chap.1 殺し屋活動停止処分
翌日、日本──。
ローマンは軽いスーツケースを引きながら、成田空港の到着ロビーへ姿を現した。
人々が絶えず行き交う広大なフロア。
異国の喧騒を無表情のまま歩く彼を、一人の女性が見つける。
「おーい!」
日本人女性が、大きく手を振っていた。
「アヤ!」
ローマンは彼女に気づくと、そのまま歩み寄る。
「ようこそ、我が国日本へ!」
「日本に来るのは久しぶりだな」
「最後に“仕事”で来たの、三年か四年前くらいじゃなかった?」
「確か、“取引”の護衛として来たんだったな」
他愛のない会話を交わしながら、二人は駐車場へ向かう。
スーツケースを車のトランクへ積み込み、アヤはそのまま車を発進させた。
車はそのまま、高速道路へ入る。
夜の街明かりが、フロントガラスを流れていく。
ハンドルを握るアヤは、不意にバックミラー越しにトランクへ視線を向けた。
「ずいぶん荷物が少ないのね、ローマン」
「ああ。銃器は運び屋に任せた。中身は服と日用品だけだ」
「なるほどね」
アヤは小さく笑う。
「それで? “伝説の殺し屋”さんがヘマするなんて珍しいじゃない。何があった
の?」
肘をつき、窓の外に流れる光景をぼんやりと眺めながら、ローマンは静かに口を開いた。
「イタリアのマフィア、“サント=マリオファミリー”からいつも通り殺しの依頼を受けてな。対象を始末して、報酬も受け取った」
そこで一度言葉を切る。
「その直後だ。連中がPMCを引き連れて、俺を始末しに来た」
「クライアントが殺し屋に噛みついたの!?」
アヤが目を見開く。
ローマンは窓の外に視線を向けたまま、淡々と続けた。
「契約終了直後を狙っての襲撃だった。だが、奴らを返り討ちにして全員始末した」
そこで一拍置く。
「……だが、その一時間後には警察が動いていた。気付けば俺は指名手配だ。まんまと奴らに出し抜かれたな」
「“サント=マリオファミリー”……噂は本当だったのね」
アヤが舌打ちする。
「噂?」
ローマンがようやく視線を動かした。
「“サント=マリオファミリー”と契約した殺し屋は、証拠隠滅のためにすぐ切り捨てられるっていう悪い噂があるの」
「暗殺協会の規定違反だろ?」
ローマンの言葉に、アヤはわずかに目を細めた。
暗殺協会には、厳格なルールが存在する。
その中でも特に重いとされるものがあった。
『クライアントと殺し屋、いずれかが裏切ること勿れ。これを破った者には“死の贖罪”を与える』
かつて“禁酒法時代”と呼ばれた混乱の時代。
多くのクライアントと殺し屋が互いの利益のために裏切り合い、報復と殺戮が連鎖した。
それはやがて、業界全体を巻き込む凄惨な抗争、通称”欺瞞戦争”へと発展した。
事態の惨劇を重く見た暗殺協会は、このルールを制定。
裏切り合うクライアントと殺し屋を徹底的に取り締まり、排除した。
以降、契約の裏切りは“死”を意味するものとして暗黙の掟となり、誰もそれを破らなくなった。
当然、二人はそのルールの恐ろしさを理解していた。
「まさか今の時代に、そんな古臭い手を使う連中がまだいたとはな……」
ローマンは小さくため息を吐く。
「しかも厄介なのは、表社会と警察を動かしていることね。だから暗殺協会も、安易には手出しできない」
アヤは静かに続けた。
「ローマン……ごめん。"サント=マリオファミリー"そのものを潰すことはできない。できるのは、いつも通り“保護プログラム”であなたを守ることくらい」
殺し屋として活動する者は、必ず暗殺協会に登録される。
組織や個人からの依頼はすべて協会を経由し、登録された者だけが正式な“殺し屋”として認められる。
その代わり、協会は仕事の斡旋や支援、身元の保護といった後ろ盾を提供する。
しかし同時に、厳格な規律も存在する。
暗殺の過程で警察に痕跡を残した場合、殺し屋は必ず協会へ報告しなければならない。
その際に下されるのが――『殺し屋活動停止処分』
だがそれは、処罰ではない。
実態は、協会の管理下に置かれる“保護プログラム”だった。
殺し屋の身柄を保護し、追跡や報復から守るための措置である。
そして、痕跡の完全な消去には最低でも一年の時間を要する。
その間、保護対象となった殺し屋は、協会の監督下で行動を制限される。
さらにその期間中、殺しは一切禁止される代わりに――保護官の業務補助、あるいはクライアント側組織の支援業務に従事することが義務付けられる。
「とりあえず、急ぎでこれ作ったから!」
アヤはハンドルを握ったまま、ダッシュボードから茶色の封筒をローマンへ放った。
ローマンはそれを受け取り、中身を確認する。
戸籍、免許、住民票――そして偽造された身分証の一式。
一通り目を通したあと、静かに息を吐いた。
「……いろいろ悪いな、アヤ」
「殺し屋時代からの仲でしょ。気にしない、気にしない」
アヤは軽く笑いながら前を向いたまま、車を加速させた。
ローマンは免許証の一枚に目を落とした。
ローマン・カラシニコフ。
「おい……なんだこの名前は?」
「なにが?」
アヤは片手でハンドルを切りながら、軽く聞き返す。
「なんで俺の苗字がカラシニコフなんだよ。AKの神かよ」
「ロシア出身なんだから、それっぽくていいでしょ?」
「誰がこんな間抜けな偽名にしろと言った」
ローマンが免許証を軽く振る。
「うるさいわね。急ぎで作ったんだから仕方ないでしょ」
アヤはため息をついた。
「第一、その程度の苗字なら表の人間には誤魔化せるわよ」
「ふざけるな! 1年間、このダサい苗字で誤魔化しきれるか!」
ローマンが封筒を握りしめて叫ぶ。
「そもそも、アンタが急いで来なければ、もっとマシな名前考えてたわよ!」
アヤはハンドルを切りながら、平然と返した。
二人は言い合いを続けたまま、車は高速道路を駆け抜けていく。




