初夏の日差し。木漏れ日。廃線。トンネル。そして、白いギャラリー。
ずうっと飛び続けて、平原にたどり着いた。
はるか向こうの地平線にうっすら海が見える。国の東端から西端まで飛んできたらしい。赤ずきんの鋭い嗅覚が、風に混じるかすかな潮の匂いを捉える。
「さあ。ここからは少し歩こう」
すとん、と二人は着地する。
それは古びた鉄道の廃線だった。
残された線路を二人は辿る。
穏やかな木漏れ日が、二人の道をゆっくりと照らす。
夏直前の気持ちのいい陽気。空気が澄んでいる。
「ここからどこへ?」
「ついてからのお楽しみだよ。ここを辿ることでしか行けない場所がある。君にいつか見せたいと思っていた!」
ソルシエールは魔法使いの顔で笑みを浮かべる。
その瞳は、楽しそうに、そしてすこし気まずそうに赤ずきんを見つめていた。
しばらく歩くと、線路はやがて、小さな白いトンネルの前で途切れた。
風が中に向かって、吹き込んでいる。
「さ、行こうか」
ごく短いトンネルだった。
二人は、そこをゆっくりと潜り抜けた。
たどり着いたのは、より濃い森に囲まれた、小さく平らな原っぱだった。
原っぱの盛り上がったところに、小さな古城がある。
「ここは?」
きょろきょろと周囲を赤ずきんが見回す。
静かに佇むその城に、人が住んでいないことは明らかだ。壁は蔦に覆われ、屋根は剥がれているし、窓のガラスどころか、窓枠がない箇所さえある。
「ここはね、大昔、地方貴族の居城だった。海が近いせいで、塩に侵されて、みんな逃げだした」
「塩に?」
「そう。石も鉄も、ゆっくり駄目にするんだよ」
ソルシエールは、蔦に覆われた壁を指先でなぞった。
「だれもいなくなった城に、もはや名前も遺っていない絵描きがひとり、ここに棲みついたらしい。彼が遺した絵と、いろんな作家が置いていった絵。ここは、そういう絵画の墓場なんだ」
建物のすぐ隣には枯れた井戸があった。
試しに小石を一つ投げ込むが、すぐそこの距離から乾いた音しか返ってこない。
「廃墟の扉が開く時、彼が遺したギャラリーに、人は招かれる。私たちは、もしかしたらここで、住人の影に出会うかもね」
壁に箒を立て掛け、赤ずきんと同じように井戸を覗き込み、ソルシエールが説明する。
「住人? 廃墟なのに?」
ソルシエールはよく魔法の話をしてくれるけれど、赤ずきんにはそれは異様に複雑に思われる。単純なことがなんだか絡まり合っているような、そんな気分になってしまうのだ。まるでそう、彼の師匠のように。
ソルシエールは、汲み取りバケツを引き上げる。中には夜の星空が詰まっていた。
「そう。まれに、主人に断りなく絵の中に入り込んでいる人がいる。生身の人間とはすこし違うけど、大抵、変わりもの」
「へえ」
「ま、君みたいに変なのはめったにいないけどね!」
ちらっとイタズラっぽく赤ずきんを見ると、バケツの中身をサッと城の扉にふりかける。宙に広がった星々は、扉に勢いよく吸い込まれた。途端に、塗装が剥がれて朽ちかけた木製の扉は伸び縮みを繰り返し、まるで新品のように変質する。
「おれが?」
瞳で大小さまざまな光を反射させ、赤ずきんが尋ねる。
「そうだよ。君は特別、変わり種」
ソルシエールの返事に、赤ずきんは苦笑した。
これがソルシエールなりの慰めなのだ。
ソルシエールが扉を押し開け、赤ずきんに中を指し示す。
まるで得体のしれない、怪しい奇術師のような仕草で。
「お先にどうぞ」
その瞳はわかりやすく、好奇心に溢れている。
真っ白な展示室。
絵の具の匂いがした。
*
外と比べて、多少下がった気温がきもちいい。ほてった肌を冷ましていく。
背後でぱたん、としずかに扉が閉まった。
「だれもいないね」
鳥や草木の音で意外と騒がしい屋外とちがって、ここはとてもしずかだ。
赤ずきんとソルシエールの二人きり。
点在する窓からは、外の光がやさしく差し込んでいる。
室内には、いろんな作品が展示されていた。
どうも、外から見る建物と内側の面積が合致していない。広い上に、いくつもの小部屋がつながっているようだ。
ソルシエールはにこにこしている。上機嫌だ。
「ここの鑑賞者は他人に干渉しないことが求められているんだ。それ以前に、ほとんど人が来ないんだけど。だれにでも知られているような有名な作品があるわけじゃないからね。たまに、素人が描いたものも、子供の絵も、展示されている」
「でも好きなの?」
「好きだよ。とても愛おしい」
赤ずきんは、ソルシエールが自分に向かって好きなものの話をしてくれるのが好きだった。
常におもしろいものを探している瞳は、さっそく鑑賞を始めて、ひとつひとつの絵画を興味深そうに眺めている。
「絵が?」
「絵が。人が生きてきた痕跡や、記憶が」
楽しそうだった。
どうも場所に酔っているらしい。くすくすと笑い声を上げる。
「師匠?」
くるりとソルシエールが振り返る。
「絵画っていうのは、世界への窓口なんだ。普通、その窓は一つしかないはずだけど、まれに他とつながって通り道になってしまう。ここにあるものは、特にそうだね」
その目がまっすぐに赤ずきんを見た。
「ねえ、赤ずきん。君はどんな世界が好き? どんな物語を見たい?」
まるで一緒にイタズラをしようとでもいうように誘ってくる。遊ぶのが好きなのだ。
「ここには、きっと君の気にいるどんなものもあるよ。神話の世界の英雄譚でも、どんな遠い異国の街でも、神秘的な世界の果てもね。存在しないものがここにはあるんだ」
その誘いにのって、赤ずきんはあたりの絵を見まわした。
たしかに、サイズも色使いも、テーマも。
全然ちがうものがそこには集まっている。
やがて、赤ずきんは、一つの絵を指さした。
特別な理由はない。
なんとなく。
直観にしたがっただけ。
「じゃあ、あそこの庭の絵」
それは、ギャラリーの隅にある、キャンバスのサイズの割に目立たない絵だった。
庭に落ちる木漏れ日。
花が彩りになっているのは確かだが、人の視線はそれよりも木漏れ日に行くように誘導されている。赤ずきんは、その影を綺麗だと思った。
朝日の中、森や山の木々をかき分けて歩く時。
涼しい空気が肌を冷やす感覚のような。
そういう朝の空気を思い出す絵だと思った。
「……いいね」
ソルシエールが目を細めて絵画を見つめ、微笑む。
赤ずきんにはよく分からないところで、時々ソルシエールは笑う。
「さ。手をつなごう。万が一にも、迷子にならないようにね」
ソルシエールがそっと、赤ずきんの手を取る。
それから、先んじて絵画の額に足をかけると、ためらいなく、絵に向かって踏み込んだ。キャンバスの布地にソルシエールの体がするすると吸い込まれていく。
残っているのは、赤ずきんと繋いだ手だけだ。
赤ずきんはそっと息を呑んで、後に続いた。




