ここにいて。見捨てないで。探偵の嗅覚。
*
赤ずきんは、疑っていた。
もう名前も忘れてしまった誰か。その子は、周囲の人間から赤ずきんよりも断然目をかけられていた。赤ずきんは適当に扱われていたけれど、その子は褒められていた。赤ずきんの目には、その子はなんでも持っている子だったのだ。
だから、すごく怖かった。
赤ずきんに優しくしてくれたソルシエールも、本当はその子のことの方が好きだったんじゃないかって。ソルシエールには、その子のことを見て欲しくなかった。どうしても確かめたくなった。
だって、ソルシエールがその子に笑いかけていたから。
その笑顔は、赤ずきんに向けるものより、ずっと軽やかに見えた。
赤ずきんは、ずっと、ソルシエールがこちらを向いて、話しかけてくれるのを待っていたのに。
『ねえ、お姉さん』
『え』
『お兄さんじゃないでしょ。匂いがちがう』
ソルシエールが目を瞬いた。
『すごいなあ。よく、分かったね』
褒められて、プエルは有頂天になって胸を張る。
『だれにも言わないであげる』
ソルシエールがプエルをじっと見つめて、首を傾げた。
『ありがとう。その親切に値するどんなことを私はしたのかな?』
その言葉には、やわらかさがない気がした。
思っていたのとちがう。
失敗した。
やっぱりだめだったんだ。
頭がまっしろになる。
『あ、だって、……』
言葉が出ない。
僕だけは味方だと言いたかっただけなのに。
なんでこうなっちゃったんだろう。
なにかないか、探して辿り着いたのはたった一つしかなかった。
ソルシエールのシャツの裾を捲り上げる。
『ねえ。僕、上手だよ。それとも僕じゃ歳とりすぎてる?』
あの子の真似だった。
ところがソルシエールはそっとプエルの手を握ると、ふしぎそうに尋ねた。
『どうして君は真似をしている? それは、あの子の真似でしょう』
頬がカッと熱くなる。
思わず手を振り払い、咄嗟に言ってしまう。
『うるさいなあ』
体を硬くするが、ソルシエールは囁くように言った。
『あの調子のりの子供は、なにか特別なのか? それ、君たちの間で流行っているの?』
当時の赤ずきんには、それは自明の理だった。
明るくて、だれからも愛されていて、必要とされている。
一人じゃない。
あの子は、赤ずきんより、居場所がある。
『そうだよ』
『なにが?』
『みんなから頼りにされているんだ』
『ふうん? 君があの子でないように、あの子は、君になれないと思うけどな』
『でも、それじゃだめなんだ』
『君は君で特別だよ』
それを言われて感じたのは、たしか、苛立ちだった。
『そうじゃない。そうじゃないもん』
なんで分かってくれないんだろう。
こんなに単純なことなのに。
*
それから、そう。
売春宿の支配人とその友人から、プエルは頼まれごとを受けたのだ。それをしたらもう今度こそ、プエルは弱い立場のままではなくなるはずだった。
小屋までの帰り道、プエルをソルシエールが呼び止めた。
『ねえ、プエル』
『なあに、お兄さん。今ちょっと忙しいんだ』
人がいるかもしれないところではお兄さんと呼んで、と言われていた。
ソルシエールがプエルを建物の陰に呼び込む。
『君の賞賛と信頼を得ているここの人は、本当にそれに値するかな?』
すぐ真横で囁かれて、見つめ返す。
『え、意味わかんないよ。どう言う意味?』
暗闇の中、相手の顔がモノクロに映る。
『君の人生、私に預けてみない? 倍にして返してあげるよ』
『突然どうしたの?』
『ここを出ない?』
『どうして?』
それは当然の疑問だった。
食べるものも、寝る場所もあるここから出る必要がどうしてあるのか分からなかった。
『いい暮らしができる。それに、君にはなにかとんでもない才能が眠っているかもしれない』
『ええ……?』
『もっとちがう場所にいれば、それが開花する。そんな気がする』
『何言ってんのもう』
プエルは笑い声をあげた。
『僕の人生に、そんな価値ないよ』
『そんな悟ったような事言わなくても』
呆れ声で言うソルシエールが、そっと赤ずきんの髪を撫でる。
プエルはそれを避けず、受け入れた。
でも、プエルには聞こえていた。
別の日に、ソルシエールは、その提案を他の子供にもしていた。
その翌日、子供は姿を消していた。
この時になると、プエルは分かっていた。ソルシエールは、プエルの望みを叶えてくれない。でも、たぶん信頼できる人だ。だから、前にプエルを拒絶したことも、なんとなく許すことにしていた。
『まあ、騙されたと思って。考えてみてほしいんだ。今より良い生活をさせてあげる。ご飯はもちろん、お菓子もたくさんあげよう』
『お菓子? 支配人がおんなじこと言ってたよ。ここに来る時』
甘いケーキを食べさせてあげよう。
そんなことを言ってプエルを誘った。結局、ケーキはもらえなかったけれど。現実はそんなものだと知っていた。
『まじか。同じレベルか』
頭を抱えたソルシエールにプエルが聞く。
『お兄さん、おれが必要なの?』
ソルシエールは頷いた。
『そうだね。国が君みたいな子を必要としている。福祉のいいロールモデルとなる、とかなんとか細かいこと言ってた。それにきっと、君のすごい身体能力は引く手数多だ』
『引く手数多?』
『好きなところに行けるかもしれないってこと。どうかな?』
それだけでは足りないかな、とソルシエールは提案をした。
『君が望むなら、私個人が、君に自由にどこにでもいける能力と、どこにでもいける脚を培うための環境を、持てる手段すべてでもって、用意することを約束するよ。もちろん、場所を活用するかは君の好きにしたらいい。心配なら、その約束のために契約をしてもいい。魔法使いの契約は強力だよ。どんな魔法使いでも、約束は絶対に守られる』
契約。
なんだか怪しい単語だった。それをしたら、取り返しがつかないようなことになるかもしれない。
『ううん。いいよ、契約はだいじょうぶ』
『そう?』
なんていえば角が立たないだろう。
『うん、お兄さん、約束を守ってくれる人だと思うんだ。それに、きっとお兄さんの言う通りにすれば、良い暮らしができると思う。でも、ほんのちょっとだけ待ってほしいんだ』
ソルシエールは瞳を揺らす。
プエルはこの時、提案を受け入れることができなかった。
受けるべきだっただろう。でも、この時受け入れていたら、ソルシエールとは一緒にいることはできなかったかもしれない。あの時、売春宿にいた子供と赤ずきんは一度も、再会したことがない。
『大切な用があるんだ。僕そこに行かなくちゃ』
ソルシエールが顔を顰めた。
プエルは慌てて付け加える。
『明日の朝には帰ると思うよ』
その弁明するような口調に、ソルシエールはぱっと表情を柔らかくすると、軽い調子で言う。
『なんか変だなあ。それ、やらなきゃだめ?』
『うん』
『えー、じゃあ私も一緒に行っていい?』
『ううん、一人で行く』
よく頼まれているゴミの処分だ。川に、袋ごと投げ入れるだけの簡単な仕事。
管理人からは絶対に一人で行くように言われていた。
その場では諦めたのだろう、仕方なさそうにソルシエールは頷く。
『……分かった。じゃあ、その後に話し合おう』
『じゃあ、僕、行くね』
『……行ってらっしゃい』
手を振って別れる。
プエルはソルシエールから離れ、歩きながら、困って首を傾げた。
『どこにでも行けるようになったとして、どこに行けばいいんだろう』
私の子供時代のトラウマエピソードw




