君の目。花の匂い。風。
*
ソルシエールは理解する。
どうも、赤ずきんとソルシエールの間には、認識のズレがあるようだった。あるいは、記憶のズレかもしれない。
どうやらあの強烈な贈与を赤ずきんの方がほとんど覚えていないらしいのは、なんだかおもしろかった。あれがどんなにすごいことだったのか、分からないだなんて。
ソルシエールは当時、赤ずきんを特別扱いしていたわけではない。
あそこに潜入して、ソルシエールと親しくした人間はなん人かいた。
でも、ソルシエールにあそこまで懐いてきたのは、赤ずきんだけだ。木漏れ日を見せてきたのも。
赤ずきんの背をぽんぽんと叩く。
なんとなく受け入れたけど、膝の上で腰を浮かせた体勢でいるのはつらくないのだろうか。それでもそのくらいで赤ずきんの表情が生き生きとするのなら、過去の記憶で苦しませるよりずっといい。
さっきからずっと、痛いくらい真剣に、ソルシエールを見つめる顔。感情が、生きている。
至近距離だから、よく見える。
青く透き通った瞳。わずかに黄や緑が散っている。
どこまでも突き抜けた夏の青空のような。
空の陽の下でこの瞳がどんな風に煌めくか、ソルシエールは知っている。
赤ずきんが照れたようにそっと目を伏せた。
思わず尋ねる。
「……売春宿の近くには花畑があった。覚えている?」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
ソルシエールはそこで、それ以上追求するのをやめた。
余計なことはしないと、赤ずきんに約束したばかりだ。ついさっき。
自分勝手なのは承知だが、記憶なんて突っつきたくなかった。
当時。
あの場所は、町外れの森の横にあった。
数キロ離れた隣には、裕福な牧場。
あたり一面緑が生い茂る森の一画、そこにはひらけた草原があった。
潜入してから三週間ほどたったある日、あまりの進展のなさにソルシエールは退屈していた。
だから、ただの気まぐれだった。
やたらとソルシエールに目線を向ける子供に声をかけたのだ。
変な子だと思っていた。
ソルシエールに唐突に木漏れ日を見せるような。
『一緒に行く?』
『え?』
薄暗い部屋の角で雑誌のページをめくっていたプエルが、顔を上げる。
『息抜きだよ』
プエルとソルシエールは、こうして二人は一緒に建物を抜け出した。
勝手に手を繋いできたプエルが、道を歩きながら、ソルシエールを軽く見上げる。
『いいの?』
『いいよ。でも、秘密だよ』
森の草原は、花が咲き乱れていた。春の、花盛りの季節だったのだ。
そこは宿の据えて淀んだ匂いとはちがい、清涼な風が草花をやさしく揺らしていた。
プエルは、目に見えてはしゃいでいた。
『ねえ。僕、花でおっきな動物つくる!』
『それはすごい。遠いところに行っちゃダメだよ。探すの大変だから』
『えー、行かないよう』
なにがおかしいのかくすくす笑っている。
そんなに変なことを言っただろうか。
不思議だった。
ソルシエールは派手な外套を下敷きにして、昼寝をすることにした。
その外套は、ソルシエール本体から人々の注意を逸らす派手さを持つ、便利なモノだった。おかげで、人々はソルシエールがよからぬことを企んでいても、たいてい気が付かない。
その上、昼寝の際には敷物にもなる。
便利だ。
非常に便利だ。
雲が浮かんでいる。
空には壁がないから移動がしやすい。
ソルシエールは謎が好きだ。
謎は未知であることが多いからだ。
この世界にまだ見たことのないもの、知らないものがあると思うだけで心が躍る。
その謎を解き明かすために、既知の手段で探索するのもきらいじゃない。組み合わせによって、既知はいくらでも未知になりうる。
少ない手数で謎解きができたときは、ちょっとした達成感がある。
でも反対に、既知の繰り返しは苦手だった。
同じことの繰り返し。
同じ結果。
そういうのは、飽きてしまう。
人間は繰り返しに飽きる。別にソルシエールが特別怠け者だからじゃない。
だからこそ、効率的に化け物を探し出したかったのに。
化け物の探索に来て、やっていることはこの繰り返しだ。
売春宿は、化け物以外の厄介な要因がたくさん揃っていた。栄養失調で、明らかに児童虐待を受けている子供達。そんな子供たちは、ブランシュでも、それ以外でも、少し探せば他にもたくさんいる。弱者は被害者になるのが得意だ。全部気にせず化け物の方に集中してもよかったが、そのままにしておくのも目覚めが悪い。
受け皿はシャルルに押し付けたが、問題は外に連れ出すことだった。
ソルシエールは、その気がない人間を無理やり連れ出すことができない。そういう仕組みだからだ。だれだろう、他人の望みを叶えるためには契約を結ばなくてはいけないなんて七面倒なことを考えたのは。
奪うのは、なんの制約もなくできるのに。
一人一人説得するしかなかった。
本当に、余計な手間だった。
始めてしまった以上、しょうがないけれど、どうしようもなく疲れる。
だから気を抜いた瞬間、疲れが襲ってくる。
ソルシエールは脳内で文句を垂れ流す。
なぜ警察はさっさと来ない。
ああ。シャルルが言っていた。この地方の警察は腐っている。
目を閉じて横になっていると、鳥の声に混ざって、かすかな風の音がする。
ゆるやかに世界中を駆け回る。
街の通りを、木々の間を通り抜け、どこまでも遠くに行く。
このまま、行ってしまおうか。
そんな考えが頭をよぎった時。
ぽす、と軽いものが額に乗った感覚に意識が覚醒した。
ぼんやり目を開け、手を伸ばすとふさふさとした感覚がする。
甘く自然な匂いがふんわりと香った。
花かんむりだ。
プエルが間近からソルシエールを、覗き込んではにかんでいた。
『ふふっ、すき?』
『……ありがとう』
大きなあくびをすると上体を引き起こし、そっと手にとって眺めた。
どうやって編むのかは知らないが、ゆるみがない。
『上手だなあ。すごい! シロツメクサじゃないな、マーガレットだ』
『ふふっ』
『なんで被せた?』
懐かしい気持ちになった。
『似合うと思ったから』
『そうなんだ。きみの金の髪のほうがよっぽど似合いそうだけどな』
『だってあげたかったから』
ソルシエールは首を傾げた。
『おなか空いた?』
プエルはふしぎそうな顔をすると顔を横に振った。
ソルシエールはなんだか面白くなって、プエルに教える。
『マーガレットはね、元々真珠って意味なんだよ』
『へえ』
ますます意味が分からないというように、プエルは答える。
その表情がおかしくて、ソルシエールは微笑んだ。
『……きみはふしぎな子だな。見えないものを見る力がある』
プエルがパッと顔を輝かせた。
『鼻がいいんだ! 耳もいいよ!』
赤ずきんの髪の毛に太陽の光が通過して、淡く光っている。そのまぶしさに目を伏せて笑った。
『ふふ、そうだね。いつか、全部見破られてしまいそうだ』




