第89話 切り抜きの夜
朝だった。
ダンジョンの外の空気は軽くて、少しだけ冷たくて、やけに現実味があった。
家のドアを開けた瞬間、全身の力が抜けそうになる。
帰ってきた……本当に。
「ヤヤコ!?」
リビングの方から、モニカの声が飛んできた。
次の瞬間、ぱたぱたと足音。
「大丈夫だったの!? 配信、途中で止まったままだったんだけど!」
私は思わず苦笑する。
「あー……ちょっとね。トラブル」
「トラブルってレベルじゃないでしょ。コメント欄すごかったんだから。一旦終了してから、音沙汰なしだったんだから」
心配してくれていたのが分かる声音だった。
私は靴を脱ぎながら、できるだけ軽い調子で言う。
「まあ、あの後色々あって拘束されたけど」
「は?」
「何とかなったよ。ほら、生きてるし」
わざと肩をすくめてみせる。
モニカは目を見開いたまま、しばらく固まっていた。
「……ちょっと待って。拘束? 教団って、危ないやつらなんじゃないの?」
私は一瞬だけ、言葉に詰まる。
危ないやつら。
そう、言い切ってしまえば楽だ。
でも。
「うーん……どうだろ」
曖昧な返事しか出てこなかった。
「思想はちょっと尖ってるけど、いきなり殺されるとか、そういうのじゃなかった」
「いや、拘束されたって言ってたよね?」
「それは、まあ、そうなんだけど」
言葉がうまく並ばない。
モニカはまだ不安そうだったが、私がそれ以上話さないと分かると、深く追及はしなかった。
「……とりあえず、無事で良かった」
「うん」
本当に、それだけは事実だ。
自室に戻り、カバンを床に置く。
配信用ドローンを取り出して、軽く撫でた。
「お前も無事か」
冗談みたいに呟いてから、パソコンを立ち上げる。
配信を再開するためだ。
開始ボタンを押すと、すぐにコメントが流れ始める。
<コメント>
・戻った!!
・生きてた!?
・どうなったの!?
・やっと戻った!
・通報案件?
・何があった??
・教団とどうなった
私は深呼吸してから、口を開いた。
「えー……昨日の件なんだけど」
教団の拠点を見つけたこと。
捕まったこと。
でも、暴力を振るわれたわけではないこと。
話はできたこと。
事実だけを並べる。
感情は、なるべく挟まない。
「危険かどうかって言われると……難しいかな」
コメント欄がざわつく。
「信じるかどうかは、みんな次第。でも、私はちゃんと帰ってきた。それが全部」
批判とも擁護とも取れない言い方。
自分でも分かっている。
歯切れが悪い。
でも、それしか言えなかった。
配信を終えると、どっと疲れが押し寄せる。
椅子に体を預けて、天井を見上げた。
……結局。
私はアリサにはなれない。
教団も言っていた。
アリサの影響力は大きい、と。
ダンジョン配信という文化そのものに影響を与えた存在。
私は、そこまでじゃない。
昨日の出来事だって、もしアリサだったら……
もっと鮮やかに、もっと強く、世間に訴えかけたかもしれない。
私は曖昧に濁した。
それが正しいかどうかも分からないまま。
「……負けたな」
誰に向けたわけでもない呟き。
右肩の傷が、じわりと疼く。
あれは、実力の差だ。
影響力の差だ。
覚悟の差だ。
でも。
だからこそ。
私は、私なりにケジメをつけたいと思った。
パソコンを開く。
配信者一覧から、アリサのアーカイブを辿る。
膨大な動画の山。
「ほんと、よくやるよね……」
思わず苦笑する。
私は動画編集ソフトを立ち上げた。
新規プロジェクト。
タイトル欄に、何も考えず打ち込む。
『【まとめ】アリサとかいうダンジョン配信者』
最初は軽い気持ちだった。
でも、映像を切り取り、つなげていくうちに、手が止まらなくなる。
初期のぎこちない配信。
炎上しかけた回。
神プレイ。
迷い。
恐怖。
そして、死。
全部、そこにある。
「……あんた、やっぱすごいよ」
画面越しに呟く。
アリサと真正面から張り合っても、勝てないのは分かった。だけど、違う角度から捉え直すことはできる。
アイツと本気で向き合った私だからこそ、できることだと思った。
私はアリサにはなれない。
でも……私は、アリサを見てきた。
視聴者として。
配信者として。
ライバルとして。
私なりの解釈で、彼女を切り取ることはできる。
気づけば、外は暗くなっていた。
何時間も編集していたらしい。
目が痛い。肩が重い。
でも、最後のカットを繋ぎ終えたとき、不思議な達成感があった。
「……よし」
エンコード。アップロード。
慎重に内容をチェックして、投稿ボタンを押す。
それを見届けた瞬間、限界が来た。
ベッドに倒れ込み、そのまま意識が落ちる。
――ピコン。
通知音で目が覚めた。
眩しい。
何時間寝たのか分からない。
スマホを手に取り、ぼんやり画面を見る。
そして、目が覚めた。
「……お?」
通知が止まらない。
動画の再生数。
コメント数。
共有数。
数字が、異常だった。
「すご……」
投稿から数時間で、桁が跳ね上がっている。
SNSでも拡散されていた。
『これ見て泣いた』
『アリサってこういう人だったんだ』
『まとめ助かる』
『謎の感動』
『ヤヤコがこれを投稿するのエモい』
私の動画が、バズっている。
呆然としながら、再生画面を開く。
そこにいるのは、私が切り取ったアリサだ。
強くて、迷って、苦しんで、傷ついて。
完璧じゃない。
でも、確かに「本物」だ。
「……そっか」
胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりほどけていく。
アリサにはなれなくても、私なりに、アリサという人間を解釈することはできる。
憧れでも、嫉妬でもなく。
一人の配信者として。
これが、私なりのケジメだ。
敗北を認めたうえで、隣に立つ方法。
私は小さく笑った。
「まあ、悪くないじゃん」
アリサにも、教団にも負けたかもしれないけど。
負けっぱなしってわけじゃない。
私のやり方で、やっていけばいい。
そう思えた。




