chap.9 極道娘の家出
ビジネスホテル――。
モデルと見紛うほどの長身に、長い黒髪を靡かせす女殺し屋――無影。冷たく凛とした表情のまま、彼女はホテルのエレベーターへ乗り込む。
一室のドアを開けると、同業の殺し屋カン・フクヒョンが椅子に腰掛けていた。
「なんで待ち合わせ場所がここなんだ?」
無影は露骨に不機嫌そうな顔を浮かべる。
「だよな。ビジネスホテルじゃなく、ラブホテルの方が良かった」
カンは軽薄な笑みを浮かべた。
「お前と“運動”した後、そのまま仕事に行けるしな」
「それ以上つまらない冗談を言うなら、NP42でお前の頭を撃ち抜くぞ」
セクハラまがいの冗談を、無影は一蹴する。
「相変わらず不愛想で、冗談の通じないつまらない女だな。無影」
「お前のジョークが、サル以下にくだらなくて耳障りなだけだ」
無影は冷たく吐き捨てた。
その時だった。
テーブルに置かれていたタブレットスタンドへ通知が入る。
カンがビデオ通話アプリを開くと、画面には杖を突いた小太りの老人が映し出された。
『あー、あー……映ってるかな』
老人はカメラとマイクを確認するように画面を覗き込む。
『初めまして、無影、カン・フクヒョン……ああ、日本語は難しいか。英語で話した方がよさそうだな』
中国出身の無影と、韓国出身のカンを気遣い、老人は流暢な英語へ切り替える。
『〈初めまして、無影、カン・フクヒョン〉』
「〈あんたが、私たちのクライアントか……〉」
「〈初めまして、ボス〉」
老人に合わせるように、無影とカンも英語で応じる。
『〈ホテルの一室に呼び出して申し訳ないね。何分、私は立場上そう簡単に東京へ入れないものでね〉』
「〈だったら、もう少し場所を選ぼうぜ、ボス。ビジネスホテルじゃなく、ラブホテルとかよ〉」
相変わらず下卑た軽口を叩くカンに、無影は汚物でも見るような視線を向けた。
「〈で、誰を殺ってほしい? どこの組織を潰してほしい?〉」
無影は淡々と切り出す。
『〈そうだね。仕事自体は暗殺に近いが……どちらかと言えば“誘拐”を依頼したい〉』
「〈誘拐だと……?〉」
わずかに無影の眉が動く。
『〈そちらの端末に対象の画像を送った。対象を誘拐し、必要であれば殺しても構わない〉』
通話中、タブレットへ通知が入る。
カンがチャットを開くと、そこには隠し撮りされた蒼の写真が表示されていた。
「〈この子は?〉」
『〈どこにでもいる普通の少女だよ――家系を除けばね〉』
「〈家系だと?〉」
カンが首を傾げる。
『〈彼女は、極籠会・鬼鮫組当代会長――鮫島盈の実子だ。この子を誘拐してくれればそれでいい〉』
「〈つまり、日本のヤクザの娘を攫って要求を突きつけろって訳か〉」
老人の意図を察したカンが口にする。
『〈身代金目的……という訳ではないが、まあ概ねそんなところだろう〉』
「〈要求が通らなかった場合は、私たちがこの子を殺す……。金貨20枚の割には、随分簡単な仕事じゃない?〉」
無影は淡々と告げた。
『〈一見すると簡単に見えるだろう。だが彼女の背後には、暗殺ランキング5位の殺し屋・久慈良京弥が警護についている〉』
老人は淡々と続ける。
『〈それだけではない。最近小耳に挟んだ話だが、その近辺には暗殺ランキング3位の殺し屋、ローマンの影もある〉』
「「……!?」」
カンと無影の表情がわずかに揺れる。
『〈あくまで可能性の話だが、もしローマンが極籠会に関わっているのが事実だとすれば、この報酬も妥当だろう〉』
「〈あの“伝説”がこの件に絡んでいるなら、金貨20枚は妥当だな〉」
カンが低く呟く。
「〈状況次第では、金貨20枚でも割に合わない仕事になるわね〉」
無影も淡々と続けた。
『〈以上が仕事の概要だ。暗殺協会のルールに則り、前払いとして報酬の20%はケースに入れてホテルのフロントに預けてある。残りは任務完了後だ〉』
「〈了解〉」
「〈了解〉」
老人はビデオ通話から退出し、カンたちもそれに合わせてアプリを閉じた。
「死神が出てこないまま誘拐が成功すれば、無傷で金貨20枚。だが出てきたら文字通り死、か……」
「大雑把だけど、確率は50%ってところね」
「お前、ギャンブル運どうだった?」
「生憎、そこまで強くはないわ」
「奇遇だな、俺もだ」
殺し屋という職業において、敵対組織に所属する同業と遭遇することは珍しくない。
たとえ個人的に親しい相手であっても、報酬のために刃を向け合うのがこの世界の常識だ。
そして、暗殺ランキング上位の殺し屋と対峙する場合、並の殺し屋に残された選択肢は「撤退」か「死」のいずれかになる。
彼らにとっては、上位ランカーが敵対組織に所属しているという事実だけで、任務成功率と生存率は急激に跳ね下がる。
だが一方で、強い向上心を持つ殺し屋にとっては、上位ランカーを始末することがそのまま自らがその座に上がる手段にもなる。
この世界は、まさに弱肉強食そのものだ。
「うまく立ち回れば、俺たちも上位ランカーに上がれる可能性があるな、無影」
「上ばかり見て、足元をすくわれないでよねカン」
―――極籠会本家の屋敷。
「お父さんなんか大嫌い!!」
「待つんだ、蒼!」
屋敷内へ、父娘の衝突する声が響き渡る。
「なんだ……一体……?」
仕事から帰ったばかりの久慈良は、その怒鳴り声で一気に酔いが醒めた。
「久慈良さん、お疲れ様です」
近くにいた構成員の一人が、久慈良へ歩み寄る。
「何があったんだ?」
「蒼お嬢様の学校で、来週行われる授業参観の件を覚えていらっしゃいますか?」
「確か、会長が参加の旨を書いて提出していたはずだな」
「それがですね……急遽、関西の『大嶽連合』との会合が入りまして……。参観には行けないと伝えたところ、この結果に……」
「なるほど……」
久慈良が小さく呟いた直後、盈が神妙な面持ちで部屋から姿を現した。
ふと視線が合う。
「京弥……」
「会長……」
重い空気のまま、室内には二人だけが残る。
苦悶の表情でテーブルを見つめながら、盈が口を開く。
「いま蒼お嬢のことは、若衆とハウスキーパーたちに任せている」
「……そうか」
「済まないな、京弥」
二人の間に沈黙が落ちる。
やがて久慈良が静かに問う。
「どうしても、会合に出なければならないのか?」
盈は短く息を吐き、答えた。
「今回の会合で上手くいけば、西日本最大の極道組織『大嶽連合』と五分の盃を交わし、ヤクザの世界そのものを存続させることになる」
「大嶽連合と盃を……?」
「暗殺協会から、金貨鋳造拠点を日本にもう一つ増やす話が出ている。その話を進めるためにも、大嶽との関係は必要だ」
「それは、今すぐか?」
久慈良の問いに、盈は首を横に振った。
「いや。ただ年々、暴対法の規制が強まる現代で、弱っていくヤクザたちを見ていると……どうしても放っておけなくてな」
「なら、大嶽連合には悪いが延期するか、若頭に代理を任せるべきだ。大嶽連合と話をするだけなら、カシラも上手く立ち回れるはずだ」
「京弥……」
「今アンタがすべきことは、極籠会会長・鮫島盈としてじゃない。親父としての鮫島盈として動くべきだ。極道の未来なら、カシラも俺もいる。代わりはいくらでもいる。だがな――蒼の父親はアンタしかいない。盈、お前しかいないんだ!」
二人だけの空間で、久慈良は部下としての仮面を外し、幼馴染であり親友としての顔で盈に向き合った。
「盈、蒼の授業参観を代理で俺に行かせようなんて考えるな。俺は行かない。行くのはお前だ」
「京弥……」
「俺はただ、お前の傍で付き添ってやる。それだけだ」
友として向き合い、喝を入れられた盈は、わずかに息を吐いた。
「朝里がいなくなってから、親としてダメダメだな……俺は」
「たぶん朝里がいたとしても、同じこと言ってると思うぞ」
「こんなんで会長が務まるもんかねぇ……」
友の前で、盈は珍しく自嘲を漏らした。
「バーカ。そのために俺が隣にいるんだろ」
「……ありがとな、京弥」
親友に感謝の言葉を伝えようとした、その瞬間――。
「会長!」
構成員が慌ただしく扉を開け放った。
「どうした」
「蒼お嬢の件で、屋敷中くまなく探したのですが……どこにも見当たりません」
一瞬、室内の空気が止まる。
「……まさか」
盈の声がかすれる。
「若衆はどうした!」
「それが……参観の件で蒼お嬢が泣き出したあと、落ち着かせようとした隙に……外へ…」
「外ってどこだ!」
「屋敷の監視カメラに一瞬映って、それ以降足取りが……」
構成員が低く呟く。




