契約
セントール学園は、職員室や保健室の揃う管理棟と音楽室や芸術室などが揃う特別棟が一緒になった主棟を玄関口に、学年棟がそれぞれ中庭を囲うように並んだロの字型の造りだった。
「はぇ~…学年それぞれに建物があるんだぁ」
「戦術科、魔法科、普通科、環境科…他にも色々と学科があるからね。一学年だけでも生徒数がそれなりに多くなるんだよ」
「建物一つでラントリイの人口を超えそうだや…」
「え、そんなに…??」
冗談でしょと言いたげなアルスに、リィンは苦笑を浮かべる。
ラントリイはそれほどまでに小国なのだ。下手したら国民皆顔見知りである。
なので、リィンの通っていたスクールも片手で数えられる人数しかいなかった。当然校舎など山小屋レベルだ。
「これ、迷ったりしないの?」
「まぁ…最初は迷うかも。でも、使う教室って限られてくるからね。慣れちゃえば別に」
「なるほど」
この教室では調理ができる。
あの温室では珍しい魔植物を栽培してる。
どこそこの階段には亡霊型精霊が出る。
アルスはリィンをあちらへこちらへと連れ回し、綺麗に整えられた中庭を眺められるベンチに座らせた。
「どう?綺麗だし、設備も整ってる中々いい学園でしょ」
「うん!大冒険してる気分!」
「そ、れは…判断に困る感想だな」
「ところでアルス。案内は嬉しいんだけど…ガウラ先生の呼び出しはいいのかな?」
「平気、平気。ガウラ先生はあれでかなり生徒に甘いから。ちょっと遅れたくらいじゃなんてこと無いよ」
ちょっとで済むのだろうか。あいにく時計を持っていないし見てもいなかったが、リィンの体感だと呼び出されてから一時間以上は経っている。
「まぁ、一通り案内出来たし、そろそろ…?」
ベンチから立ち上がったアルスは、近づいてくる騒がしい声と草を踏む音に目を細めた。
リィンが首を傾げてその目線を追うと、主棟の方から数人の教師が慌てて駆けてくるのが見える。それから…
「グルルゥ!!」
「ひゃあ!?」
「リィン!?」
視界が赤くなったかと思えば、何かに押し倒されていた。受け身も取れず打ち付けた後頭部が痛々しい音を響かせ、痛みが爆ぜる。
うめき声しか上げられないまま涙を滲ませると、リィンに被さっていた何かが体をどかし、オロオロとしている気配が感じられた。
(わざとじゃ…ない、みたい…)
逆光で暗い何かの姿はよく見えないが、リィンは顔だろう場所に手を伸ばしてそっと撫でる。
大丈夫だよ、と。サラサラの毛と、途中何か硬いものが手に触れた。
ソレは尚更狼狽えたようにリィンの顔に近づいて…バチンと何かに撃たれて体を痙攣させる。
「麻痺の魔法…?」
「おい君!?大丈夫か!?」
「ゼェゼェ…速いんだからもー…」
「この魔獣、手間取らせてくれちゃって…」
リィンを抱き起こし、やや乱暴にソレ…真っ赤な魔獣を拘束していく教師達に、ハッと口を開けた。
「っ、待ってください!その子は悪くないです」
「いやでも君…血が…」
「これは私が鈍臭いのが悪いので!!」
「いやリィン…そんなにキッパリ言わなくても…」
むんっと痛みを堪えて言い張り、リィンは縄状の魔道具と口輪を付けられた魔獣に近付いていく。教師達は止めるべきかと目配せしたが、拘束具を付けたので一先ず様子を見ることに決めた…のだが。
「はわわわわ…!見たことの無い魔獣だぁ!燃えるような赤っ!!熱くはなくて、サラサラの毛並みだったなぁ…!わぁ、顔の鉄仮面が騎士みたいでクールだね!そのスリットから覗く目も…おぉ、金色なんだ!四つもある!綺麗だねぇ!ふむふむ、カンガルーっぽいけど…袋とか尻尾は無いんだね?でも手が長くて大きい!カッコいい!それと、背中に棘みたいな…管?みたいのが生えてるや…不思議…うぅ!カッコいいなぁ!!ねぇねぇギュッてしていい!?」
「グル!?」
「ストップストップストップ!!」
「ちょっと何この子凄い!熱量凄いよ!?」
「あ、二年のアルスくんこの子の保護者!?回収して!?」
「保護者ではなく同級生です。リィン、ちょっと落ち着こうか?」
目を今までで一番キラッキラさせてはわはわしているリィンを再度ベンチに座らせ、アルスは戸惑いながらも持っていた回復薬で彼女の傷を治療していった。
その間にもリィンは止まらない。だって大好きな魔獣が目の前にいるのだから。
「キミは何ていう子なのかな?誰かの契約魔獣?」
「グゥル…?グルゥ」
「あれ?心配してくれてるの?あはは、優しいね。私は平気!闘牛型魔獣の角に弾き飛ばされた時に比べればかすり傷だもん!」
「いやそれはそうでしょ。何と比べてるのさ」
ニコニコほわほわした顔でとんでもない事を言うリィンに、アルスと教師達はドン引きだ。
何せタウルムとは、簡単に言えば前に突き出た巨大で立派な角を持ち、突進で容易く岩を砕く牛である。
そんな面々など気にせず、リィンは眉を下げながら首を傾げた。
「あのぅ、この子はどうしてこんな…?大人しくて良い子そうなんですけど…」
「え、あ、あぁ…この鉄面袋鼠型魔獣は訳ありでね。学園で保護してるんだ」
「けどまぁ脱走癖が凄くて」
「ありゃ、キミってばやんちゃさんだね?」
「グル……」
リィンに言われて俯くマスクロプスに、アルスは憐れみの目を向ける。そりゃ、脱走するだろうなと。
マスクロプスは強い庇護欲を持つ魔獣であり、雌は袋で子供を、雄は大きな手で番と子を抱えて守る事を至上とするのだ。
保護…守られるなど、屈辱的に違いない。
マスクロプスは、怪我をしたリィンを頻りに気にしており、ソワソワと落ち着きが無かった。たぶん、この中で一番か弱く見えるせいだろう。アルスは良いことを思いつき、眼鏡越しの目を愉悦に細めた。
「先生方、僕達は今からガウラ先生の所に行くんですけど…良ければそこまでマスクロプスを預からせてくれませんか?」
「え?それはどう言う意図で?」
「少しくらいストレスというか…欲を発散させてあげないと、虐待とかわりませんよ?」
「「「あぁ…」」」
リィンは一斉に自分を見てきた教師に目を瞬かせる。何故自分を見て納得の顔をするのか分からないが、これがマスクロプスとの触れ合いチャンスだという事だけは分かった。
ならばこれを逃す手はない。
結果、是非一緒に居させてください!と力強く放たれた彼女の声は、その場にいた全員の鼓膜に大ダメージを与えたのである。
…
だだっ広いクレイコートの真ん中で、小柄なその人はむんっと腰に手を当てながら膨れていた。
「もう!遅かったわね!待ちくたびれたじゃない!」
実習場というのは、簡単に言えばグラウンドであるらしい。
基本、校舎内で魔法の使用は禁止なのだが、実習場では自由に契約魔獣や精霊を出し、魔法の訓練をしたりコンディションの管理をしたりできるみたいだ。
二年棟裏手の第三実習場までの道中、アルスが教えてくれた事である。
「そうは言っても先生、リィンに校舎の説明してませんよね?場所が分からなくて困ってましたよ」
「え、あ、あー…!そうだったわ!じゃあ仕方ないわね。許してあげるわ!」
(わぁ、チョロい…)
いいのだろうか。
少しばかり良心は咎めたが、彼女とて怒られたいわけではない。
せめて心の中でだけはごめんなさいをしておいた。
(それにしても、アルスって…)
「こほん!とにかく、本題に入る…前に、その状況を説明してもらってもいいかしら??なに?なにがどうしてリィンくんはマスクロプスに抱えられてるの?」
「グルルゥ」
「んへへ…この年で抱っこはちょっと恥ずかしいですよね」
「照れろとは言ってないのよ」
「えーと…僕が説明するしかないのかな…」
リィンはマスクロプスによる抱かれ心地を堪能するのに忙しいので、アルスが代わりにため息混じりに口を開く。
中庭での騒動と、散歩がてらリィンという庇護欲を刺激する生き物をマスクロプスに貸出したことを。
「そ、そう…貸し出しちゃったの…」
「指名と、本人たっての希望なので」
「学園を一気に非合法組織っぽくしないで頂戴」
「アルス、ガウラ先生!この子の安定感凄いですよ!この包まれ感とか、頼もしさとか…この子ならてっぺん取れます!」
「レビューしろとも言ってないのよ!!」
はて、何故ガウラは頭を抱えているのだろう。
リィンは不思議そうに首を傾げ、リィンを抱えたマスクロプスもそれを真似して首を傾げた。
可愛い。
現在の幸福度指数が超高いリィンの表情はそれだけでも満点の笑顔になれる。
彼女は思った。非合法魔法薬をキメるより、全人類魔獣を吸ったほうがいい。
「はぁ…もういいわ。気にしないことにするわよ。本題に入るけど…リィンくんって、まだ魔獣や精霊と契約していないのよね?」
「あー…」
「え?…あ、本当だ!?契約紋が無い…!」
「グルッ!?」
リィンは皆の視線の先…右手の甲を左手で擦る。
色白なそこにはいくつか引っ掻き傷や噛み傷の痕があるものの、スベスベで綺麗な肌をしていた。
そう…アルスやガウラの手にあるような、独特の幾何学模様一つ無い綺麗な肌である。
「リィンって僕と同い年なんだよね…?今まで魔法無しで生きてきたって事??」
「あはは…そうだね。同じ14歳だよ。ラントリイじゃ魔法が無くてもまるで困らなかったから…」
アルスはこれでもかと目を丸くし、その奥をどうしようもない好奇心で満たした。
カタルシアでは、早ければ魔力の質が安定し始める3歳前後、遅くとも5歳くらいで契約は済ませてしまう。そんな常識の中で、彼女はどこまでも異質だ。
一方のリィンは困り顔で頬をかく。
質問攻めの際、クラスメイトの誰もが契約紋を持つことに気付いてもしやとは思っていたが…やはりというか、思いの外驚かれてしまった。
「リィンの故郷には契約の習慣がないの?」
「無いわけじゃないよ。冒険者の人とかはさすがに契約してるし…でも、浸透もしてないかな」
「そんな国もあるのね…」
「グルゥ」
リィンは手を胸に当て、耳にタコが出来るほど聞いてきたラントリイの言葉を思い出す。
「自然と魔力は命ある皆のもので、命あるものは皆隣人で、隣人は共に生きるもの。魔法と力は魔法生物のもので、知恵と技術は人間のもの…お恥ずかしながら、そういう国なんです」
「何というか…凄い国ね。割り切り方が」
「他国ってこんなに別世界なんだ…!凄い、僕かなり興味が湧いてきた!!」
いや、ここまで異質なのはラントリイくらいだと思う。リィンはワクワクした様子のアルスから視線をそらした。
「コホン…リィンくんが魔法生物と契約していない理由は分かったわ。ちなみに聞くけど、契約が禁止されていたりはしないのね?」
「それはまったく!何なら、お母さんとお父さんは精霊と契約してますし」
「じゃあ、リィンはなんで契約しなかったの?だって、魔法生物好きなんでしょ?」
「魔獣も精霊もすっっっっごく大好き!!愛してる!!」
「そ、そう…だよね。さっきの、マスクロプスに対する態度を見れば疑いようが無いよ…」
「ならどうしてかしら?あ、誤解しないで頂戴。別に責めているわけではないの。ただ…言いにくいけど、学園としては契約を済ませて欲しいのが本音なのよ」
「えぇと…」
リィンは困り顔で頬をかく。
別に大層な理由ではないし子供の駄々みたいなものなので、こうも食いつかれると気まずいものがあった。
逡巡の後、少しも目を逸してくれない二人に諦めの息を吐き、リィンは口を開く。
「さっき…ええと、授業の時ガウラ先生も口に出していたと思うんですけど…私、使役って考え方がどうも苦手で…」
ガウラはパチパチと瞬き、己の記憶を少し辿った。
"魔道具より魔法のバリエーションが広がる分、難しい事が多いのが魔獣や精霊の使役よ"
確かにそう口にしていた事を思い出す。
ついポロッと出てしまった台詞だが、だからこそ無意識下でそう思っている事の証明になってしまったわけで…
ただ、ガウラは間違っていない。
それはリィンも理解していた。
契約とは、どれほど文献を遡ってもその起源と仕組みが不明であるため、エルーセ・ウルナから力なき人間に与えられた権利の一つであるとされている。
だからなのかは分からないが、契約には基本的にセーフティが組み込まれていた。
これは簡単に言えば、人間側を"上"とした上下関係である。
そのおかげで人間は、契約紋というパスを通して魔力を喰らいつくされたり、契約した生物に喰らわれたりしなくて済むのだ。
残念ながら魔獣や精霊も温和な性格ばかりではないので。
ただし、命令に従わせたり無理矢理操るような力は無い。あくまでもセーフティでしかないのである。
契約という枷の中で関係を築き、飼い慣らし、手懐け、支配あるいは隷属、共生を納得させるといった段階を踏むのが、カタルシア含むエルーセ・ウルナの常識だった。
勿論、皆が皆冷ややかな関係を築く訳では無いし、ガウラもガウラの知る中にも例外はいくらでもいる。
「私、魔獣や精霊が自由に駆け回って、自由に魔法を使って生きているのを見るのが好きですし、契約魔獣や精霊も野生とは違った顔や仕草をしたり、魅力があるので好きです。でも…いざそこに自分が手を伸ばすとなると…」
「怖いんだ?」
「…うん。皆を見る目が変わっちゃったらって思うと、ね」
アルスはリィンの言葉が少し理解出来た。
例えば、幼い頃憧れていた瞬間的移動魔具。見ているだけだった頃は感動していたし、使い始めた当初も興奮していた。だが、今はどうだろう?
あって当然、動いて当然、何も感じないし、強いて言えば不具合が無くて良かったと現実的な懸念だけ。
リィンが恐れているのはそういう事なのだろう。
「杞憂だと思うけどな。僕も魔獣と契約してるけど、そういう"慣れ"なんて全然ないよ!むしろ、日々発見の連続でさ、より興味がわいてくるんだ」
「うーん、距離が近いからこその発見って事?」
「そういう事」
「ぐっ、それは…ちょっと魅力かも」
ガウラもなんとなく理解し、驚く程に甘い子供だなと肩を竦める。理想論を突き詰めた純真。カタルシアでは鼻で笑われそうな綺麗事だ。
けれども、直向きに魔法生物を尊重しようとする態度は嫌いではなかった。
彼女も自分の契約精霊を我が子よろしく可愛がるタイプなので。
だからだろうか。この子にならと口を開いたのは。
「…ねぇリィンくん。一つ提案があるの」
「提案…ですか?」
ガウラがの指が、すっとリィンの後ろ…彼女を抱き上げている魔獣を示す。
「その子はね、最近保護したの。どうも先天的に欠陥があって…群れから弾かれたみたい」
「っ…」
「あー…よくある話ですね。でも、欠陥って?」
「その魔獣は先天的に魔法式を組めない…ようは魔法の設計図を作れない子なのよ」
「「!?」」
ガウラの説明の通り、魔法式とはいわば魔法の設計図である。人間含め、魔獣も精霊も演算領域というものが頭にあり、その演算領域に思い描いた魔法を書き込むのだ。
この紙が指令書として魔法回路に提出されて初めて、魔法というものは作られる。
しかし、指令書がなければご立派な魔法回路があっても魔法は作れない。
つまり…
「この子は、自力では魔法が使えない…?」
「ええ、そういう事。人間とは逆だけど、同じね」
「それじゃあ…魔獣の世界では生きていけませんね…」
「そんな…!」
「…グル…」
リィンが振り向きながら見上げると、マスクロプスは黄金の四つ目に諦念を浮かべ、ため息を吐いた。
その姿があまりにも痛々しくて、リィンはブラウスがシワになる事も厭わずに胸元を握り締める。
「勿論、このまま保護すればその子は生きられるでしょうね。この、死んだような表情を"生きている"と呼べるなら」
「…生きながらにして死んでいるってやつですね。まぁ、そりゃそうか」
「かといって外に解き放ったところで、今度は物理的に死んでしまうわ…この子一体では、ね?」
「それって…」
リィンはガウラの言いたいことを察し、マスクロプスと彼女を交互に見つめる。
マスクロプスには魔法回路があるが、演算領域がない。
人間…リィンには演算領域があるが、魔法回路がない。
両者は、出来過ぎなくらい噛み合っていた。
「等価交換…」
「その通り!その子とならカ、ン、ペ、キ、に!共存共栄よ!これならリィンくんも納得出来るんじゃないかしら?」
リィンは薄墨の瞳をウロウロと彷徨わせ、マスクロプスと改めて対峙する。
マスクロプスは会話が理解出来たのか、どんよりした目に僅かな光を入れて彼女を見つめていた。そんな顔をされては、嫌だなんてとても言えやしない。
トントンと頼もしい腕を叩いて地面におろしてもらった彼女は、姿勢を正して真っ直ぐにマスクロプスへと向かい合った。
そして、深呼吸。
「あのね…私は、凄く弱いと思う。キミと足を並べて歩むにはきっと力不足で、キミが望む景色を私があげられる保証は、正直無いよ。契約もまだ怖いし、抵抗もあるんだ。でも、そんな意気地なしな私がキミにあげられるものがあるとしたら…それは、ただ一つだけ」
リィンは相変わらず困った顔で、けれども一度伏せてから露わにした瞳はどこまでも凛と煌めいている。
気持ちの高ぶりが魔力を刺激したのか、満天の星空に似た光がそこにはあった。星眼だ。
その強さと神秘性に、マスクロプスもガウラもアルスも小さく息をのむ。
「…キミを、大切にする。それだけは、その誓いだけはあげられる」
プロポーズか何かかと勘違いしそうな重みをもって、その言葉は紡がれた。
マスクロプスは茫然とリィンを見つめ、鉄仮面の下を赤く染め上げる。いや、元々赤いが、比喩である。
体にそぐわない大きな手をモジモジさせ、騎士の面に似た鉄仮面のスリットから見える目は動揺でガタガタに揺れていた。ともすれば全身から湯気でも出そうである。
「そんな私でよければ、その…?」
マスクロプスの手がそっと持ち上がり、リィンの服を破かないよう摘んだ。
キョトンと目を瞬かせたリィンは、遠慮がちなわりに絶対に逃さないという意思を感じる手をそっと撫でる。追いすがる子供に似たそれには、生き物の温かみそのものがあった。
「いいの、かな?」
「むしろ…ここでやっぱ無しって鬼じゃない…?」
「こっわ…何よこの純粋爆撃…流れ弾で死にそうよ…」
オロオロするリィンに、一歩離れたところで抱き合ったガウラとアルスが頬を染めながら震えた。
未知の生命体に遭遇した気分である。
「あの、ガウラ先生。もし、学園として契約が必要なら、この子にします…ううん、違うや。…っ、この子と、契約したいです!」
「そうして頂戴…責任は取るべきよ…」
「え??」
とんでもない子をクラスに迎え入れてしまったなと遠い目をしつつ、ガウラは契約に必要な道具を収納型魔具から取り出していく。と言っても、必要なのは魔力を完全に抜いた精製水と桶と針、それから契約石と呼ばれる魔法鉱石くらいだ。
ガウラは桶に水を張って契約石を沈め、そこにリィンとマスクロプスの血を一滴ずつ垂らした。血と共に混ざった両者の魔力が反応し、桶の中身がぼんやりと光る。透き通った水を見るに、相性は悪くなさそうだ。相性が悪いとここで濁る。
「リィンくんは桶に手を入れて、マスクロプスのどこか一部に触れながら契約を…名前を付けてあげて頂戴」
「は、はい!」
リィンは未だに服を掴むマスクロプスの手を握り、おそるおそる桶に右手を沈めた。
なんとなくムズムズするのは、自分以外の魔力があるせいだろうか。
と、何を思ったかマスクロプスはリィンの手をやんわり掴み、己の鼓動の上に移動させる。どうやらそこが良いらしい。
「グゥル」
「名前かぁ…うん。よし、決めた」
【ソキウス】
紡がれた音と同時に水が波打ち、沈めていたリィンの手を何かが焼いた。いつの間にか溶けていた契約石だ。
そして契約石はリィンを伝ってマスクロプスに流れ、同じく触れ合っていた箇所を焼く。そして、そのままお互いの体内へと溶けるように消えていった。
後には、リィンの手と彼女が触れていたマスクロプスの胸に揃いの契約紋…背中合わせの二つの三日月が一番星から伸びた紐で固く結ばれたような模様が浮かんでいたのである。
「はぇ〜これが契約…思ったよりすんなり…」
「いや、普通はもっと痛いし馴染むのに時間かかるんだけど…」
「まぁ、お互い合意の上だからじゃない?ほら、拘束具全部外してあげるわ」
カシャンと軽い音を立て、マスクロプス…ソキウスの手足に嵌められていた枷が消える。
途端、リィンは辛抱たまらんと駆け出した。
「ソキウス!私の相棒!!私の最愛!!これからよろしく!!」
「グゥルル」
「んふふ、そんなにスリスリされると擽ったいよぅ!」
秒でイチャつき始めた魔獣とリィンに、ガウラとアルスは何度目かも分からないため息を吐く。
あれでは契約魔獣ではなく恋人か何かである。
まぁおそらく、彼女に常識を…少なくともカタルシアの普通を求めるのは無意味なのだろう。
気にしていたらこちらの脳が焼けそうだ。
英断である。
そもそも、契約があろうと魔獣は魔獣で、その力加減次第ではじゃれつかれただけでも容易く人間は死ぬ。
契約が封じているのは"故意"による殺生だけなので、魔法生物にその気がなくとも爪も牙も時には体そのものが人間を傷つける事は少なくないのだ。
それなのに契約したてでアレである。命知らずにも程があった。否、それで言えば…契約していない魔獣に大人しく抱っこされていた時点で今更か。
ただ、そんな所も面白いなとアルスは目を細める。
「おーい、リィン!せっかくだし、魔法使ってみたら?」
「んぇ?」
「グル…!ルゥ、ルゥ!」
「ほら、ソキウスも乗り気だし」
リィンを腕から下ろしたソキウスは、四つ目をキラキラと煌めかせながら彼女を見つめた。
人間が魔法に憧れるのと同じで、ソキウスだって魔法に憧れ、焦がれていたのだから。
「先生だって、ちゃんとリィン達が魔法を使えるか確認したいでしょう?そのための実習場でしょうし」
「まぁ、そうね。自衛手段として必須だもの」
カタルシアは決して安全ではない。
街や街道はともかく、整備が及んでいない地域は野生の魔法生物達の無法地帯と言っても過言ではないのだ。
校外実習の際、襲われないとも限らない。
それに、他の危険も色々とある。
「リィンくん、魔法の使い方は知ってる?」
「それは、はい。前のスクールで習ってます」
ガウラは頷き、白衣のポケットから色とりどりの宝石のようなものを取り出した。
これは魔石と呼ばれている魔力の結晶で、エルーセ・ウルナのどこにでも、小石より落ちてる鉱石だ。特徴としては、中に魔法式を入れる事が出来る。
「契約者として、魔法式を入れた魔石を準備するのは基礎の基礎。最低限の準備よ。これがなければ契約の意味がないわ」
魔石に己の演算領域で描いた式を詰め、魔力と共に契約紋に喰わせることで、魔獣や精霊に使ってほしい魔法式を渡すことが出来るのだ。
簡単に言えば、郵便配達員に手紙を持たせ、契約紋というパスを通してポストに届けるという仕組みである。
ちなみに、"契約紋に喰わせる"といっても物理的な話ではなく、契約紋のついた手に魔力を込めて魔石を砕くだけだ。
「でも先生、さすがに今契約したリィンに魔石の用意なんてないんじゃないですか?」
「え、魔石なら落ちてるけど…」
「いやそりゃ落ちてはいるけどさ。魔法式入ってないでしょそれ。定着には時間がかかるし」
「ふふん!当然アタシだって考えてるわ!質問よ、新米の契約者くん。ソキウスの属性は分かるかしら?」
エルーセ・ウルナにおいて、魔力は赤、青、緑、茶、黄、白、黒という要素で構成されており、人はこれを属性と呼んでいる。
物質毎、環境毎、種族毎、個体毎…遺伝子と同じく全てにおいてその組成は異なるが、同じ種族同じ物質であれば大きく逸脱することはない。
そこで分類上、一番多く内包する属性をその生き物ないしは物質の"属性"と定義しているのだ。
ちなみにその定義でいうと、人間に属性はない。無色と便宜上言われているが、実際は全ての属性を平等に持っているが故に分類出来ないらしい。豆知識。
「えっと…赤ですかね」
「正解よ!マスクロプスは赤属性。なら、使うべきはこの魔石ね。火球の魔法式が込められてるわ」
「込められて…?」
「ええ!このアタシがト、ク、ベ、ツ、に!昨日徹夜で初歩の魔法を込めた魔石を全属性分用意しておいたのよ!褒め称えなさい!」
「あ、えと、ありがとうございます」
先程からの流れにリィンは少し違和感を覚えたが、渡された小指ほどの赤い魔石を素直に受け取った。
ドキドキしながら周りを見れば、皆一様に好奇心を隠さずこちらを見ている。
特にアルスが酷い。
ぐっと高まったテンションそのまま、彼はリィンの真横からのぞき込んでいた。が、異性の顔が近づいてきた照れより先に、リィンには呆れが来る。
(か、観察しようとしてる目だなこれ…)
あまりにも露骨なそれに、私は珍獣か!と叫んでやりたくなる。やらないが。キャラの安定は大事だ。
「…よし。やってみよう、ソキウス」
「グゥル!」
誰もいない方を向いたソキウスに、リィンは深呼吸をした。
そして、魔石にほどほどの魔力を流し込みながら…契約紋のある右手でパキンと壊す。
【火球】
「グルゥァ!」
刹那、ソキウスからバスケットボール大の火球がドッと放たれ、着弾した途端にグラウンドを焼いた。間違いなく、火球の魔法である。
「はわわわ…!で、出来た!出来たねソキウスー!」
「グゥルルルゥ!」
「おぉ…!凄い、凄い!初めてとは思えないくらい綺麗な魔法だったよ!」
「んへへ、だってよソキウス!キミは凄い!最高!」
「グゥル…!」
その欠陥の為、生まれてこの方褒められた事など無いソキウスは、感無量といった様子でリィンを抱き上げてムギュムギュと頬ずりをした。リィンも弾けるような笑顔でそれに応え、上気した頬と黒なのに眩しいくらい光る瞳を携えている。
ガウラは関係は良好だなと安心しつつ、ふとアルスを見た。
ぼうっとリィンの笑顔を見る彼の耳が、どう見ても赤い。
おや?とガウラの片眉が上がった。
「そういえば、アルス。アルスはどんな子と契約してるの?」
「え、あ、僕?僕は…出ておいで」
アルスの契約紋が光ると、それに呼び出された大きな魔獣が現れる。恩恵と言うべきか、契約した魔法生物達には亜空部屋と呼ばれる特殊な亜空間が与えられるのだ。
開閉には魔法が必要で、呼び出されれば出てこなくてはいけないが…噂だと中はすこぶる快適らしい。
現れたのはでっぷりとしたハムスターを人並みの大きさにしたような魔獣。腹部には管のようなものが巻き付き、頭上まで伸びている。見た目はそう…スーザフォンだ。
「はわわわわわ…!この子も初めて見る!」
「カタルシアの固有種だからね。ね、ちょっと近付いてごらん?」
「え?」
言われるがままリィンはその魔獣の正面に立ち、可愛らしいつぶらな瞳と向かい合う。
「ストマク」
この子の名前だろうかとリィンが思ったのも束の間。目の前の愛くるしい魔獣の口が…腹部までバカッと開いたのである。
端的に言おう。物凄く怖い。というか生々しい口内がグロい。
「ひょえっ!?何何何!?く、口!?えっ!?」
「あっはははははは!!」
「アルス!!」
アルスの契約魔獣大口鼠型魔獣は、何でも飲み込んで消化出来る強靭な胃と、体の半分以上を占める巨大な口が特徴だ。
見た目こそ愛くるしいハムスターだが、だからこそ口のインパクトが凄い。
リィンは薄っすら涙目になりつつ、口を尖らせながらアルスを睨んだ。
「少し前から薄々感じてたけど…アルスって結構性格悪いね」
「えっ!?」
「あら、ようやく気づいたの?そいつ、私の生徒の中でも一、ニを争う腹黒よ」
「えっ!?」
「ふぅん」
「ち、違う!いや、リィンの反応を見たかったのは違わないけど…!」
「もうその時点で有罪だよアルス…」
第一印象はあてにならないものだとリィンは学んだ。
驚いたリィンの様子すらガッツリ観察している男が、爽やか系であってたまるか。
ちょっとマッド寄りの探求者だこれは。
ギャアギャアと騒ぐ二人と二体に、ガウラは目を細める。
スッキリした顔のリィンは勿論だが、彼女はアルスの変化も喜んでいた。
爽やかな好青年に見えて、アルスは中々に冷めた生徒だ。
その分知りたいと思った事への情熱は半端ない、というか引くレベルだが…特定の人間に入れ込む事は無かったように思う。
一応担任として彼の過去を知っているガウラが思うに、他人への期待や興味が薄いのだろう。
それが、あの目だ。
まっすぐと彼女を射抜き、その一挙一動を知り尽くそうと光らせている…のはちょっとどうかと思うが、それでも確かに己の世界に彼女を置いている。認めている。
「…なーんかうらやましいわね。はぁ…アタシも青春したいわ」
ぼやいたセリフは、亜空部屋の中にいる彼女の契約精霊だけが聞いていた。




