第70話 恐れ知らず
スクールでの特訓を終えて、私は早速、実力を試すことにした。
立っているのは、第五層の入口。
「……深層、久しぶりだな」
四層を抜けた先。
ダンジョン第五層――探索者の死亡率が、はっきり跳ね上がる階層だ。
<コメント>
・来たか
・五層はガチ
・雰囲気変わるよな
・ヤヤコ慎重に行けよ
・無理すんな
空気が違う。
肌にまとわりつく感じが、少し重い。
足を踏み出すと、いきなりグラットンハウンドの群れが現れた。
冷静に距離を取りつつ、魔素を節約しながらハンマーと電撃で蹴散らしていく。
以前なら、もっとド派手な、「映え」を意識した動きをしていただろう。
スクールで叩きこまれた、「死なない型」がここで発揮されている。良い感じだ。
深層といえども、常に過酷なわけではない。
しばらくは、雑魚敵や分かりやすいトラップばかりが続いた。
とはいえ、気を抜いたら致命傷になる。油断はできない。
<コメント>
・緊張感あるな
・動き良くなってる
・前より派手さは減った
・これはこれでいいんじゃない
・この程度なら余裕か?
少し奥に進んだところで、違和感に気づいた。
匂いだ。
鼻をつく匂い。
まるで線香のような、甘くて、どこか気分の悪くなる匂い。
「……この匂い」
嫌な予感が、背中を撫でる。
「なんか、お香みたいな……」
<コメント>
・匂い??
・お香?
・まさか
・どういうこと
・あ、これ
・来たな
・ゴーストじゃね?
視界の奥、白い影が揺れた。
人の形に似ている。
白い布を被ったような、浮遊する存在。
「……ゴースト」
一体じゃない。
二体、三体――いや、それ以上。
匂いが、濃くなる。
胸が、きゅっと締め付けられた。
理由もなく、怖い。
足が、わずかに言うことを聞かなくなる。
知っている……ゴーストは恐怖をつかさどる魔物だ。
捕食時にだけ体を実体化させる厄介な敵。
その瞬間だけが攻撃のチャンスだけど、それをするためには恐怖を克服しなければいけない。
手汗が止まらない。呼吸が荒くなる。
<コメント>
・数多くね?
・これ群れだろ
・ヤバい
・逃げろ!
・ゴーストはヤバイ
頭が冷える。
これは、「無理」だ。
私は即座に踵を返した。
「無理無理無理……!」
走る。
背後から、何かが近づいてくる気配。
視界の端に、何かが見えた。
――昔の記憶。嫌な幻覚。見たくない光景。
心の奥に封じ込めたはずの嫌な思い出が、浮かび上がってくる。
「っ……!」
歯を食いしばって、走り続ける。
<コメント>
・判断早い
・正解
・生き延びろ
・追ってきてるぞ
・ソロで捕まったらまず助からない
どれくらい走ったか分からない。
ようやく匂いが薄れ、足が止まった。
……その時だった。
――――ブオォォン!!
背後。
さっきまでゴーストがいた方角から、腹の底に響くような轟音が響いた。
「……なに?」
金属が激しくぶつかるような、耳障りな音。
何かを引き裂く、濡れた破壊音。
断末魔のような金切り声。
そして微かな……これは、笑い声か?
<コメント>
・!?
・なんか聞こえる
・何の音だよ
・誰かいる?
・まさか
恐る恐る、振り返る。
白い影は――もう、なかった。
代わりに立っていたのは、一人の女だった。
私より、少し年下に見える。
小柄な体。
返り血で汚れた服。
手にしているのは、赤黒く染まったチェーンソー。
すぐ隣に、配信用ドローンが飛んでいる。
そして足元には、裂けて消えかけているゴーストの残骸。
「…………」
ドクン、と心臓が高鳴る。
匂いはまだ残っているのに、その少女は、何事もなかったかのように立っていた。
少女が、こちらを見た。
目が合う。
「……あ」
軽く、手を上げる。
「キミ、ヤヤコでしょ?」
声は、やけに普通だった。
「ボクの名前はリザ。初めましてだね」
<コメント>
・来た
・リザ……?
・やべえ
・チェーンソー女だ
・空気おかしい
・うわこいつ見たことある
・ヤバそう
私は、一歩も動けなかった。
理解できなかった。
同じ探索者なのに。
同じダンジョンに立っているのに。
――この女は、私とはまったく別の場所にいる。
そんな感覚だけが、はっきりと残っていた。




