37.霧の晴れた日
スチームンド自治区編はこれで終わりです。
また次の話がまとまり次第投稿します。
「正座」
「「はい…」」
開口一番怒鳴り声ではなかったものの、静かな怒りの方が怖いものであるとリィンは思う。
魔力と気配だけでここまで怒りを露わにできるものなのだと、知りたくもない事を知ってしまった気分だ。
隣で真似して正座しているソキウスすらも縮こまるレベルの恐怖。シャルも巻き付いたリィンの腕を盾にしているし、研究所で合流したウィズも首の後ろに隠れてしまっている。
そんな、熊型魔獣の群れにでも囲まれたような絶望感が、ゴゴゴゴと低い地鳴りの幻聴を引き起こしていた。
鼻に詰めたティッシュの奥が既にツンとする。泣きそう。
ギルドの職員達は硬い床に仲良く正座するリィンとアルスとソキウスに同情の目を向けながらも、いっぱい怒られなさいと菩薩のような笑みで不可侵を決め込んでいた。絶対にベルセルの方を見ないのがコツらしい。
「まず、聞くが…そこの学生。お前は何故彼女について行った」
アルスはうぐっと唸りながらリィンを横目で見て、ごめんと口を動かした。
「その…リィンは先日昇格試験をしてまして…」
「ほぅ、続けろ」
「その時、闇ギルドに暴行されたり拉致されたりしたらしく…いわゆる病み上がりだったみたいで…」
「は?」
どうすればたった一文字をこれほどまで恐ろしく発音できるのだろう。
心配でついていきました、というアルスの台詞を皆まで聞かずに、ベルセルの視線はリィンに攻撃を仕掛けてきた。
「闇ギルドに拉致?暴行??キミがそんな目に遭っていたなど…わたしは聞いていないが?というか、いくら回復薬があるとは言え、そんな事のあった直後で行ったのか?危険地帯に?正気か」
「ひぐっ」
勝てる予感がしないし、回避できる気もしないが、ついうっかり彼女は口を開く。
「で、でもあの、あの時はもうばっちり休んですっかり元気でしたしぃ…」
「自認としての元気か否かが問題なのではなく、酷い目にあったという心身へのストレスと回復薬で無理に回復させた後の体調の馴染み具合が問題であり、おそらく医者に休養を言い渡されていたはずだが?」
「オッシャルトオリデスゥ…」
当然の勝敗だった。
リィンはなるべく小さくなろうとしたが、どうやってもベルセルの眼光は回避できそうにない。
「はぁ…わたしは前に言ったはずだが?無茶をするようならわたしはキミを頼らないと。今、わたしはキミを頼ったことを…猛烈に後悔している」
「…っ!」
吐き捨てるような台詞に、リィンは咄嗟に俯いていた顔を上げた。
仁王立しているベルセルの目には、焦がすような怒りと…見てるこちらが痛いほどの悲しみが揺れている。
息を呑んだ。いつかのシャルのような、人に裏切られた魔獣や精霊と同じような目だったから。
そこでリィンはようやく気付く。
自分が、ベルセルの信頼を裏切ったのだということを。
「っ、ぁ……ベルセル、さ…」
「わたしはキミを送り出す時、首すら賭けると言ったな。実際行動に移すかはともかく、少なくとも気持ちだけは…本気だった」
「……」
「それなのに、キミは平然と自分を蔑ろにする。これに怒りを覚えるなと?巫山戯るのも大概にしろ!」
「っ!」
薄氷がぺきりと割れたように、あまりにも呆気なく反抗心は砕け、大粒の涙が夜空のような瞳からこぼれ出す。
「…っ、め、なさ…ごめ…な…っい!!」
震える唇は言葉もまともに紡げず、それでも、謝罪が止まらない。
ベルセルに頼られて嬉しかった。
彼はちゃんと前回のリィンの言葉を聞いて、子供というフィルターを一歩抜かして真剣に向き合ってくれたのに。
それを他でもないリィンが裏切った事実が、あまりにも許せなかった。
何より、そんなリィンを見捨てず、まだ向き合おうと説教してくれる彼の懐の深さには、申し訳無さしかない。
「ひぐっ…んくっ…っ…ひぅっ…ひぅっ…」
「り、リィン…」
彼女は泣きじゃくった。床に落ちる白衣の裾を握り締めて泣く姿はまるで、ベルセルに行かないでと追いすがる子供だ。ソキウスとシャルとウィズはオロオロとしながら、彼女を慰めんとそれぞれ身体をくっつけた。
それでも泣き止まないリィンを見て、ベルセルは少し追い詰めすぎたかと気まずそうに口を歪める。
跳ね上がる背に手を当てて宥めようとするアルスから非難がましい目を向けられ、ため息と共に歩み寄った。
「…」
「…」
が、どうすればいいのか分からない。
問うようにアルスに目を向ければ、返される蔑みの視線。
空気を読んだウィズが定位置である頭の上から肩に移動すると、アルスは仕方がないなといった様子でリィンをあやしていない片手を彼女の頭の上の空気に乗せ、左右に動かしてみせる。
更に難しそうな顔になりつつ、ベルセルは恐る恐る手を伸ばした。少し近付いて、戸惑うように指が縮んでを繰り返す。
生まれたての赤子にでも触る気かと突っ込みたくなったが、あまりにも表情が真剣なのでアルスはため息で感情を逃がした。
「…言った言葉を訂正はしない。だが、そこまで泣かなくていい。別に、その…キミを見限ったと言うわけではない。ただ、わたしは、だな…キミが損なわれるのが恐ろしいんだ。その原因が外的要因であれ、キミ自身であれ、わたしはきっと許せない。つまり…あぁ、そうさ、半ば八つ当たりだとも…」
「…っ…」
ようやく着地したベルセルの筋張った手が、そっとリィンの濡羽色を滑り、柔らかい声が鼓膜をくすぐる。
それは、小さな生き物を人差し指の背で撫でるような優しさがあった。
涙の残滓を瞬きでこぼし、真っ赤になった目が恐る恐るベルセルを見る。
言い訳のように言葉を並べる男はいつもより幼く見えて、ほんの少し可愛かった。
「キミは感情に向き合いすぎだ。それでは自分が潰れてしまうぞ」
「んぇ…?」
「はぁ…それに救われてる人間が言えた義理ではないがな」
「ぐすっ…救い…私が、ベルセルさん、を?」
「ぐっ…いや…計算外だ…何でもない忘れろ。調子に乗るな」
「んふ、ふふ…」
「調子に乗るなと言っている」
今泣いた烏がもう笑う。
ぐにっと柔らかい頬を勢いで抓ったベルセルは、ようやく明るさの戻ったリィンに密かに胸をなでおろす。
アルスを見れば、まあ及第点だけどちょっとずるいムカつくといった様子で、顰めっ面のグッドサインをもらった。どんな感情だそれは。
「しかし…キミの感受性の高さや素直さは美徳だが、敵を煽るのは辞めたほうがいいな」
「煽る…???」
「ベルセルさん、リィンは無自覚です」
「どうしてこんなのが世に解き放たれたんだ…」
何か失礼な事を言われていると悟ったリィンが頬をふくらませる。
アルスとベルセルのみならず、これにはソキウスとシャルも揃って肩を竦めた。ウィズだけは可愛らしく首を傾げていたが。
「で、だ…そもそも何故キミ達は地底赤魔力プラントまで行ったんだ?」
「げ、まだ続くんだ…」
「すん…アルス、ベルセルさんのお説教は長いんだよ」
「ガハハ!そうカリカリするんじゃねェベルセルの坊主!あそこまで連れ回したのはワシじゃァ」
「ならアンタも正座」
「え」
そうして、ベルセルの説教はいい年した男も交えてくどくど長々と続いたのである。
リィンは膝が無くなったかと思った。
…
激動の一日と恐ろしい説教を終えてベッドに倒れ込み、二日の昼も過ぎた頃。散々泣いて、未だパンパンに腫れてしまっている目と格闘していたリィンにヘルプが届く。
何でも、リィン達が帰った後から今まで睡眠もまともな食事も取らず、グロッキー状態でキーボードを叩いているダメな人間を何とかしてほしいらしい。
なお、依頼主は直接リィンの滞在するホテルまでやって来た、健気で可愛いフラーテルである。お察し。
「あらぁ」
「グルゥ…」
「クゥイ…」
しっとりした手を握りながらたどり着いたギルドは、フィオーレの経験から予想はしていたが戦場だった。
充血した目で小型映像魔具を睨む職員、虚ろな目でケラケラ笑いながら資料をまとめる職員、泣きながらエナドリをキメる職員、"ワシがやりました"と大量の罪状が書かれた板を首から下げて部屋の隅で正座するギルドマスター…どれだけ魔道具壊してるんだこの人。
出来れば入りたくないが、フラーテルにきゅるんと甘えられては腹をくくる他ない。リィンはちょろいのだ。
「シュヤマさん、お邪魔します」
「あン?なんだァ、玉鋼っ子じゃねェか。体はきちんと休めたか?」
「はい!もう鼻血も止まって、バッチリです!」
「ガハハハハ!さすが、若ェのはいいのォ!!」
反省札を下げているとは思えない快活で豪快な笑い声に、つられてリィンもくすくすと笑う。リィンを若いと言うが、シュヤマこそピンピンしているではないか。
「ぁ、そうだ…シュヤマさん、あのぅ…」
ハッと思い出して、リィンは己の収納型魔具から小盾を取り出す。アルスのスピアに突き通されたそれには、完全に穴が空いてしまっていた。
「すみません…借り物なのに、壊しちゃって…その、弁償とか…」
「なァに言っとんじゃこのボンクラが!」
「ひぃん!?」
「物は壊れんのが道理じゃわィ。ふざけて壊したならまだしも、こいつァお前さん達の役に立って壊れたんじゃろ。なら、十分じゃ」
どの道、リィンに合うようにと改良した結果それでも三拍発動が遅れる、シュヤマにとっては失敗作だったらしい。
その遅延は遅延でギヤマンとの戦いでリィンを救ったが…それはそれ。
「あの鋼っ子の坊主の槍と一緒に作り直してやらァ!ガハハハハ!」
「え、い、いいんですか…?私そんなにお金もってないですけど…」
「かぁーー!水臭ェ!さっきから弁償だ何だと…こいつァワシからの礼じゃ!何より、今度こそお前さんに会う魔道武具を作ってやるっちゅうリベンジじゃわィ!!」
「クゥル、クィール」
何やら燃えているシュヤマのみならず、フラーテルにまで彼の気持ちを受け取っておけと苦笑され、リィンは少しの気後れに眉を下げながらも「お願いします」とはにかんだ。
「そういやァ話は変わるが…お前さん、ダンジョンでコラプシールを見たって?昨日、鋼っ子が妙なテンションで色々聞いてきよったが…」
「あー…」
アルスはどうやら、ダンジョンでの決意を忘れていなかたったらしい。あれだけの疲労感の後でも尚動けるとは尊敬しかない。
いや、むしろ疲れているからこそのハイテンションだったのかもしれないが。
リィンは収納型魔具からまとめていないメモの束を取り出し、シュヤマに渡す。
それはあのダンジョンで見たこと、聞いたことを書き殴った文章と…
「っ…!」
シュヤマの太くて筋くれだったガサガサの指が、一枚のスケッチを撫でた。それは一番最初の…ギミック解除を始める前の街並み。
シュヤマの瞳に静かな懐古が浮かぶ。きっと、この街並みがコラプシールのものだというアルスの予想は当たっていたのだ。
「…あの坊主にも言ったが、お前さん達が見聞きしたモンは全部明らかにして構わんぞィ。そもそもワシャ…馬鹿な嘘つき共にャ反対じゃったからなァ」
穏やかな声に、リィンは一度口を開き、閉じ…それでも、やはり伝えるべきだと口を開いた。
「"叶うなら仲直りがしたかった"…最後に、最期、に…そう言ってました」
「…そうかィ。まァったく…馬鹿じゃなァ」
そんなもの、生きてさえいれば叶っただろうとシュヤマは遠くを見る。
「腐れ縁じゃった。悪友じゃった。じゃが、責任感の強ェあいつが長になるなら…腐ってやがったコラプシールを良くできると信じとった」
しかし現実、コラプシールの強欲は悪化した。リィンはその理由をダンジョンで知ったが、当時のシュヤマには知る由もない事。友を信じていた彼は激昂し、激しい言い争いの末に仲違いしたらしい。
そして、すべての真実をあの悲劇の連続の後に知った。
「傷だらけのスチームンドの民にャ、感情を向ける先が必要じゃった」
「…だから、コラプシールの策に乗ったんですね」
「ワシじゃねェがな。当時の馬鹿共が決めたんじゃわィ」
そして偽りは真実となり、当時一介の魔道武具鍛冶師でしか無かったシュヤマは口を閉ざす他なくなったのである。
今でこそギルドマスターだが、その頃にはもうすっかり歴史として根を張ってしまった嘘を崩す事も出来なかった。
「じゃからなァ…お前さん達っちゅうきっかけに、ワシは今感謝しとる」
「…そうですか。…うん、任せてください!」
ニッと笑ってリィンの肩を叩いた彼は、どこまでも清々しくカッコ良かった。首から下げた反省札さえなければ。
台無し感を回避すべく、リィンは目線を顔に固定すべく尽力したのである。
…
さて、少し道草を食いはしたが、本命はどこだろうか。
キョロキョロと研究所内を見ていると、頭に乗っていたウィズがある一点に向かって飛んで行った。
「ピィ!」
「あ、いた…ベルセルさん」
「………なんだ」
「うわ、生きてます?」
「………なんだ」
「今日はいい天気ですね」
「………なんだ」
「あっ、ダメだなこれ…皆さーん、ベルセルさん借りていきまーす」
「「「どうぞどうぞー」」」
「ソキウス、よろしく!」
「グゥル!」
会話が成り立たなくなったダメ人間をソキウスに抱えてもらい、リィンはアルスと行ったカフェを目指す。
歯車ブレンドは彼女のお気に入りだ。
まぁ、他のカフェを探すのが面倒だったとも言う。体力は回復したとは言え、精神は別。彼女とてまだまだ疲れていたので。
運良く時計塔の見えるテラス席が空いており、ソキウスにベルセルを向かいの椅子に設置してもらった。その左隣にはフラーテルが慣れた様子できちっと座り、ソキウスも真似して右隣の椅子にちょんと座る。
シャルはリィンとフラーテルの間、ウィズはリィンとソキウスの間のテーブルに陣取った。
なんて愛おしい空間だろうか。目の前にゾンビがいること以外は。
「えっと、日替わりランチを二人分で、片方は歯車ブレンドの紅茶、もう片方は…」
「…」
「あの、お、お連れ様は…生きてらっしゃいます??」
「あ、大丈夫です疲れてるだけなので!」
「そ、そうですか…でしたら、リラックス出来るハーブティーなどはいかがでしょう?珈琲は…控えた方が良さそうですので」
「わぁ、いいですね!それでお願いします!あと、この子達に魔獣用のプレートと、この子には精霊用のプレートを!」
「グルルゥ!」
「クゥクゥ!」
「ピピッ!」
「ニャポ!」
「ふふ、はい、かしこまりました」
店員さんに生死を疑われるのももっともだ。テーブルに突っ伏した顔色は青を抜けて土色だし、唇はカサカサ、髪はいつもよりボサボサで、白衣もシワくちゃである。
魔力も感じるか感じないかのギリギリで…たぶん、道に転がしたら警察がすっ飛んでくるだろう。
そんなベルセルの口にフラーテルがポットの角砂糖を詰め込んでいるのが見え、なるほど糖分とリィンはデザートを追加した。勿論自分用も。だって年頃の女の子だもの。
トラブルが次々に押し寄せてきていたからか、こうしてのんびりしていると驚くほど時間が緩やかに進んでいく。
これが普通だと体が思い出すのには時間がかかりそうだ。
「ニュル?」
「クゥイ」
「シャクシャク…ニャニャ!」
「んふふ、シャルも甘い物好き?」
「ニャポ!」
「じゃあ後でデザートあげるから、角砂糖丸かじりはやめようか」
「ピピッ!ピィ!」
「おっと、ウィズはミルクがお気に召しちゃったか…うんうん、じゃあちゃんとしたの頼むから、コーヒーミルクは没収ね」
「グル…」
「ソキウス、自分も何か探そうとしないで」
「クゥクゥ!」
「笑ってるけど、二人にミルクと角砂糖あげたのフラーテルでしょ…もぅ!」
「クゥル?」
「可愛い顔しても…許します」
許すんかーい、とウェイトレスは突っ込みたいのを全力で我慢した。唸れ表情筋。プロ魂。
そしてカチャリと微かな音を立て、ベルセルの前にもランチセットが置かれる。
優しい香りに包まれ、ベルセルが思わず意識を浮上させると、目の前には微かな湯気をなびかせるティーカップと美味しそうなサンドウィッチ、それから…
「あ、起きました?丁度ランチが来たところですよ」
「は???」
「ところでハーブティー飲めます?疲れに効くと聞いたので頼んだんですけど…苦手だったりしますかね?」
「ちょっっっ、と…待て…思考が追い付かん…」
「クィクゥール!クゥル!」
「グルルゥ!グルールルゥ!」
「ピピッ!!ピピピィー!…ピッ!?ビィィィ!!」
「ニャール?ニュルニャ、ニャパス!」
「あはは!美味しい?フラーテル、ソキウス?いっぱい食べてね。シャル、ウィズの分盗んで意地悪しないの。ほら私の野菜あげるから泣かないでウィズ」
「ピッ!」
「ニャポー」
自分を置いてけぼりに完全に馴染んでいるフラーテルをジロリと睨むと、呆れと共に鼻で笑われた。これ見よがしにフードを食べるおまけ付きだ。
リィンは仲いいなぁとくすくす笑い、仕方なしに助け舟を出すことにする。
「フラーテルがベルセルさんを心配して、私の所に来たんですよ」
「余計な事を…」
「いやいや、まともに受け答えも出来ない状態でしたからね?フラーテルにちゃんと感謝してください!」
「クゥルクィークゥイ!」
「ぐっ…」
「まぁ、私もベルセルさんにお話したい事がありましたし、ちょうどいいかなって」
ベルセルは深くため息を吐き、ハーブティーに口をつけた。
独特の香りではあるが、頭の奥のコリをほぐすような、ホッとする味。
砂糖を入れていなくてもほのかな甘さを感じる後味に、つい表情が緩む。
次いで、サンドウィッチをひと齧り。久しぶりの固形物に胃が驚くのを感じるが、さわやかな野菜の風味と香草の効いた柔らかなチキンの組み合わせは素晴らしい。
無言で黙々と食事を始めたベルセルにリィンは安堵の息を吐き、心置きなく歯車ブレンドを堪能する。
システム修復の為に大煙突の活動が最小限に抑えられているせいだろう。
霧の街には珍しい青空が広がり、ここからでも時計塔のてっぺんまでしっかりと見えていた。
「…それで」
「ん?」
「話したい事とは何だ」
ペロリとサンドウィッチを平らげたベルセルが、いくらか生気の戻った三白眼をリィンに向ける。
早いなと目を丸くしつつ、リィンはニンマリと笑った。
「んふふ、聞いてくださいよ、ベルセルさん!私の、スチームンド自治区での旅路!!」
人と魔獣、精霊達が互いに支え合うアイロミナンで、迷子の子供を探して旧坑道に落ちた事。
優しい鉱毒針鼠型精霊達の作る星の回廊を歩いた事。
山道で影蛸猫型精霊に襲われた事。
ピークメイアでカタルシアを一望し、美しいフィオーレでの思い出に浸り、まだ行っていない地に思いを馳せた事。
影蛸猫型精霊の話を聞いて居ても立ってもいられず、一緒にトラウマを克服しようと修行した事。
結果赤のダンジョンを見事攻略し、影蛸猫型精霊…シャルと友達になった事。
インダスティオで純白孔雀型大精霊の御神木があった時計塔を見学した事。
ハシリのおつかいでギルドに行ったが、シュヤマに変な勘違いをされて門前払いされた事。
泣いていた子供の為にいなくなった契約精霊を探偵と探し、アクセラリティグループらしき男達と遭遇した事。
子供が実はシュヤマの孫で、その援護射撃と解けていなかった誤解のせいで何故か昇格試験をする羽目になった事。そして…
「…と、こんな感じで、闇ギルドの人達から逃げ切りました!後はギルドの職員さん達が掴まえてくれて…もう、本当に大変でしたよ!回復の魔法を使ってくれた方曰く、少し頭蓋骨にヒビ入ってたらしいですし…」
「は??」
「ゴホン!!とにかく!そんなわけで私達…シュヤマさんに認めてもらって、シルバーランクに昇格できたんですよぅ!ほら!銀ピカの見習い証!」
「…そうか」
まとまりなんて無かっただろうリィンの旅路の話を、ベルセルは静かに、時折相槌を打ち、時にはなんでそうなる?と頭を抱えながらも、真剣に聞いてくれた。
散らばった大量のスケッチを心底嬉しそうに見つめながら。
「はぁ…闇ギルドの事はともかく、相変わらず愉快そうな道中だったようで何よりだ」
「それはもう!楽しすぎてあっという間でしたけどね」
リィンはいつぞやにベルセルが言った、"キミの目に映るこの地を、同じ歩幅で見ていたくなった"という言葉をしっかりと覚えていた。
だからずっと、語りたかったのだ。
どんな旅をしたのか、リィンの見たすべてを。
隣にベルセルはいなくても、その旅路をどうにか感じてもらえるように、一生懸命その瞬間の気持ちを抱えて。
「スチームンド自治区も、素敵な場所でした!勿論悲しい歴史もありましたけど…だからこそ」
リィンは相変わらず昔の話をすると痛みを滲ませる目を覗き込み、昨日連発した風を吹かせるつもりで笑ってやった。
「だからこそ、見たもの全部がかけがえのない宝物なんだって分かります。大切にしなきゃいけませんね!ぜぇんぶ!!」
子供だからこそ無責任に、悲しいばかりじゃないだろうと言ってやるのだ。
ベルセルは僅かに目を見開き、痛みを鎮めて微笑む。
「ああ、そうだな」
そういうとこだぞ、と言ってもリィンは首を傾げるのだろう。
ベルセルは霧のない街と気持ちを共有したような気がして、青空を見た。晴れやかで、透き通った視界だ。
ハーブティーを一口含み、ふと、ご機嫌に足を揺らすリィンが物足りなそうな顔をしていることに気付く。
顔に出やすい所はまるで変わらないらしい。
どうしてこう、大人びた言動の細部で子供っぽさが抜けないのか。まぁ、この隙が堪らないのだが。
だから、不遜に目を細め、薄い唇を開いた。
「よく頑張ったじゃないか」
「クゥルイ!」
「っ…!えへへっ!はい!」
「グルッ!」
待っていた言葉をもらった喜びと共に、真昼の日差しが透き通った瞳の奥まで差し込んで、チカッと弾ける。
誰であろうと褒められれば嬉しくなるが…やはり、ベルセルに褒められると別格に嬉しかった。
「ところで、少し話は戻るが…魔道武具が合わないとはどういう事だ?」
「んぇ?ええと、私もよく分からないんですけど…確かシュヤマさんからその時の動画ファイル?というのをもらったような…」
リィンは腰に付けていた多機能型通信魔具を取り出し、起動させる。
そのもたもたとした動作に、ベルセルは目を丸くした。
そもそもリィンの不慣れさによる遅さもあるが、タブレットの動作そのものもかなり重いというか、モッサリしていたのだ。
「ど、どうやって出すんだろう…ファイル、ファイル…」
「これは…成る程な」
「へ?まだ何も出してませんが???」
「魔道具を扱う時に何か違和感はないか」
「うぅん…?違和感…かは分かりませんが、カタルシアの魔道具って複雑だからなのか、ちょっと使いにくいなとは思ってました。その、魔力的に?」
「魔力的…説明しろ」
「例えば…大きな迷路にポイッと放り込まれたとして、ラントリイの魔道具…と言っても他国からの輸入品なんですけど、映像魔具なんかは、迷路の要所要所にあっちだよって看板があるんです。だからすぐに出られて、使える。でも、カタルシアの魔道具にはそれがないというか…出られなくはないけど時間がかかる…みたいな?」
つまり、補助がなく魔力の流れが途中で滞ると言うことらしい。
「…確かに、他国の人間がカタルシアの魔道具に戸惑っていた事はあるな。効果は一流だがコツがいるとか、何とか…」
「私だけじゃないなら…理由はカタルシア側にあるんじゃないですか?」
「ふむ…しかし、細かい技術はともかく、基本的な機構や材料などは他国の魔道具と大差ないはずだが」
難しい顔をするベルセルの前に、柔らかい手がずいっと差し出された。
何事かとリィンを見てみれば、何か思いついたように得意気な顔をしている。ベルセルは嫌な予感がした。
「一応聞こう。何だ」
「私が違和感を感じたのが魔力的な部分だったので、魔力に何かあるんじゃないかなと…なので、ベルセルさんの魔力を知りたいです!」
「はぁ…前に言ったはずだが」
基本、他者の魔力というものは受け入れ難い"異物"であり、血が近しい者だろうが耐え難い拒絶感に襲われる。
リィンの…と言うか、ラントリイの魔力がおかしいだけなのだ。
「大丈夫です!さぁ!」
「分かってないな…」
ずいずいと手を伸ばし、調子に乗ってベルセルの頬をグリグリと指で押し始めたリィンに、彼は盛大なため息を吐いた。好奇心が言葉で止められるものなら誰も苦労しないし、猫も死なないのに。
「一度だけだ」
「はい!」
「一瞬しか渡さん」
「どんとこいです!!」
「はぁ…分かった。分かったよ」
ベルセルが非常に不服そうな様子で、己の頬に悪戯をしている人差し指を軽く掴むと…冬空の香りがリィンを包んだ。
「わひゃ!?」
そして思わず、掴まれていた指を引っ込める。
「満足したか」
「いっっっっったかったです!!注射されたかと思いました!?」
「そうか…注射?」
「はい!何というか…物凄く魔力がまとまってて、針みたいに鋭いんです!シャープ?スマート?そんな感じですね!」
「なるほど。キミの魔力とは正反対だな」
「ふむん?じゃあそれが理由なのでは?」
「…何?」
「カタルシアの魔道具って、当たり前ですけど皆さんの魔力に最適化されてますよね?」
リィンは収納型魔具から糸と針を取り出した。ベルセルに何故そんなものを持ち歩いているのかという顔をされつつ、糸の先をキッチリと纏めてみせる。
「この糸がベルセルさんの魔力、針穴が魔道具の中にある魔力の受容機関とすると…こう、問題なくすんなり通りますよね?」
「そうだな」
「でも、少なくとも私の魔力はこうです」
リィンは針穴に通した糸を抜き、今度は先をわざとボサボサに広げて再度針穴に向かわせた。
当然ながら糸は穴を通らない。
それを見て、ベルセルはなるほどと唸った。
もし、リィン曰く尖ったまとまりのある魔力がカタルシアの民の魔力特性なのだとしたら、それに合わせた魔道具や魔道武具が他国の者に使いにくさを感じさせるのは当然だ。魔力をまとめるという余計なワンクッションが必要なのだから。
「…いや、違うな。キミの感覚を信じるなら…」
「?」
リィンは自国で使っていた魔道具に"補助がある"と感じていた。輸入品と言っていたそれが世界共通の型なのだとしたら、他国の魔道具には魔力をまとめる…魔道具のために魔力を最適化させるプロセスが基本的に組まれているということになる。
しかし、カタルシアの魔道具にそんなプロセスは無い。それは自らも魔道具を作っているベルセルがよく知っている。
つまり…
「魔道具に対する適性…それがカタルシアの魔力の特性かもしれない、か」
思わず自嘲した。歴史が生命を形作るなら…カタルシアは古くから魔道具に深く依存しているということだ。
わざわざ魔力を最適化するくらいに。
「はぇ〜、凄いですね!実用的でかっこいいです、カタルシアの魔力!」
「…そうか」
「そうですよ!ラントリイにいた頃は気にしたことも無かったですけど、こう、皆色々特徴があるって、違いがあるって面白いです!」
「あぁ…そうだな」
しかし、リィンは相変わらず。卑屈な気分にすらさせてくれない。
その肯定に救われてしまうのだから、ベルセルは小さく笑って負けを認める他ないのだ。
「はぁ…そういえば、気分は大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「わたしの魔力を受け入れただろう。拒絶感などは」
「はて?チクッとはしましたけど、嫌とかはないですね!ひんやりした雪みたいでした!」
「…………そ、うか」
今更ながら何だかいけないことをした気分になり、ベルセルは片手で顔を覆って項垂れる。
あの瞬間に他意は無かった。それは誓えるが…微かに己の魔力を纏うリィンの指先に、今はとてつもない背徳感を感じている。
「変なの」
「お待たせしました。デザートになります」
「わ、わ!可愛い…!なにこれ可愛い!!アイスがウサギさんみたいだよ皆!!」
「クゥールイー!」
「グールルゥ!」
「ニュルニャー!」
「ピピーピィッ!!」
「ベルセルさんもほら!早く食べないと溶け…食べる??こ、こんなに可愛いのに??あわわわわわ…そんなこと出来ないが!?」
「クゥ?」
「わーーー!?フラーテル!?何でそんな躊躇なく頭からいくのぉ!?ソキウスぅ!!フラーテルが酷い…」
「グル……ルゥ」
「は、半分に…ウサギさんが半分に…っ!うぅ…皆潔いい…そんな所も好き…」
「はぁ…」
疲れたなと空を見るベルセルは、ウサギさんアイスの赤い目に負けない程耳を染めつつ、何度目かも分からないため息を吐いたのだった。
それでも、彼の口は笑っている。そんなベルセルに、リィンもご機嫌だ。
またこんな、穏やかで賑やかな時間がとれたらいい。
二人揃ってそんな事を思いつつ、柔らかいひと時を楽しんだのである。
…
「次はえっと…南のマーレリア自治区かぁ。海!!楽しみだなぁ」
「グル?」
「ピピィ!」
「ニャポ」
「いや、キミは一度セントールに帰る必要があるだろう」
「へ?」
何故?と首を傾げるリィンに、ベルセルがそれはそれは意地の悪い笑みを向けた。
「中間考査だ。ガウラがウキウキしていたぞ」
「え、ち、中間考査ぁーー!?!?」
「くくっ、せいぜい赤点を取らんようにな」
学生である事をまざまざと思い出したリィンは頭を抱え、青ざめる。
彼女の次の行き先は、再び旅立ちの地、セントールである。
さて、彼女がまさかの事態に頭を抱えていた頃…
「あれー?じいじ、わるいこ?」
「ヨウちゃぁぁぁん!違うんじゃよぉ?これはのぉ、おっかない若造がのぉ…ワシに意地悪したんじゃあ…」
「あのね、じいじ、つくえになんかあるよ」
「んァ…は?…こりゃァ…ガハハ!とんだ贈り物じゃなァ!しっかし、どうするべきか……ハシリにでも聞くかァ」
シュヤマは枯れた蕾に似た、彼が見たものより二回りほど小さなソレを、どんな魔道具を触るより慎重に手に取り、困ったように呟いたのだった。
スチームンドには今、美しい風が吹いている。




