23.歩み寄り
ふわふわで香ばしいパンと、塩気の効いたベーコン。とろとろのチーズが入ったオムレツに、シャキシャキのファームルワ産の野菜サラダ。
簡単なメニューでありながら美味しく満足感たっぷりの朝食は、寝起きの頭にもお腹にも元気をいっぱいにチャージしてくれるものである。
「んー!おいひぃ…!これ、クロマさんが作ったのかな?」
「グゥル?」
「ピチチ?」
それはリィンも例に洩れず。
ピークメイアでの一夜を明かした彼女は、食堂での朝食を楽しんでいた。
おしゃれな料理や凝った料理もいいが、やはりこういったシンプルな料理が一番食べやすい。落ち着くと言ってもいい。
「もぐもぐ…今日は何しようね?せっかくだし、修行用ダンジョンって所も見てみる?」
修行用ダンジョンという言葉に目を輝かせたソキウス達に苦笑をこぼす。荒事が嫌いなリィンの気持ちを汲んでくれてはいるが、ソキウスとウィズはわりと好戦的なタイプだ。たまに二体で模擬戦している事もあるので、やはり窮屈な思いをさせているなと申し訳なく思っていた。
(修行用って事は管理されてるダンジョンだろうし…トラブルの心配はない!はず…)
生身の魔獣や精霊を傷つけるのは嫌だが、生き物ですらない魔物相手ならリィンも心が痛まない。丁度良いだろう。
「じゃあ…」
「なー聞いた?修行用ダンジョンでまたアイツが倒れてたんだって」
「それって噂の?」
聞こえてきた他の利用者の声に、行こうかという言葉を一度飲み込んで耳を澄ます。
今まさに行こうとしていた場所の噂だ。聞きたいと思うのも当然である。
「噂って?」
「あー、修行用ダンジョンっつったらアレだろ。赤のダンジョンに挑んではボロ負けしてる影蛸猫型精霊。毎回スタッフが回収しに行ってるらしいぜ」
「それだけじゃなく、赤属性の契約魔獣とか精霊にも喧嘩売ってるとか。何なんだろうな、アレ」
会話が遠ざかる。話が聞こえなくなってもしばらくリィンは口を閉じ、やがて眉を寄せたまま呟いた。
「シャピヴル…?」
「気になる?お嬢さん?」
「ひゃわ!?クロマさん!?お、おはようございます??」
「はい、おはよう」
いつの間にいたのか、誰もいなかった筈のテーブルの向かい側に両手で頬杖をついたクロマがニコニコとリィンを見ている。
まるで世界の隙間に滑り込んできたみたいに音も気配もしなかった。実は暗殺ギルドの人だったりするのだろうか。
彼は、どうしてここに?と首を傾げる彼女に笑みを深めた。
「いやね、僕が作った料理を何の疑いもなく食べて美味しいって顔緩ませるお客さんをたまーに見たくなるんだよね。皆無防備で可愛いなーって。毒なんて入ってたら笑えない冗談なのにね…ははっ」
「何か入ってるんですか?」
「愛情かな」
「なるほど、だから美味しいんですね!ごちそうさまでした!」
「お嬢さんが素直すぎてお兄さんびっくり。お粗末さま。そうそう、シャピヴルの話だったね」
クロマ曰く、そのシャピヴルがピークメイアに現れるようになったのは一年前の事。
「あのシャピヴルってね、元は冒険者の契約精霊だったんだよ」
「…"元は"?」
あってはならない修飾語に、リィンの声がワントーン下がった。ソキウスやウィズがビクリと体を硬直させたのが分かり、深呼吸を繰り返す。
そして、下手くそな笑顔でニコニコと表情を崩さないクロマに続きを促した。
「でもね、どうもその冒険者、シュヤマさんの出したランク昇格試験に手酷く落ちたらしくて…あ、シュヤマさんっていうのは、インダスティオのギルドマスターね」
「冒険者の昇格試験って事は…ダンジョン関連、ですよね?」
「その通り。どのランクの試験だったのかまでは僕も知らないけど、チームでダンジョンボスを倒す試験だったらしいよ。まぁ失敗して全員命からがら救助されたみたいだけど。どうやらその契約者がリーダーだったみたいでね…」
シャピヴルの元契約者はボス討伐の失敗が大層悔しかったようで、ここの修行用ダンジョンで修行…と言えば聞こえはいいが、件のボスと同じ赤属性の魔物とシャピヴルをひたすら戦わせ続けたらしい。
疲労も、怪我も、気持ちも、何もかもを無視して。
「で、結局、強くなれなかったシャピヴルとそのまま契約を破棄して捨てたんだってさ」
「グルッ!?」
「ビュイ!?」
「酷い…っ」
「ね。それ以来、シャピヴルは山と修行用ダンジョンを行き来しては、赤属性の魔獣や精霊、魔物と片っ端からケンカを売り続けてるってわけ。憂さ晴らしなのか何なのか…」
リィンはお茶の入ったカップを両手で握り、唇を噛む。自分の事でなくとも苦しくなって、行き場のない感情が暴れていた。丁度、手元でぐらぐら揺らぐ水面のように。
ただ、ソキウスをトレーニング相手にした理由はなんとなく分かった。
それは憂さ晴らしなんかではないだろう、とも。
「…カタルシアでは、契約破棄は重罪にならないんですか」
「それね。答えだけならイエスだよ。双方の同意は要るけど、契約の破棄そのものは認められているんだ」
「そう、なんですか…」
カップを置き、テーブルの下で白衣を握る。手が真っ白になっているだろうと自分でもわかった。
リィンの故郷、ラントリイでは契約破棄は重罪とされている。それこそ、実際破棄した人物など見たことも聞いたこともない程に。
正直、リィンは軽蔑する。
「うんうん。たまにお嬢さんみたいな顔をする人がいるよ。よその国のお客さんとかね。僕も契約破棄なんて愚行だと思うし、それを選んだ輩は夜道に気を付けろって感じなんだけど…でも、許されるのにも理由はあるんだよねこれが」
「理由…」
「まぁシャピヴルの契約破棄は同意無しみたいだから、お嬢さんは思う存分怒っていいと思うけどね」
「…は??」
「ははっ…いいねその声ゾクゾクする。そのシャピヴルには胸元に大きな傷があるんだけどね…あれ、無理矢理契約紋を引き剥がした跡なんだ」
「っ…!」
リィンは昨日出会ったシャピヴルの姿を思い出した。
数多の傷跡の中でも一番目立ってしまっていた、胸元の一際酷い歪な丸い傷。
あの時感じた、"抉り取ったのかと思うような傷"という印象は、間違っていなかった。
事実抉り取られたのだ。きっとそこにあっただろう大切な証が…育んでいたのだろう思いごと。
シャピヴルが聞き分けのいい精霊だったのは、契約者と共にいた経験があるからだったのだろう。
どういう感情から来たのかは分からないが、自由を生きる精霊でありながらも契約者の意思を汲もうと努力していたが故の、聞き分けの良さだ。
「…教えてくれてありがとうございます」
「や、朝から嫌な話聞かせちゃったね。さて、人も減ってきたし片付け片付け…そうだ、お嬢さんは連泊する?それとももう出発かな?」
「…連泊でお願いします。日数は、えと…」
「あー、いいよいいよ、急がなくて。修行用ダンジョンにでも行くのかな?」
「いいえ」
リィンは頭にウィズを乗せ、食べ終わったトレーを持ち、ソキウスと並んで立ち上がる。
そして、決意を秘めた目を朝日に煌めかせた。
「シャピヴルに、会いに行きます」
…
今日こそはと張り切っていたソキウスに抱っこを頼めば山の道も軽いもので、一時間も経たずに目的地に辿り着く。クロマに教えてもらったシャピヴルのねぐらは、昨日リィン達がトレーニングをした場所の近くだった。
辺りを見渡すと、熱を持った焦げ付いた地面にまだ舞っている土埃…そして、その真ん中に倒れている影を見つける。シャピヴルだ。
「大丈夫!?」
「…ニャ…ポ…?」
「さっき火吹犬型魔獣を連れた人とすれ違ったからもしかしてとは思ってたけど…」
シャピヴルは抵抗する気力もないのか、テキパキと処置を施すリィンを静かに、不可解そうに見つめている。
こんな優しい手で触られる擽ったさを、シャピヴルは今まで知らなかったから。
「よし、これで大丈夫!あとは…これをどうぞ」
「ニャ…?」
「体を冷やすのに効果的な魔植物の実だよ。本当は魔法薬の材料にしたほうが効果が増すんだけど…それだとキミは使いにくいでしょ?昨日のトレーニングのお礼だと思ってもらって欲しいな」
「……」
じっと見つめ、シャピヴルはフィッとそっぽを向いた。
リィンは仕方ないかと眉を下げ、魔植物の実をシャピヴルの側に転がすと、横を向いてしまったその顔を真っ直ぐに見つめながら口を開く。
「あの、さ。もしかしてなんだけど…キミ、赤属性が、というか、火が怖いんじゃないかな?」
シャピヴルの肩が分かりやすく跳ねた。
何となく、昨日のバトルから違和感はあったのだ。
火炎や火槍などの火の魔法と対面した際に見せた顔と強張り、魔力の大きな乱れ。動きも魔法も洗練されていたのに、何故か見せた明確なその隙の理由。
もしかしてと思っていた仮説が、クロマから聞いた話で確信に変わった。
本来、シンプルな属性相性で言うなら、青属性が得意なシャピヴルは赤属性に有利なはずだ。
けれどこのシャピヴルは火を怖がっている。トラウマと言っても良いほどに。
それが昇格試験のボスに負けたからなのか、厳しい修行のせいだったのかは分からないけれど。
「それでも赤属性の魔獣や精霊、魔物に挑んでるのは…克服したいから、だよね?」
「ッ!?」
シャピヴルの顔がこちらを向いた。
驚きに彩られたそれに胸が痛む。
ずっと一人で、誰にも理解されない思いを抱えて戦い続ける…それはどんなに辛いことなのだろう。
リィンにそれを理解してあげる事は出来ない。けれども、シャピヴルのために出来ることが無いわけでもない。
「ねぇ、シャピヴル。キミさえ良ければ…手伝わせてくれないかな?」
「ニュル…?」
「私じゃキミを助けることなんて出来ないかもしれない。けれど、少しでも助けになりたいって思っちゃったの。それに、私達もちょっとトレーニングしたいなって思ってたから、一石二鳥!つまり、お互いに利益がある!…それに、何より…」
シャピヴルの目は猜疑に塗れていた。
だから、リィンは並べた建前を魔植物の実の隣に転がし、本音を手のひらに乗せて差し出す。
「私が、見てみたい。キミが赤属性に勝つところを。教えてあげたい。キミはちゃんと赤属性に勝てるって事を」
「ニャパス…」
「だから、一緒に考えよう!まずはキミが挑んでるっていう、修行用ダンジョンを攻略する方法を!大丈夫、田舎育ちは逆境に強いんだから、任せて!!」
何一つ疑いもなく、何一つ同情もなく、期待だけが輝く透き通った薄墨に、シャピヴルは呆気にとられた。
何なのだこの人間は。ただただそれしか浮かばない。
炎への恐怖を乗り越えられなかった自分を人間はあっさりと捨てた。いつも侮蔑の眼差しで見て、期待を乗せてくれたこともないくせに、一丁前に失望だけして。
それが堪らなく悔しくて、憎くて、惨めで悲しくて、シャピヴルは我武者羅にトレーニングに明け暮れた。
いつか炎を克服できたなら、あの日自分を捨てた人間や、捨てられた弱い自分を見返せると思って。
なのに、わけが分からない。
「キミは、強くなれる。だから、もうそんなに…傷つかないで欲しい」
"強いシャピヴル"ではなく、"強くなれるシャピヴル"に期待するなんて。
そっと体中に刻まれた傷に触れようとした指を思わず払う。
そしてまた混乱する。
触られるのが嫌だった。けれどそれ以上に…恥ずかしかったのだ。この醜い傷に触れらることが。
「ご、ごめんねシャピヴル!!不躾だったよね!」
「…ニュ」
「とにかく、あの、私が言いたいのは…」
「ニュルポ」
「え?」
リィンはキョトンと目を丸くする。
シャピヴルがそっぽを向いたまま、おもむろに爪のついた触腕を一本をこちらに伸ばしてきたから。攻撃の意思もないそれの意味を考え、まさかとシャピヴルの顔を見た。
ほんの少しだけ、猜疑の向こうに見えた、やってみせろという色。
それに破顔し、リィンは彼女の鉤爪に拳を合わせたのだった。
…
一日目
「まずは、火に慣れることから始めてみよう。いきなりダンジョンに行くんじゃなくて」
「ニャパス?」
「仮に勝つための作戦を立てても、シャピヴルが火を見て動けなくなったら破綻しちゃうでしょ?」
「ニュ…」
「だから、少しでもいいから火への恐怖を減らしてみようかなって!」
不服そうな顔だが、異論はないらしい。そんなシャピヴルに微笑み、リィンは収納型魔具から薪を出した。
そして慣れた手つきで焚き火を組み、ソキウスにバトンタッチ。
「ソキウス、魔法をお願いできる?」
「グルルゥ!」
【火炎】
「ッ」
「逃げないで、シャピヴル」
ゴウ、と薪の上に立ち上がった火にギシリと体を強張らせ、無意識なのか逃げようとしたシャピヴルに声をかける。
腕を掴もうと咄嗟に伸ばした手はやはり払われてしまった。
ソキウスの炎がじわりと揺らいだが、リィンはひらひらと手を振って無事を伝える。
「シャピヴルはきっと、普段自分を傷付ける火しか知らないから余計に怖いんだと思う」
「…ニュル?」
「そりゃ、火って物凄く危ないけれど…ほら、落ち着いて、こうしてあたってみて」
「……」
「暖かくて、綺麗だなって思わない?私、ボーッとこの揺らぎを見てるの好きなんだ」
「ニュ…」
シャピヴルは手のひらを焚き火に向けるリィンを真似するように、ためらいがちに触腕を持ち上げた。
確かに、シャピヴルにとっては少しばかり熱いが、心地よい暖かさがある。
揺らいでいる透き通ったオレンジと赤は確かに綺麗なのだろう。
それでも、シャピヴルの体には震えが走る。嫌な汗が噴き出し、その火が己を飲み込むのを幻視して…
「大丈夫」
「ッ!?」
心が逃げ出そうとした瞬間、リィンの手がシャピヴルの触腕を握った。
振り払われなかったことに安堵し、リィンは繰り返す。
「触ってごめんね。でも、大丈夫だよ。シャピヴル」
パチ、パチと枝が爆ぜる。
シャピヴルはしばらく瞳を泳がせていたが、やがてゆっくりと肩の力が抜けていくのが見えた。
呼吸はまだ浅い。けれど、炎を見つめ、次いでリィンの手を見つめ、リィンの目を見る…その繰り返しの中で、少しずつ落ち着きを取り戻していくのが分かる。
シャピヴルは不思議だった。炎が自分を飲み込まないことも、爆ぜた火の粉より…リィンに握られた触腕やこちらを見る淡墨色の方が熱く感じることも。
そして、ストンと何かが落ちる。
リィンより熱くない炎の、何が怖いのだろうと。
「落ち着いてきた?」
「…ニャパス」
「じゃあ、少しだけ炎強めてみよっか!ソキウス、魔法を強められる?」
「グルッ!」
任せて!とひと鳴きしたソキウスが魔法に込める魔力を増やす。
焚き火や料理の度に火加減調整のトレーニングと称して火を任されてきたソキウスは、もうすっかり自分の中で魔力の手綱を握っていた。強火も弱火もお手の物だ。
だから、いつも通りコンロのつまみを捻るように少しずつ、少しずつ火を強め…ていくうちに、ふと、リィンの頭にいたウィズがバサバサと体を動かす。熱かったのだろう。
しかし、その拍子にウィズの体から抜けた羽毛が運悪くソキウスの鼻をくすぐった。
「ップシュ!!」
「へ?」
「ニ!?」
なんとも可愛いくしゃみである。しかし、タイミングが最悪だった。
ほんの一瞬力んだ途端、ゴゥ!と先程までの比ではない炎が燃え上がる。
弱火から中火にするつもりが、いっきり強火まで一気に飛び越えてしまったのである。
当然間近で焚き火にあたっていたリィンは無事とはいかなかったが…
「…ケフッ」
「グルル!?グールルゥ…!?」
「っふ、あはは!あはははは!びっくりしたぁ!!ソキウス、すごいすごい!こんなに火力の幅が利くようになったんだね!」
「グルゥ?」
オロオロするソキウスの頭を抱き込み、リィンはケラケラと笑い始めた。
なんなら、すぐさま制御を掴み直して魔法を消したソキウスに「キミはやっぱり天才だよぅ」とだらしない顔で叫びながら撫で回す始末だ。
と、そんなリィンだったが視線を感じて我に返った。
見れば、目をまん丸にしたシャピヴルがこちらを凝視しているではないか。
「って、シャピヴル!?ごめん大丈夫だった!?怪我してない!?というか、燃えなかった!?」
「…」
「あわわわ、怖かったよね!?どうし…」
「ップ、ニャニャニャニャッ!!」
トラウマが悪化したかと慌てたリィンは、急に笑い出したシャピヴルに虚を突かれた。
一体何が?と宇宙猫の顔になった彼女は知らない。
やや前のめりに身を乗り出していたせいか、燃え上がった炎で前髪がチリチリになり、更に舞い上がった煤にまみれて変な顔になっている事など。
そう、とてもシンプルな話、熱いとか、怖いとか、痛いとか、そういったマイナスの思考を食いつぶすほどに…リィンが面白すぎたのである。
何だか吹っ切れた様子のシャピヴルは喜ばしいが、思わず口を尖らせる。
「な、何か釈然としないなぁ…」
彼女が自分の有様に気づいて悲鳴を上げるまで、あと…
…
二日目
「今日は皆で模擬戦をしようと思います!」
「ニュル!」
「グゥル!」
「ピィ!ピィピィ」
「やる気が凄いなぁ…あの、あんまりやりすぎないでね?一応目的はトレーニングとは違うんだから」
腰に片手を当て、リィンはピッと人差し指を立てる。白衣の袖がずり落ちた。
「今日はシャピヴルの動きと魔法をちゃんと見てみたいの」
「ニュル?」
「キミに何ができて、何ができないのか私は知らない。知らないと作戦が立てられない。だから…」
ニッと挑戦的に笑い、立てていた指に他の指も揃えてシャピヴルへ向ける。
「キミはどうか、キミらしく暴れて見せて」
「…ニャパス!」
シャピヴルはギラついた三つ目を一つだけ細め、上に向けた鉤爪をくいくいっと動かした。かかってこい、そんな分かりやすい挑発である。ソキウスとウィズのボルテージが上がったのが分かった。
「あはは…なるべく私を巻き込まないでくれると嬉しいなぁ。じゃあ皆、怪我はほどほどにね」
「ピィ!」
「ニュル!」
「グルルゥ!!」
まず動いたのはウィズだった。嘴を突き出してシャピヴルに突撃するも、直前でタコのようにポーンとジャンプされて躱されている。
上空を取ったシャピヴルはすかさず大量の魔法を展開し、氷塊や氷槍を乱れ撃ちし始めた。
(やっぱり。昨日戦った時、氷塊と氷柱を同時に使ってたからまさかとは思ってたけど…多重展開の魔法を最初に準備してたんだ)
魔石を通じて渡される場合を除き、魔獣や精霊は魔法を使う前に己の演算領域にて魔法式を描かなければならないわけだが…通常、一度に描く事ができる式は一種類である。
しかしそれを二種類、三種類と同時に描く事を可能にする魔法が、多重展開だ。
ようは、机に一枚ずつしか置かれないはずの紙を、二、三枚同時に置けるようにするバフ魔法である。
とはいえ紙を増やすだけなので、そこに描き込む技量は当人次第だが。並列処理が得意でないとまず使いこなせない。紛れもない努力の賜物だ。
「ピ…!」
「グルルー!」
「ニャニャ!?」
「ピィィィ!?」
氷をやり過ごそうとウィズが蔦檻の魔法で己を守ると、その魔法を足場にソキウスが跳ぶ。そして魔法を掻い潜ってシャピヴルの触腕を掴むと、丁度魔法を解除したウィズに向かってぶん投げた。
しかし、盛大に両者がぶつかった…刹那、シャピヴルがパキンと魔物のように砕け散ったではないか。
「ひょえ!?」
「ピョッ!?」
「グルッ!?」
「ニャパニャニャー!」
どうやら偽人形の魔法だったらしい。本物は今もソキウスの上に浮かんだまま、ひどく楽しげに笑いながら氷の魔法で叩き落とした。
直後、何か大きな失態に気付いたように笑っていた顔を強張らせ、青い三つ目がリィンを見る。
(…ん?)
その隙をついてウィズが風刃の魔法でシャピヴルを撃ち落とし、また乱戦が始まった。
(今の…物凄く怯えた表情をしてた。何で?私の契約魔獣であるソキウスを攻撃したから?…違う。あれは…そう、してはいけないことをしちゃった子供みたいな…)
だとしたら、してはいけないこととはなんだろうとリィンは首を傾げる。
まさか、偽人形の魔法という搦手を使ったことだろうか。
(いやいや、むしろシャピヴルとしては普通というか…本来はデバフや影を使ってもっと嫌らしい戦い方、を…)
そこでリィンは気付いた。
あのシャピヴルが、その種族として不自然なほど真っ直ぐ戦っていることに。
影潜の魔法で翻弄するでもなく、影縛の魔法で動きを阻害するでもなく、まして毒の魔法でジワジワ弱らせるでもない。
偽人形含めこれらは…黒属性魔法であった。
そう、影蛸猫型精霊は…青属性に高い適性を持つが、それ以上に黒属性への適性が高い黒属性精霊なのである。
アイロミナンで実感した、カタルシアの黒属性への当たりの強さとあのシャピヴルの表情を考えれば、非常に嫌なストーリーがリィンの中で出来上がった。正直外れていてほしい。
(黒属性の魔法を使う度に契約者に怒られていたとしたら…)
怒ると言っても、言葉だけではあの目はしないだろう。
しつけ、と言えば聞こえはいいが、本来のあり方を歪めるそれは立派な加害だ。リィンは真剣に闇ギルドへの依頼を考えた。
(というかたぶん、黒属性魔法だけじゃないんだよね…あの子が封じられてるの)
リィンは困ったように眉を下げ、戦場に意識を戻す。
三者三様で傷だらけになりながらも、皆ギラついた目で口元に笑みを浮かべていた。
実に生き生きとして楽しそうな様子に嫌な気分も和らいでくる。怪我は痛々しいが。
好き勝手飛び回り、駆け回り、攻撃しては防御して、思い思いに魔法を撃ったり体術を駆使して翻弄して、遊ぶように全力で生きている…なんて美しいのだろうとリィンは息を吐いた。
やはり魔獣と精霊は心に効く。セラピー、セラピー。
そうして、三体は体力が尽きるまでトレーニングに没頭し…揃って仰向けに倒れたのだった。
「ふふっ、皆お疲れ様…ひょわっ!?よく見たら酷い怪我じゃん!?それであんなに動いてたの!?もー、ほどほどにしてって言ったのにぃ…すぐに治療するからね!!」
「グゥ……ル…」
「ピィ…ピィ…」
「…ニュ、ル…」
当たり前のように魔法薬を構える彼女に、シャピヴルはやはり不可解なものを見る目を向けるが、逃げも避けもせず大人しくされるがまま。
古傷を触ろうとすると身を捩るが、それでも大きな進歩だろう。リィンの口がもにょっと緩みかけるのも無理はない。
「強いね、シャピヴル」
「…ニュル」
「でも、だからこそ勿体ないなぁって」
「ニャパス?」
「黒属性魔法と水の魔法…避けてるでしょう?」
「ッ!?」
ガチリとシャピヴルの体が固まった。本当は飛び退いて逃げたかったのだろうが、傷は回復薬で治っても体力は底をついているので動けなかったのだろう。
「…ニャポ」
「そっか。ちなみにだけど…ちょっとだけ魔法を見せてもらえたりは出来ない?さっきの偽人形とか、凄く精巧だったから気になっちゃって…!」
「……」
シャピヴルは目を泳がせた後、自分の隣にもう一体の自分を作り出した。リィンは目を輝かせ、偽のシャピヴルをペタペタと触る。本体じゃないからと遠慮なしだ。
「わ、わ…!凄い本当にそっくり…!だけど冷たいし、触ると生き物感が凄く薄いって分かる…あ、魔物に近い感じだ!魔力で出来てるって意味でも倒したら砕けるって所も一緒だもんね」
「グルルゥ…」
「なぁに、ソキウス?コレにしてやられて悔しい?」
「グゥ!」
「んふふ、じゃあ対策考えないとだねぇ」
「ピピィ!」
シャピヴルは困惑した。いつもなら黒属性魔法なんて使ったら、それはそれは酷い折檻が待っているのに。
リィンはただ凄い凄いと笑うばかりで、欠片ほどの嫌悪も見せなかった。
「あ!ソキウスも黒属性魔力を吸収した後なら使えるんじゃないかな?私一応魔法式知ってるし…」
「グル!?グル、グルルー!」
「今は無理でしょ。背中の管、空っぽだもん。それともシャピヴルに頼んで黒属性の魔法撃ってもらう?」
「グゥ!グルル!」
「ニャパ…?ニャパス??」
詰め寄られ、仕方なくシャピヴルが闇球の魔法をソキウスに向けて軽く撃つ。すると魔法は吸収され、その背中にあるガラス管のような器官に黒い液体が溜まった。そして…
【偽人形】
リィンが黒い魔石を砕くと、もう一体のソキウスが…ソキ、ウスが…
「っぷ」
「ッピ」
「ニャフッ…」
「…………グゥ」
恥ずかしそうに大きな手で顔を隠したソキウスに、リィン達は堪らず大爆笑する。
何せ、生み出された偽ソキウスの解像度があまりにも低く、子供の落書き…もしくは絵心の無い画伯の作品を立体化したような有様だったのだ。いっそ凶悪だった。
笑いながら、シャピヴルは理解した。
黒属性魔法を使っても怒られたりしないのだと。少なくとも、リィンはこれっぽっちも気にしないのだと。
ならきっと、もっと、自分は違う動きが出来る。
シャピヴルの中に沈んでいた本能が擽られた。
もっともっと、触腕でコロコロ弄ぶように相手を翻弄してやりたい、と。
これまで身に付いた、元契約者を怒らせないための戦い方がガラガラと崩れていく。
いや、それどころか…
「ソキウス、練習すれば上手くなるから落ち込まないで!キミが望むならいくらでも手伝うから!」
「グルルゥ…」
「あ、そう言えばいい魔法思いついたんだけど…偽人形を壊したら爆発する!なんてのはどう?目が退化してたり魔力感知頼りの相手なら絶対嵌められると思うの!ちょっと面白そうじゃない?」
「グル…!グルルゥ!」
「じゃあ、私は魔法式の構築を頑張るから、ソキウスも魔力操作頑張ろう!お互いに!」
「ピピィ!」
「ウィズのあれ、凄かったよね!風刃嵐舞!あんな大技持ってるなんて知らなかったよ!
「ピュイッ!……ピ」
「あれ?もしかして制御がうまくいかなかったの気にしてる?ふむん…?たぶん魔力の込めすぎだと思うけど…」
「ピッ!?ピィ!ピピィ!」
「あわわ、分かった、今度キミの練習に付き合うよ。その代わり、またソキウスのトレーニングに付き合ってね?」
「ピ!ピーピィ!」
リィンとソキウス、それにウィズを見ているうちに、シャピヴルの中で元契約者の影が崩れていく。
目の前の人間が契約者のあるべき姿だと言うのなら、きっと自分を捨てた人間は…契約者なんかじゃなかったのだと。
一緒に頑張るどころか、指示をする以外で会話すらしたことのない人間とは何もかも違っていた。
捨てたものだと思っていたのに、まだ残っていたのだなと自嘲して、シャピヴルは自分を縛っていた過去に爪を立てたのである。
「あ、シャピヴル。ついでに水の魔法を見せてくれたりは…」
「二"」
「…そっか。よし!分かった!」
それだけは出来ないと首を振ると、リィンは一瞬何かを飲み込むように目を伏せ、気にしていないと快活に笑った。
ほら、彼女は全然あの人間とは違う。怒らないでくれた。
あんな、仕置きと称して何度も何度も水に沈めて己を死の淵まで苦しめ、そのトラウマで水の魔法を使えなくなった己を役立たずと更に叱責してきた過去の人間など…やはり要らないのだ。
…
三日目
リィンはベルセルのように…いや、彼ほどべっとりではないものの、隈を拵えてシャピヴルの元へ訪れた。
そして、バサッとメモ紙の束を掲げる。
「私なりに攻略のプランをいくつか練ってきたよ!」
昨夜、シャピヴルという精霊の資料や映像の他、青属性と黒属性の魔法を片っ端から調べ直し、思いつく限りの戦術を書き殴ってきた。宿に備え付けの多機能魔力計算機があってよかったが、操作がかなりもたついてしまったのは御愛嬌。
「いくつか深夜テンションの産物とかあるけど…今からそれぞれ説明していくね!シャピヴルがやりたいと思えた戦術があったら教えて!」
「ニュル?ニャパス」
「私の意見?ふふっ、大丈夫。あのね、私って本当は戦いとかあまり好きじゃないんだ」
「ニュ!?」
「だから、私は自分のしたい戦いじゃなくて、ソキウスが…魔獣や精霊の皆がしたいと思う戦い方の手助けをするのが好き。勝ちたいって気持ちを勝ちに繋げてあげるのが好き」
リィンはきっとずっと戦いというものを…荒事を好きにはなれない。
ただ、模擬戦をするソキウスとウィズの姿は…心の底から好きだと思えるようになった。だって、全身で楽しいとそう伝えてくるのだから。可愛いったらありゃしないのだ。
「だから、シャピヴルがしたい戦いが、私の望む戦いだよ」
シャピヴルは分かったような分からないような顔で頷き、リィンのプレゼンを聞いていく。そして、一枚のメモを選んだ。
リィンは思わず顔を引きつらせる。
「こ、これ?シャピヴル、これがしたいの??」
「ニュルニャ!」
「もっとスマートなのが好みかと思ったけど…意外と過激だや。うーむ、深夜テンションで書いた一枚だなこれ…確かにまぁ、トラウマなんて吹っ飛ばせそうではある」
「ニャポ!ニュルル!!」
「ふふっ、分かった、分かったよ!考える!任せて!」
この日リィンは考えにふけ、皆はまた模擬戦に励んで、励みすぎてぶっ倒れ、彼女に大目玉を食らうのだった。




