32.スチームンドの傷跡
揃って厳つい面型防侵蝕魔具を付けたリィンとアルスは、シュヤマを追ってマグマールへ続く道のある街の北口にやって来た…のだが。
「これは…参ったな」
「ひぃん…煙が多すぎて前が見えないや…」
「グゥル…」
「ニュル…」
街中では辛うじて見えていた足先すら見えないほどの煙に、思わず二の足を踏んだ。
いくらシュヤマが見つけやすい大男とはいえ、これでは道がまずわからない。
(ウィズが一緒に来れればよかったんだけど…)
黒属性に耐性のあるソキウスとシャルはともかく、耐性も無く、過去蝕化魔力による病も患った経験があるウィズは今回もお留守番だ。その代わり、ヨウちゃんの警護という重大任務を任せている。ウィズ本人も納得の布陣だ。
『…』
「あれ?」
どうするかと首をひねっていると、リィンの足元で魔力が揺らぎ、ぼんやり青色に光る何かが現れた。
シャルが警戒をあらわに鉤爪のついた触腕を持ち上げるが、ソキウスは何か分かっているのか平然としている。
リィンは目を凝らし、ちらりと見えた耳のシルエットにまさかと視線を腰のあたりに移した。
見れば、多機能型通信魔具とそこに付いている案内魔具のストラップがいつの間にか起動しているではないか。
「ミラくん?」
『…』
「リィン?どうしたの」
「えっと、ベルセルさんがつけてくれてた案内魔具が起動したみたいで…」
「ベルセルさんの?…じゃあ多分、手助けじゃない?シュヤマさんの魔力とかを追ってくれるのかも」
「えっ、そんな事できるの!?」
「あはは、普通は難しいよ。魔力追尾はともかく、遠隔起動のシステムとか魔法式とかは相当複雑って聞くし。けどまぁ…ベルセルさんなら難しくはないと思う」
「はぇ〜、やっぱり凄いなぁ」
「グルルゥ!」
「…ニャポ?」
さすが最強助っ人枠とリィンが茶化して笑うと、無表情なはずの幻影の魔法から呆れが伝わってきたような気がした。
二人が進み出せば、幻影は煙に消えてしまわないギリギリを保って移動する。
たまに隙間から覗く長耳手兎型魔獣のフォルムが、恐怖に縮みそうになる心を柔らかく撫でた。
「この道、いつもは野生の精霊とか魔獣達もたくさん見れるんだけど…さすがに出てこないね。いや、いても見えないだろうけどさ」
「…いない方がいいよ。絶対に…逃げていてほしい」
「…そうだね」
フィオーレの時の残りと職員に渡された分も合わせて中和薬は豊富にあるし、途中自販型魔具でたっぷり水も買ったが、使わないに越したことはない。
「アクセラリティグループ、だっけ?一体何をしたいんだろう」
「うーん…私もよく分からないんだよね。前会った幹部の人は…個人の色々はともかく、カタルシアの発展の為とかでエネルギーの話をしてたような?」
「グルッ」
「エネルギーか…それなら、地底赤魔力プラントを狙うのも理解出来る、かな」
アルス曰く地底赤魔力プラントと言うのは、活火山の下にあるマグマから潤沢な赤属性魔力を抽出し、膨大な魔力エネルギーを作る資源として利用している施設らしい。
「ふむん?つまり物凄く凄い施設ってこと?」
「語彙力…まぁその通り。大煙突って巨大な魔道具を休まず動かせるだけのエネルギーが作れるんだからね」
「なるほど」
確かにエネルギー狙いであればこの上ない獲物に違いない。大煙突はおよそ街一つ分の大きさがあるとユーシが言っていたので、それを動かしているエネルギーは相当だろう。
「でも、僕はてっきりこの魔力をばら撒くのが目的なんだと思ってたけど…」
「それは…どうなんだろう…?」
エネルギーを奪った結果蝕化魔力が発生したのか、蝕化魔力を発生させるためにエネルギーを奪っているのか。正直そこは定かではなかった。
何せフィオーレで出会ったシャフトは、蝕化魔力すらもエネルギーにすると言っていたから。
「まぁ碌な目的じゃないのは確かなんだろうね」
「だね。はぁ…せっかくのんびりできると思ったのに。何で決行日が今日だったんだろ…」
「それは僕の台詞…せっかくのデート…コホン。けど確かに、手紙の設定からしてあらかじめ決まってたんだと思うけど…何か今日であるべき理由でもあったのかな」
「今日、今日ねぇ…」
「グルルゥ?」
「ニャパス」
リィンはむむむと頭を捻る。街でイベントがあったわけでもない。闇ギルド関係も、先日の後処理が残っているだけで騒ぎが起きていた様子はないと思われる。
(闇ギルド…?あれ、そういえば今日って、確か本来なら…)
「ねぇアルス、ここの昇格試験ってすぐ始まった?」
「え、いきなりだね?…いや、普通に申請して、しばらくしてから試験日時の連絡をもらったかな?準備に数日必要だったみたいで、すぐにとはいかなかったよ」
「じゃあ、もう一つ。ギルドの用意したハプニングって何日目だった?」
「えっと…三日目だね。僕は気付けなかったけど、職員が仕込みに来てたみたいだよ」
「つまり、今日…?」
「グルルゥ…!」
「リィン?」
「私達の試験が普通に進んでたら、今日が三日目なんだよね」
「え?いや、さすがに関係ないんじゃ…。だって、職員が仕込みのために何人か抜けたとして何があるっていうのさ?」
アルスはピンと来ないだろうが、リィンから見ると"職員が試験会場に来る"という事に重大な意味があるのだ。
試験の騒動が収束したあの時、シュヤマが言っていた。
クロマによって警報が鳴らされるまで、事態に気付けなかったと。
ならば、もしあのままリィン達が闇ギルドの"商品"になっていた場合…学生の誘拐が発覚するタイミングは、職員が三日目のハプニングを仕込む時。つまり、"今頃"だったのではなかろうか。
(アルスの話が確かなら、私が飛び入り参加になっただけで元々昇格試験は予定されてたんだ。そういえばシュヤマさん、"締め切った"って何度も言ってたもんね。そもそも準備を考えたら…あんな一晩ちょっとで点検とか終わらないか。その猶予があったから闇ギルド側も準備出来たんだろうし…)
それを踏まえて考えた時、リィンは思わず眉を寄せた。
「…ねえアルス。多くの闇ギルドを巻き込んだ学生の誘拐事件が発覚するだろうタイミングと、ヨウちゃんの誘拐を仄めかす手紙のタイミングが重なるとしたら…それは偶然だと思う?」
「そ、れは……ないね。なるほど…これ、相手は相当狡猾だよ」
「というと?」
「グルグゥ?」
「ニュルニャ?」
「シュヤマさんは今みたいに飛び出して行って不在になるだろうし、そこに学生の誘拐発覚とこの騒動が同時に起こったりしたら…ギルドはきっとパンクするよ。その上でシュヤマさんって実力者も無力化できる」
要は、計画遂行の邪魔になる要素が排除出来るという事だ。
リィンはようやくパズルのピースが嵌ったような心地を覚える。
ヨウちゃんの誘拐と学生の誘拐はシュヤマに帰結するものと思っていたが…シュヤマ含めた"インダスティオギルド"に帰結していたのだ。
ギルドが機能停止すれば、事件の対処にあたる冒険者や環境調査官の派遣が遅れる事は必至。一番の懸念であるギルドの最高戦力は孫で抑え込めばいい。相手の目的に関わらず、時間は確実に稼げるだろう。
「はぇ〜、本当だ。頭良いなぁ…」
「もう…感心してる場合じゃないよ。尚更早くシュヤマさんを見つけないと…」
「ニャパス!」
「…ところで、ずっと気になってたんだけど…増えたよね?」
「え?あぁ、紹介がまだだったね!この子は影蛸猫型精霊のシャル!」
「ニャポ!」
「グルル」
「あはは…また名前…いや、もう驚かないけど。ね、リィン。シャルとはどうやって会ったの?」
「ふふ、それはねぇ…」
不安を紛らわせるように他愛ない会話を挟みつつ、幻影を追って歩くことしばらく。
靴底で踏みしめる地面の感触が随分と変わってきた。
平らで硬い石畳の舗装はいつしか途切れ、石と細かい砂の混ざった自然のそれに。
進めど進めど煙に覆われた世界では、自分達がどこにいるのかも、どこに向かっているのかも分からないが…どうやら、進めてはいるらしい。
ふと、今までまっすぐ進んでいたミラくんが大きく曲がるのをシャルの青い三つ目が追い、うっかりリィンが見失なってしまわないようにと、巻き付いた触腕に力を入れて意識を会話から現実へと引き戻した。
ソキウスもそっと手を引いてくれる。何とも頼りになる相棒たちだ。リィンは目元を緩めた。
「あの、さ…リィン」
「ん?なぁに?」
「その、他意はないんだけど…逸れたらまずいしさ、えっと…手を…」
「ニュルニャ!」
「…ぇ、何、シャル…あ!シュヤマさん!?見つけた!!」
「ゴホッ、ゴホッ…!ァん?」
丁度煙の切れ間だったのか、シャルが示した鉤爪の先に座り込んだまま咳で不規則に跳ねる大きな背中が現れる。
勇気を振り絞って言葉を発したアルスは、行き場のない思いを煙に混ぜて隠した。
今だけは煙に感謝する。そうでなければ、情けなく真っ赤に色付いた顔を見られていただろうから。まぁソキウスの四つ目には憐れみと嘲笑混じりの目で見られているが。
そんなアルスの事など露知らず、リィンは飛びつく勢いでシュヤマに駆け寄りながら収納型魔具をあさっていた。
「シュヤマさん!大丈夫ですか!?えっとこれ、面型防侵蝕魔具です!壊れてないやつ!」
「ゴホッ…なんとかなァ…ったく、まさか故障してるたァ思わんかったわィ。おかげで冷静にャなれたがなァ…ゲホッゲホッ、ゲホッ!」
「あわわわ…ち、中和薬…!あ、でも肺に入った魔力はどうすれば…吸入とか??あ、炙って気化させればいいのかな…」
「グル?」
「いらん、いらん。ゴホッ…大方ベルセルの坊主が騒いだんじゃろォが、ワシャこれでも特別丈夫でなァ。薬飲んで面型防侵蝕魔具すりゃァ、ゲホッ、すぐ落ち着くわィ」
言葉に嘘は無かったのか、中和薬を豪快に飲んでマスクを着けたシュヤマの呼吸が規則的に戻っていくのが分かる。やや喘鳴こそ聞こえるが、咳もかなり落ち着いたようだ。
リィンは肩の力を抜き、白衣の上から跳ねる心臓を撫でた。
「ハァ…それよかお前さん、こんなモンの為にこんな危ねェ所に来たのかァ?」
「"こんなモン"じゃないですよ!シュヤマさんを守るもので、ヨウちゃんを悲しませないためのものです!!あの子に寂しい思いさせるなんて、許しません!」
「ニュル、ニュル」
「グル、グル」
リィンは何も、シュヤマだけを心配したわけじゃない。
勿論、案じた気持ちに嘘はないが…ただ、一番はヨウちゃんを泣かせたく無かったからだ。
叱りつけるような言葉に、シュヤマは目を丸くして剛毛眉を柔らかく下げる。
「…それ言われると弱ェな。ガハハ!仕方ねェ、きっちりと反省するわィ」
「そうしてください!あ、それと、ヨウちゃんは無事ですよ!」
「知っとる。というより、途中から気付いたんじゃがなァ」
曰く、ヨウちゃんにもマネリィにも相手の鼓膜を破壊する勢いで音の鳴るブザーを持たせていたらしく、ついでに位置情報がインダスティオから離れれば一発でシュヤマに連絡が入るようになっていたのだとか。
「なら、話は早いですね。僕達と一緒にすぐにギルドに戻りましょう」
「まァ待て鋼っ子。折角じゃ、あれを見てみィ」
アルスが首を傾げると、シュヤマはその太く短い指で先程まで煙の向こうを示す。
都合よく吹いた風が緩く煙を散らすと、リィンとアルスは息を呑んだ。
浮かび上がったのは、とても視界に収めきれないほど巨大な何か。
「「これって…」」
「これが大煙突じゃ」
全貌は見えないが、煙が筒の中を通っているからだろう振動と低い音と重苦しい魔力が、十二分に存在感をにじませている。
もし煙がなかったのなら、空を穿つ杭のような姿が見えていたのだろう。
シュヤマは静かな瞳で大煙突を見つめ、口髭の合間からポツリと呟きをこぼした。
「なァ、知っとるか若ェの。この下にャな、かつてインダスティオに負けない程大きな街があったんだ」
「僕、知ってます。コラプシールですよね?確か30年前、地殻変動で隣の鉱山ごと崩落したって…」
リィンは並べられたキーワードに、慰霊碑の事を思い出す。30年前とあって勘繰ってしまったが…
(地殻変動…天災だったんだ)
「違ェ」
「「え?」」
重い音が否定を紡いだ。
怒りと悔恨と悲嘆を混ぜ込んだ鉛玉をドン、と落としたような…そんな音。
「ありゃァな、人の罪だ」
シュヤマはのそりと移動を始めながら語り出す。
リィンとアルスは少しの迷いを振り切って彼に並び、分厚い身体から絞り出されるそれに耳を傾けた。
…
それは、スチームンドの罪の話。
「スチームンドってのはなァ、最初、どこを見たって険しい山しかねェ土地だった」
「僕は昔の地図を見たことがありますけど…正直、どこに人が住んでいたんだろうって思いました」
「ガハハ!そうじゃろうなァ!ワシですらそう思うぞィ。まともに農業もできねェし、だからといって海もねェ。魔力だって、緑属性と青属性はからっきしとくりゃァ…普通の植物すらまともに育たん。よくもまぁ暮らせたモンよ」
「えっと、こう聞くのは失礼かもしれないですけど…皆さんのご先祖様はどうしてそんな土地に住み着いたんでしょう?」
「…木があったからじゃよ。神話に伝わる、今は跡形もなく消えちまった大切なモンが」
神話の木…純白孔雀型大精霊の木だ。
リィンは時計塔で館長に見せてもらった写真を思い出した。
あの、螺旋釘に似た不思議な木が、この地の始まりだったのだとシュヤマは語る。
その昔、プルガディウスの残した御神木の麓に人々は小さな集落を築いた。
農作業に向かない過酷な土地ではあったが、御神木の側であればその魔力で何とか作物は育つ。
故に人々は木に寄り添い、細々と暮らし、命を繋いでいたという。
そんな土地であったが、一つだけ強みがあった。それは、どの山にも奥深くには各種金属や様々な宝石、魔鉱石類という眠れる資源があったということだ。
「最初はそんな石ころの価値なンざ分からんかったじゃろうて。じゃが、時代が進んで人間が"火"を知ると、話は変わった。試行錯誤を繰り返してくうちに…まず、金属っちゅうモンに価値が生まれたんじゃわィ」
「価値って事はつまり…えっと、直接食べ物は作れないけど、食べ物と交換できる物ができた、って事ですか?」
「なるほど。武器とか道具とかって、需要は尽きないですもんね。それこそ、フィオーレは農作業の為に鍬とか鎌とか必要だっただろうし」
「ガハハ!お前さん達は頭が良いなァ!その通りじゃ」
やがてスチームンドの人々は鍬を捨て、ツルハシやハンマーを握った。
鉱夫が石を掘り、鍛冶師が価値を灯す。
生きるための選択の末、いつしかこの自治区は職人達の地に変わっていったという。
「集落はそりゃァ潤った。じゃが…」
「人口増加…」
「リィン?」
「なんじゃ、お前さんよう分かっておるなァ。そう、人が増えた。ちっぽけな集落にゃァ収まらんくらいにな」
リィンはフィオーレでも聞いた流れに苦々しい表情を浮かべた。
富が増えれば人が増える。それ自体は良いことだ。リィンだってそう思っていた。しかし…
「人手ってのは喜ばしいが、養ってくのは容易じゃねェ。特に当時のスチームンドにャ纏まった土地も無かったしな。土地を作るにも、山相手じゃ無謀ってもんじゃわィ」
「あ!なるほど…だから古い書物には街の名前じゃ無く、"〇〇族領"って部族の名前で地図が書かれてるんだ!」
「…ん?アルス、それどういう事?」
「一つの土地じゃ人が収まらないから、株分けしたんだと思う。で、まとまった街みたいなものは作れなくても、スチームンドには山がいくらでもあったわけだから…好きな山を選んで、もしくは転々としながらそれぞれ小さな集落規模で暮らしてたんじゃないかなって」
「…つまり、最初の集落って木から枝を切り分けて、他の植木鉢に挿していった、と?」
「例えが独特じゃがまァ…合ってはおるなァ」
そうして人々が散らばったことで人口問題は一次的に治まり、しばらくは平穏であったという。
しかし、魔法と技術力…ひいては魔法工学の発展に伴って魔道具が産声を上げた時、すべてが変わり始めた。
シュヤマの語り口調に同調するように、前を遮る煙が不気味にうねる。
「そっか…魔道具の作成には金属と魔力鉱石が必要って聞きますもんね」
「うん。需要は今までの比じゃなかっただろうね…利益もさ」
「あァその通りじゃ。時代が変わり、金属と魔力鉱石はいくらあっても足りなくなった。そりァ売れるし金になる。そんで、人も金に目ェ眩んで変わっちまったんだろうよ。いや…人ってェのは、元々そんなものだったんだろうなァ。ただ、貧しさが隠してただけで」
豊かさを知った人々は貪欲になり、もっと多くの資源を求めて山を深く掘り進めていく。
この頃には宝石の価値も高まり、尚更採掘はエスカレートしていったらしい。
「当然、土地に住む精霊や魔獣との仲は悪化の一途を辿ったわィ。じゃが作業にせよ何にせよ魔法がいる。そうなりゃァ、人間の取る手段は…」
「あ、嫌な予感がするや…」
「グル…」
「ニャポ…」
「ガハハ!なら皆まで言わん」
そうしていくつかの浅い鉱山が年月をかけてまっさらに食い潰されると、皮肉にも土地が生まれ始める。そこにいくつかの部族が集まり、街を作り、採掘のみならず加工にまで手を出して、果ては工場を作るようになったのだ。
「そうしてできた都市が、ケビン鉱山の麓に構えた大都市コラプシール。その郊外に位置する工場地帯がインダスティオってわけだァ。元々インダスティオってのは街の名前じゃねェのさ」
「コラプシール…」
「今のインダスティオよりずっと豪華絢爛って感じで、どこもかしこも宝石で出来てるみたいな街だったらしいよ。僕の見た資料いわく…カタルシアの貴石とまで言われてたとか」
「そりゃ、大層な名じゃなァ。ワシャ、この目で見て知っとる世代じゃが…正直あそこの空気は合わんかった。薄汚れた鉱夫や鍛冶師は街の見えねェ所に押し込められ、表面にャひらひらを着た…あぁ、あれだ、お貴族様みてェなのが跋扈してたわィ。魔力差別も酷ェし、魔物と精霊を無理矢理奴隷みてェに扱う奴ばっかで…調教師なんざ名ばかりの屑共も揉み手をしておった」
「あ、私も嫌いですそこ」
「僕も無理。というか結局さっき濁した答え言ってますよ」
「お、おゥ。そうか。すまん…まァ、晩年は…ちっとばかし様子が変わっとったがなァ…」
「「??」」
そうして腰を据える場所が出来、安定した産業と暮らしが約束されれば、次に人々が目指すのはより良い生活。つまるところ発展だ。
しかし、発展の裏には必ず影が付き纏うもの。
「いつからじゃったか…スチームンドに奇妙な流行り病が蔓延し始めた。働き盛りの若ェのから年寄り子供まで皆、次々にその病を患って死んでいったんじゃわィ。回復の魔法も魔法薬も役に立たんでな。さァて、お前さん達。ズバリ、病の原因は何だと思う?」
「病って言うならやっぱり病原菌とか…?風邪とかの病気に魔法が効かないのは有名だし…。それとも魔獣や精霊由来か…?昔は噛まれたり引っ掻かれたりしただけでも病気になったとか何かで見たような…魔力アレルギーや食物アレルギーは…さすがに皆仲良く患いはしないか…」
「わぁ、さすがアルス…流れるように並べてくなぁ」
リィンはリィンで、流行り病と聞いて館長の様子を思い出す。後遺症として咳を患っているという事は、ダメージを受けたのは恐らく肺だ。ユーシも肺に枷がと言っていた。
だとしたら、肺に害を成す物は何であるか?勿論、アルスの言う病原菌にもそういったタイプがあるだろう。
だが、リィンは己の喉に触れた。咳と言えば、自分も、街の人達もつい先程していたじゃないか。
更にはベルセルも、それを彷彿させるような事を言っていたじゃないか。
その原因は…
「煙…いや、蝕化魔力…?」
「ガハハ!その通りじゃ。いや、当時はまだただの黒属性魔力じゃったがな。あれを作る為、これを作る為って言って、スチームンドの全域、いたるところにポンポンと工場が建ってなァ」
当然、その当時の工場に浄化魔具など完備されていないし、人にも環境にも魔物や精霊にも配慮なんてものはしていなかった。
つまり、吐き出す煙はどれもが黒属性まみれの有害なスモッグとなってスチームンドを覆っていたのだ。
「だが、人間の欲ってェのは止まらねェ」
「でも…働き手も大勢病に倒れたんですよね?なら、とても産業なんて回せないんじゃ…」
「…いや、違うんだ。むしろ加速したんじゃないかな」
「ど、どうして…?いくらなんでも魔獣とか精霊にお願いしても工場は回せな…くもないのかな?いやいやでも…」
アルスは困ったような音で笑う。
リィンが思いつかないのは当然で、そのままでいて欲しいとも思った。
「人手が足りないなら、魔道具にやらせればいい。自動化しちゃえば働き手の数なんて関係ないでしょ?」
「な、なるほど…?でも、あれ…?それって…」
「実際はそう単純じゃねェ。その魔道具を作るのに更に金属やら魔力鉱石が必要になるわ、新しい工場が必要になるわ…」
「悪循環じゃないですか!?」
有害なスモッグで人手が減って、魔道具で自動化するために工場を増やし、工場が増えればまたスモッグが増えて人が減る…
フィオーレでは主に自然が割を食っていたが、ここでは一体どれほどの命が発展の犠牲になって積み重なっていたのだろう。
考えただけで恐ろしくなり、リィンはそっと首を振った。
汚染された大気と病が寝そべる中、過度な採掘はいくつもの山を空洞にしては崩していく。
そんな時代が続いた先…今から30年前。積み上げられた歪みが"悲劇"となって牙を剥いた。
「コラプシールの隣にあったケビン鉱山ってェのは、それはそれは潤沢な魔力とでけェ鉱脈をもっとった。それこそ山の地下深くだけでなく、街の地下深くに及ぶまでみっちりとなァ」
「街の地下深くって…まさか…」
「僕、嫌な予感がしてきた…」
「残念ながらお察しの通りじゃ」
あちらからこちらからと、無作為に無秩序に強引な採掘が続けられた結果…いつしか街と山の下は深くまで空洞になっていたのである。
やがて蓄えていた茶属性の魔力を失ってより脆弱化した表層は前触れもなく限界を迎え、凄まじい轟音を響かせながら、けれども酷いほどにあっさり、ケビン鉱山ごとコラプシールは崩落した。
これまでのツケと言うには、あまりにも凄惨なものだったという。
「慰霊碑に刻めた名なんざほんの一握りじゃわィ。死者行方不明者は今でも全員は把握できとらん。…あの規模の街じゃ、万は下らんじゃろうて。そうして、コラプシールとケビン鉱山は地図から消えたんじゃよ」
「っ…」
「そんな…本当に、人災じゃないか…」
「ンで、だ。ショックを受け取るとこ悪ィが…悲劇はこれで終わりじゃねェ。むしろこれは序奏じゃったわィ」
リィンとアルスは思わず立ち止まり、シュヤマを見た。
彼は数歩先で歩みを緩め、緩慢に振り返る。いつもは燃えているような瞳が、どこまでも痛みを湛えていた。
それこそ、研究所で見たベルセルと同じように。
煙越しでも分かるほどに雄弁な、胸を刺すような痛みの色。
「崩落による大地震並みの揺れが原因なのか、それともカタルシアからの罰なのか…時を同じくしてマグマールの魔力が不安定化し、火山が噴火しやがった。それだけじゃねェ。アイロミナンの、今は封鎖されとるが…旧坑道にまで振動が影響したらしい。坑道事故と、それに伴う有毒ガスの発生が重なってなァ」
「ちょ、ちょっと待ってください!そ、そんな…一度に沢山…」
「ああ、当時のワシらもなァ、お前さんみたいに慌てふためいたもんじゃ…」
歩みが再開する。リィンは混乱する頭を抱えたまま、アルスは難しい顔で考え込みながらその背を追って煙中を泳いだ。
「…人手は」
「アルス?」
「人手は、どうなったんです。救助とか…」
「逆に聞くがなァ…足りると思うてか?」
「…っ」
「ああまったく足りんかったわィ。それでも救援要請に応えようとあらゆる所から絞り出したんじゃ」
「分かりました!そこで魔獣と精霊の出番ですよね!」
「間違っちゃいねェが…それでも足りんかった」
リィンは少し落ち込んだ。ラントリイなら災害救助と言えば魔獣達の力の見せ所!みたいな所があるので、自信はあったのだが…
「魔獣や精霊もじゃが、色んな所から使えるモンを引っ張って来たんじゃよ…そう、例えば…工場に張り付いてた魔道具のメンテナンス技師とかなァ」
「メンテナンス技師?」
「魔道具が故障しないように…えぇと、その健康を管理する人だよ」
「…ん?その人がいなくなったら大変なんじゃ…」
「大変どころじゃねェ…最悪だった」
悪い事はドミノ倒しのように続いていく。
ある時、メンテナンスを放棄された工場の魔道具たちが、いたるところで暴走を始めたのだ。
そのほとんどが狂ったように過剰稼働を続け、その結果、異常な勢いで魔力エネルギーを消費した。
魔力エネルギーが消費されると黒属性魔力が排気されるわけで…かつてない濃度のスモッグを空へとぶちまける事となったのである。
「あの時代を生きたモンはその酷すぎる汚染で皆肺を患った。そこにダメ押しで"カタルシアの涙"まで降りよって…」
「ここでもラクリモサ…」
「たまに降る黒属性魔力の雨だよね…今より昔の方が濃かったらしいって聞くけど」
「スモッグだけなら良かったんじゃ。科学的な有害物質はともかく、主たる害は黒属性魔力の刺激による肺の損傷と魔力中毒…あの頃は辛うじて原因が判明しておった。症状を和らげる程度とはいえ、薬もあったからのォ。じゃが、ラクリモサの魔力がスモッグの黒属性魔力をより猛毒に…蝕化魔力に変質化させよって!かァーー!今思出だしてもあったま痛ェわィ!」
医療技術の発達を持ってしても、スモッグとラクリモサで二重に汚染された蝕化魔力による病…蝕魔は重すぎた。
結局多くが帰らぬ人となり、生き延びた者にも重い後遺症が残る事となったのである。
"30年前を経験した人達はほとんど皆肺に枷を持っているのだわ"
そう言ったユーシの言葉の意味がようやく明らかになった。枷の重みが想像の何倍も重いことも。
そういえば、とリィンは目を瞬かせた。
「シュヤマさんも、経験者なんですよね…?それにしては…」
「ガハハ!ワシは特別頑丈でのォ!見ての通り、ピンピンしとるわィ!」
「あはは、説得力が凄いな…多分、個人的な耐性が高かったんだね」
「まぁ当然、皆が皆ワシみたいにとはいかんかった。じゃからこそ今は、いかに綺麗な空気を排出するかって方向に拘るようになった…っちゅうのに、まったく。馬鹿な連中がいるもんじゃわィ」
ザッと歩みを止めたシュヤマに倣うと、目の前にはいつの間にか雄大な火山と…その麓に広がる街がある。
風向きの関係でインダスティオ側に煙が多く流れているのなら、逆であるここ…マグマールには然程煙が来ないのだろう。
それでも皆苦しそうに咳き込んでいるのだから恐ろしい。
「本当ならマグマールって人気の温泉街だから、のんびりしたい所だったけど…今日は我慢だね」
「温泉!?いいなぁ…よし、私この騒動が終わったら…」
「言わせないよ?何でフラグ立てようとするのさ!」
「グルッ!?」
「ニャポ!?」
「えへへ、ちょっとした冗談だよ。緊張を解そうと思って…」
「ガハハ!あァ、今のうちに好きなだけリラックスせィ!なんせここからは…敵陣じゃからなァ!」
地底赤魔力プラントだろう銀色の建物を睨むシュヤマは、獰猛に牙を見せて怒り笑っていた。
リィンとアルスも、もうここまで来てしまったのだから今更引けない。というより、未熟者二人だけであの煙の中を戻るくらいなら、シュヤマの側の方が安全なのは本能的に分かる。
「いざ!討ち入りじゃァ!」
「「はいっ!」」




