絵画とか、幻想とか、物語とか。
「赤ずきん、一緒に出かけよう」
ソルシエールのその誘いには、どこか機嫌をとるような調子があった。
早朝の山中。獲物の捜索をしていた赤ずきんの前にソルシエールが唐突に姿を現した。彼女が赤ずきんの狩りを中断したことなどたった一回しかなかった。
近くに暮らすようになってからすぐの頃。茹だるように暑い夏の日だった。
勉強を教わる約束をうっかり忘れて山を駆けていた赤ずきんの前に唐突に姿を現したかと思うと魔法で水を放ち、山中追いかけ回した。それはもう楽しそうに。それ以来だ。あれは絶対にすっぽかしに託けて暴れる口実にしていた。最後には赤ずきんの反撃に木から滑り落ちて伸びていたけども。
赤ずきんはその真意を探るように、冷ややかにその透き通った青い瞳でソルシエールを見つめる。
「どうして? 新しい弟子の子と行けばいいじゃない」
先日、ソルシエールはケノンという新しい弟子を迎えていた。しかもあろうことか魔法使いとの最上級の契約である『魔女の誓い』すら結んでいたのだ。赤ずきんとはなんの取り決めも交わしたことがないくせに。
ツン、と横を向くが、
「いや。君がいい」
その間髪入れずの言葉に、横を向いたままの頬がうっすら染まる。
「そんなこと言ったって、師匠には当分ご飯なんて作らないから」
「それは残念だなあ」
大袈裟に悲しむソルシエールに、赤ずきんはむっつり言った。
「どこにいくの?」
「まだ決めてないけど」
「どうしてまた急に」
「ずっと行きたがってたじゃない」
怪しい。
でも赤ずきんをちらちら気にしていることは分かるから、悪い気はしない。
「行き先を決めようよ。なにか食べながらさ。赤ずきんにご飯作って欲しいなあ。欲しいなあ。あーあ、もう作ってもらえないのかなあ」
うっとうしいほどわざとらしく赤ずきんを見てくる。
今まで数えきれないほどソルシエールの世話を焼いてきた赤ずきんだが、こんなふうに向こうから頼まれたのは初めてだった。
結局、赤ずきんはふくれ面のまま頷いた。
「いいよ。作ってあげる。話を聞かせて。それから考える」
「なにが食べたい?」
勝手知ったるソルシエールの家の台所。
赤ずきんの問いにソルシエールが答えた。
「……クレープ」
「そんなんでいいの?」
季節でもないのに、なんでそんなものが食べたいのだろう。赤ずきんは首をひねるが、ソルシエールは嬉しそうに頷く。
「それがいいんだ」
「まあいいけど」
「甘いやつ」
赤ずきんは道具を取り出してテキパキと準備を始めた。
「きのこと野菜たっぷりにハムね。わかったよ、師匠」
「聞いてる?」
「早死にしたくないでしょ。さあ、テーブルの準備してて。水汲みもしてきてね」
「……はい」
水差しを手に、すごすごとソルシエールは準備しにいく。
クレープなんて子供が一番最初に手習いで習うようなものだ。混ぜるだけだし、簡単にすぐできる。
ほとんど時間をおかずに出来上がった。
食卓に並べ、向かい合って食事を始める。
ソルシエールはこれ以上ないほど嬉しそうににこにこしている。
「そんなにクレープ食べたかったの?」
甘いのでなくてもよかったのだろうか。
デザート用に甘いものも、一応用意してあった。
「うん。すごくうれしい」
本当に食べたかったらしい。
生の人参を丸齧りして、途中で飽きて放り出す人とは思われないほど、ぱくぱくと食べている。そういえば食が細いのに、赤ずきんが作る料理だけは干からびさせたことがなかった。そういう些細な、でも適当じゃないところが垣間見えるのがなんとなくむかつく。
食事も終盤に差し掛かった頃、ソルシエールが切り出した。
「君はさ、強いんだ。クラースヌィでわかった」
おいしそうにチョコレート掛けのクレープをほうばっている。
「助けられたのに?」
実際、赤ずきんはソルシエールが塔に来るまで、なにもできなかった。
だと言うのに、ソルシエールは目を細めて赤ずきんを見つめ、誇らしそうに笑う。
「そうだね。でも最終的に選んだのは君だよ。だからってわけじゃないけど、時間が欲しいんだ。一緒に旅行をしよう。行き先はどこでもいい。君の行きたいところで」
繋がりが見えない。
「よくわかんないけど、なに、おれ捨てられんの?」
あまりにも不穏な言葉にあえて茶化すと、ソルシエールは軽い笑い声を上げた。
「まさか。私が君を捨てることはない。逆はあってもね!」
それから普段のぼんやりとした眠そうな表情とは打って変わり、生き生きとウインクをしてみせた。
「予算はたっぷりあるよ。たまには豪勢にいこう」
「うわあ、初めて師匠からそんな言葉を聞いたよ。怪しいなあ」
それでもしばらく考え、ソルシエールに告げる。
「じゃあ、師匠の好きなものが見たい。いろんなところに行ってきたでしょ。その中でもとびきり師匠が好きだったところに連れて行って」
その言葉にソルシエールは苦笑して頷いた。
「よーし、わかった。とっておきのところに連れて行ってあげよう」
*
昼過ぎに村からケノンが魔女の家にやってきた。どうやら住み込みではなくて、通いの弟子のようだ。珍しい。
ばん、と扉を開けて飛び込んでくる。
「師匠! 師匠、師匠、師匠! あたしが来たわ」
けたたましい。
「ほんとうに、うるさい……、随分はやく来たね」
食卓で本を読んでいたソルシエールが顔を上げて、顔をしょぼつかせる。狩りの道具の手入れをしていた赤ずきんは道具をしまった。
「ご飯は食べた?」
「食べた!」
小さな赤毛をぴょこぴょこと跳ねさせて、迎え入れたソルシエールの腰にきゅっと抱きつくと、ケノンは赤ずきんを見上げた。
「あなたが赤ずきん!」
「どうして知っている?」
顔を顰めるソルシエールに意気揚々と答える。
「村で聞いた!」
「そう」
なぜかため息をついている。
あまりソルシエールらしくない態度だ。
「師匠の弟子!」
「そうだよ」
ケノンは手を差し伸べると、
「よろしくね!」
赤ずきんは目を白黒させながらも、
「うん」
と握り返す。
その様子を険しい顔で見ていたソルシエールが諦めるようにはあ、とため息をついた。
「赤ずきん、……まあ、このかわいそうな子供と仲良くしてあげてよ」
「もちろん。ねえ、どうしたの?」
赤ずきんが問いかけるが、彼女は胡乱げにケノンを見ている。
ケノンは朗らかに返事をした。
「かわいそうじゃないわ!」
「はいはい。そうだね。今日の午後はどうしてもしなきゃいけない作業があるんだ。それから明日からしばらく、そう三日くらい、家を留守にするよ。自分ですることは適当に見つけてほしい。道具は好きに使っていいからさ」
「なにそれ、ずるい!」
目を丸くして、餌を待ち受ける雛のように大口を開けるケノンに、ソルシエールは淡々と返事をした。
「やることがないなら、常識を学んでおいで」
「常識なんて知ってるわ!」
「果たして本当にそうかなあ?」
からかい混じりの声。
「知ってるもん! 魔法を教えてくれるって言ったのに!」
「君に必要か、それが?」
「ちょ、ちょっと、待って」
おかしな会話に赤ずきんはついにたまらなくなって割り込んだ。
「どうしちゃったの、師匠。らしくないよ」
「らしくないって、なにが」
不貞腐れたように返事をする。
「子供相手にこんなこと普段しないだろ」
「そうだっけ?」
小人たちに呪いをかけたりはするが、そういう時はいつだって相手が抵抗できる時だけだ。どうしたというのだろう。他の数多いる弟子の時はこんな反応をとったことはない。
「こんな小さな子だよ? なに考えてるのさ。やることがないのなら、今日の午後はおれが面倒見てるよ」
「子供? いや、しなくていい」
「どうして。一緒に遊んであげるよ。森にある小さな湖を見に行こう、ケノン」
「本気? 赤ずきん、」
「わあ、あたし、森に行きたい!」
何か言いかけたソルシエールを遮り、ケノンが小躍りをしてはしゃぐ。
「ここにいるんだ、ケノン」
ソルシエールがますます顔を険しくする。
「でもすることがないんでしょ? じゃあ遊びに行ったっていいじゃん」
「行かせるわけないだろ。君は今日からここで死ぬまでタダ働きが決まってるんだから」
「弟子虐待だわ! 弟子虐待!」
きゃあきゃあケノンが騒ぐ。
ソルシエールもソルシエールでいい歳をした大人が本気で子供と睨み合っている。
初日からこんな調子で大丈夫なのだろうか。
「大人は子供の権利を守らないといけないのよ!」
その言葉にソルシエールは喉をコクリと鳴らす。それから、目を見開いて、ぴしりと固まった。
「……」
「師匠?」
赤ずきんがそっとソルシエールの肩に手を触れると、赤ずきんをみたが、その顔色は心なしか悪い。
「……なんでもない」
首を振るソルシエールに赤ずきんは言った。
「やることがあるんでしょ? だいじょうぶ、責任持って面倒見とくよ。任せて」
ソルシエールはしばらく黙りこんだ後、顔を顰めつつ、お手上げというふうに手を挙げた。
「わかった。魔法は教えられても、それ以外は私にはとてもムリだ。たよりにしてるよ、赤ずきん」
「ねえ、ねえ! 師匠! 聞いてるの? 聞いて!」
「はいはい。頼むから、しずかに。どうしてこう、さわがしいんだ」
それからソルシエールは膝を折ってケノンと目線を合わせると、滔々と言い聞かせた。
「いい? ケイノン、君は赤ずきんのことをようく聞くんだよ。そして、けっして余計なことをしないように」
引き攣った顔でにっこりと微笑む。
「君の命を握っているのは私だって忘れないでね」
「もちろん!」
ケノンもにこやかに返答した。
魔法使いがする会話というのは、つくづくおかしい。




