31.霧向こうの暗雲
「うーーー、極楽はここにあったぁ…」
「グルルゥ!」
「ニャパス!」
「ピュイ!」
「わ!あはは!くすぐったいなぁ!」
トンデモ騒動に巻き込まれたリィンだったが、あの後職員が呼んでくれた医者や白属性精霊の契約者に念入りに診察やら回復の魔法を施され、泥のように眠った。
頭蓋にヒビが入っていたり、ちょっぴり内臓が傷付いていたりでたんまり治療された結果、眠りは丸一日に及んでしまったが、おかげで完全復活である。
そして現在、リィンは…ホテルのロビーでのんびりとソキウス、ウィズ、シャルの団子に埋まっていた。部屋は清掃中なので。
ソキウスがリィンを離さないのはいつもの事として、騒動の話を聞いたウィズとシャルも白衣と一体化する勢いでベッタリである。全身でしがみつかれて愛が痛い。
まぁ、リィンはリィンでデロデロに顔を溶けさせながら幸せを享受しているので問題は無かった。
フロントの方々に温かい目を向けられながら皆をもちゃもちゃと揉みしだいていると、軽快な足音を連れて誰かが近づいてくる。
「わ、なにそのお団子状態…リィン、だよね?」
「ん?ぇ、アルス?」
聞き覚えのある声にソファーに沈めていた体を起こすと、眼鏡越しの新緑の瞳を嬉しそうに細めたクラスメイトがひらひらと手を振っていた。
「アルスもスチームンドに来てたんだ!ハシリさんの昇格試験、突破出来たんだね!?おめでとう!」
「うん!あの後すぐね。というか、スチームンドの試験も突破済み。今はシルバーランクで、ここを拠点にしてスチームンド自治区の生態調査をしていたんだ」
「うっ…そういえば私、修行とか迷子探しとか試験とか色々やってて実習のレポート滞ってるんだった…!!」
「グルゥ…」
目を逸らしていた現実を思い出し、リィンは頭を抱える。リュックの中はまとめていないメモとスケッチで溢れかえっていた。
何なら目の前の机すら、皆達と戯れながら片手間に書いた試験会場で見た生き物達に関するメモで埋まっている。
「あはは!リィンなりに忙しくしてたみたいだね」
「私としてはのんびりしたいところなんだけどね…」
「ならさ、少し早いけど…今から昼ご飯がてらのんびり街歩きでも、どう?」
リィンはパチパチと瞬きながらアルスを見る。何故か少し緊張しているようだが、ようは遊びに行こうと誘われているらしい。
(一応お医者さんには数日安静にって言われてるけど…気分転換も必要だよね!)
そう一人で結論付けたリィンの横顔をソキウス達が呆れ眼で見ていた。
「いいよ!まだ私この街に慣れてないから、案内はよろしくね、アルス!」
「う、うん!任せてよ!」
パッと嬉しそうに頬を染めたアルスにも、ソキウス達はジトッとした目を向けたのである。
…
「リィンはシュヤマさんの昇格試験、受けた?」
「うん、昨日…いや、一昨日ね。じゃん!シルバーランク!お揃いです!」
「お揃っ…ん"…そ、そっか!!サバイバル大変だったよね。途中からギルド側がハプニングとか仕掛けてきて」
「あ、はは…あー、うーん??」
なにそれ知らないと首を傾げたリィン。当然だ。ギルドがハプニングを仕掛ける前に特大のハプニング(ガチ)に巻き込まれたのだから。
「あーあ、こんな事ならリィンと試験受けたかったな」
「え、アルス、闇ギルドと対峙したかったの…?」
「ちょっと待って何の話???」
「あ」
「グルゥ…」
うっかり口を滑らせ、リィンは胡乱げなアルスの視線から逃れるように、そっと目を逸らしながらティーカップを傾ける。ソキウスがリィンの迂闊さにため息を吐いた。
「…ん!これ美味しい!何だろう…不思議な味だけど…」
「気に入った?歯車ブレンドって言って、インダスティオの名物なんだよ」
現在、リィン達は時計塔がよく見えるオシャレなカフェで軽いランチを楽しんでいた。とはいえ、今日は霧が深いのか時計塔はほとんど見えないが。
二人の前には同じ、サンドウィッチのランチセット。
初めて食べたが、キューカンバーサンドなるものはシンプルながらとても美味しい。
今リィンが飲んだ歯車ブレンドと言う紅茶も非常に飲みやすく、けれども口の中で様々な味が歯車のように噛み合った不思議な味わいだった。
ちなみに、ソキウス達はそれぞれ魔獣・精霊専用プレートを満足そうな顔でモグモグしている。可愛い。
ここに来るまでに寄ったショップの袋からは、魔獣のケア用品や探知雷犬型魔獣が描かれた御当地グッズ、シャルが気に入った手作りアクセサリーなどが覗いていた。
道中激しく咳き込んでいたおばあさんを助けた時にもらった花も潰れないように隙間で咲かせ、ベンチでぐったりしていたサラリーマンにあげた水は見慣れぬ精霊の刺繍がされたお守りになっている。鍛冶にご利益があるらしいが、十個買うとお得と言われても困る。アルスがキッパリ断っていたが。
「それで?リィン。闇ギルドって?」
「うっ…流されてくれなかったや」
「流せるわけないでしょ。何、また変なことに巻き込まれたの?」
「望んで巻き込まれたわけじゃないんだけどなぁ…」
というか、とリィンはジト目でアルスを睨む。
手にバッチリとメモを持ち、霧の中でも爛々とした好奇心が隠せていない瞳にため息を吐いた。
「もう!楽しんでるでしょ。私のレポートでも出すつもり?」
「あはは!それも面白そうだね!案外見たがる人多いんじゃない?」
「まっさかぁ」
「うーん、リィンは案外鈍感だよね」
心外だと口を尖らせるリィンにアルスは肩を竦める。
隣のソキウスがしきりに頷いているので、この鈍さは相棒公認だ。
「まぁいいや。えっと、簡単に言うと…試験に本物の闇ギルドが乱入しちゃってね?」
「ね?じゃないでしょ???どこをどうしたらそうなるの?」
「それを聞きたいのは私だよぅ…取り敢えず、試験の騒動を話すとね…」
とてもオシャレなカフェでする話題とは思えない殺伐とした話に、アルスは好奇心を引っ込めて真顔になった。
まず、試験前の騒動。迷子を放っておけないリィンは想像に容易いが、闇ギルドが関わった誘拐で、尚且つその子がシュヤマの孫。引きが強いどころの話ではない。
次いで試験の騒動。ペアはアルスも作ったし、リィンと同じ理由に行き着いて水辺を避け、無難に森の木の葉と枝でテントを作ってサバイバルを乗り切った。
一方のリィンは森で寝ていたら闇ギルドに連れ去られ?そこから相手を出し抜いての脱出劇?自然相手ではなく人間相手のサバイバル?いやそうはならないだろう。なっていたが。
「ふふん!まぁ結果的に私とソキウスの絆の勝ちだったけどね!!」
「グルルゥ!」
「ピ!ピピ!!」
「ニュルニャー!」
「勿論ウィズとシャルも頼りにしてる…あ、こらシャル!外でキスはダメ!!」
ワチャワチャと花でも舞っているのかと思う程可愛く戯れるリィンと、その向かいで色々処理落ちしつつ、どんよりヤバい目をして頭を抱えるアルス。
コホコホと咳をしながら、ウェイターはそれでいいのかとアルスを見つめた。店に入る時は耳を赤くしてもじもじしていたので、もしやデートかとソワソワしたのに…魔獣達に愛情表現が負けている。
一緒にソワソワしていたウェイトレスなんかは、あれはナシねと咳をこぼしながらペケマークをつけていた。
もっと頑張りましょう。
「…と、こんな感じかな。はー、思い返すとホントにギリギリだったよぉ…」
「…」
「アルス?」
「いや、目を離した隙にリィンがまたおかしな方向に成長してるって事は分かったよ…」
「それ、褒めてる??成長なら私がというか、ソキウス達がだけど…」
「グゥル?」
アルスは菩薩のような笑みを浮かべながらそっと遠い目をする。
途中からメモを書くペンが震えそうになったほど吐き気を催すような闇ギルドの悪意と、それを覆す鮮やかな機転。
こりゃ鍛え直しだなと、ちょっとかっこいい所を見せたい年頃の男の子は決意する。
気になる子が引っかける騒動が異常すぎて、かつ気になる子が別ベクトルに強すぎて、それを守るナイトになるには自分が未熟過ぎると実感した。
さっきは同志だと思っていたソキウスの目が今は勝ち誇っているようで悔しかったのもある。
当のリィンは歯車ブレンドが気に入ったらしく、一人でほっこりしているが。そういうところだぞ。
「そういえば、僕はセントール経由でこっちに来たんだけど…セントールでベルセルさん見かけたよ」
「わ、そうなんだ…!元気そうだった?」
「ええと…いつも通りじゃないかな…」
「あ、不健康そうだったんだね…」
むしろ健康そうなベルセルはベルセルではない気もする。
少なくともリィンは真似模倣型精霊を疑う。
「なんか、ガウラ先生に変な色の液体が入った試験管の山を渡されて埋められてたんだよね。何してたんだろアレ…」
「あはは!何それ見たい!スケッチとかないの?」
「いやスケッチって…写真ならあるよ」
「写真…」
リィンは目を点にしてアルスを見た。
「待って…待って!?リィン、写真撮ったことないの??」
「か、か、カメラでなら撮ったことあるよ!?馬鹿にしないでよぅ!」
「それって通信魔具とか多機能型通信魔具の?」
リィンはちょっと恥ずかしくてそっぽを向いた。
彼女が使った事のあるカメラは安心安全のラントリイ製。何が言いたいかと言えば、魔力のまの字も使わないフィルムカメラか、電力で動くデジカメだ。
魔道具の撮影魔具なんて、触ったこともない。
だからこそ、彼女は行く先々で細かくスケッチを残していたのである。いや、元々スケッチするのが好きという理由もあるが。
そもそも、今ですら魔道具に慣れていないリィンはスマホやタブレットを起動するという習慣がまるでない。故に、カメラ機能という考えすら浮かばなかった。
アルスは額を抑えて盛大にため息を吐く。
「どおりで…ガウラ先生もベルセルさんも連絡がないって心配してたみたいだよ?」
「あぅ……今度やり方教えて…」
「あはは!今からでもいいよ?」
そもそも連絡先を交換したか?という疑問は愚問であるし、リィンは気付かない。
何せ、ガウラのものは学園支給のタブレットに最初から入っているし、ベルセルはタブレットに案内魔具のストラップを取り付ける際、システムと一緒に入れていた。
タブレットとスマホは連動させてあるので、連絡先にはバッチリ二人のものが入っている…というわけだ。
コホコホッ。
ゲホッ。
「…ん?」
ツン、と鼻を刺激する匂いにリィンは顔を上げる。
昇格試験を受けた日から思っていたが、どうにもインダスティオで感じる嫌な空気が濃くなっているように思う。
改めて深呼吸して、思わずケホッと軽い咳が喉から溢れた。
向かいを見るとアルスも何か感じたようで、鼻と口を片手で覆いながら周囲に鋭い目を向けている。
「ねぇ、リィン…ずっと思ってたんだけど…街の様子が変じゃない?」
「変って…皆の咳のこと?」
「それもだけど、匂いもおかしいし、何だか凄く息苦しい気がするんだ。こんなの、しばらくここにいるけど初めてだよ」
霧まみれの変わった街なので、そういう日もあるものなのかと思っていたが、やはりこの匂いは異常らしい。
それに、年配の人だけでなく若い人達…ユーシが大丈夫と言っていたはずの人達でさえも咳をしているし、胸をおさえていた。
ピリリリリ!ピリリリリ!
「わ!?」
眉を寄せたその時、アルスに教えてもらおうと取り出していたスマホが鳴り響く。どう出たらいいのか分からずもたもたしていると、向かいから伸びた硬そうな指が緑色をタップした。
『おい、キミ、今どこにいる』
パッと画面に映ったのは、紫に緑が混ざる無造作に跳ねた癖毛と隈の上に鎮座する疲れ切った、けれども奥はギラついた灰色の三白眼を持つ男。
珍しく白衣は脱いでいるが、間違いなくベルセルその人である。
「はわわわ…!べ、ベルセルさん??あ、お久しぶりです…?」
『あぁ…いや、挨拶は後だ。キミに付けた蝕化魔力汚染度のメーターが異常値を示している。今どこにいるんだ』
「メーターって…いつの間に…??あ、さては案内魔具のストラップ?」
『…キミのトラブル吸引体質に、必要だと思ったまでだ』
「むぅ…今はインダスティオにいますけど…」
『なんだと?』
画面の向こうのベルセルがカタカタと何かを操作するが、数秒後「チッ」という舌打ちとともに、山脈を眉間に作りながら視線を戻した。
『シュヤマめ、通信に出ないな…いや、いつもか』
「あの、ベルセルさん。関係あるかは分かりませんが…街の様子が変みたいなんです」
『ほぅ…具体的に言え』
リィンは大きく息を吐き、次いで鼻から大きく空気を吸い込む。
「んん…ええと、初めて来た時は金属と油の混じった香りと、豊富な青属性と茶属性や赤属性の魔力で雨の後みたいな香りがしてましたけど、今は這い上がってくるような…ツンと鼻を刺激する匂いと卵の黄身みたいな匂いとインク…ペンキ?みたいな匂いが混ざった匂いがしてて、多分黒属性が増えてるような…喉がそっと締められてるような息苦しさと、コホッ…こんな咳が出てき、コホッ」
「リィン!?ちょ、大丈夫!?」
「グルッ!グゥル!」
「ニャパス!?」
「ピュイッピ!?」
「ケホッ、平気平気」
『キミがそう表現する匂い…その上黒属性と、息苦しさとなると…まさか…!?おいキミ!今すぐ面型防侵蝕魔具をしろ!いや、その前に中和薬を飲め!!!今すぐにだ!』
「へ?」
リィンは目を白黒させ、早く!と物凄い剣幕で、けれども心配を多分に含んだ顔で怒鳴る声に従った。
それと同時に嫌な予感が背を震わせる。中和薬を使わせるという事は、それつまり…
『…くっ!ダメだ、シュヤマにもギルドにも連絡がつかん!すまないが、このままインダスティオギルドに向かってくれないか』
「わ、分かりました!」
「リィン、よく分からないけど急ぎでしょ?お代は払っておくから先に行って。僕も後から行くからさ」
「っ、ありがとう!後で半分渡すね!」
買い物した袋を収納型魔具にしまい、頭にウィズ、腕にシャル、右手にソキウスの手を携えて駆けていくリィンの背に笑顔で手を振ったアルスは、絶対に払わせないけどとこっそり呟いた。
まったく、とんだお出かけである。
店の人達からの視線がちょっぴり…否、だいぶ痛かった。
…
扉が開いた途端耳を貫く警報。赤いランプがグルグル回り、職員達はあっちへこっちへと狼狽える冒険者達の隙間を走り回っている。
ギルドの中は、依頼を受けに来た冒険者達による賑わいとはまるで違った大騒ぎとなっていた。
「ベルセルさん、これって…」
『はぁ…ともかく、シュヤマの所に』
「は、はい!」
毎度ながら勝手に入っていいのか分からない地下の研究所に、しかし今回は仕方ないと階段を降りる。
シュヤマはその大きさゆえ、探すまでもなく見つけられるのがありがたい。彼は巨大な大型映像魔具の前で頭を抱えて唸っていた。
「なんじゃ、なんじゃァ!?こいつァ、どうすりゃいいんじゃ!?このボタンかのォ?いンやこっちか??」
「カーン?」
操作盤の前であたふたし、ぎこちなく人差し指でちょんちょん触るシュヤマにリィンは親近感を覚える。どうやら彼は魔道具が苦手らしい。
傍らでは彼の契約精霊らしき存在…白い髭から短い足が生えていて、白い髭がトンガリ帽子を被っていると表現するのがピッタリな体に、巨大なハンマー型の尾がついている精霊も、首を傾げながらその辺を叩いていた。
「お!?ビーッて鳴ったぞィ!成功か?」
「カーンカン?」
「ぎゃー!!悪化!悪化してます親方ぁ!もう諦めてベルセルさん呼びましょうよぉ!!」
「なァんの!まだまだあの若造にゃァ負けんぞィ!」
「やー、ことこれに関しては戦う土俵にすら立ててないんよね…」
リィンはうわぁと哀れみを込めて泣き叫ぶ職員達を見る。
画面の向こうのベルセルは、ただでさえ悪い顔色を更に悪くして頭を抱えていた。
「あ、あのぅ…」
「あァん?なんじゃお前さんか。悪ィが今忙し」
『おいシュヤマ。状況を説明しろ』
「ん?んん!??おォ!ベルセルの坊主じゃねェか!」
「「「べ、ベルセルさんだぁ!!」」」
職員達が救世主を見つけたと言わんばかりに胸の前で指を組む。ガッツポーズをしている者もいた。
リィン達が来るまでにさぞ苦労したのだろう事が伺える。
『…で?シュヤマ、これは何事だ』
「んなもん、ワシが聞きてェぐらいじゃ!!三十分前くらいから急にこの状態じゃからなァ」
「あのぅ、ベルセルさん。僭越ながら僕が説明をするんよ」
『…聞こう』
おずおずと手を挙げたのはお馴染みそばかすの職員。彼曰く、数日前から異変はあったのだと言う。
「どうも、街の霧に僅かな汚染が混じってはったみたいなんよ。ただ、自然現象とも取れる微々たるもんで…職員一同、然程気にしておらんかったんですわ」
『…続けろ』
「ですけども、時間と共に汚染度がどんどん増加していると気付きましてん。ほいで、小型飛行魔具に街の排気塔を全て検査させたんですけど、異常はなし。どうも原因は別の場所だと結論が出た頃にはもう遅かったんよ…結果、このとおりなんですわ」
『街の異常ではない、か…だとすると…』
沈黙を見越したように、リノリウムをけたたましく蹴る足音が響く。思考に沈んでいる大人達を眺めていたリィンがそちらを向くと、見覚えのある金髪を揺らした女性が走り寄ってくるところだった。
「ユーシさん…?」
「大変なのだわ!!」
キン、とブザー音に負けない芯の強い声がシュヤマ達と画面越しのベルセルに届く。
「突然の無礼を失礼するのだわ!!わたくしは民間ギルド、勇者探偵の代表ユーシ。いち早くシュヤマさんに伝えるべき事があって…あら?貴女もいたのね。丁度いいのだわ」
「誰じゃィ」
『誰だ』
「お世話になった探偵さんです。ユーシさん、一体何が…」
ユーシは一度呼吸を整え、若干苦しそうな咳をこぼしながら真剣な目で語りだした。
「あの子を誘拐しようとしていた怪しい奴等、覚えているわよね?」
「勿論です。たぶん…アクセラリティグループですよね?」
『…待て、アクセラリティグループだと?』
「…その名は初めて聞いたけど、今は置いておくのだわ。わたくし、そいつ等をずっとつけていたのだけど…妙な話を聴いたの」
フィオーレで一騒動起こした連中の名を聞いて目つきを変えたベルセルだったが、追求は後回しにすることにしたのか黙っている。
何となく画面越しにリィンを睨んでいる気がしないでもないが。
「"幹部様が地底赤魔力プラントの制圧に成功したらしい"と。確かにそう言っていたのだわ」
「魔力プラントって言やァ…マグマールのか」
『…まずいぞシュヤマ』
「ァん?」
怪訝そうなシュヤマの視線がベルセルに移る。
リィンも倣って目を向けると、険しい表情の彼が乱暴に何か魔道具のキーボードを叩きながら薄い唇を開いた。
『忘れたのか。地底赤魔力プラントがエネルギーを送っているのは…』
「っ、大煙突…!?おいおい、正気かァ!?」
『ああ、正気ではないだろうな。何せ…フォレスタに蝕化魔力をばら撒いて侵蝕区域化させた連中なのだから』
重苦しい雰囲気の中、リィンはそっとユーシに顔を寄せる。
「あの、"大煙突"って…?」
「え?ええと、わたくしも詳しくはないけど…インダスティオとマグマールの間にある、街ひとつ分くらいある大きな煙突型の魔道具で…」
『スチームンド自治区の浄化を担ってる中枢だ』
なぜ私に聞かないんだと不満顔のベルセルが割って入ってきた。
話の邪魔をしないようにしたリィンの気遣いはお節介だったらしい。
リィンはその相変わらずな不器用さにちょっとホッとし、改めて画面に問いかけた。
「浄化って、何をですか?」
『…スチームンド自治区は見てわかる通り、どこも工場だらけだ。そこから排出される煙やガス…黒属性魔力をそのままにすれば…とてもじゃないが、生活できん』
あ、とリィンは目を瞬かせる。
ベルセルがまた痛みを堪える目をした事に、フィオーレで何度もそれを見た彼女は気付いた。
『例えば、インダスティオには大量の煙突があるだろう』
「はい。煙突とか、そこに繋がるパイプとか沢山ありました」
『それらは小規模な浄化魔具だ。汚れた空気と黒属性魔力を無害な水蒸気に変換して排出している』
「え、あれ全部ですか!?すごい数ですね…」
『その数を揃えてなお、排気物すべてを浄化するのは不可能…どころか、浄化できているのは二割かせいぜい三割だがな』
「す、少ないですね…」
「じゃから大煙突っちゅうどデカい魔道具があるんじゃ。アレはスチームンド中の都市や工場で浄化しきれんモンを集めて、まとめて水蒸気にしとる…風向きのせいでこの街はいっつも霧まみれだがなァ」
どうやら、インダスティオを覆う霧のほとんどはその大煙突とやらの水蒸気であるらしい。
そこまで聞いて、リィンにもやっと事の重大さが理解できた。
「その、大煙突が止まったりしたら…?」
『当然、処理されていない黒属性魔力が煙やガスと共にそのまま出てくるだろうな。何より一番の問題は…スチームンドの大気中を流れる魔脈にも蝕魔塊が存在し、これが黒属性魔力に触発されて蝕化魔力を発生させる事だ』
フィオーレでは地下の魔脈に件の病巣があり、土の中に残ったあるいは染み込んだ黒属性魔力に反応して蝕化魔力が発生していたと聞く。
それを吸収して溜め込んでいたのがあの、浄化の魔道具なのだ。
しかし、それが可能だったのは病巣が地下深くにあり、蝕化魔力が地表に出るまでに土という物理的隔たりとシンプルに距離があったからである。
一方でスチームンドの浄化魔具は、蝕化魔力の浄化も出来なくはないが…主に発生そのものを防ぐ事を目的としていた。
何故なら病巣が大気中の魔脈にあるせいで、蝕化魔力が発生した時点で拡散してしまう事が確実だからだ。
「た、大変じゃないですか!?」
『はぁ…だから、そう言っている。話を聞く限り、既に影響は出ている。対処を急いだほうがいい』
何故こんな事が出来るのか。憤りを握り締めるように、リィンはぎゅっとスマホを持つ手に力を入れた。
そんな彼女を余所に、シュヤマは冷静に指示出しを始める。
「住人の避難誘導が第一じゃァ!そンで、一旦工場の魔道具をすべて止めィ。街中の浄化魔具を外の空気と魔力の浄化にあてるんじゃ!何もせんよりマシじゃわィ!」
「わたくしも避難誘導を手伝うのだわ!街中で見かけたクロマも使ってやるのだわ!」
「我々は浄化魔具の切り替え作業を…!」
「僕は魔法薬の手配を…!」
「私は街の魔獣や精霊達の避難を…!」
「冒険者に声をかけて…!」
「手の空いてる他支部の環境調査官に連絡を…!」
さすがと言うべきか、やるべき事を定めた途端、職員達がわっと散っていく。先程まで泣き叫んでいたとは思えない頼もしさに、リィンは感動を覚えた。
「リィン!ゴホッ、何だか街が騒ぎになってるみたいだけど…一体何事?」
「アルス!それが、前にフィオーレで悪さした人達がまた何かしたみたいで…」
『おい』
地を這うような声に、喉の奥からヒュと空気が抜ける。
たった二文字なのにどうしてこれほど怒りを乗せられるのだろう。
直視を避けながらそっとスマホを持ち上げれば、グサグサと視線が顔に刺さってきた。
『キミ、そちらでアクセラリティグループの者に会ったのか』
「確証は無かったんですよ…?暗がりから逃げるほんの一瞬、それっぽいマークが見えただけで…」
『はぁ…キミには報・連・相の心得がないのか。何故わたしに一言でも連絡を寄越さない』
「あー、いや、ベルセルさん。リィンにはそもそも、考えつかなかったんだと思いますよ」
『ふん…学生か。続けろ』
「リィン、スマホやタブレットのメッセージ機能とか、写真機能すら理解してなかったみたいなんで」
『は???』
「そんな、理解できませんって顔しなくても…」
実際理解できなかったのでベルセルの表情は何も間違えていない。
魔道具が苦手なシュヤマですらメッセージくらいは出来るし、何なら彼の写真フォルダは孫の写真で溢れかえっていると知っていたので。後者は勝手に見せられただけだが。
『いや、そうだな…そうだった…キミはわたしの計算から平気で外れていくんだったな…』
『クゥイ?』
「フラーテル!!久しぶり!!あのね、ベルセルさんが酷いんだよ!?私がスマホを使えない事を馬鹿にするぅ!」
『クゥ…クルィ、クールィ…』
「ど、同情されてる???」
『悪いが、フラーテルはスマホの操作くらい可能だ』
リィンはしわくちゃな顔になった。顔のパーツがどうにかなってる。
アルスがその背を宥めていると、そばかすの職員が気まずそうに声をかけてきた。
「あのぅ…べ、ベルセルさん…親方とドカジが無茶苦茶なボタン押したせいでシステムに異常が出てん…!僕達では直しきれへんのですぅ…!」
『…はぁぁ……分かった。分かったよ。わたしも今から向かう。いいか、キミ達はおとなしく…』
「それと…親方が一人でマグマールに…」
『まぁ計算内……待て。猛烈に嫌な予感がする。というか何故だ。今さっきまでそこにいただろう』
「それが…こんな物が落ちとったんです…」
先程までシュヤマがいた場所から拾ったという紙には、シンプルかつ無個性な文字でこう綴られている。…"孫は預かった"、と。
リィンは目を丸くして顔色を青ざめさせた。
「孫って…まさか、ヨウちゃん!?」
『チッ!あの孫馬鹿め、どう見ても罠…』
「じぃじー?」
「「『は???』」」
「双子の子供…?」
アルスだけは不思議そうな顔で首を傾げていたが、声の主を知るリィンや職員、ベルセルは困惑をあらわにする。
何せ、自分そっくりに真似している契約精霊と仲良く手を繋いで現れたのは…シュヤマの孫であるヨウちゃんだったのだから。そう、"孫"である。
「よ、ヨウちゃんと…マネリィ、だよね?」
「あー!おねーちゃ!!おねーちゃだ!!あんね!ようちゃとまねちゃ、じぃじとあそびきた!」
「〜!〜!」
「ど、どういう事なんよ…?じゃあ、この手紙は…?」
「…あれ?よく見たらそれ、伝達魔具じゃないですか?しかも、最近流行ってる時限機能付きの使い捨ての型ですよね」
「魔道具に流行りとかあるんだ…」
「おねーちゃ!」
「〜!」
「はいはい、ウィズとシャルねー」
「ピィ…」
「ニュル…」
ウィズを抱っこしてご満悦のヨウちゃんと、シャルを抱っこしてニコニコしているマネリィの相手をリィンが引き受ける中、アルスが手紙らしき物を検分し、納得の色を見せて職員に返した。どうやら間違いないようだ。
曰く、受信用と送信用の魔道具が二種一対になっており、使用後に手紙だけ残して自壊するタイプらしい。
要は、ポスト投函したら相手の郵便受けに手紙が届き、ポストと郵便受けは壊れるのだ。
尚、クロマとユーシが使っていた名刺型の…一つの魔道具でやり取りをする交換日記のような型は、結構古いものらしい。
「時限機能付きって事は、送った手紙が指定した日に届きますよーって感じ?」
「そう。普通メッセージなんてすぐに届いてなんぼだと思うけど…これはこれで意外と重宝されるみたいだよ」
「…じゃあこの手紙って、ヨウちゃんの誘拐が成功する前提で前もって用意してたんじゃないかな?」
『ほう…何故前もって用意したと思うんだ』
「えっと、さっきアクセラリティグループを見かけたって話したと思うんですけど…その人達の狙いがヨウちゃんの誘拐だったんです。"幹部様"?の指示だとかで。でも、ユーシさんのおかげで阻止出来ました!」
「グルゥ」
『はぁ…つまりシュヤマは成功してもいない罠に踊らされたわけか…』
『クィルゥルー』
おそらくはリィンの予想通りで、ベルセルの言った通りなのだろう。ここにヨウちゃんが無事な様子でいるのが証明である。
期せずして虚言誘拐状態となった罠にシュヤマは嵌められたわけだ。
二人がタイミング悪く入れ違いになったのも誤解の一因にはなったのだろう。家を確認して見つからなければそりゃ焦りはする。
「しっかしなぁ、いつの間に受信用の魔道具なんて持ち込まれたんね…」
『ふん…大方差し入れか何かにでも仕込まれていたのだろう』
「あー…確かに何日か前、ギルドに差出人不明の差し入れがあったんよ。いつも冒険者とかから色んなもんもらうさかい、差出人不明でも気にせんかったんね」
『こうもあっさり見逃すなど…ギルドの魔力探知の魔道具はどうなっているんだ』
「整備不良でちょっとアレなんよ…」
『はぁ…何故直していない』
「や、いつも頼んどる所が都合つかんくて…ついでに瞬間的移動魔具も直ってないねんな」
『は?…チッ、計算外だ』
大人達の疲労感が滲む会話を聞いていたリィンの白衣がくいくいと引かれ、見ればヨウちゃんが大きな目を瞬かせながら首を傾げていた。
「ようちゃがなぁにー?」
「んふふ、ヨウちゃんが今日も元気で嬉しいなって」
「ようちゃも!ようちゃもおねーちゃがげんき、うれし!!…でも」
ふと、ウィズを揉んで遊んでいたヨウちゃんは研究所を見渡し、しょぼんと眉を下げる。大きな目は潤んでさえいた。
「じぃじ、いにゃい。ようちゃ、さみし…」
「〜!」
「そうだね、寂しいね…大丈夫。大丈夫だよ」
「グルゥ」
「ピィピー」
「ニュルニャ」
リィンはしがみついてグズるヨウちゃんの背をポンポンと優しく撫でる。ソキウスとマネリィも真似して小さな背をそっと叩き、ウィズとシャルがギュッと慰めるように身体を寄せた。
「…でもさ、実際誘拐は無かったとは言え、シュヤマさんは一人で向かって行って大丈夫なの?」
『ふん…平気だろう。奴だって馬鹿ではない。その上実力だけはあるからな』
確かに見るからに強そうだ、とリィンが納得しかけた…その時。
研究所の出入り口付近で会話していた職員達の声が聞こえてきた。
「あれ…?そこにあった面型防侵蝕魔具誰か持っていったのか?」
「知らんぞ。何で?」
「いや、故障中だから修理のために出しておいたんだが…」
「「「『…』」」」
きゃっきゃと戯れるヨウちゃんとマネリィを除き、その場にいた面々に沈黙が落ちる。
「い、一応中和薬は持ってはると思うんよ…」
『それでは意味がない…!スチームンドの蝕化魔力は、肺に入れる事が一番の問題だと知っているだろう…!』
バキッとベルセルの手がペンをへし折った。フラーテルがあららと呆れた顔でいそいそと回収している。
ベルセルは三重の怒りを抱えていた。
それは勝手に命を危険に晒しているシュヤマへと、この場でそれを露見させた職員達の迂闊さへと…
「…あのぅ、ベルセルさん」
『くそっ…!』
きっと動こうとするだろう、リィンを止める言葉を持たない己への怒りを。
スチームンド自治区の人手不足は、同じギルドマスターという立場上よく知っていた。
ここにいるそばかすの職員ですら、のんびり話しているように見えて手は絶えず魔道具の操作を行っている。
実際、先日の黒衣の灯含む闇ギルド達の騒動が尾を引いており、ベルセルが思うよりずっと状況は深刻なのだ。
「人命優先、ですよね」
『…わたしは、キミに危険を冒してほしくて連絡したわけではない…っ』
「分かってますよ。私もちょっと、その、計算外ですけど…でも、私はシュヤマさんを見捨てられません」
『あぁ、くそ…!計算外だ…!』
「心配症は変わりませんねぇ…」
『無事に帰ってこい!!怪我の一つでもしてみろ…わたしの首は無いものと思え』
「脅しの斬新さも変わりませんねぇ…」
リィンはくすくすと笑い、画面の向こうで青ざめながら瞳を揺らす困った大人を真っ直ぐ見た。
「私、ベルセルさんに報告したい事が沢山あるんですよ。なので…今回もまた、叱る準備をして待っててくれませんか?」
『…っ………はぁ……いいだろう。頼んだぞ。だが…帰ったら覚悟しておけ。無理だけは絶対にするな』
「…!はい!分かりました!」
頼むと言ったくせに、まったく納得して無さそうな表情を残して、ベルセルは顔を背けるような素っ気なさで通信を切る。
恐らくこちらへ来るための準備をするのだろう。テレポートが使えない以上、色々大変なはずだ。
「リィン、大丈夫なの?」
「あはは…大丈夫にしなきゃ、ベルセルさんの首が飛んじゃうや」
「でもリィンちゃん、酷い怪我したばかりなんよ…?ほんまに行くん?」
「は?」
アルスから聞いてないんだけど?と怒りを込めた視線がぶつけられた。
これは、帰ってからのベルセルのお説教も酷そうだ。
「はぁ…あの、職員さん。その面型防侵蝕魔具って、予備とかありますか?」
「え?性能は少し落ちはるねんけど、僕達が使うもので良ければあるんよ」
「貸してください。リィンのお目付け役についていきます」
「え!?危ないよアルス!」
「その危ない場所に一人で行かせるほど人間終わってないんだけど??」
「うぅっ…」
「確かに、一人よりは安全なんね…分かった。余ってる中和薬と一緒に持ってくるんよ!」
「ありがとうございます!…リィン、使い方教えてね」
「それは、うん…」
困ったように笑ったリィンは、ほんの少しだけベルセルが抱く心配を理解する。
何はともあれ…のんびりできるのは、まだ先らしい。




