表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/22

13.騒動


昇格試験を終えたリィンはヘトヘトな様子でホテルに帰っていく二人の学生を見送り、フォレスタギルドのラウンジの一角にて休ませてもらっていた。


「いやー期待しちゃうなー!正式な環境調査官(フィールドセーバー)になる時は是非言ってよ!全力で推薦したげる!」

「あはは…考えておきます…」

「そうださっきの魔法の魔法式教えてよー!めっちゃ興味あるー!というか君そのものが興味の塊ー!ねー、ねー、君の話聞かせてー」

「あわわわわ…」


いや、休めているのかは正直疑問だが。

何せ、ハシリがソファーの隣を陣取ってひたすらに喋っているので。

室内なのにお空きれいと呟きたくなった。ソキウスを亜空部屋に戻したことを心底後悔している。


本当ならリィンだってホテルに戻って泥のように眠りたいのだが、残念ながら見習い証の更新作業に時間がかかっていた。


「そうだやっぱりカフェいこうー!仲良くなるにはティータイムが一番だよね!うん、うん、決まりー!じゃあ…」


バンッ!!!


「ハシリさん!!!」


まだ沸騰が治まっていない脳の疲労感と鼻血を携えつつ、ハシリのお誘いをどう回避しようかと笑顔の下で考えていたリィンは、焦った顔で飛び込んできたギルド職員に肩を跳ねさせた。


自動扉を壊してまで駆け込んできた職員は、肩で息をしながらハシリに掴みかかる。

とはいえ乱暴な雰囲気では決してなく、むしろ泣きそうで縋り付く感じに近かったので、リィンはゆっくりと無駄に入っていた力を抜いた。


「もーーーーーー!!ハシリさーん!何やってたんです!?何回も何回も通信魔具(スマホ)で呼び出ししたのに全っ然出てくれないし!!」

「わーなになになーにー?何か用事?仕事?やだなー!せっかく楽しい昇格試験が出来て気分よかったのにー!」

「昇格試験んん!?今それどころじゃないって知ってますよね!?」

「竹林区の魔力の経過報告書はさっき崩れた山の隣にあると思う!あのね、それでこれからカフェ行ってくるから!そうそう、大気汚染物質排出量総合調査マニュアルの差し替えページは…」

「話聞いてぇ…」


いっそ寒気すら覚える程の会話のドッヂボールだった。

綺麗なお姉さんもだったが、ここの職員の日常は大変そうである。

そう遠い目をするリィンは、完全に離脱のタイミングを逃していたわけだが。


「ハシリ」


不意に、姦しい室内にバリトンの石が投げ込まれる。

低いところを広がっていったその声は、皆の浮ついた足を地面に引き戻すような落ち着きを持っていた。

そしてそれは、逃避していたリィンの思考もまた無理やり現実に引き戻す。


何せ、聞き間違えでなければ、今の耳になじむ声は…


「あーーー!ベルおじさんだぁ!!」

「はぁ…相変わらず騒がしいな」


ヨレヨレの白衣を引っ掛けたやや猫背気味の長身痩躯。紫に緑が混ざる無造作に跳ねた癖毛。隈を下に飼う疲れ切った、けれども奥はギラついた三白眼。


「ベルセル、さん……?」


そう、それは数日前に別れたベルセルその人であった。ひょこりと彼の後ろから変異長耳手兎型魔獣(アウヌスレプス)のフラーテルも姿を現す。


「あのねあのね、今昇格試験したところでさぁ!!聞いてよあの子めっちゃ凄いんだよ!魔道具の演算すら超える答えを提出してきちゃってさー!それにそれに契約魔獣との連携も凄くって…!」

「当然だろう。なんせ…このわたしが鍛えてやったんだからな」


そんな、どこか傲慢ながら優しい音を吐き出した彼は、呆然と突っ立っているリィンを見て…ふっと笑ったのである。カッと頬に興奮とは別の朱色が差す。


「べ、ベルセルさん!?え、え、なんで!?!?」

「ふん…"案外すぐ再会するかも"と言ったはずだが?」


別れのさみしさに押し潰されていて気付けなかったが、記憶を辿れば確かに言っていた。言っていたが、まさかこんなにあっさり再会するとは思わないだろう。


ニヤリと片方の口端を吊り上げるベルセルはリィンの表情を大層楽しんでいるようで、それこそ悪戯が成功したとでも言いたげだった。否、彼の口癖を真似るなら…計算通りといったところか。


「大人って…大人ってぇ!!」

「ははは!」

「クゥイ…」


再会が嬉しいやら、恥ずかしいやら。

やり場の無い思いを地団駄にして地面に八つ当たりをすれば、きっちりまくった白衣の袖が解けて落ちる。

まるで、背伸びした子供が等身大に戻るように。

フラーテルは大人げない契約者に呆れの眼差しを送った。


「ところで、どうしたんだそれは」


一通りからかって満足したのか表情をいつもの仏頂面に戻したベルセルは、リィンの鼻に詰められたちり紙を指差す。


「あー…これは…」

「あのねーそれは昇格試験で頑張りすぎちゃった証ー」

「ふむ…しかし、キミが昇格試験とはな」

「不可抗力というか、不慮の事故というか…」

「どうであれ、ハシリに認められた事を正しく誇れ。それが合格者の義務だ」

「リィンちゃんてば集中力とか分析力とか、とにかく観察スキルすごくてね!でもそれで色々頭使いすぎてオーバーヒート気味なんだと思う!」

「はぁ…加減もできないのか」

「そんな余裕ありませんでしたよ!って、何ですか、手を伸ばして…」

「本当にそれだけか否か…変な病気とかではないだろうな?確かめてやろう」

「大丈夫ですから!というか、私より自分の事を気にするべきでは?顔色また悪くなってません??ね、フラーテル」

「クゥル!クァーイ!」

「…こほん。それはそれだ」

「仲いいね!!私も混ざる!!」


「って、それどころじゃないんですってばーーーー!」


賑やかに盛り上がる一行。その談笑を引き裂くように、今まで背景と化していた職員…飛び込んで来てハシリに縋り付いていた彼女が声を上げる。

そう言えばいたな、と揃いの視線をもらった彼女は泣いていい。



「で、何があった」


場所をラウンジから研究所に変え、比較的積まれた書類の少ないデスクに腰を落ち着けたベルセルが職員に問う。

なぜ彼が仕切っているのかは、リィンの手を握ってご機嫌に揺れているここのリーダーを見れば言わずもがなであろう。

ちなみに、またしてもリィンは離脱のタイミングを失っていた。手が捕まっているのにどうしろと。


「そのですね…A地点で毒液型精霊(プワゾンスライム)が大量発生してるんです。それだけでなく、他の黒属性魔獣や精霊まで集まってきていて…!」

「ほほーう?」

「なんだと?」


今の今まで弛緩していた空気がピンと張り詰める。

ともすれば痛みすら感じるようなそれを、リィンだけは理解できずにいた。


「あ、あの…どうして皆さん、そんなに警戒を…?」


萎縮はしていたが、ベルセルがいる安心感で少しばかり気持ちに余裕があった彼女は問う。

好奇心を少しでも持つ者であれば、問わずにはいられないほどの変化であったから。

ベルセルは一度瞳を隠し、逡巡の後に口を開いた。


「前、わたしが森でした話は覚えているか?」


ベルセルと森で語らった話題は多々あったが、硬い声色と痛みを堪えるような表情を見ればどの話なのか見当がつく。


「えっと、30年前の話…ですか?」


下草もろとも木々が枯れ、植物を失った土が水分を保てなくなり、魔力は枯渇、汚濁し、荒野よりも酷い状態になっていたのだとベルセルが語っていた話。

彼はその時と同じ目をして頷いた。


「…そうだ。あの時、"様々な要因で"と言ったのを覚えているな?」

「はい」

「その要因の一つとして…この地では土壌汚染も深刻化していたんだ。科学的な意味でも、魔力的な意味でもな」

「ほ、本当に厳しい環境だったんですね…でも、それなら尚更…」


全てとは言わないが、黒属性を好む魔獣や精霊の多くは、汚染された土地や有害な物質を好みやすい。魔力的な汚れというなら尚更だ。何せ、魔力的な汚れとはイコール黒属性魔力を示すのだから。

それを考えると、むしろその手の生き物がいることの方が自然である。

しかし、ベルセルは首を横に振る。


「汚染をそのままにしていれば…な。だが、現在フィオーレの地下には浄化魔具が張り巡らされ、常時休む間もなく稼働している。科学的な汚染は勿論、黒属性魔力も取り込んで排する為にな」

「そんなに凄いものが…」

「結果、ここは黒属性の生き物には随分と過ごし難い土地になったらしい」


その説明でリィンは一つ納得した。

ファームルワの農業地帯で見た毛玉蜂型精霊(レーヌアベイユ)の変化…それは、この浄化魔具が齎したものなのだろう。


(でも、黒属性を排するって…魔力循環は大丈夫なのかな?)


納得の影で新たな疑問も浮かんだが、今は聞ける雰囲気ではなさそうだ。


「うーん、うーん、なんでかなー?普通ならフィオーレ自治区には黒属性の生き物なんてぜーんぜん住んでないし寄り付かないのにー!少し前からこんなだよね?」

「…待て、少し前から、だと?おいハシリ、わたしは汚染度の事しか聞いていないぞ」

「なんでかなー?なんでかなー?ミステリーだよね!こうなったら私も今からまた現場に…」

「ハシリ」


ガシッとベルセルの片手がハシリの顔面を掴んだ。あちこちに動いてどこを見ているのか定かでなかった目が、節榑立った指の隙間でキョトンと丸くなり、真っ直ぐ彼に向いた。


「いつから、黒属性の、生物が、出没している?」

「いちちちち…!」

「あの、絵面が…」

「…計算する気もないが、これが一番有効な手だ」


はたから見れば、不審者じみた男がいたいけな少女にアイアンクローを仕掛けて恫喝している通報待ったなしな場面である。

見た目加害者の方が苦虫を噛み潰したような顔をしてはいるが。


「…えっとね!ベルおじさんには伝えてなかったけど、一週間くらい前かな?そもそも、汚染度の変化に気づいたのもプワゾンスライムを見かけたからだもん!」


本当に効果があるんだ、という感心を飲み下す。せっかくまともに話すようになったハシリを邪魔するわけにはいかない。


「いるはずのない精霊がいるんだから当然調べるじゃん?で、調査をしてみてビックリー!汚染度が基準値をあっさり飛び越える値だったワケ!その後も値は日に日に上がってきててね…その辺はベルおじさんも知ってるでしょー?ちょっと前に私がぽろって話した後から自分で調べて回ってたもんね!私知ってるよー!」

(あ、もしかして、私と別れる時に出来たっていう用事ってこれかな…?確か汚染度は、蝕化魔力(カルマギア)って嫌な魔力がどれだけ普通の魔力を蝕んでいるか、だっけ?)

「まあな。だが…まさか、プワゾンスライムが出没するまで気付かなかったという事か?」

「仕方ないじゃん!魔道具の管理システムはずぅっと正常って出てるんだから!今でもそうなんだよー?でも、さすがにおかしいかなって思ってね?もうこういうのに詳しい人呼べばいいじゃん!って事でベルおじさんを呼んでみたんだよねー!ほら私って魔道具そのものの発明は大得意だけど、管理システムとか演算システムとかの数列とかダメダメだしー」

「はぁ…なるほど。まぁ、その呼んだ本人が呼び出した場所にいつまで経っても来なかったわけだが」

「なんか…大変な時にすみません…」


リィンはあまりの場違い感に体を小さくした。本来なら昇格試験などしている場合ではなかったであろう事は、想像に難くない。

そんな彼女をしかし、ベルセルは鼻で笑う。


「はっ…何を謝罪しているんだか。あいにくだが、キミは悪くない」

「でも…」

「試験の日程はギルドマスターが調節するものだ。故に、ハシリの過失でしかない」

「クァーイ!」


フラーテルも同調し、その尾がリィンの背を気遣ってくれた。ミラくんにはない本物の思いやりである。

勿論ミラくんはミラくんでちゃんと気に入っているが。


リィンの自己嫌悪をさらりとケアしたベルセルは、職員に改めて向き合った。


「それで?A地点とやらの汚染度は今どうなっている」

「それが…」


差し出された多機能型通信魔具(タブレット)を見た彼の表情がすこんと落ちる。

そのままスライドしていくにつれ、どんどん強張っていくのが傍目からでも分かった。


「何だこれは…?どうなっている…おかしい…ハシリのよこしたレポートと私が個人で調べたものから計算した汚染度と…計算が合わない…おい、ハシリ、本当にシステムは正常だったのか?」

「ホントだってば!もーー!とにかく見てみてよ!」


ようやくリィンから手を離したハシリがベルセルの白衣を引っ張っていく。

向かう先は、この研究所に入って真っ先に目に入った巨大な大型映像魔具(ディスプレイ)…空中に浮かぶそれの下にあるコントロールパネルだ。


光るボタンやら何やらがごちゃごちゃとついたそれは、まるでグランドピアノの鍵盤のよう。

リィンであれば手を伸ばすことすら躊躇する未知に、しかし、ベルセルは少しの躊躇もなく手を滑らせ、手元を一切見ることなくカタカタと演奏を始めた。


ディスプレイに表示される画面が凄まじい速さで変わっていく。数字が変わり、グラフが変わり、いくつものウィンドウが開いては閉じ…何とも鮮やかな技巧という名の魔法だ。

やがて、画面いっぱいが目が回るような数字と文字の海となると、ベルセルは機械的に動かしていた指をギシリと止める。


そして、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。


「ハシリ!!今すぐ技術者を集めろ!!今すぐだ!」

「ひょわ!?わ、わかったけど!!なんで!?」

「浄化魔具のシステムと幾つかの魔法式がいじられている!!その上今も尚、攻撃されているぞ!!書換型魔具による攻撃(ハッキング)だ!」

「えーーーーーー!?」


ハシリだけでなく、その場にいた職員達が騒然となる。

リィンは先程までのディスプレイの如く目まぐるしく変化していく状況に、ただ目を白黒させることしか出来ない。


「ハシリさん!!」

「もーー!今度は何!?」

「街の外周…っ、竹林区の奥が…侵蝕区域化しました!!」

「〜〜っ!!フィオーレ自治区に属する全環境調査官並びに冒険者に応援要請!!職員は今すぐ避難勧告!避難誘導!封鎖!最優先!!技術班はベルおじさんの補佐!!」

「くそ…!次から次へと…いや、まずは魔法式の再構築とシステムの回復に集中すべきだな…ハシリ!この魔道具の緊急対策マニュアルは!?」

「わかんない!!たぶんさっき崩した山のどこかに埋まってる!」

「はぁ!?」

「あ、あの!私が探してきます!」


どう見てもここで失礼しますと立ち去れる雰囲気ではないので、リィンはせめて自分が出来そうなことに手を伸ばすことにした。

ハシリがさっき崩した場所は覚えている。問題は…


「うーん、紙の海…」


散らばる白は途方もない量で、見てるだけでも頭痛がしてくる事。

リィンは気合を入れるべく、ペチンと両頬を叩いた。そして亜空部屋からソキウスを呼ぶ。


「ソキウス、疲れてるのは分かってるんだけど…ちょっとだけ手伝ってほしい」

「グルゥ?」

「マニュアルってくらいだから…きっと分厚いよね…?うん、厚い紙の束…こんな感じのを見つけたら教えて!」

「グゥルゥ!」


靴跡をつけないよう気を付けつつ、リィンはそっと足を知識の詰まった海に浸けた。

手で軽く上の書類をかきわけ、厚みのある束を見つけたら表紙を確認。それを繰り返す。

途方もない作業だが、彼女の目に嫌気はない。


(皆、凄く必死な顔してた。ああやって誰かが一生懸命守ってるから…この街は、ううん、フィオーレ自治区は素敵だったんだ。私に出来ることなんて、正直何もないのかもしれないけど…でも、せめて、素敵だと思わせてくれた恩を返したい)


それは、心からフィオーレ自治区を楽しんだからこそ抱いた健気な謝意。

それに気付いた彼女はもう、傍観者ではなかった。


「ん?これかな…?」

「グルルーゥ」

「あ、ソキウスも何か見つけた?」


こっちだと訴えるソキウスが示した紙束を発掘してみると、きっかりと"浄化魔具"の文字が書かれていた。やはりソキウスは天才!とリィンの撫でスキルが唸る。

おふざけも程々に紙束を軽くめくってみたが、おそらく探していたマニュアルだと思われる。

そしてリィンが見つけたもう一冊の紙束もまた浄化魔具に関する物…製作者がまとめたのだろう製作過程などの記録だった。ただ、何故かこちらは二本線で一度文字が消された上に浄化魔具と書かれているが。


「はぇ~、どっちも難しい事がいっぱい書いてあるぅ…ん?何だろこの文章…"願わくば…"」

「グルッ!!」

「あ、ごめんそうだよね!早く届けないと!…とりあえず両方持っていこう」


うっかり読み始めそうになったところでソキウスに叱られ、リィンはばつが悪そうにはにかみながらベルセルの元へと駆け出したのである。



戻った場所はもう、一種の戦場だった。ここがダンジョンのボス部屋だと言われても納得するレベルだ。

ギルド職員達は右往左往し、怒号に似た指示が飛び交い、そんな中ベルセルとハシリが無心で別々の操作盤(キーボード)を叩き続けている。


声をかけることすら躊躇する空気だったが、幸いフラーテルが代わりにベルセルを呼んでくれた。


「ベルセルさん、これで合ってますか?」

「ああ、御苦労…いや、感謝する。…ふむ、これだな間違いない。もう一冊は…ほぅ、これも役に立ちそうだ。よくやった」

「えへへ、よかったです。じゃあ私は…ぐえっ」

「ベルおじさんダメだー!遠隔操作じゃもう魔道具を止められないよー!!」


絶対に今が退散するタイミングだったのに、またしてもハシリに抱きつかれて失敗に終わる。もはやわざとなのではなかろうか。


「なら、誰でもいいから侵蝕区域周辺の部位だけでも手動で止めに行かせろ!システムの復旧を待っていたら蝕化魔力が街中に広がるどころか…最悪なことになるぞ!あいにく、わたしはここを離れられん」

「おっけー分かった行ってくる!!」

「いや待てなんでキミが…!あぁ、くそ!!ハシリめ薬も持たずに…!」


ベルセルの苛立ちが操作盤の角を打つ。

三白眼に浮かぶのは珍しい程の焦燥と、見覚えのある心配の色。

今にも席を立とうとするのを、理性で抑えつけているのだろう。腕の血管が彼の代わりに浮き上がっていた。


「薬って…」

「…中和薬だ。あいつが行こうとしているのは汚染の…蝕化魔力が発生しているただ中だ」

「蝕化魔力…」


リィンの鼻の奥で、ウィズを蝕んだ魔力の香り…腐臭と刺激臭が混ざり合った、ねっとりした不快臭が思い出される。

つまり、あの時のウィズがハシリに変わるかもしれないのだ。

想像して、彼の焦燥に思い至って青褪める。


「あの、私…届けに行きます!ハシリさんが心配ですし」

「子供が首を突っ込むな!!」


気付けば口は勝手に開いていた。

そしてすぐ、ベルセルの怒声がそれを塞ごうと重く響く。


「でも!!じゃあ、誰が行くんですか!!!!」


けれども、リィンの口は塞がれなかった。塞がせるわけにはいかないと、精一杯の虚勢で武装したから。


虚を突かれた男の、灰色の視線が周囲を巡る。

誰もがやりきれない顔で俯き、唇を噛んでいた。ギルド職員達は仕事を抱えた腕に力を入れ、自分がと言えない己を悔やむように。

環境調査官と冒険者達も誰か、と声を掛け合っているが…やはり誰もが同じ顔をした。


そしてそれは、ベルセルとて同じだ。


「はぁ…くそ…計算外だ…っ、あぁ、もう、分かった。人命がかかっている以上、やむを得ん。ただ、無理だけはするな。ハシリに中和薬を届けたらすぐにでも戻れ。手が空いた者が見つかり次第保護に向かわせる」


観念したように…いや、まったく納得などしていない様子だが、今現在他の選択肢が無い事が分かっているのだろう。ベルセルはポケットに手を突っ込むと、どこにそんな量が?と思えるほど大量の中和薬をリィンに押し付けた。


「こ、こんなに必要ですか…?前の分もあるのに…」

「万が一にもキミに何かあればわたしは腹を切るぞ」

「なんて斬新な脅し…」

「それと、これはハシリの面型防侵蝕魔具(マスク)だ。こっちがキミので…中和薬を原液のまま一本丸ごと窪みに注いで使え。無くなったらすぐに取り替えろ。分かったな?すぐに、だぞ?むしろ無くなる前に追加しろ」

「あわわ、は、はい!…わ、重い…」

「軽量化は目下の課題だ。それから…」


格好良…くはない機能性重視なマスクを二つと、大量の中和薬、ゴーグル、それから魔道具の手動操作に必要らしい道具など、収納型魔具(ストレージ)が無ければとても持ち歩けない装備である。しかも割れ物や壊れやすいものばかり。

フラーテル含め、誰かの契約魔獣や契約精霊にも頼めなかった理由が良く分かった。


「…大丈夫なんだろうな」

「大丈夫、です!必ずハシリさんに届けます!」 


本当はちょっぴり不安だが、今更無理だなんて言えやしない。言うつもりもない。


「では、行ってきます!!」


なので無理やりにでも力を振り絞り、空元気を回してギルドを飛び出した。

ふと思い立ってギルド横の自販型魔具で水を買い、リィンは起動させたミラくんの後に続いて行く。ハシリの位置情報を追ってくれるらしい。


「……」


残されたベルセルは、中途半端に浮いた手を下ろした。

"行ってきます"の言葉が新鮮で、どう返せばいいのか分からなかったなんて…フラーテル以外に悟らせたくは無かったから。


「クゥル」

「フラーテル…わたしの代わりに二人を頼む」

「クァーイ!」


はいはい分かってたよという顔で、フラーテルもまたギルドを飛び出したのである。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ