chap.2 朝から警察
高速道路を降り、東京に入ったローマンとアヤは、マンションの地下駐車場へ車を滑り込ませた。
エンジンが止まり、静寂が戻る。
「ここが、保護プログラムで用意された拠点か」
ローマンはトランクを開け、スーツケースを取り出した。
「そう。このマンションは私――保護管の私が管理してる」
アヤは車のキーを指でくるりと回しながら、軽く肩をすくめる。
「今から部屋まで案内するわ」
そう言って、先にエレベーターへ向かった。
ローマンはスーツケースを引きながら、その後に続いた。
四階の一室まで案内したアヤは、ポケットから鍵を取り出し、扉を開けた。
そこは、広すぎず狭すぎない――ごく普通の1LDKだった。
「ローマン、ここがあなたの拠点よ」
アヤは部屋の鍵を軽く放り投げる。
ローマンはそれを受け取り、室内を一瞥した。
中には、最低限の家具に加えて、殺し屋としての身体能力を維持するためのトレーニング器具一式が整えられていた。
「……ま、普通だな」
「普通が一番でしょ」
アヤは肩をすくめると、玄関の方へ向かった。
「じゃあね。長時間運転で疲れたから、私は自分の部屋戻って寝るわ」
そう言って、あっさりと部屋を出ていく。
ローマンは冷蔵庫からビールを取り出し、ゆっくりとソファに身を沈めた。
「伝説の殺し屋が、ヘマとはな……」
小さく呟くように自嘲する。
窓の向こうに広がる夜景をぼんやりと眺めながら、ビールを一口だけ流し込んだ。
星々が沈み、太陽が昇り、暗かった東京に朝が来ようとしていた。
ピピピピッ―――
ベッドの上で手を伸ばし、スマホのアラームを止める。
―――皆さんおはようございます! 私の名前は山田ミチコ!
東京の大学に通う、ピチピチの女子大生です!都会の一人暮らしは緊張の連続だったが、今日からは待ちに待ったキャンパスライフ。
初めての東京の朝を味わうために、私は勢いよくカーテンを開けた。
そうそこには、華やかな都会生活が私を待っているはず.......
「……398、399、400」
窓の向かいのマンション。
そこでは、全裸でチンニングスタンドで黙々と懸垂をするローマンの姿があった。
「キ....キッ........キャアアアアアアアアアアア!!」
ローマンはいつもの日課を終えると、冷蔵庫からドリンクを取り出し、一口飲み込んだ。
その瞬間――ピンポーン。
「ったく、朝っぱらから誰だ」
苛立ち混じりに呟きながらズボンを穿き、扉を開ける。
そこには警察官が二人立っていた。
「はい?」
「おはようございます! お兄さん、外国の方ですか?」
――日本語を含め十か国語は問題なく話せるが、この状況でそれを見せるのは逆に不自然だ。……ここは、あえて日本語に苦戦している外国人を演じるか
ローマンは一瞬だけ思考を切り替えた。
「イ、イエス。ワタシ、日本、キタバカリデース」
「やっぱり外国の方ね」
警察官は納得したように頷く。
「お兄さんね、先ほどね……お兄さんの全裸を目撃したという通報がありましてね」
「……」
(なるほど、そういうことか。なら、バカっぽく押し切る方がいいな)
ローマンは小さく息を吸い――
「What!?」
「お兄さん、どこの国の方ですか?」
「パスポートとか、身分証あります?」
警察官が淡々と尋ねる。
ローマンは軽く首をかしげたまま、返答を探していた。
そのとき。
「あー……眠い」
頭を掻きながら、ゴミ袋を持ったアヤが奥の部屋から出てくる。
「……え?」
警察官の視線が一斉に動く。
「ちょっと! ローマン!? どうしたの!?」
アヤは状況を確認すると、慌ててローマンの方へ駆け寄った。
「お姉さん、このお兄さんのお知り合いですか?」
「ええ、はい! 彼はロシアから来た友達で、つい最近日本に来たばかりなんです!」
「ロシアから……わざわざ?」
警察官が一瞬だけ目を細める。
「そうそう、日本語の勉強で来てて! それで、この人、何かしました?」
「実はですね……近隣の方から、“自宅内で裸で歩いている”という通報がありまして」
「ああ! お巡りさん、ロシアの一部地域では自宅内は裸で過ごす文化があるんですよ!」
「ねっ、ローマン!」
「イエス、イエス」
アヤの出まかせに、ローマンも機械的に頷く。
「いやいやいや……」
警察官は呆れたように手を振った。
「ロシアにそういう文化があったとしても、ここは日本ですからね。文化の違いです」
「オー……ソーリー」
ローマンは素直に頭を下げる。
「今回は故意じゃないし、文化の違いもあるから注意で済ませます」
警察官は少し間を置いてから続けた。
「ただし、もし同じことを外でやったら、その時は逮捕です。場合によっては強制送還もあり得ますからね」
「では、我々はここで……」
朝の騒動に振り回された警察官二人は、呆れたように振り返り、部屋を後にした。
「お騒がせしてすみません」
アヤは深々と頭を下げる。
警察官たちがエレベーターの奥へ消えるのを確認すると、アヤはローマンを部屋の中へ押し込むようにして入った。
「ちょっと! 日本来て初っ端から何してんのよ、あんたは!!」
「うるせぇ! そもそも人んちを覗く方が悪いだろ、プライバシーの侵害だ」
「だったらカーテンの一枚くらい付けとけよ!このアホ!!」
朝から、二人の言い合いが響いた。
「幸い、日本ではそこまでアンタの顔は知られてないのは救いね」
ローマンの部屋で、アヤはコーヒーを一口飲んだ。
落ち着いた空気の中で、湯気だけがゆっくりと揺れている。
「それで、アヤ。保護官であるアンタの下についた俺は、何をすればいい?」
ローマンは煙草に火をつけ、静かに煙を吐いた。
「とりあえず今日は、暗殺協会と提携してる極道組織――“極籠会”に行くわ」
アヤはカップを置き、淡々と言った。
「”仕事”がてらに顔合わせするから。アンタも一緒に来なさい」
「極籠会……ジャパニーズマフィアか」
ローマンは窓の外を一瞥し、煙を揺らした。




