chap.8 殺し屋たちの飲み会
アヤからの厳しい折檻を終えたローマンはアヤと共に客席に戻ると、そこには久慈良が少女を連れて席に座っていた。
「アヤさん、お疲れ様です!」
「久慈良」
「久慈良さん、蒼ちゃん、今日もいつものでよかったですか?」
桜は、見慣れた客に対するような自然な口調で注文を確認する。
「そうだね、桜ちゃん。いつものお願いね」
ヤクザであり殺し屋でもあるとは思えないほど穏やかな口調で、久慈良は静かに答えた。
「やあ、ローマン!」
「久慈良。その娘は?」
「ああ、この子はウチの“鮫島盈”の娘だ。今日は社長が会議で帰れないから、俺が連れてきて一緒に飯を食べてる」
「奥さんはいないのか?」
「いない。病で倒れてからは、社長と俺でこの子の面倒を見てる」
「久慈良。この人は……?」
少女が小さな指でローマンを指す。
「お嬢、彼はローマン。俺が憧れる人間だ」
「私、蒼といいます。お兄さんは何してる人なの?」
――こ、答えづらい……
年端もいかない子供の純粋な問いは、そこにいる殺し屋たちにとって非常に難題な質問だった。
「久慈良はね、私の執事さんやってるの!」
純粋にそう答える蒼。
「アー……」
(おい、お前だけズルいだろ!なんで“執事です”で通してんだよ!殺し屋って言えよ! 頼むから!!)
ローマンは久慈良にさりげなく目配せする。
(いや、言えるわけないだろ!第一、父親が何してるかなんて全部言えるわけないでしょ!!)
「蒼ちゃん、彼はね、料理人なんだ!」
アヤが笑顔で、即座に別の設定を上書きする。
「え、料理人なの!?」
(アヤ、ナイス!)
ローマンは心の中で親指を立てた。
「そうなの、ここのランチメニュー全部(コーヒー以外)考えたの、ローマンなの!」
「そうなの!」
「ええ。ランチメニュー全部を考案した彼を、最近また呼び戻したのよね」
アヤは、話を盛大に“補強”しながら笑顔で誤魔化していく。
(なんか、徐々に話盛ってきてないかコイツ……)
「えー! そうなんですか!? ローマンさん!」
蒼だけでなく、料理を運んできた桜まで目を輝かせて食いついた。
(なんでお前も乗ってくるんだよ……)
「さあてメニューも来たし、食事の邪魔しちゃ悪いから、そろそろ厨房に戻るわよ」
桜が料理を運んできたタイミングで、アヤは会話を切り上げた。
――19時。
出入口に“Closed”の札が掛けられ、カフェの灯りが静かに落とされる。
「アヤさん! ローマンさん! お疲れ様でした!」
学校の制服へ着替えた桜は、元気よく挨拶をして店を後にした。
「初日なのに、疲れたな……」
心身の疲労を滲ませるように、ローマンが呟く。
「初日にしちゃ、よく頑張ったほうよ。近くで一杯飲んでかない?」
「いいな、それ」
二人は近くの居酒屋へ足を運ぶ。
暖簾をくぐった瞬間――
「やあ」
そこには、すでに一杯やっている久慈良の姿があった。
「そっちはもう飲んでいいのか?」
「タクシーで帰るし、それに今は蒼のお嬢も学校の宿題をしてる」
「そうか」
日本酒の入ったグラスを軽く合わせ、三人は静かに乾杯した。
「一端の殺し屋が子守とはな……」
ローマンは日本酒を一口飲み込む。
「ローマン。あんたには話すけど、会長……盈と、その奥さんの朝里とは幼馴染なんだ」
久慈良もまた、酒を軽く口に含む。
「俺たちは昔から仲が良かった。でも、成人を迎えた頃から……俺は朝里を、一人の女性として意識するようになっていた」
グラスの中で揺れる酒を、久慈良は静かに一瞥する。
「だが、朝里は盈に想いを寄せていた。盈の方も同じだった。二人は最初から両想いで、俺に入り込む隙なんてなかった」
久慈良は酒瓶を手に取り、空いたグラスへ静かに酒を注ぐ。
「それに、当時から殺し屋だった俺は……この“汚れた手”で朝里を抱いても、幸せにはできないと悟った。だから身を引いたんだ」
琥珀色の酒が、静かにグラスを満たしていく。
「蒼が生まれてからも、俺たちの親友関係は変わらなかった。側近として、殺し屋として盈の傍に立ちながら……俺は家族ぐるみで蒼を育ててきた」
久慈良は静かに酒を口へ運ぶ。
「そんな時だった。朝里が病に倒れて、この世を去ったのは」
場の空気が少しだけ沈む。
「“強面の部下たちに娘の面倒を任せたら、絶対に泣かれる”ってことでな。今は俺と盈の二人で、朝里の忘れ形見である蒼を育ててる」
「蒼のために、殺し屋を引退しないのか?」
「俺が抜けたら……誰がダチと、その娘を守るんだよ……」
久慈良は静かに酒を煽る。
「守るために、あえて残ってるって訳か……」
「久慈良が殺し屋を辞めないのは、暗殺協会の後ろ盾が大きいってのもあるわ」
隣でアヤが酒を口へ運ぶ。
「身元の保護と保障は、殺し屋本人だけじゃなく、親族や関係者にも適用されるの。もちろん、協会へ正式に申告する必要はあるけどね」
「あの制度は、禁酒法時代に起きた裏社会の“欺瞞戦争”――その再発防止策の一つだったよな」
ローマンは軽く酒を口に含む。
「ええ」
「ローマン。たしか、お前……殺し屋を切り捨てるって噂の出てた組織に嵌められたんだろ?」
久慈良がローマンへ視線を向ける。
「ああ。暗殺協会がご丁寧に手出しできないよう、裏で警察にも根回ししてな」
「アヤさん、提案なんだけど……ローマンを極籠会所属名義にできないかな?」
久慈良が静かに口を開く。
「まあ、私の方で手続きすれば不可能じゃないけど……」
アヤは酒を片手に眉をひそめる。
「極籠会も、金貨鋳造を担う立場だ。サント=マリオファミリーも、そう簡単には手出しできないはずだ」
「久慈良……お前……」
ローマンが思わず目を見開く。
「俺はアンタに憧れて、この業界に入ったんだ。推しを守るのは当然だろ?」
久慈良は、酔った調子で酒を口に運ぶ。
「助かる……」
ローマンは小さく息を吐いた。
渋谷区――。
夜だというのに、街はネオンで昼のように明るい。人々が絶え間なく行き交い、雑踏が途切れることはない。
その中を、羽振りの良さそうな男が数人の女性を連れて歩いていた。
「今日ももう一軒行こうか!」
「キャア!」
「最高!」
その様子を、寂れたビルの屋上から一人の女が監視していた。
柵の隙間から、真緑の長物――DVL-10を構え、暗視スコープ越しにターゲットを捉える。
「ターゲット確認……」
胸元のピンマイクに静かに報告する。
女は呼吸を整え、ゆっくりと引き金に指をかけた。
息が白く消える。
「いまだ……」
呟きと同時に、人差し指に力を込めた。
一体化したサプレッサーが、7.62×51mm弾の牙を静かに解き放つ。
夜気を切り裂いた弾丸は、歩いていた男の眉間を正確に貫いた。
脳を破壊された男が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「キャアアッ!」
噴き出した血飛沫に、周囲の女たちが悲鳴を上げた。
金属音を響かせてボルトを後ろへ引き、熱い空薬莢を排出する。
「ターゲット、排除。任務完了……」
低く報告すると、女はDVL-10を肩に担ぎ、闇に溶けるようにゆっくりと立ち上がった。
スマホに着信が入る。
画面には「カン・フクヒョン」の名前が表示されていた。
「はい」
『無影、今仕事か?』
「いや、ちょうど終わったところ」
『協会に行ったら、ちょうど金になる仕事が日本で見つかってな。二人組での案件だ。どうだ、無影』
「金貨何枚?」
『20枚だ』
「へぇ……円安で不況なこの国で、ずいぶん羽振りがいいじゃない」




