chap.12 大嶽連合
無影とカンによる蒼の誘拐事件から、一夜が明けた翌日――。
極籠会本家、当代会長室。
「――まさか、裏でそこまでの事態が動いていたとはな……」
椅子に深々と腰掛けた若頭の府隈が、険しい表情で呟く。
その隣で、当代会長の盈も重く頷いた。
「娘の蒼が無事で何よりだ。……京弥、本当にありがとうな」
二人は、久慈良からの事後報告を静かに聞き終えたところだった。
「それで、生け捕りにした刺客の無影はどうだ? 雇い主の口は割ったか?」
府隈が、報告に上がっていた若頭補佐の一人、多狛へ鋭い視線を向ける。
「いえ……。殺し屋協会のフリーランス契約の都合上、依頼主の情報は厳重に伏せられているようで、まだ聞き出せておりません。申し訳ありません……」
補佐の多狛が苦渋の表情で頭を下げる。
「いや俺と直接刃を交えた殺し屋たちの口ぶりからしても、情報の漏洩を恐れたクライアントが、端から自分たちの身元を開示していない可能性が高い」
補佐の報告を補足するように、久慈良が横から冷静に口を出した。
「カシラ、会長。ここからは俺の推測になりますが――」
久慈良は一拍置き、二人を真っ直ぐに見据えた。
「会談を控えたこのタイミングでのお嬢の誘拐。これはウチと大嶽連合の会談を快く思わない連中による工作です。あのスケジュールは双方の幹部しか知り得ない情報……恐らく、大嶽連合幹部の誰かが仕向けた可能性が極めて高い」
「なるほどな。暗殺協会と手を組むウチのやり方は、他所のヤクザから見れば『伝統を汚す売国奴』だ。そう動く手合いがいてもおかしくはない」
久慈良の推測に、若頭の府隈は深く理解を示した。
「古いしきたりに囚われた老害どもの策だというなら……ハナからその会談、行くべきではないな」
盈は静かに拳を握り締め、苦渋を噛み締めるように言った。
「現在、お抱えの情報屋を使って大嶽連合の内部に探りを入れさせている。……カシラ、黒幕の正体を完全に掴むまでは、大嶽連合との会談は中止だ」
「そうだな……。娘との時間より極道の仕事を優先しようとした俺へ、お天道様が下した天罰かもしれん」
ぽつりと、盈は自嘲気味に呟いた。
「うっ……。ここは……」
ゆっくりと目を開けると、そこは見慣れた自分の部屋だった。
桜は、いつものベッドの上で横たわっていた。
「確か私……蒼ちゃんと一緒に、変な二人組の車に乗せられそうになって……」
桜は昨夜の記憶を必死に手繰り寄せようとするが、頭に霞がかかったようで、どうしても鮮明に思い出せない。
「桜! 起きたの? 大丈夫?」
部屋のドアが開き、お盆にお粥を乗せた母親が入ってきた。
「あ、お母さん……うん、大丈夫」
「もう、心配したんだからね。昨晩、バイト先のアヤさんが、道端で貧血を起こして倒れてるアンタを見つけて、わざわざ家まで送り届けてくれたのよ」
「アヤさんが……!?」
桜は目を見開いた。
(ってことは、あの誘拐犯とか、怖い男の人たちの記憶は……全部、ただの夢だったの……?)
「バイトを頑張るのはいいけれど、あまり無理しちゃダメよ?」
お粥を机に置きながら、母親が優しく諭す。
その言葉を聞いた瞬間、桜の頭にある記憶が弾けた。
「あ……! 私、お父さんに夜勤のお弁当を届けようとして……! そうだ、お弁当はどうなったの!?」
昨晩の誘拐犯の記憶よりも、父親への弁当のことが真っ先に頭をよぎり、曖昧だった昨夜の出来事が完全に上書きされていく。
「ふふ、大丈夫よ。お父さんにも『桜が貧血で倒れたから、アヤさんが家まで送ってくれた』ってちゃんと連絡しておいたから。お父さん、自分の弁当よりアンタの体のことをすっごく心配してたわよ」
「え……わざわざお父さんにまで? 悪かったなぁ……」
「何言ってるの。それとね、学校にも今日は休むって連絡しておいたから。とにかく今は体を休めること」
「うん。ありがとう、お母さん」
「よし。じゃあお粥が冷めないうちに食べちゃいなさい。あと、バイト先のアヤさんには、明日お店に顔を出して直接きちんとお礼を言うのよ。いいね?」
「うん、分かってるよ!」
お母さんが部屋を出ていくのを見送ってから、桜は温かいお粥を一口、頬張った。
昨夜の曖昧な悪夢のことなどすっかり忘れ、優しいお粥の温もりに包まれながら、桜はいつもの穏やかな朝を噛み締めていた。
カフェ「Lento」――。
「――というわけだ」
アヤが淹れたコーヒーを一口すすり、久慈良が重く切り出した。
「大嶽連合の幹部の誰かが、会談を破談にするためにお嬢を誘拐ねぇ……」
アヤはカウンターの向こうで、納得がいかないように呟く。
「アヤさん、本当に申し訳ない。ウチの事情のせいで、ここで働くカタギの子まで巻き込んでしまった」
久慈良は真っ直ぐにアヤを見据え、深く頭を下げた。
「いいのよ、別に気にしてないわ。あの子たちが私の預かり知らないところで裏世界に巻き込まれたって言うなら、全力で助ける。それだけよ」
アヤは軽く息をこぼし、一拍置いてから手元のタブレットに目を落とした。
「で、雇われた殺し屋二人は――暗殺ランキング20位の『無影』と、21位の『カン・フクヒョン』ねぇ」
液晶画面には、協会が管理する二人の詳細なデータが映し出されている。
「こんな奴ら如きに、金貨二十枚も差し出すなんてな。雇い主の頭がイカれてるとしか思えん」
端末の顔写真を冷ややかに見下ろし、ローマンが吐き捨てるように言った。
「それくらい、暗殺協会のような海外組織との関わりを快く思ってないんだよ。この業界にしがみつくジジイ共はな……」
久慈良は冷めかけたコーヒーを、一気に喉の奥へ流し込んだ。
「元々は『外国人犯罪から地域を守る』っていう大義名分を掲げて活動していた組織も多かった。だが、年々強化される暴対法のせいで、今やそれすら叶わなくなっているのが実情だ」
「それで、奴らを雇った黒幕の素性は何か掴めたのか?」
ローマンの問いに、久慈良は短く首を振った。
「いや。今はウチのお抱えの情報屋に調査を任せている。結果待ちの状態だ」
「そう……。ところで、蒼ちゃんの件は無事に片付いたの?」
コーヒーを飲み干した久慈良のカップを、アヤが静かに下げながら尋ねる。
「……ああ。今回の誘拐騒ぎもあって、大嶽との会談は全面見送りになった。おかげで盈……いや、会長は、明日の授業参観に出席するそうだ」
少しだけ破顔して語る久慈良の言葉に、アヤの表情が柔らかく綻んだ。
「そう。それは本当に良かったわ」
気にかけていた不器用な親子の和解を知り、アヤは心の底から安堵の息を漏らした。
「アヤさん、ローマン。……ウチの面倒ごとに巻き込んじまって、本当に済まなかった」
久慈良は一度視線を落とし、深く呼吸を整えてから、ゆっくりと二人を見据えた。
「あと――協力してくれて、ありがとな」
その真っ直ぐな言葉に、ローマンはふっと鼻で笑ってそっぽを向く。
「気にするな、ウチのボスの命令で動いた。それだけだ」
アヤはそんな二人を愛おしそうに見つめながら、トレイを胸に抱いた。
「殺し屋をバックアップして支えるのが協会でしょ?」
「そうだな」
久慈良はスーツの袖を小さく捲り、銀色の腕時計に視線を落とした。
「……そろそろ、お嬢を迎えに行かなきゃならねぇ時間だ。お代はここに置いておく」
財布から二千円札を取り出し、木目のカウンターへ静かに置く。
「お釣りは?」
アヤが尋ねると、久慈良は小さく首を振った。
「いや、いい。さっきの感謝の印だ、受け取ってくれ」
そう言い残すと、久慈良はコートの襟を立て、軽やかな足取りで店を後にした。




