16.汚染ダンジョン
ー…近くでお腹が空いたと泣く子供の声がした。一人や二人じゃない。
乳飲み子を抱えて泣き縋る母の声がした。
家族のためにと窶れた声で呟く男の声がした。
今日もまた、窓越しに動かなくなった骸達を見る。
人、人、魔獣、精霊、魔獣、人、魔獣、精霊、魔獣、魔獣、精霊、人…
もっと早く歩けとムチを打たれる魔獣達。
止めてあげてくれ。その子の足はもう血だらけじゃないか。
使いたくない魔法を使わされる精霊達。
止めてあげてくれ。その子の魔力はもう底を尽きているじゃないか。
お前に食わせるものはないと蹴り出された痩せっぽっちの契約魔獣が、はたりと動かなくなる。
干からびた植木鉢の上で、誰かの契約精霊が干からびて死んでいた。
フィオーレという地を貪った人間の因果は仕方ないことだ。自業自得。悪因悪果。
しかし魔獣は、精霊は違うじゃないか。その子達は何もしていない。だから、だから…
「私は、いつまで傍観者でいるつもりだ…!」
なんとか…なんとかしなくては。
早急にあのプロジェクトを進めよう。
私の作った魔道具が願わくば、どうか……ー
「…っ、うぅ…」
「グルッ!?グルルーゥ!?」
「ソキウス…?こ、こは…っ!?」
ゆっくりと意識を浮上させたリィンは、ソキウスに支えられながら体を起こした。
そして周りを確認し、息を呑む。
木々は枯れてこそいないが生気はなく、窶れた老人がぼんやり立っているような気味の悪い景観だ。そして、酸化した血のような暗赤色のドロドロが渦巻く空が更に不気味さに拍車をかけている。
それに、面型防侵蝕魔具越しでもハッキリ分かる程に強烈な、不快臭の詰め合わせセットのような魔力を感じた。
多少見た目が違くとも、本能が忌避するこの感じは間違いない。
「蝕化魔力に汚染されたダンジョン…だよね」
リィンがフィオーレ自治区に来てすぐの頃巻き込まれた突発ダンジョンと同じ感覚だった。
おそらく先程、激昂したシャフトとその契約精霊だろうキノコの傘をさしたてるてる坊主のような精霊により放たれた魔法が引き金となり、ダンジョンが発生してしまったのだろう。
リィン達はそれに巻き込まれた、というわけだ。
「そうだソキウス…!!さっきは守ってくれてありがとう。えっと、怪我は…」
「グルルゥ?」
「…あれ?魔法は直撃だったと思うけど…怪我しなかったの?」
念入りに触診し、目を何度も擦ってみたが、そこには傷どころか毛並みの乱れすらないパーフェクトな相棒の姿があるだけ。
怪我が無いのは喜ばしいが、自分で魔法を使えないソキウスがどうやって闇球に耐えたのか疑問だった。
「グゥル!」
「背中を見ろって…あれ?」
ソキウス…というより、鉄面袋鼠型魔獣の背には棘のようなガラス管が刺さっている。
いつもは空っぽなそれに、今は何故か黒い液体が揺れていた。
「そういえば確か図鑑に気になる記述が…あった!」
リィンは多機能型通信魔具を起動し、電子書籍化されている図鑑をペラペラと指先でめくる。
曰く、鉄面袋鼠型魔獣は属性耐性だけではなく属性吸収の特性を持つそうだ。
属性吸収は液体型精霊系列などによく見られる特性であり、その属性を吸収し逆に自分のエネルギーに出来るという…味方なら心強く、敵なら厄介な能力だ。
「ソキウス、黒属性の吸収特性持ってたんだね!んーもう最高で最強!!」
「グルルゥ!」
ムギュムギュと抱きしめ合って頬擦りするリィンはいつも通りをなぞりながら、なんとか心を落ち着けた。
こうでもしていないと恐怖にでも絡め取られてしまいそうだったから。
「さて、と…ここがダンジョンなら、早く脱出しなきゃ…長居は禁物だよね」
なんだか既に息苦しい気がして喉を撫でた。
グルリと見渡すも、当たり前のように出入り口はない。
つまり、またしても核の破壊が必要ということだ。
「あ、そういえばハシリさんとシャフトさんは?たぶんあの感じだと、一緒に巻き込まれたと思うんだけど…?」
「グルルーゥ」
「ふむん?最初から見てないとなると…分断された可能性があるよね。ダンジョンの発生の仕方も何かおかしかったし…」
リィンは冒険者じゃないのであくまでも教科書の知識だが、ダンジョンの発生時には扉を模した入り口が生まれるものである。扉とはいえ、木製だったりワープゲートのようなものだったりと、形こそ様々ではあるようだが。
しかし、先程のように空間が割れると書かれていた事はない。
「はぁ…よし!一先ず進もうか」
「グルゥ!」
リィンはリュックを背負い直し、白衣の袖を捲くる。
白衣の裾を払うふりをして足を叱咤し、ただ前を見据えて踏み出した。
そんな彼女にぴったり寄り添うソキウスと共に。
(ところで…さっき聞こえたのは何だったんだろう?夢?…にしては、こう、胸が痛くなるようなリアリティが…ううん。今はダンジョンに集中しよう)
…
ダンジョンの景色を楽しむ…それは、冒険者曰く醍醐味というやつであるらしい。
しかし、歩けども歩けども似たり寄ったりな薄気味悪い景色に、少なくともリィンは楽しさを見出すことは出来なさそうだ。
(というか現実、そんな余裕ないじゃん…!)
文句を飲み込み、何度目かの魔石を砕いた。
【火球】
「ソキウス!上!」
「グルゥ!!」
〈※※※!?〉
ソキウスの頭上から急襲しようとしていたサル型の魔物が、断末魔と共に燃え砕けた。
そのまま右ストレートで突進して来たイノシシ型の魔物を粉々にする。
魔力感知を使い始めた瞬間にうげっと四ツ目を顰め、四方八方をキョロキョロと見渡したソキウスに嫌な予感はしていたが…どうもこのフロアには魔物の気配がうじゃうじゃいたらしい。
少し歩けば魔物に当たるし、避けたくとも逃げ道の先にまた魔物がいるといった具合だ。
索敵を使った瞬間諦め顔で拳を構えたソキウスが全てを物語っている。
〈※※※※※※※!〉
「あわわわ…まだいた!?」
「グルル!」
「えっ、更に二体来てるの…?…そっか、音で寄って来ちゃうんだ…」
リィンはソキウスの邪魔にならないよう岩陰に身を潜め、再びイノシシ型の魔物と肉弾戦を始めた相棒を注視しながら思考を回した。
(うぅ、まだ1フロア目なのに…魔物は強くないけど、このまま戦い続けてもジリ貧だよね。ちょっと作戦を練ろう)
階段の影もない、先が何フロアあるかもわからない。
その状態で遭遇した魔物を全てを対処していたら、とてもじゃないが保たないだろう。
ソキウスの体力もそうだが、リィンだって魔石を砕く度に相応の魔力を消費しているのだ。何なら魔法式の構築にだって魔力は使う。
そもそもの話、ソロでのダンジョン攻略は酔狂の域である。ちょっとしたトレーニングや採集目的で数フロア彷徨く程度ならともかく、踏破となると話が違っていた。
様々な属性の魔物やギミックが行く手を阻むのがダンジョンであるので、契約魔獣や契約精霊の扱える属性に制限がある以上当然の話だが。
休憩中の見張りや安全確保の面から言っても、パーティー単位での行動が推奨される。
つまり、リィンのような雛鳥以下の学生がおいそれと踏破できるものではないのだ。
一度目のダンジョンはただ運が良かっただけである。
リィンはローキックで転ばせた魔物の上に踵落としを決めるソキウスを心で褒め称えつつ、左右から挟み撃ちにしようとする魔物をじっと見つめた。そして、ソキウスが自慢の脚力で跳んだ瞬間を見計らい、魔石を砕く。
【火波】
「グルルゥ!!」
〈〈※※※※※※※※※!?〉〉
正面衝突した魔物達の真ん中から炎の衝撃波が広がり、魔物を焼き尽くして砕いた。
ソキウスもリィンもなるべく音には配慮したので、追加の魔物は寄って来ていない。
「っ、はぁ…なんとかなったぁ…もう真っ正面から行くのは止めよう…」
「グゥル?」
「上手く隠れながら移動しようと思うんだ。そうじゃなきゃ私がまずバテそう」
「グゥ!?」
勇敢と無謀は違うのだ。渾身のキメ顔をするリィンは、甘んじてソキウスの抱っこを受け入れた。
戦うなら完全に邪魔になるので許さないが、そうでないなら断る理由はない。リィンは己の貧弱さと運動神経の悪さを自覚できているレディなので。
「えーと、マッピングによると…そっちの道はまだだね。行ってみよう」
「グルッ!」
メモにしっかりと進んだ道を記していたリィンの指示通り、ソキウスが突き当たりの道を曲がると…現れたのはおかしな小部屋だった。
大きな魔道具にも見える装置が大半を占め、壁には何かを嵌める窪みとスイッチらしきものがある。
魔力の感じからしてダンジョン内によくある魔物侵入不可区域らしい。
「わぁ…!これ…昇降機みたい。はっ!もしかして階層をスキップできるギミックかも!」
「グルルーゥ?」
リィンは幸運に目を輝かせた。
都合が良くも見えるが、実は1フロア目にショートカットがあるのは珍しい話でもない。
とはいえ、普通は先の階から1フロア目に帰るための魔法陣が多いのだが…昇降機なのであれば行き来可能だと期待してもいいはずだ。
「うーん…でもどうやって動かすんだろう?」
「クンクン…グルッ、グルルーゥ!」
「わ、何ソキウス?ポケット?…あれ?何か入ってる?」
白衣のポケットを漁ると、見覚えのない菱形のクリスタルに似た結晶が入っていた。いつの間に?と怪訝な顔をする彼女をよそに、結晶と壁の窪みを交互に指し示す。
なるほど確かにぴったりと嵌りそうだ…というか嵌った。
ガコン、と音がして、昇降機の上部についたランプが一つ灯る。
残り二つ、窪みも残り二つだ。
「ふむん?なるほどそういうギミック…!ソキウスお手柄だぁ!」
「グルルゥ!」
リィンはワシワシとソキウスを撫で回し、"結晶探し"という次の行動を決めたのである。
…
ー…バタバタと走る音が硬いリノリウムを叩いた。
「やりましたよ!やりました!追い風が吹いてます!」
「何事だ、騒々しい」
「ーーーーさんが、このプロジェクトに協力してくれる事になったんです!」
「何!?あの、ーーで有名な!?」
若い研究員が出した名に、その場にいた者は騒然とする。少しばかりおっちょこちょいだが研究員としては超一流で、各地で信頼厚く、その多忙さ故にコンタクトを取ることすら容易ではない名を出されれば当然だ。
「これで成功は確実になったな!」
「もうこれ以上…フィオーレに骸が積み上がらなくて済む…!」
「おいおい、まだ気が早いだろ」
「そうだな。成功は約束されたようなものだが、失敗はできん。…もうこの研究所の金も尽きたからな」
ボロボロの設備に割れた窓、天井の明かりは随分前から点かなくなり、修理費や設備費の全てを削ってやっと、魔道具を一つ作れるかどうか。
死体が動いているようにしか見えない研究員達の誰もが理解していた。
何なら、自分の私財をはたいているものも多い。
部屋の隅で一心不乱に魔道具を組み上げようとしている男もそのうちの一人だ。
「おい、テセウス。そろそろ休んだらどうだ」
「…いや、もう少し。早くこいつを完成させたいんだ。…今日、隣の家の魔獣が飢えで死んだ。黒属性で中毒を起こした精霊の骸がゴミ同然に落ちて雨風に晒されていた。昨日見た畑では、足をぐちゃぐちゃにした魔獣が重たい魔法薬の詰まったタンクを運んでいて…だが、アレは一昨日と違う個体だった」
こんな事をあと何度見ればいいのかと問う男の声に、皆一様に黙り込む。
「ドドド…!」
「…ちょ、爆弾実型精霊が主人を心配し過ぎて爆発しそうだぞ!?」
「すまない…冷静じゃなかったな。お前も、抑えてくれ」
「ドド…」
研究員達はホッとしつつ、それぞれの作業に戻っていった。…ー
リィンは軽く頭を振り、手に持った結晶を困ったような顔で見つめる。小石を投げて魔物を誘導したり、背後から魔物をコッソリ倒したり、咄嗟に狭い木の洞に隠れたりと、二人はステルスアクションをいい感じに熟しながら二つ目の結晶を無事発見した。
…のは良いのだが、手に取った瞬間見たこともない立体映像が周囲に浮かび上がり、今に至る。
(ダンジョンの景色は時としてその土地の記憶であるって説があるのは知ってるけど…じゃあこれは、フィオーレ自治区の記憶って事なのかな?)
誰かの主観というより、傍観者の目線で映された白衣の人々。彼ら彼女らは設備に似合わぬボロボロ具合の部屋で、身を削って何かを成そうとしていた。誰がどう見ても病院に突っ込むべき顔色である。ベルセルより酷い。
「しかもテセウスって名前がでたよね…?確かにあのおじいさん…シャフトさんにどことなく似てる」
もう一度顔を上げてはくれないだろうかとその肩に触れようとすると、過去の幻と思われるすべてが霧散して消えた。後にはダンジョンの森が…
「ひょわっ!?」
「グルッ!?」
リィンは思わず手を引っ込めてソキウスに抱きつく。
目の前にミイラのような枯れ木がいきなり出てきて驚いたのだ。
否、目の前だけではない。先程までは薄気味悪くとも確かに緑の森であったのに、今はどこをどう見ても枯れ木の立ち並ぶ森になっていた。
「な、なんでぇ…?」
「グルル」
「ゔっ…ケホッ、気持ち悪い魔力まで濃くなった。もしかしてこの水晶、罠だったりするのかなぁ」
「グゥル!?グルルー」
マスク越しに鼻をおさえつつリィンは逡巡し、やがて諦めたように首を横に振る。心配そうなソキウスを宥め、最後の水晶を探そうとマッピングのメモを広げた。
(道の繋がり方からして、フロアのほとんどは回った。それでも階段もないし、ハシリさん達の痕跡もない)
進めば進むほどに普通のフロアではない予感が募っていく。勿論、まだ探索し尽くしたとは言えないが。
現状、このフロアから離脱するための手がかりはあの昇降機しかないのだ。
罠に飛び込むか、グズグズしてダンジョンの魔力で中毒を起こすかしかないのなら…
(当然、飛び込む。女は度胸!)
リィンはキュッとメモを持つ手を強く握り、努めて冷静にペンを動かしていく。
どうも魔物の動きも活発化しているようで、ソキウスは中々進めないようだ。
「グルルゥ…」
「魔物が来ちゃったね。ケホッ、降ろして」
リィンの足が地面につく頃には、ソキウスは魔物へと向かっていた。枯れ木に触るのは少し怖いが、隠れるためなら仕方ない。
現れた魔物はクモ型で、三体。一体一体はそれほど強くもないが、連携と糸が厄介だ。
(ふむん…連携が強いなら、連携させなければいい)
「ソキウス、一緒にやろう」
「グゥル!」
嬉しそうに鳴いて魔物の群れに飛び込んだソキウスに、魔物達はさっと散りながら糸を吐く。
リィンは眉を寄せて魔石を砕いた。
【火壁】
「グルッ!」
〈〈〈※※※※※※※?〉〉〉
ソキウスの足元から現れた火の壁がその体を持ち上げる。壁は的を外した糸を燃やし、壁面が魔物の一体を他二体から物理的にも視界からも分断した。
そうしたら後は、その一体を上から潰すだけである。
断末魔すら上げさせずに魔物を砕いたソキウスは、オロオロする二体のうち一体を壁の影から飛び出して仕留め、残りの一体も蹴り砕いた。
「お見後!ソキウス最高!」
「グルールゥ」
「おっと、いけない静かにしなきゃだ…」
怒られながら抱っこされるリィンに威厳なんか無い。
ベルセル辺りが見たら呆れの眼差しをくれるのだろうなと思いつつ、白衣の裾をいじる。
「ケホッ」
「グル?」
「あはは、平気平気!さ、次の分かれ道は…左かな。お願い」
喉に違和感と痛みが走っていたが、それは彼女の集中を切らす要因にはならなかった。
彼女は現状を打破する為の思考にのめり込んでいたので。
…
ー…人間が、大勢来た。皆なんだか疲れていて、とても怒っているし、悲しんでいる。森の皆も気になったのか、たくさん覗き見していた。
「クソッ!上の保守派連中め!」
「"安全性が確立できていない為許可出来ない"だなんて…そんな時間あるわけないじゃない!」
「立証実験に何年必要になると思っているんでしょう」
「従ってられるか!うちの息子みたいな、大人になれないまま死ぬ子供を…これ以上出すわけにはいかないんだ!」
「私もいい加減、可愛い双子ちゃんにお腹いっぱい食べさせてあげたいもの」
「なぁ、テセウス!君もそうだろう!?」
「あ、あぁ…」
難しい話は分からない。でも、皆苦しそうだ。苦しそうだけど、キラキラ、ギラギラ?してる。
あのおじちゃんは、他の人間達と違ってちょっと嫌そうな顔だけど。
「…しかし上の懸念はもっともだ。聞けば例の魔法薬は基本的な検証もまともに済んでいないと…」
「それは聞いてるが、仕方ないだろう。向こうだって余裕がないんだ」
「大丈夫さ!あの人の作る魔法薬の凄さはお前も知ってるだろ?」
「それはそうだが…人は、間違える生き物だ。絶対はない」
「えぇ…そうね。その証明に今があるんですもの」
「どの道、引くという選択肢はない。なに、きっとうまくいくさ。我々のプロジェクトは完璧なんだ!恐れる必要はない!」
人間は危ない生き物だと、皆は言う。確かにそうだと思う。あそこの白い人達は皆、変だ。物凄く嫌な予感がする。
「はぁ…いや、覚悟を決めよう。私の組んだ魔道具は完璧だ。組み込んだ魔法式に間違いはないし、システムの変数処理も問題無い。魔法回路の構築も…大丈夫だ。パイプ管の点検は…」
人間達は言い聞かせるみたいに何度も何度も大丈夫だと嘯いた。誰かの足元で、グルグルした何かが光っている。確か、"ねじ"ってやつだ。それを拾って、落ちてたよって教えてあげたかったけど…でも、間に合わなかったみたい。
何かが始まって、慌て出した人間に蹴飛ばされ、転がった先で見たのは…枯れていく森だった…ー
リィンはソキウスの腕の中でぐったりとしながら頭に手を当てる。最後の結晶を拾うと、とても低い目線から白衣の人達の動きを見ているかのような映像が広がった。
最初こそリィンは魔獣か精霊の視界はこうなっているのかも!とはしゃいだが、内容のやるせなさに萎れる。
この後どうなるのかを、リィンは知っていたから。
「…歴史って、難しいね。ケホッケホッ」
「グルル」
「んへへ、擽ったいよ。…大丈夫。さ!昇降機の所に戻ろう」
頬に押し付けられたソキウスの濡れた鼻を指で擽り、リィンは気持ちを切り替えてダンジョンを見渡した。
その風景はまたしても変わっており、立ち枯れしていた木がすべて倒れ、腐ったようにジュクジュクと溶けていたのである。
充満する魔力もそうだが、どこまでも気持ち悪い。
その上、隠れる場所が一気に無くなったのは痛手だった。
〈※※※※※※!!〉
〈※※※※※?〉
〈※※※※※※※!〉
「ひぃん!まずいまずいまずい…!一斉に気付かれたよぅ!」
「グゥル…!」
ソキウスは身を低くして戦闘体勢をとるが、この状況で戦うのは無茶である。数の問題もあるが、何よりリィンが足手まとい過ぎた。隠れる場所がない以上、ソキウスはリィンの守りながらの立ち回りを強いられてしまう。
(ソキウスに無理させるくらいなら…!)
リィンはチリッとこめかみに走った痛みを無視し、メモの端に魔法式の構想を書きなぐっていった。
頭の中で組み立ててもいいが、今そんな無茶をすれば確実に意識が飛ぶ。
「ちなみにソキウス、さっき吸収した黒属性魔力って…キミは使えるの?」
「グルル!」
「使えるんだね!分かった…なら、よし」
リィンは収納型魔具からあまり数の無い黒い魔石を取り出し、我ながら汚い魔法式を見直しながら書き写すように流し込んだ。辛うじて発動するとは思うが…こんな式、魔法構造学の試験ならバツで返ってくるだろう。もっと黒属性の魔法を学んでおくのだったと後悔する。
「昇降機の小部屋まで行ければ勝ちだよ、ソキウス」
「グルッ!」
「ちょっとその、使い難いだろうけど…お願いね!」
【麻痺咆哮】
魔石が砕かれた瞬間、ソキウスの喉から凄まじい咆哮が迸った。それは元来の恐慌効果に加え、耳にした魔物を痺れさせる効果を伴ってフロアに響く。
「行って!」
「グゥ!!」
〈※※※※※※※※※!!〉
あいにくクモ型は黒属性の魔法に耐性があったようだが、ソキウスの脚で振り切れる範囲だ。問題はない。
ただ、魔法式が不出来だったせいか麻痺による拘束効果は長くは続かなかった。魔物達が駆け抜けるソキウス目掛けて突進してくる。
(あばばば…!怖い怖い怖い!でも後少し…!後少し、だけど…)
リィンはすぐにでも届きそうな位置まで迫ったイノシシ型の魔物と、もうほぼソキウスと並走しているサル型の魔物を見た。そして、腹に力を入れる。
「ソキウス!私を今すぐ部屋にぶん投げて!!」
「グルッ!?」
鉄面越しの四ツ目全てを驚愕で見開き、しかしリィンの強い口調にソキウスは従った。その小柄な体をなるべく優しく、しかし素早く昇降機の部屋に向かって投げ、身軽になった自分は急ブレーキをかけながら回し蹴りを放つ。
噛みつかんと飛び掛ってきたクモ型と、横から手を伸ばしてきていたサル型の手が吹き飛んだのを見て、サル型の喉笛に追撃で肘を入れた。
リィンに手を伸ばしていたのだ。ソキウスが許すわけがない。
【火波】
そして、囲まれる直前に届いた魔法式を発動させ、怯んだ魔物を砕きながら小部屋へと飛び込んだ。
その背を多くの魔物が追ったが、小部屋の入り口で見えない壁に弾かれ、諦めて散っていく。間一髪である。
「うぅ…ソキウスぅ…」
「グル!…グゥ?」
聞こえた情けない声に安堵を抱きながらソキウスが小部屋を見渡すと、リィンが昇降機の上部でプランと引っかかって宙吊りになっていた。その体には擦り傷や打ち身があったが、大きな怪我が無くて何よりである
リィンはソキウスによっておろされ、マスクの下でズビッと鼻をすすった。
「ケホッ…無茶を聞いてくれてありがとう、ソキウス」
「グルルゥ!グール!」
「あはは、無茶するなって怒ってる?分かってるよ、私だって二度目はちょっと…」
魔物より投げられた時の方が怖かったなど言えない。
乱れた髪を軽く直し、白衣を整え、滲んだ涙を指で払う。
正直足が震えているが、だからといってここで止まってなどやるものか。
リィンはベルセルに叱られる為にも、戻らねばならないのだから。
「さ、結晶を嵌めてみよう」
「グゥル…」
ソキウスが警戒の目を向ける中、リィンは二つの窪みに二つの結晶をカチリと嵌め込んだ。
昇降機の上部で明かりがぱっと点る。これで三つ全てのランプが光った。
ゴゴゴと部屋が地響きと共に揺れる。
昇降機が起動したのだ。
…そう、信じて疑わなかった。
「え」
「グッ!?」
なのに現実は無常というか意地悪で、カパッと開いたのは昇降機の扉ではなく、二人の立っていた床だったのである。
「み、見かけで騙してきたぁぁぁぁぁーーー!?」
「グルルゥッ!!」
ダンジョンのばかー!とリィンの叫び声が木霊し、やがてパタンと閉じた床の向こうに消えた。




