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3話「灯りの街の暗い場所」

 終灯都が見えたのは、夜と朝のあいだみたいな、曖昧な時間だった。


 灰霧帯を抜けた先の空は相変わらず鈍色で、太陽がどこにいるのかもよくわからない。なのに地平の向こうに、夜明けみたいな光の帯が浮かんでいた。


「すごい……」


 ボクは観測足場の手すりに指をかけたまま、思わず息を呑んだ。


 灯りだった。


 街そのものが、巨大な灯火みたいに灰の地平へ浮かび上がっている。


 いくつもの環状防壁が段々に積み上がり、その一周ごとに白金色の防灯が列をなしていた。街の中心には、ほかの建物をすべて従えるみたいに、高い塔が一本立っている。塔の周囲には幾重もの円環が浮かび、そのあいだを太い導管が巡っていた。塔の頂からは細い光の柱が曇天へ伸び、灰色の雲を下から淡く照らしている。


 夜明けを知らない街が、自分で朝を作っているみたいだった。


「終灯都だ」

 隣でミラが言う。

「……ああ、やっぱり何度見ても大げさだな」

「大げさなの?」

「必要なだけだよ」


 ミラの声は淡々としていたけれど、その目は少しだけ厳しい。

 見惚れているのはボクだけじゃない。彼女は彼女で、この街にいろんな感情を持っているのだろう。


「トーマは?」

「たぶん車掌室で泣くのを我慢してる」

「そんなに?」

「家に帰るんだから、そういう顔にもなる」


 家に帰る。


 その言葉に、胸のどこかが小さく軋んだ。


 うらやましい、とは少し違う。

 知らない感覚を、遠くから見ているみたいな気持ちだった。


 ボクには、帰るという言葉の輪郭が薄い。

 旅を終えれば記憶は統合される。次の旅ではまた封印する。それは知っている。だから“戻る場所”がないわけじゃない。けれど、いまのボクにとってそれは、地図の上にしか存在しない故郷みたいなものだった。


 でも、羨ましさより先に、トーマがよかったね、と思う。

 そう思える自分のことは、少し好きだ。


 ヘリオス号が速度を落としていく。

 線路沿いの導灯がひとつ、またひとつと近づき、そのたびに車体へ白い光が流れた。


 そして、貨車の奥――黎明炉心の気配が、急にはっきりする。


 あたたかい。

 けれど、その熱には落ち着きがなかった。

 眠りの底で、目覚める前の子どもが寝返りを打つみたいに、そわそわしている。


 ――どこ。


 かすかな響きが、また胸の内側を撫でた。


「もうすぐ着くよ」


 ボクは小さく答えた。

「きみが行くことになってる街」


 返事はなかった。

 代わりに、機関の振動が少しだけ深くなる。


 ヘリオス号は終灯都外縁駅へ、静かに滑り込んだ。



      ◇



 駅に降りた瞬間、最初に感じたのは“明るさの偏り”だった。


 ホームは明るい。かなり明るい。天井の高いガラス屋根の下に並ぶ導灯は、灰鐘市グレインの駅よりもずっと強く、白く、影を薄くしていた。なのに、ひとたびホームの外へ目を向けると、駅舎の向こうに広がる街並みは急に暗くなる。


 灯りはある。

 でも均一じゃない。


 明るいところは眩しいくらい明るくて、暗いところは、そこだけ夜が貼りついているみたいに沈んでいた。


「……ほんとだ」


 思わず呟くと、隣に来たトーマが気づいた。


「何がです?」

「灯り。中心に寄ってる」

「え?」


 トーマが振り返って街を見る。たぶん彼には、見慣れた光景だったのだろう。ボクに言われて、はじめて違和感の形が見えたみたいな顔をした。


「……そう、ですね」

「前は違った?」

「子どもの頃は、こんなには」


 その答え方だけで、十分だった。


 ホームにはすでに出迎えの人員が待っていた。制服警備、荷役班、補給局の職員らしい黒コートの役人たち。最後尾貨車の周囲はあっという間に封鎖され、封印札の確認と書類の受け渡しがはじまる。


 その中心にいた男は、見るからに“現場の人間”ではなかった。


 真っ白な手袋。銀縁の眼鏡。煤ひとつついていない濃紺の外套。年の頃は四十前後だろうか。整った顔立ちに、笑っているのにちっとも親しみのない口元。


「長旅ご苦労さまでした」


 男は機械のように正確な声音で言った。


「補給局炉政管理部次席、セヴラン・ガイスです。ヘリオス号の到着を歓迎します」


 歓迎、と言いながら、視線は人ではなく貨車へ向いている。

 本当に迎えているのは、ボクたちじゃなくて炉心のほうなのだ。


 ミラが一歩前へ出る。

「歓迎なら、まず機関への妨害工作について説明を求めたい。灰鐘市の機関室と白梟転轍場で、違法な無音釘が使われた」

「報告は受けています」

 セヴランは薄く微笑む。

「残念なことです。ですが、現時点で最優先なのは炉心の搬入と接続作業です。犯人の追跡は警務局が担当していますので」

「“残念”で済ませるな。列車ひとつ落ちれば、終灯都の外縁までまとめて沈むところだった」

「承知しています。だからこそ到着を急いだ」


 ミラの目が冷たくなる。

 セヴランはまったく温度を変えない。


「到着してしまえば、あとは都市側の責任です。皆さんには十分な謝礼と、必要であれば滞在先を用意します」

「必要であれば?」

 ボクは首を傾げた。

「ボクたち、追い返されるの?」

「そのような言い方はしていませんよ、お嬢さん」

「アウリィ」

「失礼、アウリィさん」


 セヴランの視線が、ほんの一瞬だけボクの髪飾りへ止まる。


「列車内での貢献は聞き及んでいます。精霊観測に長けているとか」

「ちょっとだけね」

「なら尚更、終灯都の事情に深入りしすぎないほうが賢明でしょう。この街は、外から見えるほど単純ではない」


 親切の顔をした牽制だった。


 ボクが何か言うより先に、バルドが一歩進み出る。


「補給局殿。列車への襲撃は到着を急がせる理由ではなく、むしろ警備を強める理由だ。貨車の周辺封鎖だけで足りると思うなよ」

「当然です、主任」

「それと、転轍場で拘束した男の取り調べ資料は、後でこちらにも回せ」

「手続きに則って」

「手続きが遅いから現場が死ぬんだ」


 初対面から仲が悪そうで、少し安心した。

 こういう人はたぶん、現場で戦ってきた人だ。


 その横で、トーマが急に姿勢を正した。


「母さん!」


 ホームの柵の向こう、一般出迎えの列から、ひとりの女性が手を振っていた。色の褪せたショールを羽織った細身の人だ。その隣には、十歳くらいの女の子。二人とも、灯りの強いホームでは少し目を細めている。


 トーマの顔が、見る見るうちにほどけていく。


 ああ、よかった。ほんとうによかった。


 そう思うと同時に、胸の中へ柔らかな針が一本刺さるみたいな感覚もあった。

 痛いというほどじゃない。でも、見ないふりはできないくらいには、たしかに。


 帰る場所。

 待っている人。

 その呼び声に、ちゃんと応えられる誰か。


 ボクにはそれがない。

 ――いや、いまは、ない。


 その違いが、少しだけ寂しい。


 でも次の瞬間には、トーマの妹らしい女の子が兄に飛びつくのを見て、やっぱり笑ってしまった。


「おかえり!」

「ただいま、ネラ」

「ほんとに帰ってきた!」

「手紙も送っただろ」

「でも列車って、帰ってこないこともあるじゃない」


 その言葉に、一瞬だけ周囲の空気が沈む。

 たぶんこの街では、冗談じゃ済まない現実なのだろう。


 母親――ユリアと呼ばれた女性が、トーマの肩に触れる。


「無事でよかった」

「うん」

「顔色が悪いわ」

「寝不足です」

「仕事は正直ね」


 その会話の自然さに、なんだか胸があたたかくなった。


 トーマがはっとしたようにボクとミラを振り返る。


「あ、母さん、この人たちが……」

「アウリィです」

「ミラだ」

「まあ!」


 ユリアは深く頭を下げた。


「息子を、そしてこの街を、助けてくださってありがとうございます」

「助けられたのは途中までだ。まだ着いただけだよ」

 ミラがぶっきらぼうに言う。

「それでもです」


 ネラは遠慮なくボクを見上げてきた。


「おねえちゃん、ほんとに精霊が見えるの?」

「見るより聞くほうが近いかな」

「耳、いいんだ」

「耳は長いよ」

「そこ?」

 トーマが呟く。


 ネラはくすっと笑って、それからボクの髪飾りを指差した。


「それ、あさの花みたい」

「あさの花?」

「うちの先生がね、ほんものの朝の話をしてくれたの。空が黄色くなるんだって」

「へえ」

「だから、黄色い花は朝っぽい」


 その言い方が、妙にきれいだった。


 朝を知らない子が、話に聞いた朝の色を花に見つける。

 それだけで、この街の事情が少しわかった気がした。


 ホームの向こうでは、すでに黎明炉心の搬出準備が進んでいた。厚い防熱布に包まれた容器ごと、重機で降ろされる。ボクにはその奥の気配がわかる。


 ――どこ。


 まただ。

 少しだけ不安そうな、熱の声。


「……あっち、行っちゃうね」

「アウリィさん?」

 トーマが不思議そうにする。


「ううん。なんでもない」


 ボクはそう答えたけれど、目を離しがたかった。



      ◇



 結局、ボクたちはその日のうちに解散とはならなかった。


 到着報告と状況聴取、灰鐘市からの輸送記録の照合、転轍場襲撃の聞き取り。やることが多すぎたのだ。ミラは機関関係の報告で拘束され、バルドは警務局へ呼ばれ、トーマは車掌室と家族のあいだを何往復もしていた。


 ボクは、というと。


「待ってるだけも退屈だね」


 駅舎のベンチに座って、足をぶらぶらさせていた。


 もちろん、待つのも仕事のうちだ。勝手に歩き回って怒られるよりはいい。

 でも知らない街が目の前にあるのに、じっとしているのはなかなか難しい。


 そんなボクを見つけたのか、ネラが近寄ってきた。手には紙包みが二つ。片方を差し出してくる。


「母さんが。おなかすいてそうだからって」

「当たり」

「やっぱり」


 中身は温かい焼き菓子だった。黒糖と香辛料の匂いがする。受け取ると、まだほんのり手に熱が残った。


「ありがとう。ユリアにも」

「うん」


 ネラは隣へ座る。足がぶらぶらする高さまで、ちょうど同じくらいだった。


「アウリィって、どこから来たの?」

「うーん、遠く」

「地図のどこ?」

「地図の外」

「うそだあ」

「ほんとだよ」


 ネラは少し考えてから、納得したように頷いた。

「じゃあ、旅人なんだ」

「そう」

「いいなあ」


 その一言に、ちょっと驚く。


「この街を出たい?」

「出たい、っていうか……見てみたい」


 ネラは駅舎の高い窓から外を見た。防壁の向こう、灰色の空。

「先生が言ってた。昔はもっと、遠くまで列車が行ってたんだって。海の街とか、森の街とか、空の青いところもあったかもしれないって」

「見たい?」

「見たい」

「そっか」


 ボクは焼き菓子をひと口食べた。甘い。少しだけ焦げた香りがする。


「ねえ、終灯都って、ほんとにずっと明るいの?」

「明るいところは、ね」


 ネラの返事は大人びていた。


「でもうちのほう、たまに消えるよ。外縁の灯り、弱いの。母さんは夜になると窓に布をかける」

「灰喰い?」

「うん。最近は前より来る」


 言いながら、彼女は怖がっているというより、慣れてしまっている顔をしていた。

 それが少し、かなしかった。


「アウリィ」

 呼ばれて振り向くと、ミラが歩いてきていた。

「局の人間が、お前にも話を聞きたいそうだ」

「ボク?」

「観測補助として何を見たか、だと。ついでに“余計なことを見なかったか”も探りたいんだろう」


 ミラの物言いは相変わらず辛辣だった。


 ネラが立ち上がる。

「お仕事?」

「みたい」

「じゃあがんばって。あとで街、見せてあげる」

「ほんと?」

「駅から家までだけね」

「十分楽しそう」


 ネラは得意げに笑って、ユリアのほうへ駆けていった。


 ミラがその背を見送る。


「かわいいな」

「うん」

「だから余計に腹が立つ」

「……灯りのこと?」

「ああ」


 短く答えたあと、彼女は歩き出した。



      ◇



 補給局の応接室は、駅舎の一角にあるとは思えないほど静かだった。


 分厚い絨毯が足音を吸い、壁には古い路線図と機関模型が飾られている。煤や油の匂いは薄く、代わりにインクと磨かれた木の匂いがした。現場の熱から、意図的に遠ざけられた部屋だ。


 セヴランは机の向こうで書類をめくっていた。窓際にはもうひとり、年配の男がいる。灰色の作業衣に古びた眼鏡。指先に焼け跡がいくつもあって、現場の人間だとすぐわかる。


「お待たせしました」


 セヴランが微笑む。

「こちらは終灯都中央大炉の炉守長、ハルヴァーです」

「どうも」

 老人は帽子を少しだけ持ち上げた。

「話は聞いとる。精霊読みの嬢ちゃんだそうだな」

「アウリィだよ」

「そうかい」


 ハルヴァーの目は疲れていたけれど、セヴランのような冷たさはなかった。むしろ、何かを諦めきれずにいる人の目だ。


 簡単な聞き取りはすぐ終わった。

 灰鐘市機関室の無音釘。白梟転轍場の導灯偽装。狙撃。灰喰いの襲来。ボクが聞いた精霊の違和感。セヴランはそれらを丁寧に記録しているようでいて、必要なところだけを拾い、不都合そうなところは流しているのがわかった。


「つまり、列車は反都市集団による計画的な妨害を受けた」

「そうまとめると、だいぶ雑だね」

 ボクは言う。

「町を切り捨てたことに怒ってる人たち、なんでしょ」

「事情があろうと、乗客を危険に晒した時点で犯罪です」

「それはそう」


 そこは否定しない。

 でも、その“事情”をなかったことにする言い方も、やっぱり好きじゃなかった。


 ミラが腕を組む。

「で、こっちも聞きたい。搬入後の炉心はどう扱う」

「接続、励起、融和。中央大炉アステリオンへ編入します」

 セヴランは淀みなく答えた。

「今夜中に」

「早すぎる」

 ミラが即座に言う。

「輸送中に妨害を受けたんだぞ。状態確認と精査が先だ」

「時間がありません。外縁三区画の灯路がすでに限界です」

「だからって、ぶっつけで大炉に食わせる気か」

「“食わせる”という表現は適切ではありませんね」

「中身が生きてるなら、十分適切だよ」


 思わず口を挟むと、部屋が静まった。


 セヴランの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。

「何の話です?」

「炉心。声がする」

「炉心は精製燃材です」

「でも、あの中に“だれか”がいる」

「比喩でしょう」


 ハルヴァーが、そのとき初めてこちらをまっすぐ見た。


「……嬢ちゃん、どんな声だ」

「熱いのに寒そう。どこへ行くの、って何度も聞いてる」

「ハルヴァー炉守長」

 セヴランの声が少し固くなる。

「現場の迷信に付き合う必要はありません」

「迷信じゃねえよ」

 老人は低く返した。

「炉守は昔から、炉の機嫌を音で聞く仕事だ。言葉に聞こえるかどうかは人次第だがな」


 セヴランは一拍置いて、息を整えるように指先を組んだ。


「仮に何らかの精霊的反応があるとしても、それは設備の一部です。終灯都の維持に必要な資源に変わりありません」

「資源、ね」

 ミラが吐き捨てる。

「ずいぶん都合のいい言葉だ」

「都の灯りが落ちれば、何万人が凍え、霧に呑まれると思います?」

 セヴランは穏やかなまま言った。

「私は感傷で都市運営はしません」


 その言葉が正しいことも、たぶんある。

 でも正しさだけで、人の喉につかえるものまで飲み込めるわけじゃない。


 ボクはふと、貨車の中から聞こえた“かえる?”を思い出した。

 あれがただの燃料の声なら、こんなに気にならない。


「終灯都を助けるのは賛成」

 ボクは言う。

「でも、ボクはあの子を、ただの薪みたいには思えない」

「子、ですか」

 セヴランはほとんどため息みたいに呟いた。

「旅の人らしい感性ですね」


 なんだか、急に好きになれない顔になった。


「この話はここまでに」

 セヴランは書類を閉じた。

「ヘリオス号乗務員には、明日まで都市滞在を認めます。その後、復路便の手配に従っていただく。アウリィさんも、必要以上の行動は慎んでください。終灯都はいま、非常時です」

「非常時だから慎むより、見たほうがいいこともあるんじゃない?」

「それを判断するのは局です」


 きっぱり言われて、ボクは少しだけ笑ってしまった。


「そういうの、ボクにあんまり向いてないんだよね」

「でしょうね」

 ミラが横から言う。


 ハルヴァーが咳払いをひとつした。

「次席。こっちは大炉の下見が残っとる。失礼するぞ」

「どうぞ」


 部屋を出る直前、老人は振り向きもせず言った。


「精霊読みの嬢ちゃん、あとで時間があれば炉塔へ来い」

「ハルヴァー炉守長」

「儂は現場の迷信に付き合うんだよ」


 セヴランの眉間に、初めて小さな皺が寄った。



      ◇



 補給局を出ると、街はすっかり“昼”になっていた。


 といっても、空が晴れたわけじゃない。

 中央炉塔の光量が上がったのだ。塔の上部円環が回転し、そこから分配される白金色の灯りが中心街をより明るくしている。


 ボクとミラは駅舎前の広場で立ち止まった。


 中央へ伸びる大通りは輝いて見える。石畳は磨かれ、街灯は新しく、人々の外套も比較的きれいだ。けれど、横道の先へ目を向けると、途端に光が薄くなる。路地の影が濃く、壁のひびも、窓の古さも隠れない。


「わかりやすいね」

 ボクが言う。

「中心は見せるための灯りだ」

 ミラが答える。

「外縁は生かすための最低限。しかも最近は、その最低限すら怪しい」


 彼女の横顔は硬い。


「ミラ、終灯都に来たことあるんだ」

「何度かな。部品の融通、機関の研修、喧嘩の売買」

「最後のやつ、仕事なの?」

「半分くらいは」


 それはだいぶ多い。


 歩きながら、ボクは風の気配を探った。

 街の精霊は列車内よりさらに複雑だ。無数の導管を走る熱の子、街灯に住む小さな火の子、蒸気弁でせわしなく働く圧の子。そしてその下で、ひどく疲れている大きな気配がひとつ。


 中央炉塔。

 アステリオン。


「大炉も、痛がってる」

「やっぱり聞こえるか」

 ミラは驚かなかった。

「ハルヴァーの爺さんが呼んだ理由、それだろうな」

「会いに行く?」

「行く前に、トーマの家に顔を出す。外縁の様子を見たい」


 ちょうどそこへ、トーマが追いついてきた。

 母と妹をいったん家へ送り届け、仕事の区切りをつけてきたらしい。


「お待たせしました」

「ちょうどいい」

 ミラが言う。

「お前の家、案内しろ」

「え、はい。もちろんですけど……どうして?」

「灯りの偏りを見る」

「……なるほど」


 トーマは一瞬だけ迷うような顔をして、それから頷いた。

「見てください。たぶん、見たほうが早いです」



      ◇



 外縁二区に入ると、街の空気は露骨に変わった。


 同じ終灯都の中なのに、灯りの色が違う。

 中心の白金ではなく、少し赤みがかった橙色。導灯の間隔も広い。蒸気管の補修跡は継ぎはぎで、石畳には欠けた場所が多い。建物の窓には断熱のための布が何枚も重ねられていた。


 人はいる。生活もある。洗濯物を干す人、鍋を覗く人、軒先で部品を磨く老人。

 でも皆、どこか灯りの残量を気にしながら生きている気配がした。


 トーマの家は、小さな仕立て屋兼住居だった。表には古びた看板。窓辺に小さな手回しミシン。ユリアはそこで繕い物を請け負っているらしい。


「狭いですけど、どうぞ」

「旅人は狭いと落ち着くよ」

「本当ですか?」

「たぶん」


 中は清潔で、暖かかった。ネラが嬉しそうに椅子を運び、ユリアがお茶を淹れてくれる。薄いけれど香りのいい茶葉だ。ミラは最初こそ立ったままだったが、ユリアに当然のように椅子を勧められて、観念したらしい。


「お兄ちゃん、駅で怒られてた?」

 ネラが訊く。

「怒られてない」

「顔、そういうときの顔だった」

「お前は妙なところで観察眼がいいな……」

「えへん」


 そのやり取りに、少しだけ部屋の空気が柔らかくなる。


 でも、楽しいだけでは終わらない。

 ユリアが窓辺の灯計を見上げたとき、その顔にわずかな緊張が走った。


「また下がってる」

「昼なのに?」

 トーマが立ち上がる。

「中心部が増灯したんでしょう」

 ユリアは慣れた声で言う。

「こういう日は、こっちが削られるの」


 灯計の針は、黄色の線をじわじわ下回っていく。

 部屋の導灯が、ほんのわずかに暗くなった。


 ボクは息を呑む。

 街じゅうの灯りが足りない、というのを、理屈じゃなくて目で見てしまった。


「毎日じゃないわ。でも、最近は増えた」

 ユリアが静かに言う。

「外縁は夜の配灯が短くなることもあるの。だから早めに食事をして、布を厚くして、寝る」

「局は何て?」

 ミラが問う。

「“一時的な調整です”って。いつも同じ」


 ネラは黙ってコップを両手で包んでいる。

 子どもが慣れてしまっているのが、いちばん胸にくる。


「……ごめん」

 トーマが低く言った。

「僕、知らなかった。ここまでとは」

「謝ることじゃないわ」

 ユリアは息子を見る。

「あなたは外へ出て働いてる。知らなかったなら、今知ればいいだけ」

「でも」

「“でも”の先は、知ってから考えなさい」


 強い人だ、と思った。

 責めない代わりに、誤魔化しもしない。


 ボクはお茶を一口飲んで、ふと壁際の小棚に目を止めた。小さなガラス容器に、弱々しい灯りがひとつ入っている。持ち歩き用の簡易灯だろう。


「それ、きれい」

「父さんの形見です」

 トーマが言った。

「機関整備士だったので」


 ユリアの指が、その灯りの上で一瞬止まる。

「外縁線の事故で亡くなったの」

「……そっか」


 言葉が軽くならないよう気をつけて、短く返すしかなかった。


 旅人であるボクは、誰かの人生へ一時的に立ち寄るだけだ。

 でも一時的だからって、軽く触れていいわけじゃない。


 沈黙を破ったのはネラだった。


「アウリィ、街を見せる約束」

「お、覚えてた」

「もちろん」


 ユリアが苦笑する。

「暗くなる前に少しだけなら。トーマ、一緒に」

「僕も?」

「当然でしょ」

「はい……」


 ミラが椅子から立ち上がった。

「私も行く」

「ミラも?」

「お前らだけで変なもの拾ってくる気しかしない」

「それは少しある」

「あるのか」


 ミラは額を押さえた。



      ◇



 外縁二区を歩くネラの足取りは軽かった。


「ここが市場。午後はあんまり灯りつかないの」

「ほんとだ」

「こっちが橋。雨の日は滑るからだめ」

「気をつける」

「それで向こうが防壁見張り台。あっちは行っちゃだめ」

「了解」


 説明がきびきびしていて、少しトーマに似ている。

 でも話題の飛び方はもっと自由だ。


「アウリィの槍、重い?」

「重いよ」

「じゃあなんで持ってるの?」

「相棒だから」

「わかんない」

「そのうちわかるかも」


 橋の上から見ると、終灯都の構造がよくわかった。

 中心へ行くほど高く、外へ行くほど低い。同心円状の街区に沿って導管と路線が走り、灯りも熱もすべて中央炉塔から流れていく。


「川はないんだね」

「昔は温水路があったらしいです」

 トーマが言う。

「いまは大半が蒸気管に置き換わってます」

「ふうん……」


 そのとき、風の向きが変わった。

 冷たい。


 ボクは足を止める。


「アウリィ?」

 ミラが怪訝そうに振り返る。


「……来る」

「何が」

「灯りが落ちる」


 そう言った途端、橋のたもとの街灯がひとつ、ふっと消えた。

 次いで二つ、三つ。

 導灯列が、外縁から順に息を止めるみたいに暗くなっていく。


 周囲の人々が一斉に顔を上げた。

 遠くで警報鐘が三度鳴る。短い、停電警戒の音だ。


「こんな時間に?」

 トーマの顔色が変わる。

「ネラ、母さんのところへ戻――」

「先に二人を守れ」


 ミラが低く言う。

 その声に、ボクもすぐ動いた。


「ネラ、ボクの後ろ」

「う、うん」

「トーマ、右の路地見て。ミラ、上!」


 灰喰いだ。


 暗がりが増えた途端、壁際の影が不自然に濃くなる。昼でも関係ない。灯りが痩せれば、あいつらは寄ってくる。


 最初の一体が橋の欄干下から跳ね上がった。ボクは半歩前へ出て、槍の柄で横へ払う。影は弧を描いて外れ、ミラが投げた携帯灯の光をまともに浴びて霧へ散った。


「左二! 低い!」

「見えた!」


 トーマはネラを庇いながら、壁の非常灯の弁を回す。ちり、と赤い補助灯が灯った。完全な防灯には弱いけれど、時間稼ぎにはなる。


「ミラ、橋の下!」

「任せろ!」


 ミラは工具袋から短い発光筒を引き抜き、火花を散らして川跡の暗渠へ放り込んだ。下で複数の灰喰いが嫌そうにざわつく。


 ボクは精霊術で風の子へ呼びかける。

 この世界の子たちは扱いづらい。でも、導き程度なら応えてくれる。


「光のほうへ、追って」


 風が細く流れ、影の動きがほんの少し乱れた。

 その隙に、トーマが補助灯をさらに二つ起こす。ネラは恐がりながらも、言われた通り灯り袋を開いてくれた。


「えらい」

「い、いま褒めるところ?」

「こういうときこそだよ」


 ネラが泣きそうな顔で笑った、その瞬間。


 中心側から強い白光が走った。

 遅れて、深い地鳴りみたいな振動。


 中央炉塔が、脈打った。


「何だ」

 ミラが空を見上げる。

 塔の上部円環が不規則に点滅している。白い灯りが明滅し、街全体の影が伸びたり縮んだりした。


 そのリズムは、痛みに身をよじる生き物みたいだった。


「アステリオン……」


 思わず呟く。

 大炉の声が、ここまで届いてくる。


 苦しい。

 詰まってる。

 熱い。

 足りない。


「これ、ただの配灯調整じゃない」

 ボクは言った。

「大炉そのものが変」

「わかるのか」

 ミラが振り向く。

「うん。すごく嫌な鳴り方してる」


 トーマが唇を噛む。

「局は“接続まで持てばいい”って考えてるのかもしれない」

「持たなかったら?」

「……わかりません」


 最後の灰喰いを散らし終えたころには、周囲の非常灯がだいぶ起きていた。人々もそれぞれ家へ急ぎはじめる。停電は完全ではなく、一時的な局所落ちで済んだらしい。


 でも、その一瞬だけで十分だった。

 この街が、綱渡りの上に立っているのがわかってしまったから。


「ハルヴァーのとこ、行くぞ」

 ミラが言う。

「いまなら爺さんも大炉の下で騒いでるはずだ」

「ボクもそうしたい」

「僕も行きます」

 トーマが即答する。


「だめ」

 ユリアの声がした。


 振り返ると、橋の向こうから彼女が歩いてきていた。心配して迎えに来たのだろう。顔色は悪いが、声はしっかりしている。


「トーマ。あんたはネラを連れて家へ」

「でも」

「でもじゃない。知ることと、飛び出すことは違う」

「……」

「行きたいなら、行く準備をしてからにしなさい」


 トーマは悔しそうに黙り込んだ。

 ユリアはボクたちを見る。


「お願いがあります」

「なに?」

 ボクが訊く。


「この街を、できれば……うちの子だけじゃなく、あっちもこっちも、見てください」


 母親の願いとしては、あまりに大きすぎる。

 でも彼女は、それをわかった上で言っている顔だった。


「見える人が、見ないのはもったいないから」


 その言葉に、ボクは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


「うん」

 ちゃんと頷く。

「見るよ」



      ◇



 中央炉塔は、近づくほどに“建物”という感じが薄れた。


 それはもう、ひとつの都市機関だった。

 塔の根元は巨大な基部施設になっていて、何層もの足場と管路が重なり、蒸気昇降機がせわしなく上下している。あちこちで警報灯が点き、作業員たちが走り回っていた。


 ハルヴァーは下層の制御室にいた。怒鳴っていた。


「だから北灯路の圧を絞りすぎるなと言ったろうが! 中環の増灯なんぞ後回しだ!」

『局命令です』

 通話管の向こうから冷たい声。

「局命令で炉が機嫌よくなるなら儂はとっくに引退しとる!」

『次席の決裁です』

「くそったれが!」


 すごく元気なおじいさんだ。


「来たか」

 ハルヴァーはボクたちに気づくと、手を振った。

「嬢ちゃん、こっちだ。耳を貸してみろ」

「どこに?」

「床だ」


 言われるまま、分厚い金属床へ膝をつく。手のひらを当てる。


 瞬間、声が流れ込んできた。


 痛い。

 熱い。

 重い。

 引っぱるな。

 足りない。

 詰まってる。


「っ……」


 思わず眉をひそめる。

 これは炉心よりずっと大きい。声というより、巨大な苦鳴の波だ。


「聞こえるか」

「うん……すごく、つらそう」

「だろうな」

 ハルヴァーは苦い顔で頷く。

「アステリオンは古い。古いが、まだ死んじゃいない。本来なら整流と休息で持ち直す余地がある」

「じゃあなんで」

「局が無理やり使うからだ」


 ミラが制御盤の計器を睨む。

「配灯を中心に寄せすぎてる」

「そうだ。外縁や旧工区を絞って、中環と官区を照らしてる。見た目の安定のためにな」

「馬鹿げてる」

「政治だよ」


 ハルヴァーは通路の先を顎で示した。

「来い。見せたいもんがある」


 案内されたのは、導管の中継弁が並ぶ保守通路だった。熱い。暗い。狭い。

 そして、嫌な気配がする。


「これ……」

 ボクは足を止めた。


 配管の継ぎ目、圧弁の根元、灯路の分岐。あちこちに、黒い釘が打ち込まれている。

 無音釘だ。

 一本や二本じゃない。何十も。


「正気?」

 ミラが吐き捨てる。

「都市の基幹にこんな数を?」

「非常措置だとよ」

 ハルヴァーは肩を落とした。

「騒ぐ灯精を黙らせ、熱の偏りを無理やり固定する。短期なら持つ。だが長く打てば、炉は自分の痛みを伝えられなくなる」

「だから急に落ちる」

「そういうことだ」


 ボクは最寄りの一本へ手を伸ばし、触れる寸前でやめた。

 嫌がっている。管の中の熱の子が、びくっと震えたのがわかる。


「抜けばいい?」

「簡単にはいかん」

 ハルヴァーが言う。

「一気に抜けば、押さえ込んでいた圧が暴れる。街じゅうの灯りが瞬時に乱れるだろう」

「でも、このまま新しい炉心を繋げたら?」

「持つかもしれん。数日か、数週間かはな」

「その後」

「新しいほうが焼ける。古いほうもたぶん無理をする。結局、次を欲しがる仕組みになる」


 次。

 またどこかの街の心臓を抜く、ということだ。


「……最悪だね」

 ボクが言うと、ハルヴァーは疲れた目で笑った。

「まったくだ」


 トーマが遅れて合流してきたのは、そのときだった。

 息を切らし、頬にまだ外気の冷たさを残している。


「母さんに叱られました」

「でしょうね」

 ミラが言う。

「でも、“行くなら見てこい”とも」

「お前の母親、強いな」

「ええ」


 トーマは通路の無音釘を見て、絶句した。


「こんな……」

「知りたかったんだろ」

 ミラが言う。

「なら見ろ」

「……はい」


 トーマはゆっくり一歩踏み出し、黒釘のひとつを見つめた。

「これで、外縁を削ってたんですね」

「外縁だけじゃない」

 ハルヴァーが答える。

「旧工区、放棄区、独立炉の残骸、全部から。生き残った灯りを縫い止めて、必要な場所へ引っ張る」

「必要な場所……」

「誰にとっての、だろうな」


 その言葉へ返事をできる者は、誰もいなかった。


 代わりに、遠くで警報がまた鳴った。

 今度は長い。低い。都市中枢の警報だ。


 ハルヴァーが顔を上げる。

「接続準備を前倒ししたな」

「今夜中に、だっけ」

 ボクが言う。


「ええ」

 通路の奥から、聞き慣れた声がした。


 セヴランだった。


 いつの間に来たのか、彼は保守通路の入口に立っていた。後ろには局の警備が二人。相変わらず外套は汚れていない。


「炉守長。無断で外部者を中枢保守路へ入れるのは規定違反です」

「規定で炉は治らん」

「治すために、新しい炉心を接続するのです」


 セヴランの視線が、ボクたちを順に撫でる。

 怒っている、というより、手間を増やされた事務官の顔だった。


「ちょうどいい。皆さんに正式にお伝えします。都市状況の悪化により、黎明炉心の代灯式を本日夕刻に繰り上げます」

「待て」

 ミラが一歩出る。

「この状態のアステリオンにそのまま繋げば、また焼き潰すだけだ」

「持つだけで十分です」

「十分?」

「冬を越えられればいい」


 その言い方に、トーマが顔を上げた。

「じゃあ、そのあとまたどこかの街を?」

「必要なら」


 セヴランは何でもないことみたいに言った。


「都市を守るとは、そういうことです」


 ああ、この人は本当にそう思っているのだ。

 悪意でなく、確信で。

 それがいちばん厄介だと、ボクは知っている気がした。


「灯りは人を生かします。だが全員を同じようには生かせない。ならばより多くを優先する。感情は理解しますが、判断は別です」

「その“より多く”に、外縁の子どもは入ってる?」

 ボクは訊いた。

「ネラみたいな子」

「当然です。終灯都に住む以上は」

「でも、もう削ってる」

「全体を守るための調整です」

「ロシュは?」

「放棄区です」

「だから切っていい?」

「既に切られていた区画を転用しただけです」


 言葉の並べ方が上手い。

 上手いけれど、やっぱり好きになれない。


 ハルヴァーが唸るように言った。

「お前さん、炉を数字でしか見とらん」

「数字は嘘をつきません」

「嘘つきが数字を使うんだよ」


 セヴランはそれには答えなかった。

 代わりにボクへ向き直る。


「アウリィさん。あなたは旅人だ。ここで起こる全てを背負う義務はない」

「うん」

「なら、賢く距離を取るべきだ」

「それ、やさしさのふりした排除でしょ」

「危険の回避です」

「ボク、危ないから見ないって決めたら、旅の半分くらいなくなるんだよね」


 セヴランの目が、ほんの少しだけ細くなった。


「後悔しますよ」

「見なかったほうが、たぶん後悔する」


 するとミラが横で、小さく鼻を鳴らした。

「そういうやつだ」


 トーマも一歩だけ前に出た。


「僕も見ます」

「車掌補」

 セヴランの声が冷える。

「職務を忘れないように」

「忘れていません。だから、なおさらです」


 ハルヴァーが低く笑う。

「若いな」


 そのときだった。


 通路の向こう、都市のどこかで大きな破裂音がした。

 続いて、灯りが一瞬だけ全部落ちる。


 ほんの一瞬。

 でも確かに、終灯都全体が暗くなった。


「……っ」

 誰かが息を呑む。


 次いで非常灯が赤く点き、警報がけたたましく鳴り出した。


『外縁三区、局所灯路崩落! 灰喰い侵入! 防灯班急行!』


 通話管の叫びに、トーマの顔が真っ白になる。

「三区って……!」


「お前の家のほうか?」

 ミラが訊く。

「二区との境です。近い」

「くそ」


 セヴランは即座に警備へ指示を飛ばす。

「代灯式をさらに前倒ししろ。これ以上待てば都市全体が連鎖する」

「はっ」

「待て!」

 ハルヴァーが怒鳴る。

「いま繋げば、灯路の歪みごと新しい炉心に流れ込む!」

「それでも必要です」

「また焼く気か!」

「都市が先です」


 その言葉と同時に、ボクの耳の奥で、二つの声が重なった。


 大炉アステリオンの苦鳴。

 そして、搬入中の黎明炉心の、小さな怯えた熱。


 ――いや。

 ――さむい。

 ――いたい。


「……だめ」


 思わず声が出た。


「アウリィ?」

 ミラが振り向く。


「だめだよ、これ。繋いだら、きっとあの子、壊れる」

「設備です」

 セヴランが言う。

「違う」


 ボクははっきり首を振った。


「設備でも、資源でもない。少なくともボクには、そうは聞こえない」


 言い切った瞬間、胸の奥がしんとした。


 何かを決めるときって、たぶんこういう感じなんだ。

 大きな声じゃなくていい。

 でも、自分の中の線を、はっきり引く。


 終灯都は助けたい。

 外縁も、ネラたちも、トーマの家も守りたい。

 でも、それを“この子を使い潰していい理由”にはしたくない。


「方法、ある?」

 ボクはハルヴァーに訊いた。

「この街も、あの子も、両方すぐ助ける方法」

「簡単じゃないぞ」

「簡単じゃなくていい」


 老人はボクを見て、それから無音釘の並ぶ灯路を見た。


「……理屈の上では、ある」

「何」

「中枢灯路の無音釘を段階的に抜く。同時に各環区の整流弁を開いて、アステリオン本来の流れを取り戻す。そのうえで新しい炉心を“継ぎ足す”んじゃなく、“対話”させる」

「対話?」

「昔の炉守のやり方だ。いまじゃ誰もやらん。時間も人手も要るからな」

「どれくらい」

「今夜いっぱい」

「足りる」

「足りるか馬鹿」


 ミラが即座に言った。

「都市規模だぞ」

「でも今夜つぶすよりまし」

「理屈はそうだが――」


「却下です」

 セヴランが冷たく断じた。

「そんな不確実な賭けに都市は乗せられない」


 トーマが、ぎり、と歯を食いしばる音がした。


「不確実、ですか」

「そうです」

「いままでのやり方は確実だったんですか」

「少なくとも今日までは都市を保ってきた」

「その結果がこれでしょう!」


 トーマがこんな声を出すのを、初めて聞いた。


「外縁は削られ、放棄区は捨てられ、いま僕の家の近くが落ちかけてる! それでも“保ってきた”って言うんですか!」


 セヴランは眉ひとつ動かさない。

「感情論です」

「感情で悪いか」

 ミラが低く言う。

「灯りの下で生きてるのは人間だ。感情を切ったら、都市に何を残す」

「秩序です」

「それだけで暖は取れん」


 警報がまだ鳴っている。

 足元から伝わる大炉の苦鳴も強くなっていた。


 時間がない。


 ボクは槍を握り直した。

 攻撃力は低い。火力もない。何かを壊して突破するのは苦手だ。

 でも、探して、見つけて、繋いで、支えることならできる。


「ミラ」

「なんだ」

「ボク、やるよ」

「何を」

「聞くこと。繋ぐこと。抜く順番を見つけること」

「……」

「トーマ」

「はい」

「街の人に伝えて。灯りが揺れても、消えるためじゃなく戻すためだって」

「それは」

「できる?」

「……やります」


 ハルヴァーが、ふう、と長く息を吐く。

「若いってのは、ほんと無茶を簡単に言いよる」

「若くないかも」

「いまは若いでいい」


 セヴランが一歩前へ出た。

「許可しません」

「許可がないと、人って助からないの?」

 ボクは訊いた。


 たぶん、意地悪な言い方だった。

 でも、いまは少しくらい意地悪でもよかった。


「これは都市運営の問題です」

「だから?」

「旅人が踏み込むには重すぎる」

「重いから、ひとりじゃ持てないんでしょ」

「……」

「ならみんなで持とうよ」


 その沈黙の向こうで、また警報が鳴る。

 今度は二区。トーマが青ざめる。


 セヴランはしばらく何も言わなかった。

 やがて、冷えた声で告げる。


「警備。炉心搬送を優先。代灯式の準備を続行しろ。妨害する者は拘束で構わない」


 警備員が前へ出る。


 ミラが舌打ちし、工具袋からレンチを抜いた。

「ほら来た」

「やっぱり喧嘩の売買、半分仕事なんだね」

「いまは七割だ」


 トーマが迷ったように拳を握る。

 ハルヴァーは通路の脇の非常弁へ手をかけた。


「アウリィ」

 ミラが短く呼ぶ。

「うん」

「逃げ道は見るなよ」

「見るよ」

「……そうじゃなくて」

「わかってる。逃げるためじゃなく、通すために見る」


 ミラはほんの一瞬だけ目を見開いて、それから笑った。

「よし」


 次の瞬間、ハルヴァーが非常弁をひねった。轟、と蒸気が噴き出し、通路が真っ白に染まる。

 警備が怯んだ隙に、ミラが先頭の足を払う。ボクは二人目の手首を槍の柄で弾き、進路をずらす。トーマが書類箱を蹴って足止めを作った。


 攻撃じゃない。

 でも十分だ。


「こっち!」

 ボクは熱の流れがまだ穏やかな保守路を指差した。

「抜きやすい灯路がある! まずそこ!」

「案内しろ!」

 ハルヴァーが怒鳴る。

「トーマ、二区へ伝令! ミラ、整流班をかき集めろ!」

「了解!」

「了解!」


 蒸気の白の向こう、セヴランの声が追ってくる。

「止めろ! これは反逆行為だ!」


 でも、もう立ち止まれなかった。


 終灯都の灯りが揺れている。

 大炉は苦しんでいる。

 黎明炉心は怯えている。

 そして外縁には、灯りが必要な人たちがいる。


 全部を抱えるなんて、たぶん無茶だ。

 だけど、無茶だから諦めるには、ボクはまだこの街を知り足りない。


 保守路を走りながら、ボクは胸の奥で小さく答えた。


 ――大丈夫。

 ――まだ、終わらせない。


 灰色の街の中心で、灯りをめぐる本当の夜が、いまはじまろうとしていた。

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