街のお菓子。追いかけっこ。子守唄。
いやな記憶だ。
幼稚な嫉妬に、今なら分かる、ソルシエールの差し出した手を断った記憶。
ソルシエールがじっと赤ずきんを見ている。
どこをどう歩いたのだったか。
二人は白く、長い渡り廊下にいた。
磨りガラスの向こう側がほかの展示室なのか、それとも屋外なのかは分からない。
少しして気分が落ち着いた赤ずきんは、尋ねた。
「ねえ、あれからさ、アーノルドさんはどうなったの?」
「友達になったよ」
「前もそれ言ってなかった?」
「そうかも。そんなに頻繁に人間関係が変わっても困る。どうして急に?」
「アーノルドさんは、大家族が欲しいんだって」
ソルシエールはなにかに納得したようだった。
「あー、ああ。……まあ、そうかもしれないね」
赤ずきんは顔をしかめる。
「王妃様は?」
「なにが?」
「師匠はなにをあげたの?」
「なにも。よくお菓子はもらうけど」
甘いものなら、街にもあるのに。
「あの人とは基本的に直接契約をしないことにしている。私は過去から学んだ。危ない」
そういうことじゃない。
「あ。でも石はあげたよ」
「石?」
「川辺で見つけた。水切りがしやすそうなの」
「師匠。ちょっと黙って」
「うん」
そもそも、そうじゃない。
記憶に引きずられている。
「……この先にひとやすみできる場所があるかも。ソファに行こうか」
気遣うような、観察するような。
元凶のくせに悲しげな笑みを湛えている。やめて欲しい。
いったいどういうつもりなんだろう。
白々しすぎやしないだろうか。
限界だ。
「あのさあ」
そのたった一言で、なにか良くないものを察したらしい。振り返るでもなく、あからさまに目を泳がせる。今にも「聞こえなかったことにしようかな」とでも言いたげな横顔だった。
それから、実にわざとらしく、そっと一歩だけ後ろに下がる。
赤ずきんが一歩近づく。
するとソルシエールも、すっ、と一歩下がる。
まるで気のせいみたいな動きだった。本人はたぶん、逃げていると思われない程度に距離を取りたかったのだろう。けれど、赤ずきんが無言でもう一歩詰めた瞬間、ソルシエールの眉が情けなく下がった。
「あ、いや、ええと……」
しどろもどろに言葉を探すものの、見つからない。
そのくせ、足だけはじりじり後ろへ逃げていく。
赤ずきんがさらに近づく。
その途端、ソルシエールは観念したような、いや、むしろ開き直ったような顔でくるりと踵を返した。
「むり!」
小さく叫んだかと思うと、ぱたぱたと走り出す。
赤ずきんも追いかける。
身長も体力も、出会った直後に追い抜いている。
そもそもソルシエールはかなり小柄だ。その上脆弱だ。
みるみるうちに詰められる距離に、ソルシエールが悲鳴をあげる。
「ぎゃあああああ。なんでくるの!」
「なんで逃げるの」
長い廊下を反対側まで駆け抜け、吹き抜けのホールに出た。
壁際に追い詰める。
逃がさない。
ソルシエールは壁を背に、逃げられないのをみてとると、目を左右に揺らし、それから粗相をした子供のようにしゅんとした。それでも顔だけは意地でも赤ずきんの方を向かない。
「……なに」
往生際がわるい。
「さっきからなんなの。記憶がどうたら。どうしてほしいの。なんでそんな儚く笑ってんの。やめてってば」
うっ、となにかを堪えるような顔をした後、呑み込んだ。
「はい」
「なにかあるのは分かったけど、おれたち、旅行に来たんだよね? 旅行。おれは楽しみたいんだけど。師匠の好きなところなんでしょ?」
「はい」
こくこく、と振り子人形のように頷く。
「なんか記憶、思い出させているよね?」
「はい」
「師匠の好きなもの、見せてくれるって約束した。余計なこと、しないでくれる?」
「はい。ごめんなさい」
赤ずきんは手を差し出す。
ソルシエールはその手をじっと見る。
「ほら。仲直りしよう」
「君、なにもわるいことしてないじゃんか」
勝手なくせに、こだわりが細かい。
「いいから、ほら」
無理やりその手をぎゅっと握ると、握手をした。笑顔で。
「いたいいたいいたいいたい」
「いい? 旅行を楽しもう。ね」
「ひえっ」
満足して手を離す。
「ほら、行こう」
ソルシエールは赤くなった指をさすりながら、それでも今度は逃げずに隣に並んだ。
ソルシエールは、昔から赤ずきんといる時だけ、時々奇妙な音を鳴らす。
*
目的の街に向かって山の中を漂っていた時、ソルシエールは川下に流れ着いた死体の一部を発見した。
件の連続殺人の街から地理的に遠くない。もしや関係あるのかと川を上り、この売春宿に忍び込んだ。
ソルシエールは自分が忍び込んだこの場所がとんでもない違法行為を犯している犯罪者の集まりであることも、なにやら使い物にならなくなった古株を処分していることにも、ほどなくして気がついた。プエルという少年、気がついているのか知らないが、行っているのは死体の処理だ。
どうして夜半に子供一人を特例的に敷地から出しているのかと思ったら、ちゃんと理由はあったわけだ。ソルシエールはあやうく野犬に噛まれかけた。
しかし、これは連続して発見された死体とは属性がちがう。こっちは細切れになった商品の廃棄、向こうの被害者はもっと、老若男女、無作為に対象を選んだような感じがある。殺し方もバラバラだ。そして、大体全身すべてのパーツがある。
向こうの被害者たちに共通点がないわけではない。
みんな、目玉をくり抜かれていた。
どうやらそのやり口は、この辺に巣食うギャングのものであるらしく、先日ごろつきが一斉に摘発された。しかし、殺人は一向に止まらない。
目玉をくりぬく、という共通点ではこの件を理解する条件を満たしていないのだろう。
そんなことより問題があった。
肝心の化け物の片鱗などどこにもない。
『騙された……?』
七つ目の化け物。
シャルルの口車に乗せられたのだろうか。
鼻に皺を寄せる。
いや、不満になるのは早い。
たしかに目撃談はあった。ソルシエールも聞いた。
目撃者は子供の時もあれば、大人もいた。
そう、目撃者には子供もいた。夜半に出歩く子供たち。理由は単純だ。
この地域一帯、
『治安がわるい』
『なんだい、騙されてここに連れてこられちゃったの?』
寝台の男がそっとソルシエールの肩を寄せた。
『そうなんだ。騙された』
ソルシエールは顔を顰めて頷く。
『七つ目の化け物がいるって聞いたのに』
『怪物は、シャイなのさ。見ることはできても、見られることは耐えられない』
『なるほど?』
たしかにそうなのかも知れなかった。
目撃談の七つ目の怪物の姿は、見た人間によってまちまちだった。人間の姿と言う人がいれば、羊だった、霧の中に目だけ浮いていたという人もいた。
共通点は一つ。
七つの目ということだけ。つまり、この七つ目の化け物というのは実体を持っていない。少なくとも生き物ではない。あるいは目撃者の認識が歪められている。
なぜ姿を変えるのか?
そもそも、探し方がわるいのかもしれない。ソルシエールはピンポイントで怪物を探していた。しかし、怪物が現れる場所では必ず遺体が見つかるのだ。いや、遺体が見つかる場所で、怪物が目撃されているのかもしれない。そして、怪物が人を殺しているという目撃談はない。
これはいったい、どういうことだろう?
もしかしたら怪物自体を探すより、殺人犯を探した方がいいのではないか?
『だから、さ、怪物なんかより、こっち向いて。君みたいな素朴な子がタイプなんだ』
『よし』
立ち上がる。
もう一回調べ直してみよう。
『あ、おい。どこに行くつもりだ』
客の男がソルシエールに手を伸ばす。
『あ、そうだった』
扉に向かって走りかけてたソルシエールは、くるりと男の方に振り向き、その手を取った。
『い、いまさら、機嫌をとろうたってそうは、』
『ねえ、聞いて』
『は?』
『いいから。
『
おやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪 )*
』』
パチンと指を弾くと、それを合図にして男は前のめりに倒れた。
『極上の夢を見るといいよ』
窒息してはいけないと、仰向けに寝かせて、部屋から出て行った。
* 立原道造『暁と夕の詩』青空文庫 より引用




