こうのパン屋?新しくできたカフェも捨てがたいし、そうだ知ってる?そっちにはゲームコーナーもあるんだよ!」
「全部行く時間はないからね」
「私は街に詳しくないし、二人に任せるよ」
「奥の服屋も捨てがたいけど、あっちの通り沿いにある魔道具ショップも面白そうだよね!むむ、そこの道からかぐわしい匂いもする…!」
「おーい、時間なくなるよサワナ」
「ね、ね、ぬいぐるみ好き?私は好き!南の店は手触りがよくて、東の方にある店は本物そっくりで…」
「はぁ…えい!!」
「うぎゃ!?」
アルスがサワナの頬を思いっきり引っ張ると、うろうろと街中を旅しているかのようだった目がリィン達をしっかり写した。
妹の方もこうやって対処するんだなと苦笑する。アイアンクローや針じゃない分優しいのだろうが、アルスは結構容赦なくつねっていた。
ただ、きちんと効果はあったらしい。彼女は定まった目をニンマリと細めると…
「決めた!!!」
で、まずやって来たのは…
「マリンスポーツ用魔道具店!」
「「何故!?」」
リィンとアルスは、鮫型の魔獣をデフォルメしたマークの看板を見上げて声を揃えた。店内には大量の波乗板型魔具が並び、他にもダイビング用の魔道具や釣具、様々な形の浮輪もすべて魔道具であるらしい。浮輪に浮力以外の何を求めるのだ。
「だって、だって、リィンちゃん次マーレリアでしょー?水着!水着ー!」
「えっ」
「えぇ!?水着!?」
何故かリィンより大きく反応したアルスに、サワナ含め店内の視線が彼に集中する。アルスはメガネの奥で瞳を揺らしながら赤くなっていった。
「ね、ね、アルスくーん?今何想像したのー?」
「ベベベつに!?」
「??」
「やーらし!やーらし!リィンちゃん私とあっちの水着見よう!」
「あっちって…いや、無理無理無理!!ビキニは無理ぃっ!!」
「サ、ワ、ナ!!!」
一通り騒いだ一行が次に向かったのはぬいぐるみショップである。ちなみに、水着は一着だけ買った。
「か、か、か、かんわいぃぃ!!何ここ天国!?」
「でしょでしょー?オススメだよー!」
どうやら店内に並ぶぬいぐるみは全て手作りの品らしく、よく見れば一体一体顔つきが違っている。
その個性がまた可愛くて、リィンは表情を溶かしながらキラキラした目でそれぞれのぬいぐるみを眺めていた。
そんなリィンのストレートな反応に作り手だろうカウンター越しのお婆さんもニコニコである。
何なら嬉しすぎてお煎餅を渡そうかソワソワしている。
ファンシーさに気後れしつつ、アルスも気になる一体を手に取って眺めた。
「へぇ…これ、中々よく出来てる…僕も買おうかな」
「アルス、どれ買うの?」
「ほら、この大口鼠型魔獣のやつ」
「あ、凄いそっくり…」
「口までバッチリ再現されてるんだ」
「ぎゃっ!」
「そ、れは私でもちょっと怖いかなー…」
「あはは!」
ちゃんとお腹までバックリ口が開くだけでなく、中まで生々しく再現されている。ベッドの横にでも置いて、夜見たら絶対に怖い。
リィンは思った。ぬいぐるみのリアリティはほどほどでいいな、と。デフォルメされているからこその良さもあると思うのだ。それはそれとしてぬいぐるみは滅茶苦茶買った。
次に向かったのは通信魔具用のアクセサリーショップ。
当然、スマホのないラントリイでは見たことがなかったので、リィンは物珍しそうに目を瞬かせた。
「これ、ストラップ?え、どこにつけるの…?穴ないけど…」
「ストラップ穴付きのカバーに付けたり、これなんかは外部端子の穴に…」
「ふむん?なるほど?」
「…分かってないねその顔」
「ね、ね、これどう?ステッカー!皆でお揃いとか可愛いでしょ!?しかも耐水の魔法付きー!」
「あ、いいかも!」
「うん、デザインも悪くないんじゃない?…少し小っ恥ずかしいけど…」
「けってーい!店員さんこれくださーい!黒と黄色と緑!」
「はいよー」
魔獣達がバンドを組んでいるデザインのステッカーは中々パンクだったが、だからこそシンプルなスマホにはオシャレに映える。ちなみに色はリィン達それぞれの目の色で選んだそう。
空気も入らずまっすぐ貼れたところで、リィンはいいタイミングだと思って口を開いた。
「そうだ!メッセージってやつのやり方を教えてくれないかな?」
「あぁ、そういえば、タイミング逃してたね」
「わーい、任せてー!私シュバババって打てるよ!」
店では迷惑だからと外に出て広場に向かうと、祭りでもないのに屋台やキッチンカーが並んでいる。
「おー!?見て見てアイス!アイス売ってるよ!おいしそー!!」
「わ、凄い凄い!氷菓型精霊そっくり…!初めて見たや」
グラスフェとは、浅いサンデーグラスに似た氷の体を持ち、その中にジェラートを思わせる丸い本体がちょこんと乗っている可愛らしい精霊だ。
サワナが見つけたアイスはそのグラスフェにそっくりで、可愛い顔とちまっとグラスの縁に置かれた手まで再現されている。
「え…あれって本物のグラスフェなんじゃ…」
「うーん…いや、似てるけど違う、と思う。どこかの国じゃ本物が混入したこともあったって聞くけど。ほら、精霊は悪戯好きだからね」
本物が混入って何だとは思いつつ、アルスはサワナがササッと買ってきてしまったそれをじっと見た。近くで見てもリアル過ぎる。
動くのではあるまいなと疑いを多分に乗せた視線は、残念ながらアイスを溶かすだけだったが。
実はアルス、こういう何かを模した系の食べ物が苦手であった。
「んー!冷たー!」
「か、可愛くて食べにくい…けど、溶けちゃうし…ん、んん!シャリシャリで濃厚だ…美味しい!」
とはいえ女の子二人を前に尻込みなどさすがに格好悪いと腹を括り、アルスもアイスを掬ってパクリと頬張る。
なるほど、リィンの言葉通り食感はシャリシャリで口当たりはサッパリしていた。けれどもしっかり濃厚なミルク味のおかげで食べごたえがある。普通に美味しいアイスだった。
「僕のオススメはこのアプリ。たぶん、皆入れてると思う」
「でー、ここをタップしてー、こっち!」
「こ、こう?あ、画面変わった…」
「それで大丈夫。次にこのマークを…」
美味しいスイーツを片手に大きめのベンチで三人並んで座ると、どのアプリを開き、どこをタップすればいいのかをアルスとサワナが両脇から丁寧に教えてくれる。
馴染みがないとはいえ覚えは悪くない方なので、リィンは単純な使い方なら一通り頭に入れることができた。
「ふぅ…操作が思ったよりシンプルでよかったぁ…」
「あはは、せっかくだし、試しに誰かに送ってみなよ」
「家族とかー?私のねーちゃんは返信めっちゃ早いよ!」
「うーん…家族はちょっと無理かな…パパは仕事中だし、ママも魔道具はてんでダメ。そもそもスマホも持ってないからね」
「ああ…成る程」
「分かった!じゃあベルおじさん!」
「へ?」
「いいね!リィン、送ってみなよ」
ベルセルさんも忙しいのでは、と首を傾げたが、そういえば連絡が無いことを心配していたとアルスから聞いた事を思い出す。
それに、彼の事だ。どうせ忙しければスルーするだろう。
逡巡の後リィンはよし!と腹を括り、トークのリストからベルセルを選んでタップした。
『ベルセルさんこんにちは、めっせーじおくれてますか?』
『偽物か?詐欺は間に合っている』
「本物ですけど!?」
「「んっふ!!」」
丁度手が空いた瞬間だったのか、ベルセルからの返信は早かった…のだが、まさか真っ先に詐欺を疑われてしまうとは。
リィンは頬を膨らませつつ、のろのろと文字をつついた。
『ほんものですぅ!アルス達に教えてもらってるんですよ!』
『だろうな』
『って、詐欺じゃないってわかってるんじゃないですか!』
『当たり前だ。そもそもわたしが有象無象に連絡先を盗まれるなどありえん…ところで』
「ん?」
「どうしたどうしたー?」
シュポッとトーク画面に現れた三角のマークがついた画像と、直後の『コレは何だ?』の問い。
リィンの戸惑いを察知したサワナが、迷わずその画像をタップする。
直後、映し出されたのは…
『お嬢さんがいなぃぃぃぃぃ!!僕の推しどこぉぉぉぉぉぉ!!やだやだやだ推しのいない生活やだぁぁぁぁぁ!!』
ギルドの床らしき場所でギャン泣きしているクロマであった。挙動が道路に落ちている死にかけのセミのそれである。
「「うわ…」」
「あー、そっか。テスト勉強しなきゃと思って急いでインダスティオを出たから、クロマさん達に挨拶できなかったんだっけ」
「僕はこれを見てケロッとしてるリィンが怖いよ…」
「私やねーちゃんでもこれは引くかなぁー…」
そう言われても、既にピークメイアにて目の前で見てるので今更としか言えない。
また騒ぎにならないよう挨拶はするつもりだったのだが、あの時はユーシとクロマも忙しそうに街を走り回っていたので、挨拶しようにも捕まらなかったのだ。何よりリィンも降って湧いた中間考査で色々切羽詰まっていたので。
しかし、ベルセルになんと返信したものか。
少なくとも、地底赤魔力プラント奪還の際に人質の救助を依頼しているのだから、まったく知らぬ相手ではないはずだ。その上で"何だ"と聞かれたら…
『よく分かりませんけど、私がおし?なのだそうです』
『おし…???害は?』
『まったくないので通報はしないであげてください。とりあえず、また会いましょうとだけつたえてくれますか?』
『はぁ…分かったが…クセの強いのばかりたらし込むんじゃない』
「ブーメラン刺さってるなぁ」
「アルス、オマエモナー!あっははは!」
ベルセルが言ってる事はよく分からなかったが、とりあえず初めてのメッセージは成功だろうと、リィンはご機嫌な様子で残った氷の容器を齧ったのである。
…
遊んでいれば時間が経つのなどあっという間だ。
先に面談の時間が迫った二人と別れ、リィンは一人セントールをあてもなくぶらついていた。
「こっちはまだ見たこと無かったなぁ…あ、あのお店ベルセルさん好きそう。はわ、向こうのランプ屋さん綺麗だなぁ…!じゃあ、じゃあ、そこの道の先には何が…?」
気分はちょっとした探検家で、弾むような足取りの赴くまま歩いていたリィンが一本の路地に向かおうとした…その時。白衣の上から腕がくぃと掴まれる。
生暖かい温度はそれが人間の手であると教えてくれたが、闇ギルドに拐われた時のような乱暴さは少しもなかった。
「リィン、さん…そっちは、行かない方が…いい、よ」
「…キブラくん?」
覚えのある辿々しい口調に振り向いて見れば、そこには思った通り、インダスティオの昇格試験で一騒動を共にしたキブラが自信なさそうな顔で苦笑している。
リィンが足を止めればすぐに手を離し、覚えててくれたのかと照れた様子で頬をかいた。
「あはは、当たり前だよ!でも何だか久しぶりだね」
「う…うん。あの後…その、色々あった…からね」
「あー…そうだね…」
確かに色々あった、というか、あり過ぎたと思う。
その"色々"の当事者でもあるリィンは思わず遠い目をした。
とはいえ、キブラが無事そうで何よりである。聞いた話によると、煙によって体調を崩した者も少なくなかったらしいので。
「ま、まぁ!何はともあれ、テストお疲れ様!」
「あ、はは…うん。リィン、さんも…お疲れ様」
「それで、えーと…」
リィンはチラリと自分が向かおうとしていた道に視線を送り、小さく首を傾げた。
「ここ、立ち入り禁止とかだったりするのかな?ごめんね、私まだセントールに慣れてなくて…」
「ううん…違う、けど…その…ちょっと、ガラの悪い人達が…いる、から」
「えっ!?まさか…」
「闇ギルド、では…ないよ…でも、絡まれたら…うん。面倒、だから…」
セントールはその城のような見た目に合わせて…という訳では無いが、警備が厳重である。大勢の学生を預かる都市としては当然だ。
その為、闇ギルドからすれば非常に活動しにくい場所なのである。
今はもうある人物によって残党諸共綺麗さっぱり無くなったキブラの元所属させられていた闇ギルドも、セントールでの仕事はかなり渋っていた。
とはいえ、それでも闇ギルド未満のチンピラくらいは彷徨いている。
リィンが通ろうとしていた路地も、そんな連中の溜まり場の一つだったのだ。
それに何より…今は特に人気の少ない路地などを避けるべきなのである。
「そっか…教えてくれてありがとう、キブラくん!助かったよ」
「そ、そう…なら、良かった…えと、リィンさん…一人、みたいだし、気を付けないと…だよ」
「えへへ、そうだよね…うん。反省します…」
これではまた自分を軽視してるとベルセルに怒られてしまいそうだ。別に、リィンにも警戒心が無いわけではないのだが…テスト終わりの開放感に浮かれすぎていたらしい。
ソキウスと一緒じゃない以上、いつもより気をつけるべきだったのに。
ちなみに、ソキウスはシャルやウィズと一緒にリィンの寮室でゆっくりしてもらっている。
学園内は基本的に契約魔獣や契約精霊の連れ歩きが禁止されているので。
「…あ!そうだ!キブラくん、隣のクラスだったよね?面談はもう終わってる?」
「まだ、だけど…」
「もし時間があれば…セントールの案内を頼めないかな?私一人じゃやっぱり心許ないし…」
「時間は、ある…けど…ぼ、ボクで…いいの?」
「勿論!是非お願いします!」
「わ、分かった…じゃあ…あっちの、通りに…行こう…」
キブラは心底楽しそうに街の探索を再開したリィンを見つめ、眩しそうに目を細めた。
その姿を見ているだけで、なんだか心が潤って幸せになる。
「これが、"推し"…」
余談だが、キブラはクロマにかなり毒されていた。可哀想に、何かが捻れる勢いで。
…
そんなこんなですっかりセントールを満喫し、日が傾きかけた頃。
気付けばいつの間にかリィンの面談の時間となっていた。
人も疎らな学園を進み、歴史資料室と書かれた幻影の魔法で浮かぶ室名札を確認した後、コンコンと軽くその扉を叩く。
「入ってちょうだい」
「失礼します」
妙に緊張しつつ入ると、古い紙の香りと停滞を感じさせる重くて埃っぽい空気が鼻をくすぐった。
目に入ったのは様々な古い資料や書籍、地図に、虫食いだらけのメモ、文字の彫られた石版、布織、年代物の魔石に、古い時代の魔道具らしき残骸。カサついた古い魔力の残り香を至る所から感じる。
ここは教師であるガウラのもう一つの側面、考古学者としての彼女の城であった。
普段は学生の立ち入りを禁じているそこに置かれた、似合わない一つの長机とパイプ椅子。そしてパイプ椅子の向いには…お煎餅を齧っているガウラその人がいた。
「いや、ラフ過ぎませんか??」
「こんなの、厳かにやってどうするのよ!緊張でもされたら、喋れるものも喋れないじゃない!」
「正論だなぁ…」
バリバリとお煎餅を食べる音さえなければ、言っていることはまっとうである。
と、そんな彼女の背から見慣れない精霊がフワリと出てきた。
「ビリリィー?」
「ちょっと!これはアタシのよ!あなたはさっきたらふく食べたばっかりじゃない!まさか忘れたわけじゃないわよね!?」
「ビリー」
体長はガウラの指先から肘くらいだろうか。
魚のような見た目の精霊はそこまで大きくない体ではあるものの、頭部の先…普通の魚なら口があるだろう位置からまっすぐ伸びる棘のついた突起が非常に目を引く。
(お煎餅の香ばしい香りの中に凄く酸っぱいような、舌先が痺れる香りがしてるのは…この子の魔力なのかな。あのパチパチしてるの、黄属性の魔力だよね)
突起の根元には歯のないおちょぼ口がポッカリと空いていて、つぶらな瞳も相まって愛嬌がある。
そして頭部の突起の他に目を引くのが、体の両脇から飛び出た翼のような突起である。魚型なので鰭と呼ぶべきだろうか。
「えーと、ガウラ先生?その子は…」
「え?ああ、そうね。リィンくんは初めて見るのね。この子はアタシのパートナーで、翼甲古雷魚型精霊のビリドンよ!遠慮なく観察するがいいわ!」
「ビリリー!」
「はわわわ…!」
契約者からの許しも得たので、リィンは目を輝かせながらあっちからこっちからと様々な角度で観察し、お約束のメモとペンを取り出した。ついでに多機能型通信魔具から図鑑を呼び出してもそもそ画面をスワイプしていくと、見つけたページに思わず目を丸くする。
「え、あ、翼甲古雷魚型精霊って古代精霊じゃないですか!?しかも、温厚過ぎて絶滅の危機って…」
古代精霊とは太古の昔から姿の変わっていない古い精霊の総称で、数が少なかったり絶滅してしまっている為滅多にお目にかかれない精霊だ。
世間一般では竜種に並ぶ希少種とされている。
「そう!小さい頃、アタシが古い遺跡に迷い込んだ時に縄張り争いに負けて傷だらけだったビリドンと出会ったのよ!運命の出会いだったんだから!」
「ビリリィー!」
鼻息荒く人差し指を立てるガウラの頭の上に乗っかり、翼を動かすビリドンの様子はとても嬉しそうで、その関係が良好であるのは一目見てよく分かる。
その上、ビリドンとの出会いがきっかけでガウラは考古学者の道に進んだと言うのだから、リィンは素敵だなと笑みがこぼれた。
「ほらほら、満足したならさっさと座る!ちなみに、アタシが校内で契約精霊と煎餅食べてた事は内緒にしてよね!…さ、とりあえずレポートを見せてみなさい」
「はい、お願いします」
「ビリリー」
ガウラにレポートを渡すと、丁寧な手つきでペラペラとめくり始める。
煎餅の音と、紙をめくる音、時々お茶を啜る音が部屋に響いた。ビリドンは空気を読んでか、音もなく室内を泳いでいる。
何と言うか、物凄く家庭を感じる空気感だ。
新聞を読みながらおやつをつまむ父親がいる感じである。あいにく、仕事人間なリィンの父親がそうのんびり家にいた事などないのだが。
しばらくして、音のある穏やかな静寂の中でガウラがポツリと呟く。
「地底赤魔力プラントでね、アタシの両親が働いてたの」
「…え?」
「話を聞いて驚いたわよ!まさか、あそこが襲われるなんて考えた事も無かったんだから」
「そ、その、怪我とかは…?体調とか…」
「それが全然。やたら胡散臭い男の人とやたら賑やかな女の人に助けられたって…ホントに良かったわ」
ユーシとクロマに助けられたという事は、あの人質の中にいたのだろう。
リィンはドクドクと跳ねた心臓の上に手を乗せる。
一歩間違えれば、目の前にいるガウラが悲しみの底に落とされていたかもしれないのだ。
本当に良かった。リィンも深く同意する。
「ありがとう」
「…え?」
「アタシを甘く見ないで頂戴!これでもベルセルとかから色々話は聞いてるんだからね!あなたがあそこにいて、大活躍した事も。だ、か、ら!…ありがとう。今日絶対にこれだけは言いたかったのよね!あー、スッキリした!!」
「い、いえ…私は特に」
「何よ!まさかアタシからの感謝なんて受け取れないとでも言うの!?」
「いやいやいや!そうじゃなくて…!」
「ならいいじゃない!あのね、アタシからの感謝なんてプレミアものなのよ?しっかり受け取って、心のメモリーにでもしまっときなさい!」
レポートを机に置き、椅子の上でふんぞり返る担任に、リィンはふはっと笑ってしまった。
彼女の強引さは、どうしたって優しい。
「で、それはそれとして…」
「…?」
不意に、バンッ!と彼女が両手を机に叩きつけながら、思いっ切り立ち上がった。急激な動きに、光に照らされた埃がキラキラと無駄に綺麗に舞う。
リィンが目を白黒させていると、ガウラは大きく息を吸い、クワッと目を見開いて艷やかな唇を開いたのである。
「あのね、あなた……どーーしてこんなにトラブルに巻き込まれるのよ!?えっ、何、亡霊とか幽霊系の精霊十体くらいに呪われてでもいるワケ???それともどっかの祠とか壊した??ってレベルでトラブってるじゃない!!そのクセぜんっぜん連絡もないし!!ベルセルから話を聞くたびにアタシの寿命縮んでく思いなのよ!?わかってる!?…こほん!と、に、か、く!アタシは正直キミがとっっっっっても心配なの!まあ?分かるわよ?そーゆー星の元ってのに生まれちゃう人はいるって?でもそれを、じゃあ仕方ないねーって黙って送り出すなんてありえないワケ!!」
「ひぃん…!そ、そう言われましても…本当に不可抗力なんですよぅ…!」
リィンは怒涛のまくし立てに涙目で反論した。
何も嘘は言っていない。いや、ほんのちょっぴり自分から顔を突っ込んでしまった場面も無かったわけではないが…それでも毎回あんな大事になるとは思っていなかったので。
「そ、こ、で!アタシは考えたのよ!…禊ってあるじゃない?」
「え」
「まぁさすがに本場のものは用意できないけど、要は綺麗な水とかに浸かって穢れを落とせばいいのよね?ええ!なら、取っておきのものがあるの!!ビリドン!」
「ムシャムシャ」
「ちょっと、何食べてるのよ!!?そうやって何でも口にいれるからお腹壊すんじゃない!もう!!」
ガウラはビリドンの口からペイッと何かを引き抜き、リィンの前に置いた。
ちょっと湿っててベタベタしてるのは…見なかったことにしておこう。
「…チケット?」
「そう!!聞いて驚いて喜びなさい!!マグマールで一番人気の…温泉宿のチケットよ!!!」
「お、んせん…??」
予想外のワードに目が点になった。
禊と温泉は、果たして繋がるのだろうか。繋げていいのだろうか。
「いい?暖かくて最高のお湯に浸かって悪いものも疲れも全部落としてからじゃないと、マーレリアになんて行かせてあげないんだからね!!!」
「ひぃん…高度すぎるツンデレだや…」
「う、うるさいわね!!このアタシ…と両親とマグマールの皆がト、ク、ベ、ツ、に!用意したんだから!ありがたく受け取りなさい!!」
「へぶっ!?」
リィンは顔面に叩きつけられたチケットを手に取り、しばらくの困惑の後たまらず破顔した。
カタルシアの大人達は本当に、優しくて困ってしまう。
「ありがとうございます!」
どうやらリィンは次なる旅路…の前に、温泉宿でのんびりしなければいけないらしい。
元々行きたかったので、願ったり叶ったりだ。
温かい心遣いに触れ、ほっこりと空気が弛緩する。すると、面談という堅苦しいワードが剥がれて視野が広くなったのか、ガウラの背後の机に立て掛けられていたものが目に入った。
「写真…ガウラ先生と、もしかしてベルセルさん…?」
「え?あぁ、これね。こんな不健康そうで無愛想な人間二人もいたら嫌よね。もしかしなくてもベルセルよ。大学時代の」
学生時代のベルセルは今より顔つきこそ幼いが、この頃から隈はべっとりついている。もはや顔の一部なのかもしれない。
彼女が目を輝かせていたからか、ガウラはくすっと笑って口を開いた。
「学生の頃…アイツって、ある意味かなり有名でね。ものすっごい浮いてたし、周囲からの評判も最悪」
目を細めたガウラの思い出に浮かぶのは、広い教室で一人ポツリと座り、遠くから指をさされる男の姿。
人付き合いが悪い、態度が悪い、目つきが悪い、鼻につく…それはもう色々と理由はあったが、一番は"とある街の生き残りだったから"だった。
「でもアタシは…凄いって思ったのよ」
「凄い、ですか?」
「えぇ。そんな、針の筵みたいな中でもシレッとしてて…ただただ、一生懸命だったの。自分に出来る事を探すのに」
大量の紙と積み上げられた本と、ひたすら文字や数式の流れる魔道具に、様々な測定結果や演算結果を吐き出す魔道具。店でも開くのかと思う程広げられた数多の魔植物や魔獣などの素材。あと、彼の口にせっせと甘味を詰め込む契約魔獣。
それしか、当時のベルセルには無かった。
ストイックという言葉すらも足りないくらいに、彼は寿命をも削る勢いでカタルシアの役に立つ様々なアイデアや魔道具、魔法薬、研究を生み出していたのだ。追い詰められるように、ひたすらに苦しい顔をしながら。
ガウラは、彼をそうさせた理由を知っている。
今もまだ、そうして生きていると知っている。
「その強さとか頭脳に憧れると同時に、心配もしたわ。アイツ、どっこにも寄りかからないんだもの!だから、無視されようが睨まれようがお構いなしに付きまとってやったの!だって、ムカついたんだもの!!」
"あんたのせいじゃない"
そう言ってやれなかった自分の憂さ晴らしでもあったけれど。
「"お前はなんなんだ"って言われたときはもー、ホント腹が立ってね!後輩ですけど、文句あんの!?ってたまたま持ってたケーキを顔面にぶん投げてやったわ」
「っぶ!っく、あははははは!!」
「そしたら次の日アイツ、なんて言ったと思う?"ジュースを買ってこい…なぁ、コウハイくん?"って!!さっそくパシリにして!!今思い出しても腹が立つ!!」
「あはははははははは!!」
それ以来交流が続き、ガウラと巫山戯る姿を見た他の人間も一人、また一人とベルセルを見る目を変えていった。
結局、皆怖かったのだ。得体の知れない男の事が。
しかし、ガウラに付きまとわれて迷惑そうにしたり、普通に会話したり、時にはからかったり…孤高の天才は、蓋を開ければ普通の人間だったのだと理解されるのは早かった。
ガウラは本当に容赦なく付き纏っていたので。
リィンひいひい笑いながら、ベルセルにガウラがいて良かったと心から思う。
彼の優しさだとか、お節介さとか、きっと元々あったのだろうけれど…それを失わせなかったのは、ガウラの存在故だっただろうから。
けれどリィンと同じように、ガウラは思うのだ。
「でも最近は、アイツ自身が自力で変わってきたわね。良い方に。…誰のおかげかしら?」
「へ?」
ベルセルは己の古傷を口にしない。口にできない程に傷ついているのだと、ガウラですら察していた。
そんな男が…
"雨…そういえばあの子は、まともな雨具を持っていただろうか。中和薬は持たせてあるが…ふむ、丁度いい。傘の魔道具でも作ってやろう"
"カタルシアの涙"を見ながらそう言ったのだ。
まるで、普通の雨でも見ているように。
その衝撃はきっと、ガウラとフラーテルにしか分からない。その喜びも、きっと。
「ま、あなたには期待してるわ!」
「え、何の話してます??わ、わわわわ!?」
「何よ何よ!!可愛いんだから!!」
ガウラは鈍感な教え子の髪をぐしゃぐしゃに混ぜて楽しみながら、そっと添えるように口を開く。
「それと、レポートは順調みたいだし、目的もちゃんと定まってるなら…このまま進めなさい。気が済むまで、カタルシアを見るといいわ。本当に…期待してる」
「…はい!」
痛みを伴った激励に、リィンははっきりと返事を返した。
ガウラもまた、その目でフィオーレやスチームンドの悲劇を見た世代なのだろう。
そんな彼女から期待していると言われたなら…生徒として、しっかりと応えてみせようではないか。
ビリドンに見送られながら歴史資料室を退出したリィンは、手に持ったチケットに目を通した。
(えぇと…日付は指定…あと、三人まで誘えるんだ…よし)
廊下を弾む足取りが、黄昏時の校内で笑うように響く。
その影は不気味な静寂の中で恐れ一つなく踊っていた。
「少しでも、あの子が休めればいいわ。…無駄な事件に、巻き込まれたりせずに」
祈るような呟きが、煎餅と一緒に飲み込まれた。




