夏の日差し。オルチャタ。チュロス。ザクロ宮殿。オレンジの街路樹。道端で出会った野良犬。
独特で耳慣れない鳥の声がする。
ヤマウズラだ。
南。半島の方だ。
赤ずきんは、いつの間にか庭にいた。
花の甘い香り。
ゆるやかな風が、石灰の塀に囲まれた庭の草木を揺らしている。
二人は、塀の向こう側に生えている大きな木が作る陰の中にいた。すぐそばには青い戸の裏口がある。
庭をじっと見つめながらソルシエールが、ぽつりと溢した。
「君と昔、ベルデ王国に遊びに行ったね。一緒に街を歩いて、チュロスを食べた。あまりに暑くて二人でばてて、オルチャタで体の熱を冷ましたっけ」
そう。
ソルシエールは東西南北、いろんなところに旅行に連れて行ってくれた。箒を使うときも、馬車や汽車に乗ることもあった。人がいる場所も、いない場所も行った。
文化や見た目の差はあっても、人はどこでも生活を営んでいた。
そして、人がいない場所では、いろんな生き物がその生を育んでいた。
それはひどく不思議な感覚だった。
赤ずきんがいないところで、世界はたしかに生きていたのだ。
その広さはきっと、メジーや友人、学校や狩猟組合、それにソルシエールがいなければ、耐えられないものだった。
世界を好きになることも、きっとできなかった。
ブランシュ共和国より南にあるベルデ王国に行った時、夏真っ盛りだった。
冷却装置のない、一晩いくらの安宿で寝るのは、ひどく骨の折れることだった。
あまりの熱気に外に出る地元民のいない中、二人は観光した。
「たしかに。小山の上にある王宮の跡地に行くの、一苦労だった」
思い出して赤ずきんは笑う。
「ねえ、外に遊びに行こっか」
ソルシエールがその扉を軽く押して、外に出た。
どこの街だろう。
赤茶のレンガの道の両脇には白い塀。等間隔に並ぶ街路樹。オレンジの実がなっている。木漏れ日がゆらゆらと揺れている。
「どっちの道が面白そう?」
二人で旅をする時に、よくこの遊びをした。
行き先も決めずに適当にぶらぶらする。
「あっち」
なんとなく赤ずきんは左を指す。
並んで歩き出した赤ずきんの隣で、ソルシエールが調子はずれな鼻歌を歌う。
それから、ふいにソルシエールが話し始めた。
「私はさ、八年前、ブランシュに戻ってきたんだ。その時に、王に連続殺人事件の解決を依頼された」
ソルシエールが、赤ずきんに問いかける。
「赤ずきん。君のもっとも古い記憶はなに?」
『
赤ずきんちゃんは、
(これからもう二度と、ひとりっきりで、森のなかの横道よこみちにはいっていくようなことはよそうっと。おかあさんがいけないとおっしゃったんですもの。)
と、考えました。
』
(『赤ずきん』グリム著、矢崎源九郎訳、青空文庫)
*
『魔法使い。三年ぶりだね。夜半に人の部屋に入るなんて、多少背は伸びたようだが、相変わらず常識がないんだな』
『相変わらずイヤミっぽいね。お土産どうぞ』
『王宮の向かいにある菓子屋のケーキをどうも! さて、せっかくこの国に立ち寄ったのなら、責任を果たしてもらうよ』
久しぶりに会ったシャルルは、大層えらそうなやつになっていた。
いつか見たぼろぼろの机の上で書き仕事をしながら、ソルシエールに言い放つ。
ソルシエールは顔を顰める。
『責任? きらいな言葉だ。なんの?』
シャルルは重々しく言った。
『この国を、僕を、死の淵から無理矢理引きずり戻した責任の一端が、君はある』
ソルシエールは心底、呆れた。
おそらくそれは疑似餌だろう、と思いつつも、乗ってやる。
『生きたいと思う人間を親切心から多少、励ましただけで、責任とね。なんて人だろう、あんた! 無茶苦茶だ! そんなもんがあったら、人は雁字搦めじゃないか! あんたの髪が金色なのも私の責任か?』
シャルルはそれに対して淡々と茶化した。
しかし、その目には本当にどこか恨むような色がある。
『励ましたなんてもんじゃなかっただろう。手を貸した後はそれきりで、そのまま放置か? 冷たいんだな』
ソルシエールは小馬鹿にするように笑った。
『あんたがそんな寂しがりやだなんて、知らなかったよ。白雪に添い寝をしてもらうといい』
『君こそまだ白雪に執着しているんじゃなかろうね。君のコレクションじゃないぞ』
『私はうつくしいものが好きなんだ。いつか君も加えてやってもいい』
ところが、シャルルの方はそれをスルッと無視して、話を続ける。
『そこでだ。ここのところ続いている連続殺人事件を解決してほしい。これは命令じゃない。依頼だよ。でもきっと、君は自分の責任をまっとうするために、引き受けるだろうね』
依頼という単語を使っているだけで、押し付けるような言い方だった。
ソルシエールは肩を竦める。
『どうしてその連続殺人事件が、国に関連することだと?』
『国が荒めば、こういう事件も増える。荒んだ国の後始末だよ』
心底いやになって、声を上げる。
『それならやっぱり私のせいじゃないじゃないか!』
押し付けられたくない。
来るんじゃなかった。
いやな気分になって、入ってきた窓をチラリと見ると、すかさずシャルルが言った。
『なんでもこの事件、七つの目を持つ怪物が絡んでいるんだそうだ。目撃談が絶えない。ところが、体制に少しばかり反抗的な権力者の土地でね。なかなか調査が進まない』
ソルシエールの意識がすぐさま持っていかれる。
そんな怪物、聞いたことがない。人型だろうか?
それとも蜘蛛みたいな形をしている?
しかも、目玉の数が奇数だなんて。
左右対称にならない!
あまりに不自然だ。哺乳類じゃないのか?
いや、そもそも脊椎動物か?
呪いだろうか、魔法だろうか。
それとも?
そのすべての目でものを見ることはできるのだろうか?
そもそも、だれがその化け物を観察したのだろう?
『亡くなった人々が見つかった場所の周辺の土地で、夜の三時にその怪物がうろつくんだそうだ』
反応を見て、シャルルが得意げに餌をちらつかせた。
ソルシエールはふん、と鼻を鳴らすと、あえてシャルルに乗っかってやることにした。
身を乗り出して、シャルルに提案する。
『それを先に言いなよ。いいよ。詳細を聞いてやっても』
*
赤ずきんがまだプエルだった頃。
プエルには大事なものがひとつあった。
そこだけは、酒が入るたびに、「お前はドブネズミみたいに生きるために生まれてきたんだ」だの、「どうせ悪人になるくらいなら、今惨めったらしく死ね」だの言って殴ってくる継父でも入り込めない聖域だった。
優しく抱きしめられた記憶。
きっと、母親だったのだろうと、赤ずきんは思っている。
(誇り高くありなさい)
あのやさしい声。
『どこに行ってたの?』
あれは、そう。
狭くて、暗くて。
不衛生な、部屋。
人を閉じ込める、錆の匂い。
ぼんやりと宙を見つめるプエルに、ソルシエールが声をかけたのだ。
あの頃、ソルシエールは性別が曖昧で、男のような格好をしていた。
『人形遊びの親父のところ』
プエルは答える。
ソルシエールは、どこかから入り込んできた新入りだった。
『だれそれ』
『嘘つかれたんだ。僕が強くなったら、もうこんなことしなくていいって言ってたのに』
プエルはその仕事で人形になるのは、なんとなく嫌いだった。
どんな些細なものも放棄しなければならず、感情も感覚も相手に支配される。ようやくそれが終わると思っていた。
あの時のプエルは、期待していたものがあった。なにを期待していたのだったか。
『ここにいるからお前はこういう扱いを受けているんじゃない。お前がいるから周りがこうなるんだ』
いつかだれかが嬉しそうにそう言っていた。
プエルは向かいの二段ベッドの上段に座る、ソルシエールを見る。
『お兄さん、不思議な香りがするね。ここで働いてる人とは、違う匂い。まるで、男の人じゃないみたい』
見かけだけなら、細身の男性に見えたにちがいない。
でも、プエルの人より多くのことを嗅ぎ取る視覚も、嗅覚も、ちがうものを捉えていた。
ぼんやりとしたプエルの言葉に、ソルシエールはおもむろに自分の下履きの中身を確認したのだった。
『だいじょうぶ。ついてる』
なにがだいじょうぶだったのだろうか。今でも分からない。
もしかしたら乱暴にここに連れてこられて混乱しているのかも、プエルは相手のことが少し心配になったのだ。
『だいじょうぶだよ。最初はすこし辛いかもしれないけど。すぐ慣れる』
その慰めに、ソルシエールはまったく興味を示さず、代わりにプエル自身に興味を持ったようだった。
『君はまだ子供だろ。ここで働いているのか?』
『そうだよ』
『誘拐されたの?』
『ちがうよ』
『子供はこんなところで働いちゃいけないんだぞ』
『大人ならいいの?』
ソルシエールはすこし首をかしげて考えるそぶりをして、言った。
『それは知らない』
自分より歳上の相手がすんなり自分の無知を認めたのが、プエルは意外だった。
『でも、ぼく、ほかに行くところがないんだ。』
『そうなの?』
『うん。ずっと町外れのバラックにいたけど、そこよりよっぽど快適だよ』
『なるほど。君、親兄弟は?』
『わからない』
ソルシエールは肩を竦めた。
『そう』
『お兄さん。ここは、お腹空かないから、きっと大丈夫だよ』
そう。プエルの的外れな慰めに、ソルシエールは微笑んだのだ。
『ありがとう、君はやさしい子だね』
*
もちろん、覚えている。
首筋にじとりとした空気がまとわりつくような気がした。
「……どうしたの。急に」
じっと赤ずきんを見ていたソルシエールは一旦静かに目を閉じると、微笑んだ。
「あの先の一軒家、行ってみない?」
石灰の白壁の途切れた道の先には、緩やかな傾斜と、一軒の黄土色の壁と赤い屋根の家がった。




