第72話 後継者争い
エンジン音が、深層の空気を震わせた。
――来る。
私は即座に後方へ跳んだ。
次の瞬間、さっきまで立っていた場所を、チェーンソーの刃が薙ぎ払う。
「ははっ!」
リザが笑う。
「いいね、その反応! 逃げ足が速い!」
間合いが、異常に近い。
踏み込みが早すぎる。
迷いがない。
――こいつ、最初から当てる気しかない。
私はさらに距離を取る。
壁沿いへ、視界を広く保つ位置へ。
「ああもう、近づくな!」
「近づかなきゃ、殺せないでしょ?」
リザは即答した。
躊躇なく、再び突っ込んでくる。
距離を詰める速さが、常軌を逸している。
足音がしない。
踏み込みの瞬間、地面を蹴る感触すら無視しているようだった。
――こいつ、自分が攻撃を受ける可能性を、計算に入れていない。
横薙ぎ。
縦振り。
返しの突き。
どれもが、配信映えする派手な軌道。
そして、確実に殺すための角度。
私は、倒さない。
避ける。
下がる。
牽制だけ入れる。
最低限の魔素で、足止め用の電撃を展開。
「ちっ……!」
リザが舌打ちする。
「逃げてばっか! それで楽しいの?」
「楽しくはない!」
反射的に叫んでいた。
「でも、生きる!」
一瞬、リザの目が細くなる。
「……やっぱり、嫌いだ」
踏み込みが、さらに深くなる。
壁を蹴り、天井の突起を足場にして、上から振り下ろしてくる。
私は転がるように距離を取った。
――近づかせるな。
――正面から受けるな。
頭の中で、トレーナーの声が蘇る。
『戦闘イコール前進、という癖を切る』
私は、前に出ない。
出させない。
リザの攻撃が、次第に荒くなる。
「逃げるなよ! アリサは、こんな戦い方しなかった!」
「そうでもないよ!」
叫び返す。
以前、アリサと戦った時のことを思い出した。
あの時は、果敢に攻める私に対して、アリサは距離を保って戦っていた。
不思議なことに、今は私がその戦い方をしている。
「アリサだって、みっともなく生き延びようとした!」
「知ったような口を……!」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、リザの動きが止まった。
――まずい。
次の攻撃は、怒りではなかった。
「決意」だった。
一直線の突進。
全力。
回避不能を狙った一撃。
回避は、間に合わない。
私はハンマーで一撃を受け止めた。
武器がぶつかり合う。
ガキィンと、重たい衝撃が走る。
腕が痺れる。
骨まで震える衝撃。
ハンマー越しに伝わってくるのは、刃の重さじゃない。
回転する「殺意」そのものだ。
チェンソーの回転する刃が、ハンマーに当たって激しく音と火花を散らしている。
少しでも力を抜いたら、押し切られる。
でもそれは、相手も同じだ……!
「ははは! どっちが先に根を上げるかな……!」
「くっ……」
硬直が続くと思われた――
その時。
違和感。
リザでも、私でもない。
もっと大きな何かが、こちらを見た気がした。
――ドンッ。
低く、重い衝撃が、地面を揺らした。
次いで、風圧。
空気が、押し潰される。
「……なに?」
リザが、動きを止める。
私も、足を止めた。
奥の通路。
闇の向こうから、何かが歩いてくる。
重い。
一歩ごとに、地面が揺れる。
赤い目が、闇の中で灯った。
鱗に覆われた巨体。
折りたたまれた翼。
吐く息だけで、魔素が濃くなる。
「……ドラゴン?」
声が、震えた。
魔物の中でも圧倒的な存在。
リザが、楽しそうに笑う。
「はは……最悪だね……いや、最高かも」
チェーンソーを構え直す。
「ほら、見てよ。ボクらのショーに新たな参加者が来たよ!」
ドラゴンが、首をもたげた。
咆哮。
鼓膜を裂くような音が、区画全体を支配する。
戦いは、もう私たちだけのものじゃない。
――本物の死線が、割り込んできた。




