36.煙霧を払って
ザラザラ、ザァザァ。
これは瓦礫の音だろうか。それとも…
ー…「おい!!お前達!魔道具弄りなんてしてないで、お前達も救助を手伝え!!」
「い、いえしかし…!」
「お言葉ですが…吾輩達が抜ければ、工場の魔道具に不具合が起きた場合、対処致しかねます」
「そうです!せめて停止させて…」
「いや、それはまずいんじゃ…」
「ごちゃごちゃ言ってる場合か!!魔道具は勝手に動くだろ!?人命優先だ!それとも、あの悲鳴が聞こえていないとでも言うつもりか!?」
救助隊の男の言葉通り、外は悲鳴で溢れていた。
助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて…
あの人を、あの子を、あの方を、妻を夫を子を友を…
悲痛な声に、技術者達は逡巡の末、持っていた整備道具を置いた。
「ギヤマンさん…行こう…」
「しかし…」
「平気だって!ここ…いや、この辺の工場の魔道具は、アンタが作って手ずから整備した最高の魔道具だ。何も起きやしないさ」
「…あぁ、そう、だな…」
ピー、ピー、ピー、ビービービービー…
そうして人が誰もいなくなった工場のどこかで、真っ赤なエラーが吐き出される。
人は完璧ではないのだと思い知るのは…すぐ後の事だった。…ー
やっぱり、とリィンは目を伏せる。
ギヤマンは当時の魔道具暴走の当事者だった。
けれど、誰が彼を、彼らを、彼らを連れ出した救助隊の人間を責められるだろう。
人は神ではないし、世界は盤上遊戯じゃない。
未来など知る由もない人々にとっての最善手は目の前にしか無く、だからこそ世界には後悔という言葉が溢れるのだ。
「ねぇリィン…何か、音が…」
「グゥル…」
「ニュル?」
「これ…雨の、音?もしかして…」
真っ暗だったダンジョンの景色がまた変わる。
瓦礫の地面はリィン達の足元とその周りにほんの少し残るだけで、それ以上の床も周囲にあったはずの壁も無い。
あるのはピークメイアの頂上から見たスチームンドの景色と、それを埋め尽くす…雨だけだった。
「"カタルシアの涙"…」
雨は空から落ちる最中にスチームンド中に漂っていた煙に触れ、その煙をジワジワと黒く染めていく。
やがてその煙の一部がドロリとタールのように溶け出し…大気中へと染み込むように霧散した。
「「っ!?」」
本能的な忌避感に腹の底が冷えたような心地を抱えた途端、ガクンと足元が揺れ…リィン達を乗せた瓦礫が落下とも取れる速度で下り始める。
内臓が浮くような浮遊感に唇を噛み締めつつ、近くなっていく地面と上がっていく魔力濃度に終点の近さを感じ取った。
ー…ゴホゴホ、ゴホッゴホッ、ケホケホ、ゲホッゲホッ。ヒュウヒュウ、ゼェゼェ。
「コホッ、薬が効かないとは…どういうことですか!?ゴホッゴホッ…!」
「わ、分かりません!ケホッ、しかし…今まで使っていた薬では、少しも症状が良くならないんです!」
「まさか、流行り病が変質した…?ゴホッ…何故…何故ですか…大精霊様!」
コラプシールで多くの人々が犠牲になった。
マグマールの火山噴火で多くの人々が犠牲になった。
アイロミナンの坑道事故で多くの人々が犠牲になった。
それでも尚、足りないとでも言うのですか。
それほどまでにスチームンドは罪深いと言うのですか。
あなた様の木を枯らしたからですか。自然を食い潰したからですか。
「…っ、かのお医者様に…薬の発明者様に連絡を!」
「無理です!先生もご存知でしょう?あちらも…」
「あぁ、あぁ…!どうして…!…っ」
何も出来ないまま人々を看取る絶望の慟哭を、降り続ける雨の中にぶち撒けるしか出来なかった。…ー
そして誰かの慟哭を最後に、リィン達を乗せた瓦礫はもうもうと立ち込める黒い煙の中にボスンと突っ込んでいく。
リィンは震えそうな身体をピタリとソキウスにくっつけ、片手で腕に巻きついているシャルを抱き締めた。
アルスもなるべくソキウスの方に身を寄せ、手に魔道武具であるスピアを持ちながら辺りを警戒する。
やがて浮遊感が無くなり、地表に辿り着いたのかと思った…刹那。
ドッと鈍い音が聞こえたと思ったら、アルスの姿が消えていた。遅れてぶわりと煙を揺らす魔力に攻撃されたのだと悟る。
「っ、アルス!?」
「ごほっ…だ、大丈夫…!」
リィンの悲鳴じみた叫びに、噎せながらも声が返ってきた。声の端々に痛みを感じるので、良かったと言えるかは怪しいが。
「グルルル…!」
「シャーーッ」
「気を付けて、リィン…!何か、いる…!」
「な、何かって何!?」
視界は真っ黒な煙で完全に閉ざされ、吹き飛ばされたアルスの所在すら掴めない。ソキウスの体を見るのでやっとだ。
暗闇が得意なシャルの目をもってしても、何も見えないと首を振った。
「グルッ!!」
「ッ、ニャポ!」
「ひっ…!」
ドッッッ!と酷く重い音が鼓膜を貫き、咄嗟に拳でガードしたソキウスの体からリィンにまで痺れるような衝撃が伝わってくる。直後、強風の日に扉を空けた時に似た轟音と圧迫感のある風が魔力の残滓と共に通り過ぎて行った。
すぐさま攻撃の方向目掛けてシャルが氷矢の魔法を撃ったが…音が煙に飲み込まれ、当たったかどうかも定かではない。
とにかくこのままではまずいと悟ったリィンは渋るソキウスから降り、先程の攻撃が飛んできたのだろう方向にぐっと目を凝らした。
直後また攻撃が飛んできて、ソキウスのすぐ横を抉る。
煙の中でキラリと何かが光ったのは見えたが、飛来物の正体も敵の正体もまるで掴めなかった。
次の攻撃は少し離れた所に放たれたらしい。アルスを狙い始めたのかもしれない。
ふと、先の一撃を防いだソキウスの拳が痛々しく腫れ、微かに震えていることに気付いた。おそらくだが、骨を痛めている。
リィンは自分の方が痛いように顔を顰め、すぐさまポケットに入れていた回復薬で治療した。
幸い薬ですぐに治る程度ではあったが、要はたったの一撃がそれほどの衝撃だったということだ。
(そんな攻撃がこの視界の悪さで飛んでくるなんて…っ、どうしよう…このままじゃ、皆が…!)
ギュッと柔らかい指がすがるように白衣を握り…その感触でリィンは思い出した。
くるりと首を回せば、己の背にはあのトンデモ魔道具なリュックがあるではないか。
(煙…もしかして、これなら!)
リィンに魔道具の事は分からないが、この汚染ダンジョンに立ち込めている以上蝕化魔力が主成分なのは確かだ。
ならば、いけるはず。
「えぇい!信じてますよ、ベルセルさん印の魔道具!!」
リィンはストラップに嵌め込まれた魔道具の動力源…純白孔雀型大精霊の種に魔力を込めた。
途端、魔道具は起動。リュック上部に付いていた長い耳を模した飾りが伸びて筒状に変形し、リィンの腰辺りから排気口のようにポッカリ顔を出す。
「ソキウス!あとどこかにいるアルス!一応ふせて!!シャルもよく捕まっててね!!」
「グルッ!」
「ちょ、リィン何を…いや、分かった!」
「ニャパス!」
そして、種から供給されたプルガディウスの魔力で突風の魔法が発動し…筒口からドゥと魔法が放たれた。
白銀の煌めきを含んだ風が澄んだ魔力を連れ、煙を一直線に穿てば、それはそれは見事に蝕化魔力と煙が消え去ったではないか。
そして更に、晴れた煙のほんの僅かな隙間からツルリとした敵の輪郭らしきものが覗いていた。
「よしっ!」
「リィン危ない!!」
「グルルゥッ!!」
「わひゅ!?」
ガッと腹にソキウスの腕が回り、攫われるようにその場から離れたと同時に、リィンのいた場所にキラキラしたものが突き刺さる。
それは氷でも無く岩でもない…水晶だった。
茶属性でも上位の魔法である、水晶塊の魔法だ。
あんなものが当たればリィンなどひとたまりもない。
しかしだからといってここで引くつもりもなかった。
リィンはソキウスに抱き上げられたまま袖をぴしっと捲り、再びリュックを発動させる。
煙が風に切られ、リィンがまた狙われ、けれどもソキウスが機動力で回避した。
それを繰り返すこと数回。
「ナイスだよリィン!!」
「アルス!!ようやく見つけた…って傷!!魔法薬!!」
「あはは、これくらい平気…とは言えないね」
うっかり吹き飛ばしそうになりつつも、ようやくアルスと合流できた。
そして…
〈ブォoおぉォぉ惡ぉぉッッ!!〉
ダンジョンボスもまた、ようやく煙の向こうから姿を現したのである。
…
岩でもなければ金属でも無さそうなツルリとした黒い体。
パッと見は足の生えたオタマジャクシのようだが、水かきや尾鰭のようなものはない。
丸っこい体には目も無く、ただその中心にキュッと閉じた巨大な口らしき物があり、そこから絶えず煙が漏れ出ていた。
二人の記憶にあるどんな魔獣とも精霊とも合致しない、未知の魔物がそこにいたのだ。
「な、何か…可愛い…?」
「今言う感想それで合ってる?」
「グル…」
「ニュル…」
「や、だってこう…フォルムというか…!」
〈ぶオぉォぉoぉぉ!!!〉
僅かに開いた口から、船の汽笛に似た絶叫と共に煙が滝のように流れ出る。慌ててリィンがリュックを使ったが、吹き飛ばしきれなかった煙がまたフロアに広がっていった。
「くっ、これじゃあキリがない…!早いところ何とかしないと!ストマク!」
「ンムー!」
「リィンは煙に専念してて!」
「わ、分かった!気を付けてね、アルス!」
返事代わりにスピアを回し、アルスは呼び出したストマクと共にボスへ向かっていく。
リィンは己の不甲斐なさを飲み込んで、出来ることに徹すると決めた。
「ストマク!いつも通り行くよ」
「ンムーン!」
透明な魔石を砕いたアルスの声にストマクが先行し、高速移動の魔法を使いながらボスの体に突撃する。
しかしゴインと鈍く重い音が鳴るだけで、ボスはビクともしなかった。むしろ、突撃したストマクが弾き飛ばされたくらいだ。
「っ、硬いな!!なら!」
ストマクに変わるように前に出たアルスがスピアを突き出す。しかし、こちらもやはり魔物に刺さることは無く、どころか槍先はその表面を削ることさえ出来なかった。
魔物は平然として、しかし羽虫がいるのは感じたのだろう。
オタマジャクシの足のような手のようなそれで前方を払った。
アルスは腕に走る衝撃と痺れに奥歯を噛みつつ、すぐさま後退する。
ただ払っただけの動きが地面を抉る様子に冷や汗をかきながら。
「ンム!!」
ならばと、ストマクは頭上にあるラッパ状の部分に魔力を集め、大量の岩の弾を撃ち出した。岩散弾の魔法だ。
しかしどこに当たっても同じ鈍い音が鳴るばかりで…
〈ブォaあぁァぁぁ!〉
「っ!?ストマク下がれ!!!」
「ムッ?…ンッムグ!?!?」
真下から伸びた水晶柱が、ストマクを腹から思い切り突き上げる。
アルスは苦々しい表情を浮かべながら茶色の魔石を砕き、空中で岩鎧の魔法を発動させたストマクは何とか落下の衝撃から守られた。
次いで、アルスの足元でもぐわっと揺らいだ魔力に飛び退き、水晶柱の魔法をギリギリで躱す。
〈ブォoぉぉォぉオ!!〉
「また煙…っ」
「させないよ!!」
魔物が口を微かに開いた所で、周囲の煙の除去に徹していたリィンが魔物へと直接突風の魔法を向けた。
加えて、右手で赤の魔石を砕く。
【火槍】
「シャル!ソキウス!」
「グルッ!!」
「ニャパス!!」
浄化の風が煙を吹き飛ばすと同時に、火槍と氷槍の魔法が魔物の口目掛けて撃ち出された。しかし、元々微かにしか開いていなかった口はすぐに閉ざされ、二種類の魔法は鈍い音を立てて魔物の体に当たって霧散する。
そして、お返しとばかりに水晶槍の魔法がリィン達目掛けて連続で飛んできた。
「ひぃん!?退避ー!」
「グルッ…!」
ソキウスは水晶の間をうまく縫って駆けるも、リィンというお荷物の事もあって完全に回避とはいかない。
舞う鮮血とリィンの引き攣った呼吸に、アルスが再び魔物へと肉迫した。
「お前の相手はこっちだ!!」
手か足か分からない部位をスピアで突き、至近距離で火散弾の魔法を発動させる。
しかしやはり魔物には傷一つ付かず、けれどもアルスは諦めることなく今度は魔物の後方へ回り込んだ。
「こっちはどうだ!!」
「っ、アルス!!深入りしすぎだよ!!」
「えっ」
〈ブォぉOぉォ惡ぉおッ!!〉
魔物の体がグリンと回る。その、体の割には短い尾がアルスをピタリと捉え…
「っあ"がっ!?ぐっ…!」
「アルス!!」
「ニャポ!?」
「グルッ!!グルルゥ!!」
「ソキウス!お願い!!」
表現するのも悍ましい程の重い音と共に、その体を横薙ぎに打つ。辛うじてスピアで防御の姿勢は取ったが、アルスは潰されるような衝撃と己の骨が折れる音を聞いた。
そのまま吹き飛ばされ、あわや壁に激突するといった所で岩鎧の魔法が切れたストマクが間に合ったのは幸いである。
リィンはソキウスに魔物の引き付けを頼み、アルスの元へと駆け寄った。
そして、収納型魔具から魔法薬をドサドサと取り出し、遠慮の欠片もなくぶっ掛ける。
「ちょ、リィ…んぐっ!」
「今は回復が優先っ!!」
たちまちおかしな方向を向いていた腕とどす黒く変色した打ち身は回復し、傷ついた内臓も元に戻っていった。
アルスは泣く一歩手前の顔で怒っているリィンに困ったように眉を下げる。
気になる子にこんな顔をさせる己の不甲斐なさに埋まりたい。
一方のリィンは、アルスの無事に特大のため息を吐きつつ、ソキウスが引きつけている魔物を改めて睨みつけた。
ソキウスだって無傷ではないのだ。早く突破口を見つけて何とかしなくては。
「はぁ…参ったな…あの魔物、どこもかしこも硬すぎるよ。弱い部分を探してみたけどてんでダメ」
「ンムム…」
リィンは硬い敵として、ベルセルと探索した森のダンジョンで戦ったワニ型の魔物を思い出す。
「うーん…体が硬いなら、きっと内側は柔らかいと思うんだけど…」
「まぁ、セオリーだよね。けど…あいつ、自分でも弱点って分かってるからか全然口を開けないよ」
「うん…狙ったけど失敗しちゃったしね」
「ニュルニャ…」
あの魔物は煙を吐き出す瞬間くらいしか口を開けないし、開け方だってかなり小さいのだ。
ただ策もなく狙った所で、ソキウスとシャルの魔法が防がれた時のようにすぐに口を閉じられて終わりだろう。
そこでリィンはあれ?と首を傾げた。
「そうだ…煙を"吐く"時にしか口を開けてない。でも…ならあの子はどうやって息を吸ってるのかな?」
「ニャポ?」
「え?あ、確かに…」
魔獣は勿論、中身は魔力である精霊ですら呼吸と言う行動を必要とする。
ならば、それらの生物を完全コピーして再現される魔物もまた、呼吸を行うはずだ。
しかしあの魔物は息を吐いてはいても吸っている様子はない。煙の動きからして確実に。少なくとも、口からは吸気していないのだろう。
「もし…もし、どこかに鼻とか、息を吸うところがあれば…そこを塞げば口を開けざるを得ないんじゃないかな!?」
「正論だけど、中々怖いこと言うね…でも、うーん…そんなものあったかな…」
「ンムム…?」
アルスは無理にでも接敵して弱点探しをしていた時の様子を思い出す。体は背面に至るまであの硬いツルツルで、穴などどこにもない。ただ逆に言えば、あの身体なら皮膚呼吸と言う選択肢は無いだろう。つまりきっと穴はある。
「…穴?あ、あぁ!!」
「ひゃわっ!?な、なにぃ…?ビックリしたぁ」
「ご、ごめん。ただ、あった。あったよ、穴!見えたのは一瞬だったけど間違いない!」
見たのは先程。思い切り身体を打たれたその瞬間。
そう、穴があったのは…尾だ。
「じゃあ、そこを塞げば…!」
「でも、リィン。たぶん出来るのは一度きりだ。魔物…とりわけダンジョンボスって馬鹿じゃないから、一度やったら警戒される。そうなったら…僕らの実力じゃ二回目は厳しいよ」
つまり、一撃で倒すための策が必要とアルスは言いたいのだろう。
「僕の手持ちの魔石、実はもうあまり残ってなくて…そもそも、ストマクって攻撃が得意なわけじゃないから大技をストックした魔石を用意してないんだ。リィンの手元にはどんな魔法式をストックした魔石が残ってるの?」
「んえ?」
「え?」
「え?あ、そっか。そうだった…」
リィンは久しぶりにラントリイとカタルシアの魔石の使い方の違いを思い出した。
魔法式を定着させる時間を必要とせず、拾った魔石をそのまま使えるリィンには、魔石をストックしておくという概念は無い。
しかし、今はそれをアルスに説明している場合ではないし、その必要もないだろう。
ただ、一つ確認する必要はあるが。
「えぇと、大技なんか要らないよ」
「え?」
「ただ…その、アルスの魔石ってどんなのが残ってる?岩球とか岩塊の魔法はあるかな?」
「まぁ…それは残ってるけど…」
「なら大丈夫!よかったぁ…」
アルスは怪訝な顔をしたが、リィンはお構いなしに思考を組み立てる。一撃で硬くて密閉性の高い敵を倒す方法を。
「…よし、やろう」
そして、夜空の様に煌めいたその瞳が…凪いだ。
…
アルスはストマクと共に魔物へと接近しながら、リィンの作戦を頭の中で繰り返す。
確かに大技と呼べるような魔法は一つもなく、それどころか作戦を構成する全てがシンプルな低位の魔法だ。
詳しい説明を聞く暇がなくどうにも理解しきれたとは言えないが…アルスの口は笑っていて、眼鏡の奥の瞳は隠しきれない好奇心に歪んでいる。
ただ漠然とした安心感とワクワク感があった。それは、あの美しい瞳に魅せられたからだろうか。
「ソキウス、助かったよ!選手交代だ!」
「ンムー!」
「グル?…グルルゥ!」
ソキウスは一瞬アルスの全身を確認し、一つ頷いてリィンの元に戻る。
それを見送ることはせず、アルスとストマクは構えた。
「ストマク、引きつけよろしく!!」
「ンムー!」
ストマクは魔力を集め、ドンと地面を踏みつける。
そこから広がった地波の魔法が魔物を激しく揺らすが、効いている様子は無かった。
まぁ、それは分かっていたので、ストマクは気にせず次の魔法を準備する。
魔物はそんなストマク目掛けて、虫でも叩くように手を振り下ろした。その威力はとてもじゃないが軽くない。
ストマクは攻撃こそ転がって避けたが、地面から飛び散った岩で全身を切っていた。
「ンムーン!」
しかし、タフさには自身のあるストマクは怯むことなく岩槍の魔法を発動させ、ラッパ状の部分から次々に撃ち出していく。その全てが魔物の体の硬さに負けて砕けるが、鬱陶しさだけは感じてくれたらしい。
魔物の意識が完全にストマクに向き、魔力が動いたのを見計らってアルスは岩鎧の魔石を砕きながら動いた。
狙うは一点…尾の穴、吸気口だ。
「いい加減、口を開けてもらうよ!!」
そして、リィンから預かった小盾の魔道武具ごと尾の穴に向かって槍を突き立てる。
刺さらないのは承知の上で、アルスは小盾に組み込また魔法…耐衝壁を発動させた。
魔道具に組み込まれた魔法は融通が利かず、向きも位置も魔道具に依存する。例えば壁系なら、構えた魔道具の前方へ、魔道具と並行にニョキッと発動すると決まっているように。
つまり、穴の外側を塞ぐように被せられた盾から発動された魔法は、穴の内側の空間に壁を張るのだ。結果、盾と壁で穴から槍が抜けない状態を作り出す。
そして、これらは見事…魔物の吸気を止めるに至った。
「リィン!!」
「うん!!」
魔物の前方。一人立つリィンは苦しげに煙を燻らせながら口を開けた姿を見て、ニッと笑う。そして、赤の魔石に多めの魔力を注いで砕いた。
【火炎】
「ソキウス!口の中へ!!」
「グルルゥ!!!」
〈オぉォぉo惡ぉおッッ!?〉
白い炎が喘ぐ魔物の口内を炙る。ダメージはあるようだが、これだけで倒せそうな雰囲気はない。当然だ。
端からそんな期待はしていないのだから。
「アルス!お願い!シャルも詰め込んで!!」
「オッケー!」
「ニャパス!!!」
「ンムムーー!」
火が口に入ってから、間髪入れずにリィンは叫ぶ。
それに応じてシャルが氷塊の魔法を、ストマクがアルスの砕いた魔石経由で岩塊の魔法を、魔物の口いっぱいに詰め込んでいった。
煙すらも堰き止められるほどのそれに魔物は暴れるが、槍は抜けず、いっぱいに詰め込まれた岩と氷を噛み砕く強靭な顎は持ち得ていない。
そして、少しの後。
ドゥとくぐもった爆発音とも取れる音がしたかと思えば…魔物は口から大量の血を吐き出しながら砕け散ったのである。
「はわわわ…や、やったぁ!!やったよ皆ーー!」
「グルルーー!」
「ニャポー!」
「嘘…」
「ム?」
疑っていたとまでは言わないが…アルスは目の前の勝利を処理できなかった。
一体何が魔物の命を一瞬で奪ったのか、見当もつかない。
リィンはそんな彼の困惑など露知らず、ソキウスと頬ずりをし、シャルのキスを受け入れながらへたり込んでいた。
凄まじい脱力感で腰が抜けて動けそうにないし、実はマスクの下では鼻血がダラダラと出ているのだ。
ここまでの道中で火爆槍の魔法を即席で構築しまくっていた分の過負荷と、それに加えてボスに勝つために思考を回したせいで脳がオーバーヒートしてしまったらしい。
「ひぃん…キツい…目が回ってきたや…」
「リィン?大丈夫…?」
「だ、大丈夫…疲れただけだから、休めば平気」
「なら、いいけど…えっと、さっきの魔物。どうしてあんな低位の魔法で倒せたのかって聞いても良い?」
「アルス…そんなに目をギラつかせた上にメモまで構えておいて、わざわざお伺いを立てるのどうかと思う…」
リィンは苦笑をこぼし、鈍い頭で言葉を探す。正直、難しい事はしていないのだ。
「アルスはさ…物凄く暑い日に放置したポテチの袋がパンパンに膨らんでるのって、見たことある?」
「へ?ポテチ…?いや、まぁ、あるけど…夏の日にうっかり窓辺に置き去りにした時とか」
「それ」
「ん??」
「つまり、それがあの魔物に起きた事だよ」
空気というのは熱すると大きく膨張する。
勿論普段はそれに意味はない。ただ、これが密閉された状況で起きると話は別だ。
当然ながら膨張した空気は外へ外へと逃げようとする。ポテチの袋が膨らむのはそのせいだ。
では、膨らむことが出来ない容器…例えば硬い外殻に包まれた魔物の中だとどうなるだろう。
答えは先程見た通り。外へ逃げられなかったエネルギーは内側ヘ向き、柔らかい内部をズタズタにしたのである。
「怖い怖い怖い!そんな物騒な話をポテチで軽く説明するのが何よりも怖いって!?」
「何で!?分かりやすくって選んだだけなのにぃ!?」
「グルッ」
二人でわぁわぁ騒いでいると、さすがにソキウスかストップがかかった。そうだ、勝利の高揚で忘れていたが…まだここはダンジョンの中である。
見渡してみれば、帰還陣はすぐ背後に浮かんでいるのでもう帰ることは出来るだろう。
「でも…やっぱり壊したほうがいい、よね?」
「蝕化魔力のダンジョンなんて残しておく利点なんてないだろうしね」
ダンジョンの核を探すと、魔物のいた場所の奥にまだ煙が燻っている場所があった。
リュックの突風で吹き飛ばしてみると、竈門のような岩の中にポツンと真っ黒なそれが置かれている。
「ふぅん、ダンジョンの核まで煙を出してるなんてね」
「と言うか、コレも硬そうだけど…アルス、壊せそう?」
「あー…実はさっきの戦いでスピアが折れちゃって…」
「えっ!?ご、ごめん!?スピアを使おうって提案した私のせいだよね!?」
「あはは、気にしないで。普通の量産品で思い入れとかはないから」
「でもそれなら…ソキウス、どう?」
「グル?」
リィンの呼びかけに、ソキウスは思いっきり核を蹴りつけた。…が、ヒビの一つも入らない。
ストマクやシャルも魔法を試したが、傷付く様子すら無いではないか。
「ひぃん…まさかの一番の強敵が核だなんてぇ」
「どうする…?一度帰還してシュヤマさんに頼む?」
「むむむ、そもそもコレ…何で出来て…」
おもむろにリィンが核に触れた瞬間、周囲の音が全て消えた。
否、違う。かき消されたのだ。
雨。
ただそれだけがリィンを埋め尽くす。
そして思い出したのは、フィオーレの汚染ダンジョンで触れた核。あれもこんな風にーーていて…
「ーーーーー」
「リィン?」
無意識に呟いた言葉は雨に奪われて己の耳に入らず、アルスも聞き逃したのか首を傾げ、けれども核には届いていた。
「「えっ!?」」
今までビクともしなかった黒い核にヒビが入り、その隙間から透き通った真っ白な光が溢れ出す。
光はやがて二人を、ソキウス達を、ダンジョンを全て塗りつぶし…
「っと、と…」
「ンムム」
「ふぎゅっ!?」
「グルッ!?」
「ニャポ!?」
ポイッと捨てられるように軽く放り出されたかと思えば、一同はゴツゴツした地面に足をつけていた。
いや、約一名…リィンだけはバランスを崩して顔面からコケたが。
「鋼っ子共!?!」
「クゥルィーー!!」
「「シュヤマさん…フラーテル?」」
「お前ェら、何したんじゃァ!?こいつァどういう…」
背負っていたギヤマンをペイッと捨てながら足音荒く駆け寄ってきたシュヤマは、疲労困憊な二人と周囲を交互に見て口髭を戦慄かせる。
「何って、ダンジョン攻略を…」
「私達頑張ったんですよぅ…」
「と言うか…何でシュヤマさんがまだここに…?僕達結構長い時間ダンジョンにいたと思うんですけど…」
「あァん?なァに言ってやがる。高々数分じゃろォが」
「クゥクゥ」
「「数分!?!?」」
「ま、ダンジョンじゃよくある事じゃがなァ」
ダンジョンとは不思議な空間であり、時として時間すらも歪むという。
二人が長い長い戦いを繰り広げた大冒険は、外ではほんの数分しか経っていなかった。
そのほんの数分で…あれだけ立ち込めていた煙と蝕化魔力が突如消え失せたのだから、シュヤマの混乱はもっともである。
ただ、彼は…ヘトヘトな様子でソキウスに抱えられるリィンを見て思い出した。
ハシリから渡された機密文書にあった…フィオーレにおいて、リィンが汚染ダンジョン、ひいては侵蝕区域を浄化したのかもしれないという一文。彼女が大精霊に認められたという事実と共に記されたそれ。
ハシリのようにこの目でその瞬間を見たわけで無くとも、状況は完全に重なっていた。
「本当に、とんでもねェ玉鋼っ子じゃわィ」
「んぇ?」
「リィン、何でか分からないけど…侵蝕区域無くなってるし、マスク外したら?窮屈だろうし…」
「あ」
「え、あ、わぁぁぁぁぁ!?血!血が出てるよ!?」
おそらく英雄級の活躍をしただろうに、ぎゃあぎゃあと騒ぐ何とも締まりのない子供達。
シュヤマは二人が目の前で消えた瞬間の焦りも、返ってきた安堵も、もたらされた奇跡による混乱も忘れて、ただ清々しく笑った。
「なァ見とるか、大馬鹿もんの友よ。テメェのくだらねェ嘘の末に、とんでもねェ時代が来たらしいわィ」
かつて方向性の違いから仲違いしたまま、嘘と共に埋もれた友の名を…コラプシールの最後の長の名前を呟き、シュヤマは空を見る。
どこかで甲高いトランペットに似た鳴き声が響き渡ったような気がした。
…
こうして、スチームンドでの騒動はクタクタになりながら汚染ダンジョンを攻略したリィンとアルスの頑張りにより幕を閉じたのである。
…が。
「よく頑張ったと褒めてはやるが、それはそれとして説教だ」
「ひぃん…」
残念ながらリィンにとっての試練はまだ続くようだ。




