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25.炎鎖を踏み越えて


徘徊ボスという脅威も無くなり、クロマの鎌とビットの魔法によって快調な歩みが戻る中、リィンはソキウスの腕の中で膨れていた。

クロマ曰く、昨今のガラス製品は強い衝撃でも無ければ割れないという。

自分達ラントリイの子は皿を割っては拳骨され、コップを割っては拳骨され、窓ガラスを割っては拳骨されていたというのに、世の中の子供達はあのパリーンというやっちまった音をほとんど知らずに生きてきたというのだ。不条理である。


「ニュルル」

「ケタタ、ケタ」

「ニャパス!」


そんなリィンはともかく、影蛸猫型精霊(シャピヴル)は順調に成長していた。

コウモリ型の魔物は飛膜を氷矢で穿つだけで十分効果的だと学んだし、ビットに教わりながら影を使った魔法によるトラップや嫌がらせの方法を磨いている。

あの氷塊や氷槍をバンバン飛ばす一辺倒だったシャピヴルが、影で魔物を縛ってから氷の柱を落として押し潰すなんて戦法を使った時など、リィンは思わず涙ぐんで喝采を送ってしまった。


「さて、と。お兄さん達のお手伝いはここまでかな」 

「ケタ!」


そんな道中を経て、辿り着いた9フロア目の下り階段。クロマはざっと魔物を確認した後、鎌を爪に戻す。

この次…10フロア目には赤のダンジョンのボスが待ち構えているのだ。その場所こそ、赤属性への恐怖を克服すべく何度もシャピヴルが挑み、傷付いてきた因縁の地。

トラウマを超えるための一番の踏み台である。


リィンはソキウスから降り、シャピヴルの隣に立った。

ここまで赤属性の魔物に対して怯えはほとんど見せなかったシャピヴルだが…よく見れば顔つきには疲労が見られるし、微かに触腕が震えている。新しい戦い方などを楽しんではいたものの、どうやら痩せ我慢をしていたらしい。

リィンは困り顔で頬をかき、魔力回復薬(マギアポーション)と気力回復薬(エナジーポーション)を差し出した。


シャピヴルはリィンと魔法薬を交互に見つめ、素直にそれを受け取る。今から挑む相手を考えれば、意地なんて張っている場合ではないと自分が一番よく知っているのだ。

万全を期すのは当然である。


「さてと…心と体の準備はいいかな、お嬢さん方。ここのボス戦は降りたらすぐ始まっちゃうからね」

「…ねぇ、シャピヴル」

「ニュル?」

「この数日、楽しかったね。キミはどうだったかな?」

「…」

「ぶつけよう、色々。それで最後に…笑おうね」

「ニャパス!」

「すぅ、はぁ……お待たせしました、クロマさん!いけます!!」

「よかったもう少しで尊すぎて溶けてなくなるところだったよ。じゃあ、進もうか」

「ケタタ」


ちょっとよく分からない台詞を吐いたクロマを先頭に、一同は石造りの階段を下っていった。

一歩進むごとに赤属性の魔力が濃くなっていくようで、リィンは思わずゴクリと乾いた唾を飲み込む。

やがて光が差し、階段が地面に変わると…凄まじい咆哮が轟いた。


〈ァオーーーーーン!!!〉


フロアの一番奥…溶岩が流れ落ちる滝の頂上に見えたのは、魔物らしく真っ黒な体。太い四肢と盛り上がった筋肉に支えられたどっしりとした体躯は、立っているだけなのに凄まじい存在感だった。四肢の先には炎で出来た巨大な爪がメラメラと光っており、熱さと同時に冷や汗をかくような冷たい鋭さを宿している。炎の尾と炎の首輪の鮮やかな紅蓮が黒によく映えていた。

その身に宿す赤属性魔力の濃さは、ハッハッと息を吐き出すだけで絶えず漏れ出る炎を見れば明らかである。


「ひょえ…獄炎狂犬型魔獣(イグニサニス)だや」


予想以上に獰猛な魔獣をモデルにしていたボスに、思わずリィンの顔が引き攣った。

リィンでこれならシャピヴルは…と心配になったが、顔も表情も強張ってはいるものの、体も青い三つ目も真っ直ぐ敵を向いている。なら、リィンのかけるべき言葉は一つだ。


「やろう、シャピヴル!」

「ニュルル!!」


広げた九本の触腕を一気に窄め、シャピヴルは弾丸のような速度で溶岩に縁取られた円形のフィールドへと飛び出していく。

一方のリィンは、逆にフィールドから距離を取った。

広範囲攻撃の魔法に巻き込まれたら洒落にならない。死なないとはいえ、そんなミスでシャピヴルの決戦に水をさすわけにはいかないので。


「ニャポ!!」

〈ガルルル!〉


飛び出したシャピヴルがフィールドの中心に近付いた瞬間、魔物は奥の高台から飛び上がり、その小さな体へと爪を振り下ろす。

空気を焼き裂く一撃をシャピヴルはクルンと体を捻って躱し、その熱を嫌がるように飛び退いた。


〈ガルル!!〉


それを追うように首を回した魔物は、すかさず大きく口を開けて魔法を繰り出す。


(来たよ…シャピュヴル!)


鋭い牙の並ぶ、マグマが流動しているような口内から放たれたそれは…シンプルな火炎の魔法だ。しかし、ソキウスの放つそれとは比べ物にならない程の魔力密度が離れていても伝わってくる。


「ニュ…ッ」


避けようと身を捩るシャピヴルの触腕がもつれるのが見えた。

そりゃ、怖いだろう。いくら前より慣れたとはいえ、トラウマは克服できていないのだ。克服する為に挑んでいるのだから。

火にトラウマのないリィンですら怖いと思うこの強烈な熱を、恐れるなとはとても言えない。

それでも…


「シャピヴル!前へ!!」

「ッ!」


ここで引いたら、きっともうシャピヴルは進めなくなる。だからリィンはある意味残酷な指示を叫んだ。

隣で「へぇ」とクロマの感心したような声がした。


「…っ、今!潜って!」

「…ッ!!ニャパス!」


炎という舌が体を舐め取る直前、シャピヴルはリィンの声に弾かれるように影潜(シャドウハイド)の魔法でドプンと沈み、通り過ぎる炎の微かな影を伝って魔物の向こうに出る。

頭が真っ白になりかけていた事もあってギリギリ…いや、僅かに焼かれはしたが、大きなダメージは避けられた。


シャピヴルは時間が引き伸ばされたような感覚の中、魔物の後頭部を見て唖然とする。

契約者がいた頃も捨てられた後も…今までどうあがいても炎に焼かれ、攻撃の隙なんて掴むどころか指先も掠らなかったような魔物の背後を、自分が取れているだなんて。

その事に、シャピヴルは一つの確信を得る。

きっと勝利は…夢物語じゃないのだと。


「ニュルルー!!」

〈ガッ!?〉


魔物の無防備な後頭部に氷槍の魔法が直撃した。熱気で尖端が大きく溶けたせいもあって刺さりこそしなかったものの、ダメージは少なくないはずである。

しかし、相手はボスの名を冠する魔物だ。当然この程度では倒せない。


〈ガルルゥアァァァァ!!〉

「ニ"ッ!?」


咆哮(シャウト)の魔法の凄まじさに、シャピヴルは怯んだ。遠く離れたリィン達ですら思わず耳をおさえて身を屈める程の圧である。

幸い恐慌のデバフにこそ至らなかったが、その一瞬は明確な隙だった。


ぶおんと大きく振るわれた尾がシャピュヴルを吹き飛ばし、まるでフリスビーでも追いかけるように後ろ足で地面を蹴ると…


〈ガァ!!〉

「っ、シャピヴル!!」

「ニ"ャ"ァッ!?」


ガブリと鋭い牙を容赦なく柔らかな身に沈めたのだ。

牙すらも高熱故に焼かれた傷は血こそ出ないが、肉の焦げる香りが痛みに追い打ちをかける。

更にそのまま炎で焼くつもりか、赤属性の魔力の高まりを感じた。

その絶望的なシチュエーションの中、シャピヴルがほんのり怯えに強張った顔で、けれども確かに笑みを浮かべるように口端を上げる。

同じくニッと笑ったリィンは、それを後押しするように叫んだ。


「かかったよシャピヴル!やっちゃえ!!」

「ニャ、パ…パス!!」

「ゴガッ!?」


クロマが何をする気かと目を凝らすと、魔物の顎がみるみるうちに開かれていくではないか。

どうやら触腕から口内に直接魔法を撃ち込み、大量の氷塊を詰め込んでやったらしい。

痛々しい傷をこさえ、冷や汗を流しつつも、牙の檻から抜け出したシャピヴルは悪辣な顔で笑った。


「ガフッ…ゴポッ、ガフ!」


しかも火炎の魔法が発動してしまったせいで大量の氷は大量の水と蒸気になり、魔物はゲフゲフと噎せながら呼吸を乱す。


ざまぁみろと揃って悪ガキのような顔をするリィンとシャピヴルに、クロマは喉の奥でくっと笑いながらサラリと首を傾けた。


「驚いた。今のは計算の内かい?」

「ケタタ?」

「はい!この攻撃パターンはシャピヴルに聞いていたので、もしやられたらこうやって返してやろうと決めてました」

「グルグルゥ…」


散々練習相手として氷水を飲まされたソキウスがしみじみと頷く。

リィンは甘えてくるソキウスを労るように撫で、追撃を仕掛けるシャピヴルをじっと見つめた。


(ここからだよ、シャピヴル)

「ニュルーーー!!」


魔物に呼吸を整える隙など与えないとばかりに、大量の氷槍と氷矢が魔物に振り注いだ。しかし…


〈ガルァ!!〉

「ッ!?」


ゴォと魔物を中心に発動した火渦…否、獄炎渦の魔法により、シャピヴルの魔法はすべて吹き飛ばされてしまう。

その業火のエネルギーをそのまま纏って突進してくるのだから、シャピヴルでなくとも顔が引きつるというものだ。


「うんうん、凄い火力だ」

「あわわわ…!それは無茶苦茶だよぅ!?引いて、シャピヴル!」

「ニャニャ!」


言われるまでもないと、シャピヴルは九本の触腕で陸を泳ぐ。距離を取っても肌を焼く魔力とそれに震える己が心底忌々しいと地面を叩き、空へと逃げた。直後、シャピヴルの真下を魔物が通り過ぎる。

突進を空振った魔物は低く唸り、地面に爪を立てて滑るように旋回しながら魔法を放った。


魔物が纏う業火の内側から強い光が漏れ、次の瞬間灼熱の火の玉がシャピヴルへと殺到する。今度は炎球の魔法だ。上位の魔法の連続を見るに、どうやら本気で仕留めにかかっているらしい。


〈ガァァァァァァ!〉

「ニャッ…ニュル…ッ!」


次々に繰り出されるそれは魔力で制御されているのか、全く挙動が読めない。

逃げ一択の状況が続く中、リィンがふと気付く。


(待って、何この違和感…もしかして…)


「シャピヴル止まって!!誘い込まれてる!」

「ニャ!?」


飛び回るシャピヴルの触腕が着地の為に地面を捉えた瞬間、ジュウと焼ける音がして触腕が爛れた。その拍子に力が抜けてガクンとふらつく。


「成る程、魔物も馬鹿じゃないみたいだね」

「あれは…窪み?…っ!?」

「ニャポ…ッ!」


クロマが場違いに感心を零す中、リィンとシャピヴルは気付いて顔を青ざめさせた。


(窪みの底がマグマみたいにドロドロになってる…!そっか、旋回の時にあの爪で作ったんだ…!)


魔物は無作為に魔法を撃っていたのではなく、己の大きな爪が抉り熱した灼熱の窪みにシャピヴルを誘い込むよう綿密に狙っていたのだ。

何という知能犯。ダンジョンボスの、こういう所が厄介なのだ。


体勢を崩したシャピヴルに迫る魔法はもう、避けられはしない。

けれどシャピヴルの目は恐怖ではなく…悔しさと憤怒に燃えていたから。リィンは痛む胸に爪を立てるように胸元を握りしめ、ここで終わらせるものかと声を上げた。


「っ諦めないよね、シャピヴル!!氷矢の魔法を並べて…なんとか耐えて!!」

「二…!ニュルーー!!」


精霊とはいえ、魔石を用いていない魔法にはどうしても魔法式を描く僅かな時間が発生する。

複雑な魔法ほどその時間が長くなり、簡単な魔法ほど短くなるのだが…その中でも特に矢(アロー)系統の魔法は発動までのロスがほぼ存在しないという特徴があった。

その代わり威力は弱いが…並べれば多少なりとも魔法の威力阻害にはなるだろう。


(氷壁の魔法はいくら魔法が得意なシャピヴルでも間に合わない…だから、どうかこれで…!)


ズラリと並んだ氷の矢を炎球が蒸気ごと焼き潰し…ほんの僅かにその輪郭を崩しながらシャピヴルに直撃した。小柄な体が燃やされながら吹き飛ばされ、地面を二度三度転がり…


「ニ…ル…ニャ、ポ!!」


シャピヴルはフラフラになりながら、それでもなんとか立ち上がった。


「うんうん。お嬢さん方、凄いガッツと機転だ。でもあの様子じゃ…」

「…シャピヴル、やれるよね」

「ニャパス!!」

「心配には、及びません」

「…そう」


と、シャピヴルの目がリィンを見る。

それに目を丸くし、リィンは微かな頷きを返す。


(そうだね。やろう。もうここしかない)


何度も何度も何度も試した、深夜テンションで作った一つの作戦。

シャピヴルがやりたいのだと決めたそれを、やらせてあげるのがリィンの役目だ。


(沢山傷付いただろうあの子が、契約者ですらない私を信頼してくれてる。なら、ここで応えられないなんて…私が私を許さない!!)


〈ガルルァ!〉

「シャピヴル!!特大でお願い!」

「ニャポ!」


クロマは僅かに眉をひそめる。魔物を取り巻く業火渦は健在で、その上また炎球の魔法だ。

いくら大きくしたところでどうにかなるものではない。

もしややけになったのかと、内心で落胆した。


そんなクロマを横目に見たソキウスの四つ目が僅かな苛立ちと嘲笑に歪み、リィンの頭を陣取っていたウィズはピチチと声にすら出して嗤う。

ビットはそんな魔獣達の姿に、体の毛が逆立つような予感を覚えた。


案の定、炎球とぶつかった特大の氷塊はジュウジュウと音を立てて蒸発し…フィールドを白い霧で包み込む。

リィンは湿った唇を舐め、凪いだ淡墨に星を宿して霧越しに魔物の炎をじっと見据えた。


「目眩ましか。考えたね」

「ふふっ、それだけじゃなく…シャピヴルにとってはこの上なく動きやすくなるんですよ」

「…ああ、そうか。"影"だね」


元契約者のせいか、シャピヴルは適性があるにも関わらず黒属性は下位の魔法しか使えないのだが…それらの魔法は"影がある"という特定の条件下で強化されるのである。

だからこその霧。今この薄暗いフィールドでなら…シャピヴルは持てる力を最大に引き出せる。


〈グルルル…〉


魔物が焦れたように唸り声を零した。影潜の魔法は、魔力感知を使ってもその存在を捉えることの出来ない魔法だ。

当然リィンにだってシャピヴルがどこにいるのか、どう動いているのかは分からない。


(それでも、約束した。活路は私が開くって。だからあとは…私がシャピヴルを信じるだけ)


暫くの…いや、実際には僅かな空白。

薄れてきた霧の中に小さな影がチラついた。それと同時に魔物とリィンは同時に口を開いたのである。


(さあ、やろう!!)

〈ガァァァァァァァ!!〉

「……、影穴(シャドウピット)!!!」

「ニャパス!!!」


魔物が魔法を発動する瞬間、そのほんの一瞬の魔力の揺らぎを狙い、リィンは声を通す。

それこそ、針に糸を通すのと同じように…絶対的な、ここしかないという瞬間を狙って。

そして、リィンの指示を一呼吸の遅れもなく実行したシャピヴルの触腕が地面を叩いた瞬間…地面にポッカリと黒い穴が生まれた。


影穴の魔法…簡単に言えば、地形や環境に関係なく落とし穴のトラップを作り出す…否、出現させるという嫌がらせの魔法だ。

穴が空いたのはシャピヴルの目の前…から、魔物の足元。

攻撃直前の硬直を刺され、なすすべもなく穴に落ちていく魔物の口から止められなかった魔法が迸る。


だが、魔物が元にした魔獣…イグニサニスは赤属性無効を持つ魔獣だった。穴の中で魔法に巻かれたとて、なんら影響はない。


その筈だった。ただの、魔法による現象(・・・・・・・)であったなら。


「シャピヴル!目一杯、今までの鬱憤ぜーんぶこめて、氷の魔法撃ち込んじゃって!!」


リィンがその指示を出さなければ、である。


燃え盛る炎に突っ込まれた氷の数々は当然すぐさま蒸発する。それは先ほどと同じだろう。ただ違うのは、今回のそれが…逃げ場の少ない狭い穴の中で起こったと言うこと。

閉鎖的な空間で一気に蒸発現象が起こるとどうなるか…少なくとも、リィンは知っていた。


ドォォォォォォォン!!!!


「は!?」

「ケタ!?」

「グルグゥー!!」

「ピッピピー!!」


そう、爆発するのだ。いわゆる、水蒸気爆発と言うやつだった。

派手な爆発にソキウス達がテンションを上げてはしゃいでいる。可愛い。


たとえ小規模だろうと爆発のエネルギーというものは凄まじい。そしてこれは決して赤属性の爆発(エクスプロージョン)の魔法ではないのだ。

フロア全てが大きく揺れた。ここがダンジョンでなければ崩落待ったなしだっただろう。


〈ガルゥ…!〉


しかし驚く事に、魔物はその爆発を食らってなお砕けず、穴から這い出そうと縁に手をかけた。信じられない胆力だ。


「でも、残念だったね。キミと何度も戦ったからこそ…シャピヴルはキミの強さを信じていたみたい」

「ニャパス!!!」

〈ガ、ルッ…!?〉


魔物の、否、穴の上空。シャピヴルは最後の一撃…垂氷墜(アイシクルフォール)の魔法を発動し、上に伸ばしていた爪の触腕を振り下ろす。

瞬間、巨大なつららは隕石を思わせる勢いで…満身創痍な魔物を容赦なく刺し砕いたのだ。


沈黙が落ち、フィールドの奥に帰還陣が光る。

リィンは安全地帯だった岩場を飛び降り、何度も躓いて白衣をバタバタ不格好に波打たせながらシャピヴルに駆け寄ると、くったりしたその体を掬い上げるようにして抱き上げた。


「〜〜っ!勝った…!勝ったよシャピヴル!!」

「ニャ、ポ?」

「勝ったの!もう、ボーッとしない!」


リィンは放心状態のシャピヴルの触腕に手を差し込み、自分の頭より高く掲げる。

いつもは抵抗を示すシャピヴルも今ばかりはされるがままで、まん丸な目をした自分が透き通った淡墨に映るのを他人事のように見ていた。


「キミの勝ちだよ、シャピヴル!!」


けれど、リィンがあまりにも眩しい笑顔を向けるから…頭より心が理解してしまって。

そうしたら、炎より熱い何かが三つの目から同時に溢れてきた。


「ニ"ャ…ッ、ニャパスゥゥゥ!!」

「グールルゥ!」

「ピピィーピ!」


シャピヴルは泣いた。ボロボロ泣いて、けれども約束を果たすように笑った。

それはそれは清々しく無邪気な顔で。

そこにはもう、トラウマの影なんて微塵も無かったのだ。


「や、とんでもないお嬢さん方だ…まさか、こんなボス戦を見せられるなんてね。お兄さんもまだまだ井の中の蛙だったってことか」

「ケタケタ」


クロマはリィン達のいなくなった岩場でビットの頭を撫で、膝を使って頬杖をつく。

正直な話、期待してはいなかった。シャピヴルの実力は知っていたし、毎回火炎の魔法一発でろくに動けなくなる事も知っていたから。

まぁ負けても自分がいる上死んでも問題の無いダンジョンだから好きにすればいいと、無謀な挑戦に付き合っていたに過ぎない。


そもそも彼、別にシャピヴルの為に動いていたつもりは無かったので。だって、彼が見たかったのはシャピヴルではなく…


「はぁ…やっぱりあのお嬢さんイイね…よし決めた。完全に決めた。推そう。次の推しはあの子に決めた。推し活しよう」


修行用ダンジョンの管理人クロマ、趣味は推せる契約者を見つけて推すこと。つまるところ推し活である。


「これでしばらくは僕の人生が潤うね…ははっ」

「ケタ…」


でろっと人に見せたくない顔をした契約者に呆れたビットは、リィンに憐れみの視線を向けた。

そのリィン達はまだお祝いムードのようで、彼女お得意の褒め殺しが炸裂している。


「シャピヴル最高!かっこいい!!イカしてたよ姉御!!」

「ニュルニュー」

「照れてるの?可愛いー!!」

「グルルゥ!」

「ピピッ!」

「ありゃ、二人はヤキモチ?もー、皆好き!!」


何だあの空間癒しか?とブツブツ煩いクロマを無視し、ビットはパシャリと記念写真を撮った。

何はともあれ、赤のダンジョン攻略完了である。


…


「本当にありがとうございました…!!」

「うんうん、気にしないで。僕にも徳があったしむしろ推しにテリトリー整えてもらうとかあまりにもファンサが過ぎてハッピーなお兄さんと推しに労働させるとか万死に値する絶許案件で舌を噛みそうなお兄さんが同居してて混乱しているよ」

「早口過ぎて混乱します」

「ァ、ゴメンネ」

「ケタタ…」


ビットは契約者の救いの無さに頭痛がした。


あの後、無事に帰還陣から戻った一同は休憩を終えた職員達とばったり遭遇し、リィンは苦言を呈されていたクロマを横目に掃除を手伝うことにした。何せ、誑かしたクロマが悪いからと利用料を受け取ってもらえなかったので、お礼代わりである。誑かされてはいないのだが。


結果、リィンが任されたロビーはソキウス達の手伝いもあり、あっという間にピカピカになった。職員達から感謝をと花丸を貰え、お礼のはずが随分楽しんでしまったと頬が緩む。

それはともかく、なんだかボス戦以降クロマの視線がジリジリして落ち着かない。


「や、それにしてもお嬢さん凄いよね。あの作戦はお嬢さんが考えたの?」

「え?えと、あの爆発はそうですね。相手の炎を利用して吹っ飛ばせば…その、スカッとしますし、擬似的にでも自分のモノに出来ればちょっとは怖いものじゃなくなるかなって。他はほとんどシャピヴルのアドリブです」

「お嬢さん大人しそうな顔してえげつない作戦立てるんだね。お兄さんびっくり。そのギャップが堪らないんだけど」


えげつない作戦と言われ、リィンは苦笑する。

勿論あんな戦術、生身の魔獣や精霊相手には使わない。

リィンは魔獣が、精霊が傷付くのが好きではないのだ。

そんな彼女がここまで過激な策を採用したのはシャピヴルのためではあるが、そもそも相手がただの魔力の塊でしかない魔物だからこそだった。


「あの、クロマさん」

「ん?なにかなファンサ?」

「私、ずっと腑に落ちませんでした。カタルシアでは契約破棄が許されるって事」


リィンの静かな声にクロマはおふざけの気配を霧散させ、静かに次の言葉を促す。強要しない優しい空気に眉を下げ、リィンは瞳に感謝を宿して続けた。


「でも、今日…吹っ切れた様子のシャピヴルを見てわかったことがあります」

「ニュル?」

「ねぇ、シャピヴル。今から少しだけ不謹慎な事を言うね」


リィンは触腕すべてを使って腕に巻き付いていたシャピュヴルを手近なソファに乗せ、目線を合わせるようにしゃがむ。そして、誰もが予想しなかった言葉を口にした。


「キミが、契約破棄されてよかった」

「ニャ、ポ…?」

「「「「!?」」」」


シャピヴルは困惑の声を零す。

何でそんな事を言うのかと、酷いと、思わなかったわけではない。けれど、リィンの口にしたその言葉は…どこまでも優しい安堵で作られていたから。


「キミが、キミの強さも、可愛さも、素晴らしさも、何も分からない誰かにずっと縛られたままじゃなくて良かった。キミがキミらしくいられるようになって良かった。キミが…シャピヴルが、自由になれて良かった」


今まで誰もが可哀想だと憐れんで、もしくは余程の役立たずなのだ嘲笑った、契約破棄というレッテルを…リィンは傷にすらしてくれないらしい。

柔らかい肯定は、シャピヴルにこびり付いた劣等感と言う最後の泥を払った。


そうだ、もう自分は…契約者にも契約破棄に(過去なんかに)も囚われない。ただの、自由な精霊なのだ。

自由なのだから、好きに生きてやろう。


「だから、おめでとう(ハッピーバースデー)」

「グゥルル!」

「ピッピピー!」

「ニャ…ニャパス!!」


シャピヴルはその祝福にスッキリとしたはじける笑みを浮かべ、触腕を使ってリィンに飛びついた。

そして器用にその細い首に巻き付くと…


「チュッ」

「?????」


ニンマリと、三つ目がいたずらっ子のように細められ、ギュムギュムと巻き付きながら幸福そうにゴロゴロ喉を鳴らす。

唇を抑えてキョトンと瞬きするリィンには分からないのだろうな。あれだけ自分に寄り添って、尚且つ有言実行でトラウマを文字通り吹き飛ばしておいて…何故惚れられぬと思うのかとシャピヴルは思うわけだが。


「ファーストキス奪われちゃったや…」

「ピピィーーー!?」

「グルルルゥ!?グル!グールゥ!?」

「ニュルルールルー?」

「ピィ!ピピィピーピィ!」

「グゥルール!!」

「ニャポ?ニュルー?」

「「ムキャーー!」」

「な、なんでそんなに揉めてるの…!?」


本人に全くその気は無いが、厄介な精霊のハートを奪い、お返しにファーストキスを奪われたリィンであった。


ちなみにクロマはと言えば…


「え、何、その聖女も恥じ入るとんでもない包容力。あんなに契約破棄を嫌ってたのにシャピヴルの幸せの為だったって着地できるメンタル凄すぎない?いやそもそも契約もしてない精霊にここまで尽くせるとか神では?尊過ぎて尊死するお兄さんと寿命が延びたお兄さんが同居して混乱しているよ無理すぎる無理」

「ケタ…」


そんなこんなで床にめり込む勢いで沈んでいたとか。


…


「要するにさ、カタルシアの契約は早すぎるんだよね。物心ついてすぐこの子と結婚します!って感じで決めてもさ…そりゃ上手くいかない事だって当たり前にあるって話」

「ケタケタ」


そもそも契約を絶対とせず、長い付き合いの中で絆を育むラントリイと違い、いつだったかアルスが呟いていた通り、カタルシアでは三歳から五歳という早い段階で契約が済まされる。自分でパートナーを見つけるどころか、両親が魔獣や精霊をあてがってくる事も少なくないのだ。


だからこそ、契約破棄が認められている。

今回のシャピヴルが良い例だが、契約を結んだ後で互いの気持ちが合わないなどのトラブルが発生する事が多々あるのだ。主に契約者側の問題もあるが、精霊や魔獣が心を開かない事もある。

そういった場合、互いが傷付かないためにもギルドマスター立ち会いの元、契約の破棄が認められるのだ。


ちなみに、あのシャピヴルは契約者の両親が黒属性と知らずに連れてきて契約させてしまったらしい。後から契約者はその属性を知り、それはもう筆舌に尽くしがたい酷い扱いを繰り返していたのだとか。


つまり、リィンが感じ取った…シャピヴルの幸せの為にという答えは正解だった。


「まぁ、闇ギルドで出回ってる違法な魔道具を使って無理矢理契約を捩じ切ったお前には当てはまらないけどね」


カツン、と黒い爪がバツ印のついた顔写真を叩く。

皆が寝静まった宿の管理人室にて、ビットがギルドのデータベースからこっそり取ってきた資料を眺めていたクロマは冷たく笑った。


シャピヴルの元契約者がリィンと会うことになったら嫌だなと思って調べたが、なんてことは無い。契約者はすでに死んでいた。

まぁ、彼に言わせてもらえば…闇ギルドと関わりを持った者の末路などそ(・)ん(・)な(・)も(・)の(・)だ。


「僕言ったでしょ。夜道には気を付けろってさ。あぁいや、お前には言ってなかったか…っはは!」


まぁこれでリィンに害はないだろう。

クロマはビットに情報の破棄を頼み、鼻歌混じりに中断していた作業を再開した。

何かといえば、祭壇作りである。クロマの人生は薔薇色だった。


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