27.おつかいトラブル
黒鉄のフレームを骨格に、煤けた赤レンガが積み上げられた外壁には街同様いくつものパイプが巡っており、鈍く光る真鍮のドーム屋根から突き出た無数の煙突からは絶えず蒸気が吐き出されている。
正面扉は重厚な鉄製で、その上では大小様々な歯車が噛み合いながらゆっくりと回転し続けていた。当然のように紛れ込んでいる歯車団子虫型精霊もどこか誇らしげだ。
建物周囲には小型飛行魔具が飛び交っており、パイプや外壁の至る所を点検して回っている。
門柱にある『インダスティオギルド』の看板がなければ、リィンはここを冒険者ギルドではなく職人ギルドとでも思ったことだろう。
「はぇ〜、インダスティオのギルドも雰囲気あるねぇ…」
「グルルゥ!」
「ピィピ!」
「ニュルル」
街の雰囲気に溶け込んだ建物には絶えず人が出入りしていた。
魔道武具をきっかり身に着けた冒険者らしき人達や、たまにそこに紛れて白衣を靡かせる人や霧に眼鏡を曇らされる研究者らしき人達…おそらく環境調査官が魔道具を抱えながら忙しなく歩いている。
蒸気の吐き出し音と喧騒が合わさって、朝だと言うのに随分と賑やかだ。
(何だか若い人が多い印象だ。ユーシさんが動ける大人が少ないって言ってたけど…)
リィンは彼ら彼女らの邪魔にならないよう気を付けつつ観察に勤しみ、入るタイミングを見計らっていた。
ざっとスケッチを描き終えたタイミングで人の流れが丁度途切れたので、ドキドキしながら一歩踏み出してみる。
すると、まだ一歩目…扉から離れた位置であるにも関わらず、プシューと音を立てて鉄扉が開いた。
重そうな見た目の通り分厚いが、動きは非常に滑らかである。
「んぁ?」
「あ、ど、どうも…?」
欠伸をしながら中から出てきた白衣の青年は、門前で足を踏み出した姿勢のまま固まっているリィンをすぐに見つけ、そばかすの入った愛嬌のある顔をキョトンとさせた。
「学生さん?あ、昇格試験へのエントリーかいな?」
「い、いえ違います!その、私、フォレスタギルドからの届け物を持ってきたんですけど…」
「届け物…あぁ、その射干玉の髪…もしかしてハシリさんが言ってた子だったりするん?名前は確か…」
「ぬばたま…?えっと、たぶんそう、なのかな?私、セントール学園二年のリィンって言います。それと…」
「そうそう、リィンちゃん!いらっしゃい!やー、待ってたんよ」
「グル…」
「ピィ…」
「ニュル…」
パッと眠そうだった目を輝かせる青年に、リィンはコトリと首を傾げる。
ちなみに、紹介を阻止されたソキウス達はちょっと不服そうだ。皆、リィンの口から惜しみない愛情と共に紹介されるのが好きなので。
「待ってた…?も、もしかして、持ってくるの遅かったですか…!?」
「あぁ、ちゃうちゃう!いやね、ハシリさんが大事な書類をわざわざ学生に任せるって聞いて…どんな子なんかな?って職員みんな気になっとったんよ」
「は、はあ…そうなんですね…?」
ほけほけとおおらかに笑う職員は、口調も相まって何とも独特の空気感を持っていた。
けれども、そのおかげでギルドの雰囲気を前に緊張していた体はいつの間にか解れ、肩の力が抜けていくのが分かる。リィンは小さく息を吐き、改めてギルドを見つめた。
「ええと、今ってお邪魔しても大丈夫でしょうか?」
「あー…うん…」
「あ、ご都合が悪ければまた後日にでも…!」
「ごめんごめん、不安にさせたんね!?ギルドとしては全然問題は無いんよ!むしろわざわざ来てくれてありがとう!ただ、ウチのギルドマスターがなぁ…まぁ、取り敢えず案内するんよ」
煮え切らない答えはかなり気になったが、青年はゆるりと白衣をなびかせて踵を返してしまう。リィンはずり落ちていた袖をまくり直すと、ウィズとシャルを体にくっつけたままソキウスの手を取り、慌ててその背に続いた。
「あの…お兄さん、何か用事があったから出てきたんじゃ…」
「たはは、気にせんで〜!エナドリ買おうとしてただけなんよ」
青年が門の横に己の首から下がっていたカードを当てれば、たちまちプシューと音を立てて再び扉が開いた。
どうぞと促されて踏み出した足がカツンと硬く音を鳴らす。
まるで、石畳を楽しんでいた足がピカピカの大理石にびっくりしているみたいだ。
「ようこそインダスティオギルドへ〜」
「おぉ…!」
「グルールゥ!」
「ピピィー!」
「ニャポポ」
フォレスタのギルドもそうだったが、外観の雰囲気に関わらず室内は絵に描いたようなギルドの内装が広がっていた。
正面が受付カウンターなのはフォレスタギルドと変わらないが、あちらだと壁一面に投影されていた依頼書は、ギルドの左側に設置された大きな三枚の掲示板にそれぞれ映し出されており、冒険者達がこぞって内容を確認しては魔道具で受注の手続きを行っている。
「ニュルルゥ…」
「ピピィィ…」
「あはは、二人はお酒の匂いが苦手みたいだね。私もだから、お揃い!」
右側はバーカウンターといくつものテーブルが置かれた酒場で、早くもジョッキを傾けている人がいて驚いた。
ダンジョンから朝帰りでもしたのだろう。
「グゥル…!」
談笑しながらグッと酒を煽る豪快な仕草にソキウスがちょっとキラキラした視線を送っているが…出来れば健全に育って欲しいと思うリィンである。
見上げれば天井の代わりに巨大な時計の文字盤があり、三本の針が自由気ままに回っている。おそらく飾りなのだろうが…とても凝っていた。
「…あれ?」
「ん〜?どうかしたん?」
「インダスティオギルドには環境調査官の部屋というか…研究所?みたいな所はないんですか?」
「たはは、勿論あるよ。こっちに来てみぃ」
スルスルと冒険者達の隙間を縫っていく職員はさすが手慣れていて、しかしリィンはそう上手く歩けない。
ボスンと冒険者にぶつかっては頭を下げ、躓いて転びかけてはソキウスに助けられ、行く手に人の壁が出来てしまってはあわあわと狼狽え…部屋の奥に向かうというほんの短い距離だけで、周りから生暖かい目で見守られるようになってしまった。恥ずかしさで埋まりたい。
そんな苦労の元辿り着いたのが受付横の下り階段である。
どうやらこのギルド、二階はないが地下があるらしい。
手招きしてから下っていく職員に続き、慎重に金属製の階段を下りていくと…程なくして透明な自動扉に出迎えられた。
目に痛いほどの白で統一された内装に、棚があっても尚溢れ出る大量の書物。白衣の鰭を揺らして泳ぐ職員達。デスクの上では大量の据置型高速演算魔具が唸り声を上げ、せっせと数列を吐き出している。
他にもリィンには用途の分からない魔道具がそこかしこで稼働していて、そのせいか室内の魔力は絶えず細かく揺れ動いていた。
中央にある巨大な大型映像魔具はフォレスタのものと同じものに見えるが…映し出されている幻影はおそらく、インダスティオのものだろう。
カン、カン、カン…
「はぇ〜、こっちの研究所も凄いですね…!」
「でっしょ?フォレスタの設備も凄いけど、ウチだって負けてないんよ!ただまぁ、ギルマスが趣味に没頭しとるせいで全然書類を通してくれへんから…あれもこれも古い型のモンを何とかやりくりしとる感じなんよね。おかげで皆、環境調査官なんに修理士とか整備士みたいな技巧スキル極めとるんよ…トホホ…」
「わぁ…」
ここの職員も相応に苦労しているようである。
きちっと整頓されている室内を彩る備品類は、成る程確かによく見れば古ぼけたものばかりだ。製品に施された防護の魔法も時間が経てば薄れるもので、そのせいか多少机には欠けがあるし、椅子の脚も歪んでいる。
カン、カン、カン…
「…グル?グルルー?」
「……あれ?…あの、どなたか大きな怪我でもしてますか?血の匂いが…それに、どこからか濃い赤属性の魔力が…はっ!?まさか火事じゃ!?」
「ニャ!?」
「ピィ!?」
「え、血に火事!?!……あ、あ〜!いんや、成る程!大丈夫なんよ、気にせんで。赤属性の魔力も…これ、火事ではないんね」
「そう、ですか。それならいいんですけど…」
ちょんちょんと鼻を指でつつき、リィンは奥でくすぶるツンとした生臭さを追い出そうと意識した。
血を連想するからなのか、どうもこの匂いはずっと残っていると気持ち悪くなってきそうなので。
「なぁ、リィンちゃん」
「はい?」
「ウチのギルマスな、ちょーっと気難しい人なんよ。だから、気を悪くせんでね」
「それってどういう…?」
「まぁ見ればわかるんよ。…さ、ついた!」
「扉…?はっ…もしやギルドマスターさんの執務室…!?」
「たはは、諸々見てみれば分かるんよ〜」
勿体ぶるというより、それこそが一番合理的だと言いたげな青年にちょっと口を尖らせ、扉の開閉を制御している魔道具に手を伸ばす。
ただのお使いなのに、何故こんなにも緊張しなければならないのか。
(鬼が出るか蛇が出るか…ええい!女は度胸!)
ピッと白衣を整え、腹に力を込めて魔道具に魔力を流せば…五拍程のちょっぴり長い空白の後扉が消えていった。
カンッ、カンッ、カンッ…!
「っ!?」
途端、凄まじい熱気と魔力、それに加えて頭に釘でも打たれているような音が飛び出してくる。ウィズがすかさずリィンの頭から首の後ろに避難し、シャルはもう震えこそしないものの嫌そうに触腕に力を込めた。
地下に降りてからずっとどこからか聞こえていた音は、どうやらここから出ていたらしい。
「あれがウチのギルドマスター。シュヤマの親方なんよ」
「ギルドマスター………え、鍛冶屋のおじさんではなく!?」
つい正直な感想がまろび出てしまった。あまりにもストレートな物言いに職員から乾いた笑みが漏れる。
巨大な石造りの炉はまるで、赤のダンジョンで見た火を吹く直前の口の中のようで、今にも放たれそうな火炎が魔力と共に赤黒く渦巻いていた。それはろくな明かりもない煤まみれの部屋をじりっと茜に染め上げている。
ツンとした生臭さと古い油の香りが熱風に紛れて肺を焼き、リィンは先ほど血と錯覚した匂いの正体を知った。焼けた鉄だ。真っ赤な塊からその香りはしていたのだ。
カンッ!!!
そんな中、一心に鎚を振り下ろす男が一人。一打ごとに赤熱した鉄塊から火の粉と魔力がはじけ飛ぶ。
顔のシワからは年齢を感じるが、汚れた薄手の服越しに見える肉体は冒険者ですら小さく見えるほど鍛え上げられ、座っていても圧倒される大きさと存在感である。ここまで厳ついと、たわわな白い顎髭の先をちょんと結ぶファンシーなリボンが逆に怖い。
「…いやいやいや、やっぱり完全に鍛冶屋のおじさんなんですけど!?」
「気持ちはわかるけどギルマスなんよ〜!」
「どう見てもこの道一筋オーラ満載じゃないですか!?」
「そうなんけど!そうなんだけど…!何も言い返せへんけど〜…!」
カァンッ!!
小声で言い争うリィン達を叱りつけるように、一際大きく鎚が振り下ろされた。
ビクッと肩を跳ねさせて男…シュヤマを見るも、その視線は鉄塊に向けられたままで無表情。
ここまで騒いでいるのだから存在は認識しているだろうに、リィンの事は文字通り眼中にないらしい。
しばらくシュヤマと少しずつ形を変えていく鉄塊を見つめ、やがて彼女はムンッと気合を入れて一歩踏み出した。
今更うだうだしても仕方がないと腹を括ったのである。本日二度目の女は度胸。
白衣が熱風に煽られ、せっかく捲った袖が少し下がった。
「あのー…」
「……」
「あのー!」
「……」
「シュ、ヤ、マ、さーん!!」
「…かーっ、うるせェ!!何じゃ!?用なら後にせィ!!見て分からんのかボンクラァ!!!」
「ひぃん……っ、えっと、私…ハシリさんのおつかいで来たんですけど…!」
「あァん!?」
そこで、ようやくシュヤマの目がリィンに向く。
目にかかるほどの剛毛眉の下に隠されていた赤銅色は手元の鉄とは逆に冷ややかで、壁に飾られた剣の切っ先を突きつけられているみたいだ。
「こんなちんくしゃが…じゃとォ…?」
「ひょえ…」
ぬっ、と立ち上がった男はやはり…というか想像以上に大きく、眼光も相まって熊型の魔獣と対峙しているよう。
その熊…もといシュヤマがざりっとこちらへ足を動かす。鎚を置いて持ち上げられた手は、警戒して前に出たソキウスを無視し、腕に巻き付いたまま威嚇するシャルも肩に乗って体を膨らませるウィズも無視し、咄嗟に食われる!と首を竦めたリィンの後ろ襟をむんずと掴んで…
「ばっきゃもん!!百年はやいわァ!!ワシャ忙しいんじャ!!鉄は熱いうちに打たにャならんのに、お前さんの欲を満たすための試験になんぞ付き合ってられんわィ!!締め切りじゃァ!!分かったら帰ってメシ食って寝てろィ!!!」
「ひゃー!?」
「グルル!?」
「ピィィ!?」
「ニャパ!?」
そのままドスドスと部屋を出て階段を登って扉を開けて、ぽーんとギルドの外に投げ捨てたのである。慌てて後から飛び出してきたソキウスがキャッチしてくれたが…なんという早業。いや、それ以前に…
「……なんて???」
…
開かずの扉と化したギルドを前にしばらく呆けていたリィンは、仕方なくホテルへと逆戻りすることにした。
「むぅ、まさか門前払いとは…いや、その前に凄い誤解されてなかった??私"おつかい"ってちゃんと言ったよね???」
「グルグルゥ」
「ピィ!」
「ニャパス」
「はぁ…届け物どうしよう…下手に職員さんに預ける訳にもいかないしぃ…」
「グゥルゥー!」
「ピッピィー!」
「ニュルニャ!」
「さては再挑戦しろって言ってるな?でも、あの様子だと今行ってもたぶん無駄だよ。ここは何か策を練らないと…あれ?」
考え事をしていたせいだろうか。
リィンは眼前に広がる見慣れない広場に首を傾げる。
円を描くように並んだ石畳と、その中心にそびえる大きな黒御影石の塔。ベンチも植木もない、それだけのシンプルな広場だ。
好奇心のままに、リィンは足を進ませる。
「この塔は何だろう?…あ、後ろに文字が…慰霊碑?」
白く掘られた文字を指でなぞった。
見慣れない言葉だが、意味は分かる。災害や事故で亡くなった人達を追悼するものだ。
「この辺りで何か大きな事故でもあったのかな…えっと、"ケビン鉱山並びにコラプシール崩落事故被害者の魂が安らかに眠れますよう"…?」
リィンは指を引っ込め、腰に下げた多機能型通信魔具をもたもたと操作する。
マップ機能を開いたところで、そっと眉を寄せた。
(見たことない街の名前だと思ったけど…やっぱり、マップにはない。鉱山の方もだ。この、崩落事故で無くなったって事…?)
「グル…?グルゥ、グールルゥ!」
「ん?どうしたのソキウス…日付?…っ!?」
ソキウスが示す日付を見て、思わず鳥肌が立つ。
黒属性の魔力をゴクンと飲まされたような重みが腹に渦巻いた。何故ならそれは、そこにあったのは…30年前の日付だったから。
(30年前…って、フィオーレと同じ?ここまできたら偶然…じゃ、ないよね?館長さんの話にもあったし…やっぱりスチームンドでも何かが…)
「うわーーーーーーーーーん!!」
「わっ!?」
「グゥ!?」
「ピュイ!?」
「ニュル?」
思考を引き裂くような泣き声が辺りに響き渡った。
道行く人もなんだなんだと足を止め、キョロキョロと首を動かしている。
「ニャパス!」
「あっち?…あ、女の子だ」
シャルが鉤爪で指す方向に視線を向けると、建物の隙間に桃色混じりの茶髪をちょんと頭のてっぺんで結んだ女の子が蹲っていた。
他の人々の出方を見るでもなく、リィンはすぐに女の子へと駆け寄る。
「キミ、どうしたの?大丈夫?」
「ひぐっ、ひぐっ…おね、ちゃ…だぁれ…」
「ふふっ、ちゃんと聞けて偉いね。私はリィン、学生だよ。こっちは大切な相棒と友達。ソキウスとウィズとシャルっていうの」
「グルル!」
「ピッピィ!」
「ニャポ」
ムチッとリィンの顔をあっちとこっちで押し合いながら皆が挨拶をすれば、女の子はくしゃりと顔を歪めた。別に怖かった訳ではなく、何かを思い出して涙がこみ上げてしまったようである。
「せいれ…っ、ともだち…ひぐっ…ようちゃ、も……っ」
「落ち着いて。ちゃんと聞くよ」
ひっく、ひっくとしゃくり上げ、要領を得ない単語をこぼす小さな背を撫でた。泣いている子供の体は熱く、感情に引っ張られてか未熟な魔力もガタガタに揺らいでいる。このまま倒れて熱を出すのではと心配になるレベルだ。
「ひぐっ、あのね…っ、まねちゃ…ようちゃの、ともだち…」
「ようちゃ…"ヨウちゃん"ってキミの名前かな?"まねちゃ"って…」
リィンは首をひねるが、すぐに幼子の左手を見てピンときた。契約紋がある。
「もしかして、契約してるパートナーの名前かな?」
「っ、ん!」
「ふむん…ヨウちゃんのお友達の、"まねちゃ"…マネちゃんかな?その子がどうかしたの?」
「あんね…っ…まねちゃ、ひぐっ…いなくなっちゃ…っ、わぁーーーーん!」
「おっと…よしよーし、大丈夫だよぅ」
再び泣き出してしがみついてきたヨウちゃんを抱き止め、トントンと優しく叩いて宥める。
なんとか聞き出せた情報を整理するに、ヨウちゃんの契約精霊で友達こマネちゃんが行方不明になってしまったようだ。
この広い街だ。はぐれたりしたら確かに一大事だろう。
「…うん、よし!私も一緒に探してあげる!」
「っえ…っぐす…いい、の…?」
「勿論!わけあって暇になっちゃったところだしね!いいよね、皆?」
「グゥルルッ!」
「ピッピィ!」
「ニャパス!」
安心させるようにふわっと笑うリィンと、任せろと鳴くソキウス達をポカンと見つめ、ヨウちゃんはようやく泣き止んだ。そして、ぎゅっとリィンにしがみつく。
「抱っこして平気?」
「ん」
「どの辺りでマネちゃんがいなくなっちゃったか分かる?」
「ん、と…」
ヨウちゃんはうーと唸り、フルフルと首を横に振った。
「分かんない。ぐすっ…まねちゃ、ようちゃがみたら、いなくて…こなの、ぐす、はじめてで…」
「うーん…マネちゃんはいきなり前触れもなくいなくなっちゃったのか…で、普段ならそういうやんちゃをするような子じゃない、と」
ほんの少し、リィンに嫌な予感がよぎる。
人間の中には悪い人もいて、珍しい魔獣や精霊を捕まえてコレクター相手に金儲けするような輩がいることは知っていた。その対象には他人の契約魔獣や精霊すらも含まれることがある、とも。
(シャルがされたみたいに無理矢理の契約破棄が可能な国なら…尚更だよね)
ただでさえはぐれた場所が分からない上に誘拐の可能性もあるとなると、些かリィンの手にあまる問題だ。
"失せ物探しとか迷子探しの依頼は取り扱う"
ふとその、溌剌とした声で紡がれた言葉を思い出し、リィンは決めた。
「餅は餅屋。こういうのは、専門家の手を借りてみよう!」
「グルッ!」
「ピィ?」
「ニュルル」
「もち…おー?」
あらやだ可愛い。リィンは全員の頬をもちもちしてあげた。
…
今更だが、これは誘拐になるのだろうか。
リィンは己の腕の中でウィズをもきゅもきゅと揉む子供を見て、そっと冷や汗を垂らす。
保護者への連絡を頑なに拒み、白衣と一体化するつもりかという勢いでしがみついてくる子供に負け、仕方なくこうして共に目的地へと向かっているのだが…
「おねーちゃ、いい人…ようちゃには、わかる。だから…だいじぶ!」
「あはは…ありがとう。…後で親御さんには額割るつもりで土下座しよう…」
胃が縮む思いを抱きつつ、賑やかな通りを行く事しばらく。やや年季の入ったくすんだレンガの建物の側に、目当ての文字が綴られた幻影の看板を見つけた。
「あった、ここだ」
「んー…かんじ、むつかし。ようちゃ、よめにゃい」
「ふふっ、民間ギルド勇者探偵って読むんだよ。ここに知り合いの探偵さんが…」
「この性格ドブクズ野郎!!アンタ!!いい加減にするのだわ!!!!」
「おわぁ…」
魔道具ではない木の扉を押し開けた途端、体を突き抜けていった怒声に思考がふっ飛ばされる。
今日はよく大声を聞く日である。
ソキウスなどひっくり返っているし、シャルは三つ目を極限まで丸くしてリィンの腕を折る勢いでしがみついてくるし、ウィズは…ヨウちゃんの耳を翼で守っていた。偉い。
「あんなにいい子を誑かすなんて、何考えているのだわ!!ダンジョンにまでぶち込んだって言うじゃない!!」
『うんうん、不愉快なくらい元気だねポンコツ。いきなり通話を繋いでおいて騒ぐなんて、野生の猿以下の振る舞いはお兄さんどうかと思うよ』
「だまらっしゃい!!わたくしだってアンタの顔も見たくないし声だって聞きたくないのだわ!けど、アンタの魔道具を提示されたんだから仕方ないでしょう!!」
『ああ、お嬢さんは僕のあげた名刺を使ってくれたんだね!嬉しいな。なら、約束通り費用は無しにしてあげたんだろうね?お嬢さんに請求なんかしてたらお前の存在を無しにしてあげてもいいけど…ははっ』
「約束は守るのだわ。あの名刺…に見せかけた伝達魔具を提示してきた客の依頼費はタダにするって…あぁもう!!あまりにも損なのだわ!!」
『お嬢さんの案内なんて最高の体験が出来たんだからむしろ得じゃない?お金じゃ買えない価値だとお兄さんは思うな』
そう言えば昨日、道案内の代金を払おうとして真っ青な顔で断られた事を思い出す。まさかそんな密約があったとは。
「ぐぬぬぬ…!確かに、縁はお金に代えられないけど、それはそれなのだわ!それでその契約、後何回分残っているのよ!それを確認したくて連絡してるのだわ!!」
『"お前が僕にゲームで負けた回数分無料にする"って契約だから…残り73回、いや…この前無謀にもポーカーとビリヤードとダーツを挑んできて3回と、模擬戦で2回負けてるから…おっと、足し算くらいはポンコツにも出来るかな…ははっ』
想像以上に負けていた。おそらく、ユーシは勝負と名のつくもの全般が苦手なのだろう。それかクロマが強すぎるのか…どちらもだったら哀れ過ぎる。
「ぐぎぃぃぃぃぃ!!腹立つ!腹立つのだわ!!なんでアンタそんなに強いのよ!?わたくしだって日々成長してるのに!!」
『お前の成長より庭のトマトが実る方が早いし立派だね。まぁ僕にもぎ取られるって意味では同じ存在か…ははっ』
ユーシが奇声を上げながら床のカーペットを転がりはじめた。やけにデスクや応接スペースが端っこにあるとは思っていたが、もしかしてこの奇行のためなのだろうか。
…この奇行のためなのだろうな。部屋の隅で慣れたように存在感を消している彼女の仲間だろう面々を見るに。
「しゅらば…ひるどら…」
「ひるっ!?昼ドラでは、ないかなぁ…」
ドロドロしていると言うよりはもう、きっぱり切り合っている。いっそ清々しいほど。
それはそれとしてヨウちゃんの教育に悪いと察したリィンは、意を決して息を吸った。
ともすれば、シュヤマに声を掛けた時以上に緊張しながら。
「コホン…あ、あのー、お取り込み中すみませーん…」
「せーん」
「ハッ!?お客!?いらっしゃ…」
慌てて立ち上がりながら振り返ったユーシは、愛想笑いをピシリと凍り付かせて目を見開いた。
遠くからでもダラダラ汗を流しているのが見える。
一方で、壁に投影魔具で映し出されていたクロマは涼しい顔で手を振った。
『や、こんにちはお嬢さん』
「こんにちは、クロマさん。元気そうでよかったです」
『うんうん、唐突な推しの登場に心臓バクバクのお兄さんと推しに醜い言い争いを見られて心臓止まりそうなお兄さんが同居して混乱しているけど、元気だよ』
「作用が拮抗して丁度いいですね」
『今日も冷静に凄いこと言うお嬢さんにお兄さんびっくり』
「何この会話こわ…」
ストンと表情を落として冷静になるユーシも大概である。
立ち直ってくれて何よりだが。
『ところでお嬢さん、その子はお嬢さんの隠し子かな?父親は誰だい?お兄さんその人と面接して埋めて成り代わらなきゃいけないかもしれないんだけど…ははっ』
「いやいや、私の年齢的に無理がありますよ」
「気にするところはそこで良かったのかしら??」
「ようちゃのおねーちゃ、まおうにはあげない」
「ヨウちゃん、この人は魔王じゃなくて黒幕のクロマさんだよ。で、あちらが勇者のユーシさん」
『お嬢さん???』
「巻き込まれたのだわ!?じゃなくて…コホン!!貴女達、何かわたくしに用事があったのではないかしら?」
言われてハッとなる。会話を楽しんでいる場合ではなかった。
「というか貴女、わたくしのツテでは今日ギルドに向かったって話ではなかった?てっきり昇格試験なのかと思っていたのだわ」
「急に探偵らしいこと言ってきますね…まず、昇格試験ではないです!用事はあったんですけど…まぁ、色々あって」
『ガタンバタンプツッ…ツー、ツー…』
「くろまく、きえた」
「気にするだけ無駄なのだわ。どうせ、お気に入りの子の昇格試験なんてレアイベントの予感にキャパオーバーして魔道具ごとひっくり返っているのだわ」
「さすが、解像度が高いですね!」
「グルルール!」
「ピ?」
「ニャポ…」
「最悪なほど嬉しくないのだわ…」
「まぁ、無事なら良いです。それでユーシさん、実は…」
リィンはようやく本題…ヨウちゃんの契約しているパートナー、マネちゃんがいなくなった件について話し始める。
ユーシはメモを取りながら真剣な顔つきで聞き、時折ヨウちゃんに質問してはペンの背でこめかみを刺激した。
「…成る程。事情は分かったのだわ。マネちゃんの正体はともかく、つまりは迷子を見つければいいのよね?」
「はい!」
「ゆうしゃ、できる?」
「ふふん!任せるのだわ!そういう事なら、この子の得意分野だもの!」
そう言ったユーシの足元には、いつの間にか一体の魔獣が胸を張っていたのである。




