朝の空気。空の高さ。
翌朝。
魔女の家で約束の時間ぎりぎりまで寝ていたソルシエールを叩き起こし、二人は箒で出発した。
ソルシエールを支えにして、赤ずきんが後ろに座る。向かい風の中、箒が空気を切り裂いてまっすぐに飛行する。
「風がつよいね。こういう日は鳥が上昇気流に乗って遠くへ行くんだ」
赤ずきんはソルシエールに箒に乗せてもらうのが好きだ。どこまでも見渡せる広い世界、全身で風を感じる。
ところが魔女当人は、地に食い込みそうなほど気だるけに返事をする。
「へえ。でもまだ日が明けてないよ」
「どこからどう見てもとっくに明けてるでしょうが」
「ううう、……ねむいよう」
「まったくもう。昨日、夜遅くまで、なにしてたの?」
ソルシエールは大欠伸をする。
早朝出発のため、魔女の家に泊まったが、彼女が作業をしていた階下からはずっと光が漏れていた。
「じつはさ、式神を元通りにする実験してたんだけどさ、……」
「うん」
「出てきた元の人物が顔見知りで、」
「うん」
「嫌いな人間だったから、そっと元に戻しちゃった。本人満足そうだったし」
「なにそれ。そんな人いるの?」
「いたんだよ、それが。へんなやつだった。毒性は抜いたから、だいじょうぶだよ。他人を呪う能力はもう持ってない」
「そういうもんかな」
赤ずきんは、いまだどこに行くのかを知らされていない。
「ねえ、師匠。ケノンってさ......」
箒の後ろに乗りながら、赤ずきんが聞く。
ソルシエールは眠気の抜けきらないまま、心底、困ったような声を出した。
「あれはなあ......、白雪と親和性が高いんだ。でも多分別口かな」
「どういうこと?」
「つまり、魔法使いってこと。家に帰るころには、大量の使い所のない薬とよく分からない術式がそこかしこに構築されているにちがいない。今から想像して憂鬱だよ」
しかし、困っているという割に、くすくす笑うその声はやわらかい。
そこは別に気になるポイントではないらしい。
「子供、だよね?」
「そう。正しい子供」
「なにそれ」
「最小単位で最適化されている。暴き、固定してしまう。漂うものと、相性がわるい」
「師匠、そういうの好きじゃない?」
そういう、赤ずきんにはよく分からないもの。
案の定、ぱっ、と目が覚めたかのように、声が明るくなった。
「そう。好きだよ。大好きだ」
しかし、すぐに声のトーンが落ちて重々しくなる。
「でも今は時期がわるい」
なぜそんな人物を受け入れたのだろう。
「ええと、……なんで弟子にしたの?」
「こっちに送り込んできた人間がいる。外に置いておく方が危ない。……それに一応、子供だからね、たぶん。分かんないけど」
「分かんないんだ」
「分かんない」
思わず吹き出す。
適当だ。
「もし、なにか魔法で、私では解決ができないことがあるのなら、案外、頼ってみるのも手かもしれない。君は気に入られているようだし」
「なにそれ。仲がわるいのかと思ってた」
「わるくないよ。時期がわるいだけ」
「うーん」
思わず反射的に困った顔をするが、赤ずきんは内心、ソルシエールの言葉にほんの少し安心した。
それから先日会った、この国の王妃を思い出す。
彼女がしていたウラシマの話。
向かい風に心持ち、声を張る。
「ねえ。おれ、王妃さまに会わない方がよかった?」
「赤ずきんは会いたくなかった?」
会いたい相手でも会いたくない相手でもなかった。
アーノルドに言われてすこし興味が湧いたのはたしかだ。
本人のことは正直、どっちでもいい。
でもそれがソルシエールの弱みになるのはいやだ。
「君は、君のしたいようにしていいんだよ。私に対する影響は考えなくていい。逃げるのが得意なんだ、私は」
柔らかい声だった。
「……知ってる」
なら、ソルシエールは赤ずきんと契約することからも逃げているんだろうか?
ケノンとのことがあるからじゃない。ずっと、気になっている。
「ねえ、師匠」
契約のことを赤ずきんが尋ねようとした時、ソルシエールが先回りして言った。
「赤ずきん。私が君と契約をすることはない」
「……どうして?」
「したくないんだ。どうしても」
硬い声。
胸がズキリと痛んだ。
赤ずきんが背を丸め、額をソルシエールの肩に擦り付ける。ふわりと干し草の香りがする。
「……そう。もしかして、それって玉手箱に関係があるの?」
ぴくりと背中が揺れる。
風がつめたい。
「どこでそれを……、ああ、なるほど。そうだよ。その中身はとても大切なものなんだ。でも私は君にそれを見てほしくない」
「どうして? 俺は、なんでも知りたいのに」
ソルシエールの大切な宝物ならきっと綺麗なものだろうと思うのに。
「……こわいんだ。どうなるか分からない。開けたら一気に飛び出してしまって、もう元に戻らない」
途方に暮れた子供のような声。
「嫌いになんかならないよ」
「……そうじゃない」
「曖昧な言葉でごまかさないで。一緒にいるのに、条件ばっかりだね」
思わず出たのは哀願の言葉だった。
言いすぎたか。
言葉を打ち消すより先に、ソルシエールが声をあげた。
「ちがう! わた、しは……」
言い淀んでいる。
「……私には、たくさん、君に話していないことがある。君に関係あることも、ないことも」
そして、それきり黙りこんでしまったのだった。




