第85話 ここでしか、生きられない
「……角があるだけならさ」
私はようやく口を開いた。
視線は、どうしてもその赤い角に吸い寄せられる。
「帽子とか、フードとか。隠せば外に出られるんじゃないの?」
見た目の問題なら、いくらでもごまかしようがある。
私だって配信では衣装でいろいろ誤魔化してきた。
でも、ハナは静かに首を振った。
「見た目の問題じゃないの」
その声は、さっきよりもずっと落ち着いていた。
「私、魔素がない場所だと生きられない」
――魔素。
ダンジョンに満ちている、あの独特の力の流れ。
外の世界にも微量はあるけど、濃度は比べものにならない。
「どういう意味?」
「外に出ると、体が弱っていくの。呼吸が苦しくなって、熱が出て……長くは持たないの」
淡々とした説明。
でも、それが「自分のこと」だという重みが、じわりと伝わってくる。
……それ、本当なら。
外に出ると死ぬ、ってことじゃん。
私は言葉を飲み込む。
さっきまでの「外に行けばいいじゃん」は、軽すぎた。
ハナは、机の上にそっと指を置いた。
「私はね、ダンジョンの中で生まれたの」
「……中で?」
「うん。母は探索者だった。調査任務の途中で、ここに留まることになって……そのまま」
そのまま、って。
私は思わず顔をしかめる。
ダンジョンの中で出産?
正気の沙汰じゃない。
「父親のことは、何も聞かされなかった」
ハナは、わずかに視線を伏せた。
「母は教えてくれなかったし、周りも何も言わなかった。魔物ってことだけしか、知らされてない……」
半分魔物。その事実だけが、彼女に貼りついている。
「……お母さんは?」
聞いてから、少し後悔した。
でも、ハナは逃げなかった。
「私がまだ小さい頃に、病気で死んだよ」
あまりにも静かな言い方。
「そして、母の仲間たちが私を引き取った」
ハナは続ける。
「探索者だった人たち。母と一緒に潜っていた人たち」
「それってもしかして……」
「そう。その人たちが、今の教団の幹部」
私はすぐに思い至る。
「アーロンも?」
「うん。あの人も、創設メンバーのひとり」
なるほどね。
単なる教祖と部下じゃない。
育ての親、みたいなものか。
「最初はね、ただの『身内の集まり』だったんだよ」
ハナは、少しだけ微笑んだ。
「私を守るための、集まり」
ダンジョンの奥で生まれた、角のある子ども。
外に出られない。
母は死んだ。
放っておけば、どうなるかなんて想像はつく。
……確かに、守るしかない。
「でも、だんだん人が増えていった」
ハナの声は、どこか遠くを見るようになる。
「外の世界で居場所をなくした人たち。探索者として失敗した人。家族を失った人。差別された人……」
「角」があるのは、ハナだけじゃないらしい。
「普通」という枠組みから、はみ出した人たち。
「ここは、そういう人たちの共同体になりつつあるの」
教団。
狂信的な集団。
危険思想の塊。
……そう思っていた。
でも、ハナの言葉を聞いていると、少しだけ、印象が変わる。
家族。
居場所。
守るための集まり。
それを、外から見れば「教団」と呼ぶのかもしれない。
「私にとってはね」
ハナは、静かに言った。
「ここが、家族みたいなものなの」
その言葉に、嘘はない。
少なくとも、彼女自身は本気だ。
私は、ベッドの端に腰かけたまま、黙っていた。
さっきまであった敵対心が、じわじわと薄れていく。
もちろん、全部を肯定する気はない。
アリサの件だって、納得したわけじゃない。
でも。
目の前にいるのは、「教祖」じゃない。
外に出られない、角のある少女。
母を亡くして。
育ての親たちに囲まれて。
ここでしか生きられない子。
なんか、ずるい。
こんな話、聞かされたら……。
「だからね」
ハナは私を見る。
「外の話が、知りたいの」
純粋な目。
「どんな空で、どんな街で、どんな人が笑ってるのか」
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
私は外を知っている。
配信して、炎上して、笑って、泣いて。
自由に移動して。
空気を吸って。
当たり前だと思っていた。
それが、彼女にはない。
「……そっか」
私は小さく息を吐いた。
完全に味方になるわけじゃない。
でも。
少なくとも今は。
この子を「敵」とは呼べなかった。
教団への警戒は、まだ残っている。
だけど……。
ハナに対しては――
同情、に近い感情が、確かに芽生えていた。




