19.高原の再会
高原を流れる涼風がすれ違いざまに頬を撫で、耳元で笑う。
混じり気のない黒を靡かせるそれは、一本芯の通った緑の香りがした。人の街が遠い事もあり魔力もスッキリした印象だ。
「んー!きもちぃー!!」
「ピッピピー!」
「クゥルイー!」
横を並んで飛ぶ香草小鳥型魔獣のウィズは楽しそうにクルンと回り、ボードの先にちょこんと乗ったフラーテルは風に耳をはためかせ、ご機嫌に尾を揺らしている。
「クゥ♪クゥル♪クゥーイ♪クゥル、クルゥーイ♪」
何なら可愛い歌まで歌っている。素敵なBGMだ。
フォレスタを後にしたリィンは淡青空の下、スチームンド自治区へ向かうべく瞬間的移動魔具の置かれているスポットを目指していた。
ベルセルからもらった風乗板型魔具のボードは絶好調で、初めこそ立つことすら怪しかったのだが…今ではこの通り、身体の一部のように乗りこなせている。
ベルセルの調整が見事だったのか、リィンに一欠片の才能があったのか…ともあれ、自他共に認める運動音痴でも楽しく風に乗れているというわけだ。
数十センチ浮いたボードの下では青々とした草が波打ち、まるで緑の海でサーフィンしているよう。
心躍らせるなという方が無理な話だった。
「ウィンドサーフって楽しくて最高だねー!ウィズ、フラーテル!」
「ピッピー!」
「クゥルーイ!」
「あはは!それもこれもフラーテル教官のおかげだよ!」
「クゥー」
いやーそれほどでもと長耳を弄るフラーテルだが、リィンに乗り方を教えたのは紛れもなく彼である。
実は中身がプロのサーファーだったりする?と疑うくらい様になっていた。
リィンは照れるフラーテルに微笑み、走り去る景色の方に意識を向ける。
東の果てにあるフォレスタから出て北西方向に坂をひたすら上がること暫く。辿り着いたのはこの、ハイラと呼ばれる高台にある平原だった。
北の自治区との境にある高く峻険な岩山沿いにあるここは、かつて消えた山の名残とも言われているとか。
背の高い木のほぼないなだらかな草原では、羊型魔獣と小馬型魔獣が草をはみ、軽種馬型魔獣が駆け抜け、岩場では土兎型魔獣が子を遊ばせていた。その長閑さは、どことなくラントリイを思い出す光景だ。
背の高い草が少ない場所では向日葵型精霊が日光浴をし、青い風に乗って綿毛型精霊が空を渡る。
花畑では花蝶型精霊が踊り、湿地帯では泥蛙型精霊が泥遊びをして過ごしていた。
いくら見ていても見飽きない。正直、ウィンドサーフで過ぎていくのが勿体ないくらいだ。
少し降りてスケッチでもしようかとリィンが考えていた頃、草の隙間からひょこりと人影が現れる。
その顔を見て、相手も同じくこちらの顔を見て、二人は同じように表情を輝かせた。
「アルス!?アルスだよね!?」
「リィン!?リィンじゃないか!」
ボードを降りたリィンはアルスと手近な岩に腰掛け、道中食べるようにと渡されたフォレストサンドを分け合う。
「なんか、僕が見たことあるやつより豪勢だ…」
「あはは、張り切って作ってくれたみたい。ソキウス、おいで」
「グゥルル!」
「あ、じゃあ僕も。ストマク」
「チュッ」
サイズ的にボードに乗れないため亜空部屋でお留守番をしていたソキウスと、アルスの契約魔獣であるストマクもまた、リィン達のように久しぶりだと再会を喜んでいた。
フラーテル含む契約魔獣達とウィズにもサンドが行き渡ったところで、いただきます!と皆仲良く頬張る。約一体丸呑みにしたのがいたが気にしてはいけない。
今日のサンドも野菜がシャキシャキで最高に美味しかった。
「それにしても、なんだか久しぶりだね!まさかここで会えるなんてさ」
「ンム!」
「本当、びっくりしちゃったよ。アルス、元気だった?」
「勿論!僕、実習が始まってからずっとこの辺りの生態系を調べてたんだ。リィンは…方角的に、フォレスタから来たのかな?」
「そう!アルスの助言通り森に行って、ファームルワからフォレスタ!で、今日はここに初めて来たところだよ」
「あはは!うん、いいルートだと思う!でも…その、フォレスタの方でトラブルがあったって聞いたけど、大丈夫だった?」
「あー…うん。えっと、むしろトラブルのど真ん中にいたというか…えへへ」
「グルルゥ…」
「え!?」
「ンムンム?」
アルスの顔が驚きを飾るが、リィンは呆れを伴って苦笑する。
相変わらず悪癖は健在らしく、心配を宿す瞳の奥にギラついた好奇心が光っていた。
何なら、いつの間にか手にはメモとペンまで携えているのだから笑えない。
齧りかけのフォレストサンドが彼の膝で恨めしそうにスライストマトを垂らしていた。
リィンはどこから話そうかと逡巡し、せっかくだからとフィオーレ自治区での旅路を最初から語り始める。たぶん、アルスは喜ぶと思ったから。
草原で香草小鳥型魔獣の群れに会った事、突発ダンジョンに巻き込まれた事、怪しい人を見つけた事。
実は優しくて世話焼きだったその人とノコリノ森に行った事、汚染されたヘルバアウィスを助けた事、ダンジョンでトレーニングに付き合ってもらった事。
ファームルワで純白孔雀型大精霊の巨木を見て神話を聞いた事、農業地帯で変異毛玉蜂型精霊を見た事、農家さんと一緒に問題を解決した事。
フォレスタの発展具合に驚きっぱなしだった事、空中回路から見た街に感動した事、クラスメイトのサワナに会って何故か昇格試験に挑む事になった事、他のクラスの学生と試験に挑んだ事、トラブルはあったが合格した事。
侵蝕区域が発生した事、元凶を探しに行ったギルドマスターを追いかけ、道中で汚染された魔獣達を救おうとした事、アクセラリティグループを名乗る人と対峙した事、またしてもダンジョンに巻き込まれたが何とか生還した事。
プルガティウスの影に会って種を託された事だけは…申し訳ないけど伏せておいた。
思い返せば盛り沢山な旅路だったとリィンは笑う。
どれもこれもが宝物みたいな経験だった。
アルスは透き通った淡墨色を星空のように輝かせ、目元を桃色に染めながら語るリィンに胸をざわつかせると、自分の事のように喜びを笑みに乗せて返す。
「あはは、素敵な旅をしたんだね!」
「うん!色々あったけど…すっごく楽しかったよ!」
「リィンがカタルシアを楽しんでくれて、僕も嬉しいよ!それにしても…」
高速で動かしていたペンを止め、アルスはペンの背を下唇に押し付けた。
「アクセラリティグループ、ねぇ?」
「アルス、何か知ってる?表向きは新興企業とか言ってたけど…」
「いや、何も。その新興企業って隠れ蓑自体が出任せか…あるいは目立つ活動を徹底的に避けているか。闇ギルドなら痕跡を隠すくらいわけないだろうからね」
非合法の魔道具であれば、痕跡を消すことも書き換えることも難しくはないらしい。
「なるほど…アルスみたいなタイプでも知らないなら、中々のやり手なんだね」
「リィンは僕を何だと思ってるのさ…あいにく、そういう人間の企業とか政治・経済みたいなのは僕の興味の矛先から外れてるから詳しくないよ」
「ありゃ、そうなんだ」
「とにかく!リィン、気を付けなよ?目を付けられてるかもしれないし」
「あはは…」
「グゥル…」
少なくともシャフトには目を付けられているだろうな、と内心ため息を吐く。
まぁ、暗殺を仕掛けてきそうなタイプでは無いことが救いだろう。
「ところでさ…」
「ん?」
「クゥ?」
ふと、アルスの目がリィンの隣でフォレストサンドと戦っているフラーテルに向く。視線に気付いたフラーテルが首を傾げた。口元に付いたソースをそっと拭いてあげる。可愛い。
「その変異長耳手兎型魔獣って…まさか、ベルセルさんの契約魔獣…?」
「あれ、知ってるの?やっぱりあの人有名人だったりする?」
話の中で名前は伏せていたのにと目を丸くする彼女を見て、アルスは顔を引きつらせた。
「いや、有名も何も…ベルセルさんってケミカトル自治区のギルドマスターだよ??更に言えば、魔法技術開発部と環境保全部の顧問も掛け持ちしてる、いわば研究者の憧れってやつ」
「えっ!?!?」
「グルルゥ!?」
「クゥルーイ!クゥク!」
只者ではないと思ってはいたが、想像の軽く上をいく人物だったらしい。
まさかそこまでの大物とは思わず、間違いなく色々と迷惑をかけてしまった。
リィンは胸を張るフラーテルを恨めしそうに見つめ、痛み出した頭を押さえる。
フラーテルから言わせれば、そんなに気にしなくてもいいのにといったところなのだが…まぁ、伝わらないだろうなとも思っていた。なんせ、彼の主はとにかく不器用なので。あれで至極楽しそうだった、なんて…フラーテルくらいにしかわかるまい。
「ついでにさ、そこの香草小鳥型魔獣…」
「え、ウィズにも何か隠された秘密があるの!?」
「ピィ?」
ちまちまとフォレストサンドをついばんでいたウィズが首を傾げた。嘴に付いているトマトの汁を拭ってあげる。可愛い。
「ウィズって…え、やっぱり聞き間違いじゃない…?何で名前…」
「あ、なーんだそのことかぁ」
「ピィピ」
「なんだじゃないよ!契約以外での名付けなんて聞いたことない!!!ねぇ、どういう事!?」
「落ち着いて落ち着いて落ち着いて!!近い!」
「っあ、ご、ごめんつい!?」
メモとペンを構えて腰を浮かせ、これでもかとリィンに迫ってきたアルスは真っ赤になりながら戻っていった。
尚、立った衝撃で転がり落ちた食べかけのフォレストサンドはストマクがキャッチし、美味しくいただいていたが。
「ベルセルさんも驚いてたけど…やっぱりカタルシアではやらないんだね」
「やらないというか出来ない、だね。相手に拒絶されるよ。というか、リィンの故郷では契約外の名付けをして、何するの?」
「何って…あのさ、アルス」
リィンはコホンと喉を整え、自分のコップをわざとらしく持ち上げたままニコッと笑った。
「ねぇ、人間。お水もらえないかな?」
「え???」
「なんか嫌じゃない?」
「え、あ、え??」
「だから私達は名前を呼ぶの。友達にお願いするのに、種族名って味気ないでしょ?」
ラントリイの民はそうして、友達に頼むように隣人の力を借りてきたのである。
勿論、対価として魔力や食べ物などと引き換えに。だから契約を絶対としていないし、契約をしていない人間だって少なくないのだ。
逆に契約をするのなら、それこそ自分の命すら賭ける程の覚悟を必要とする。命をかけて幸せにするから、自分に縛られてくれ、と。
この在り方が、5歳までに契約をするのが普通のカタルシアと、ソキウスと出会うまで契約の必要性を感じてこなかったリィンの認識の溝である。
改めて「アルス、お水もらえないかな」と口にしたリィンに、アルスは表情をぐしゃぐしゃにしながら水筒型魔具を傾ける。人間、と壁を隔てて呼んできたリィンにゾクゾクなんてしてないし、訂正された可愛いおねだりにキュンとなんてきていない。
魔獣達は心底アルスに呆れ顔を向けていた。
「あの、ちょ、こぼれてるこぼれてるぅ!?」
「…ぇ、あ!?ごごごごめん!!!」
らしくない取り乱しっぷりにリィンは不思議そうに瞬き、服の上でプルプルしている水滴を払う。
水が掛かったのに少しも濡れていない様子に、フォレスタで魔力糸製の服を買っておいてよかったと実感した。
魔力糸は特殊な技術で魔力という力そのものを糸に変えたもので、これで編んだ服はとにかく丈夫な上様々な魔法がかかる。
例えばリィンの服のように耐水だったり、火にくべても燃えない耐火だったり、その効果は様々で品が完成した瞬間ランダムに発現するらしい。
「はぁ…僕としたことが格好悪いなぁ…」
「そうかな?いつものキザよりは良いと思うけど…私は好きだよ?」
「ごめんちょっと今は追撃とか止めてもらえる?」
「???」
アルスはすぅはぁと深呼吸を繰り返し、平常心を取り戻すためにはこれしかないと収納型魔具に手を突っ込んだ。
「リィン!レポートの見せ合いしない!?」
「わぁ!するする!是非!」
…
かすかに色づき始めた陽光の中、くるぶしまである草をサクサクと踏みながらリィンとアルスは並んでゆっくりと歩く。二人ともその表情は生き生きとして、興奮の名残を宿していた。
その周りを魔獣達は思い思いに遊び回り、広い高原を楽しんでいる。
「いやー、あの体験レポートには驚いたよ…まかさ精霊にあんな特性があるなんて!」
「あ、そっちに目が行くんだ…私が苦労したところとか色々書いたのにぃ…」
「そりゃね!だって今後、精霊の連れ去り事案に対する対策が変わるかもしれない大発見だよ?というか、最終的に魔道具にエラー吐かせるなんてリィンってば凄すぎ」
「不可抗力なんだよなぁ…凄いって言ったらアルスのレポートだよ。高原の植生調査に土壌の成分組成や魔力の属性組成をあんなに細かく添えるなんて、もう専門家じゃん!」
「あはは、一度水捌けの違いに気付いたら気になっちゃって…」
「わぁ、凝り性だや」
互いのレポートを読み出したらお互い読むのも語るのも止まらなくなり、フラーテルにいい加減にしろと怒られて移動を再開して尚止まらない。
魔獣達は遊びながらやれやれと肩をすくめ、楽しそうな二人のため、ちょっかいをかけようとする生き物達を牽制した。
「そう言えば、リィンはこれどこに向かってるの?高原の奥って気難しい精霊がちらほらいるから、僕もあまり来たことないんだけど…」
「テレポートスポットの入り口を目指してるんだ。歩いてセントール経由でも良かったんだけど…ハシリさんに許可証もらったし、折角だから体験してみたくて!」
「つまり西区…スチームンド自治区を目指してるんだ?」
「そう!ほら、ファームルワでプルガティウスの神話を聞いたって話したでしょ?その神話に出てくる木々を…今はもう無いみたいだけど、その場所を回ってみたいと思って。なんだっけ…そう!聖地巡礼みたいな!」
「へぇ…凄くいいテーマだよ!!くぅ〜!今からもうそのレポートが読みたくなってきた!」
「あははっ、まだ序文すら書けてないよ!…あと、近い近い近い!落ち着いて!」
水を浴びたばかりの葉より眩しい緑の瞳を爛々と煌めかせ、またしても顔をぐぐっと近付けてきたアルスを宥める。
知的探究心はいいのだが、こう、一直線過ぎるのはもう少しどうにかしてほしいと、友達ながらに思った。
リィンはおませさんなので、男の子の…まして顔が整っている子のアップはちょっと恥ずかしいのだ。
「クゥル"イ"?」
そんなリィンを見て、フラーテルは不穏な顔でタァンと尾を地面に叩きつける。
保護者…というか、兄が妹に近付く不届き者に警告してるような心境がありありと透けて見え、アルスは本能的に下がった。
その耳は真っ赤だったりするので、やはりフラーテルは面白くなかったが。
「長耳手兎型魔獣って表情豊かなんだね…」
「ん?ふふっ、そうだね!フラーテルは特にそんな感じがするよ!ね?」
「クゥーイクゥ!」
「グゥルルゥ!」
「ピッピィ!」
「あはは!二人も負けてないって?わかってるよー」
「…すごく仲良しなんだね」
「それはアルス達もでしょ?ねーストマク?」
「ンム!」
「わっ、ちょ、分かったからのしかからないで!?」
そんな風に談笑していると、足元に振動を感じて思わず立ち止まる。
更に会話を止めた途端、"グガー、グガー…"と地鳴りにも似た音まで聞こえてきたではないか。
「すごい音…何だろう、これ」
「もしかして…いびきじゃない?」
「えっ、いびき??これが?確かにパパのいびきってこんな感じかもだけど…」
「確証はないけどさ…ほら、例えば体の大きな魔獣なら、普通に吠えただけでも空気が波立つでしょ?いびきなら尚更じゃないかな」
だとしても、大地を震わせるほどの音だ。少なくとも発生源は可愛らしい魔獣や精霊ではないだろう。
まして、この辺りに来てから生き物の姿が不自然にパタリと消えていた。
二人は警戒をあらわに、なるべく音を立てないよう進んでいく。どうやらこの音は進行方向の先から聞こえてくるらしい。
そこで、リィンはある事を思い出した。
「そう言えば、ギルドに来てた冒険者さんが言ってた…テレポートスポットの入り口って、魔獣が居座っているから封鎖中だって」
「じゃあこのいびきの主はその迷惑魔獣か…さて、何が出るのかな…」
「アルス、好奇心が全然隠せてないよ…」
「いいじゃないか、君に向けてじゃないんだしさ」
開き直ったアルスは置いといて、だ。
音の聞こえる方角…高原の先に見える建物と、洞窟らしき入り口はもうすぐである。
二人は真正面を避け、なるべく刺激しないようしゃがみ歩きで近寄っていった。ソキウス達も静かにそれに続いていく。
「わぁ…」
「これは…」
やがて顕になった音の正体に、皆揃ってポカンと口を開けた。
それはまるで岩山のように聳える…穿山岩甲型魔獣であったのだ。
「マニダルーペス…こんなに大きい個体は初めて見たよ」
「立派な子…」
アルスの言う通り、このマニダルーペスは普通の個体よりずっと大きい。
およそ3mはあるだろうか。体を覆う岩で出来た鱗は堅固で一枚一枚が冷やな鋭さを持ち、体の表面は歴戦の戦士のように数多の傷痕で飾られている。
それが洞窟の入り口を背で塞ぎ、気持ちよさそうに眠っていたのだ。
「おや、テレポートの利用者かい?」
圧倒されるような存在感に見入っていると、横から密やかに声がかけられる。
見れば、きっちりした制服を身に纏った警備員の男性が、困り顔で立っていた。おそらく洞窟の隣にある小屋で利用者の管理をしている人物だろう。
「見ての通り、少し前からあのマニダルーペスが居座っちゃってね。利用停止の状態なんだ。依頼は出したんだけど、どうも…フォレスタも忙しいみたいで」
「あ…はい。存じ上げています…」
リィンは肩を落としながらぼやく警備員に乾いた笑みをこぼす。
三日前から依頼は出てたと冒険者は言っていたので、彼はその間冒険者が解決してくれるだろう期待と、誰も来ない落胆を繰り返し抱えていたのだろう。
「どうするの、リィン?というか、魔獣が居座ってるって聞いてたのに、どうするつもりだったのさ」
「えーと、私もよく分かってはいないんだけど…」
リィンはリュック型の収納型魔具から一枚の書類を取り出し、警備員の男に渡した。
男はさっと目を通し、困り顔を輝かせる。
「依頼の受理証!って、まさか君が受けたのかい?」
「いえ、私は依頼を受けた人の代理で…本人は来ていません」
「はて?それはどういう…?」
リィンは眉を下げて頬をかき、足元で尾を揺らすフラーテルを見た。
「ベルセルさんは、この子だけで問題ないって」
「クゥー!クゥールィルー!」
「グゥル?」
「ピ?ピィ?」
「クゥイ!」
任せろ!と分かりやすく胸を叩いたフラーテルがマニダルーペスの方に向かっていく。リィンとアルスは顔を見合わせ、ついていくことにした。
警備員はオロオロと止めるべきか否か悩んでいるみたいだ。
ほんの少し頼りなさが滲んでいる。
「グガー、ガゴー、グガー…」
「クゥール!クィールルゥ!」
「あのー、マニダルーペスさーん。起きてくださーい」
「ンガ?」
「あ、起きた…ねぇ、僕達ここを通りたいんだけど…」
マニダルーペスは寝ぼけ眼を下に向け、一同を視界に入れた。
そのまま一人ひとりを品定めでもするように見つめ…
「ケッ」
「わぁ、私達舐められてるや」
「感じ悪いな…」
「クゥ!クーイ、クァル、クゥールィ!」
「グォー、ゴラ」
「クークゥルィ!」
二人の前に出たフラーテルとマニダルーペスが会話を交わす。
リィン達は邪魔しないようにと数歩離れることにした。
「話し合い?」
「みたいだね…あ、フラーテルの尾が地面を叩きはじめてる…耳から毒も漏れてるし…」
「大丈夫かな…なんかさ、険悪な感じしない?」
「あ、こっち向い…」
クルリと振り向いたフラーテルは胸の前で手を交差させ、首を横に振る。
「バツ印…?」
「あー、つまり、交渉決裂ってやつかな」
「あ、あの…君達?逃げたほうが…マニダルーペスが体起こして…ひっ」
震える警備員の指先をたどれば、なるほど確かに不機嫌そうなマニダルーペスが立ち上がっていた。
その橙の目はフラーテルを、ひいてはリィン達を睨んでいる。
「ど、どうするのさリィン」
「あ、まって…フラーテルが…」
「ひっ!あの魔獣は何を…!危な…っ」
「クーイ」
それは何とも、軽い足取りだった。
けれどもその軽さと、可愛らしい顔と声からは想像を絶する…
「クル"ゥ"!!!!」
「ゴガッ!?」
長い耳を振り抜いた一撃のパンチが炸裂したのである。
横に吹き飛んだ巨躯は岩山にめり込み、土埃が晴れた頃には白目を向いて気絶していた。
全員、目が点になる。
一仕事終えたと振り向いたフラーテルだけが、それはそれは清々しくサッパリした笑みを浮かべていて…リィンは悟った。
もしや、ベルセルの言っていた"気分転換"とはボードで高原の風を浴びることではなく…これのことだったのかもしれない。
…
「ええと、うん。許可証を確認しました…どうぞ使って大丈夫だよ…ハハハ…」
「あ、ありがとうございます…」
あのあと意識を取り戻し、逃げるように去っていったマニダルーペスを見送ったリィンは、改めて警備員に許可証を見せていた。
全力で目が泳ぎ、腰が引けている男性に苦笑するしかない。
元凶たるフラーテルが彼女の足元でニコニコしているせいだろう。
「さて、と。ここでまたお別れだね、リィン」
あの一撃の後、放心状態から帰ってきたと思えば、一心不乱にメモを書き殴っていたアルスが平常心を取り戻したらしい。
フラーテルほどではないが、やりきった顔で爽やかに微笑んでいた。
「うん。アルスはこれからどうするの?引き続き高原の調査?」
「うーん、そのつもりだったんだけど…フォレスタに行こうかなって」
「フォレスタに?」
「僕もリィンに触発されちゃったっていうか…昇格試験に挑んでみようかと思って」
「触発?それはどう…」
「君に、置いていかれるのって、ちょっと面白くないなって」
「…え?」
リィンがキョトンと目を丸くし、瞬きするのを見て、アルスは口を尖らせる。どう見ても拗ねている顔だ。
「だって、少し一緒にいただけで、こんな面白いんだよ?僕は今、君と別れて旅を始めた事をかなり後悔してるんだからね?」
「それはその、不可抗力なんだけど…」
「それに、男ならーーーー子の事、追いかけたいし、並びたいって思うでしょ」
「まってごめん、なんでソキウスとフラーテルは耳塞いだの?途中聞こえなかったんだけど…」
「クゥル?」
「グゥル?」
可愛い子ぶってしらを切る二体の顎を撫で、リィンは首を傾げた。
アルスは困った顔で息を吐きつ、しかし次の瞬間には元の爽やかな顔で手を伸ばす。
「とにかく!僕もすぐスチームンドに行くからさ。また会おうよ!」
「勿論!待って…てはあげないけど、会えるの楽しみにしてるよ!」
「…それ無自覚で言ってるの…?本当君ってすごいね…」
「??」
頭にハテナを浮かべつつ、リィンは伸ばされたアルスの手を握る。
そして離し、パンッと小気味いい音を立てて手のひらをぶつけ合った。
少しジンとくる痛みが少しのさみしさを誤魔化す。
「じゃあ、リィン。行ってらっしゃい!」
「クゥクゥールィ!」
「うん!フラーテルも、ベルセルさんによろしくね!」
入り口までの約束だったフラーテルともここでお別れだ。
ここからはまた、リィンの一人旅…否、リィンとソキウス達の旅路になる。
「じゃあ、行ってきます!!」
けれども今は、ファームルワで感じた心細さはない。
ただ、次に向かう場所に何があるのか…それを楽しむ旅人の顔で、彼女は手を振った。
「向かうは西!いざ、スチームンド自治区へ!ってね!」
白く輝く一陣の風が袖をきっちりまくった白衣をはためかせ、その足取りを祝福していった。
「あ、君!魔道具の調節しなきゃだから一日待って!」
「はわっ!?」
「グル!?」
「ピィ?」
リィンはずっこけた。何とも締まりのないスタートである。




