第50話 初撃
静かだった。
配信のないダンジョンは、こんなにも音が少ないのかと思う。
コメントも、通知音も、視線もない。
あるのは、呼吸と、足音と、殺意だけ。
私は、引き金にかけた指に力を込める。
男は、動かない。
大剣を床に立てたまま、こちらを見ている。
間合いは、遠い。
でも、遠距離の安全圏ではない。
この距離。
一瞬の踏み込みで、届く。
私は、撃った。
――パン。
乾いた音。
弾丸は、一直線に男の胸を狙う。
だけど……男は、大剣をほとんど動かさない。
刃の腹。
ほんのわずかな角度。
――キン。
弾丸が、弾かれた。
床に火花が散る。
……硬い。
武器そのものも。
持ち主の判断も。
私は、続けて二発、三発。
動きながら撃つ。
距離を保つ。
いつもの立ち回り。
だけど――
男は、下がらない。
一歩。
また一歩。
撃つたびに、距離が詰まる。
避けない。
焦らない。
ただ、近づいてくる。
圧が、違う。
ヤヤコとは、まるで違う。
感情がない。
怒りも、焦りも、楽しみもない。
「仕事」だ。
私は、背筋が冷えるのを感じた。
――まずい。
理屈では分かっている。
近づかれたら、終わる。
それでも。
私は、撃つのをやめない。
弾道を散らす。
足元。
肩。
けれども男は、足を止めない。
そして。
――踏み込んできた。
距離が、一気に消える。
私は、反射的に横に跳ぶ。
その瞬間。
――ゴウッ!!
大剣が、空を裂いた。
重い。
速い。
殺すための一撃。
当たっていないのに、衝撃波で身体が揺れる。
私は、地面を転がり、体勢を立て直す。
息が、少し乱れた。
「……本気ですね」
そう言うと、男は短く答えた。
「当たり前だ」
大剣を構え直す。
「君は、甘くない」
その一言で、分かった。
――評価されている。
それは、安心じゃない。
危険だ。
私は、回復弾を装填する。
男の視線が、一瞬だけ銃口に落ちた。
「……なるほど」
それだけ。
次の瞬間。
男が、消えた。
――違う。
速すぎて、見えなかった。
気づいた時には、もう、近い。
私は、急いで撃つ。
――パン。
回復弾が砕け、光が弾ける。
視界が白く染まる。
それでも、男は止まらない。
光の中から、影が、踏み込んでくる。
――ドンッ!!
衝撃。
蹴られたのだろうか。
身体が、宙に浮いた。
壁に叩きつけられる。
息が、一気に吐き出された。
「……っ!」
視界が揺れる。
床が近い。
私は、歯を食いしばり、立ち上がろうとする。
立ち上がる前に、影が迫る。
――重い。
大剣が、地面に叩きつけられる。
岩が砕け、破片が飛ぶ。
私は、咄嗟に銃で受けた。
――ガンッ!!
衝撃が、腕に走る。
痺れ。
骨まで響く。
銃が、弾き飛ばされそうになる。
「……くっ」
距離が、近い。
私は、必死に後ろへ下がる。
撃つ。
下がる。
撃つ。
避ける。
いつもの戦い方。
――なのに。
男は、読んでいる。
弾道。
間合い。
退く方向。
一歩先を、踏み込んでくる。
私は、息が上がっているのに気づいた。
呼吸が、乱れている。
……まずい。
焦りが、判断を鈍らせる。
私は、少し強引に距離を取ろうとした。
その瞬間。
――ズン。
床が、揺れた。
男が、剣を突き立てた衝撃だ。
足元の岩が砕け、バランスが崩れる。
「……っ!」
一瞬の隙。
それで、十分だったようだ。
大剣の柄が、腹部に叩き込まれる。
――ドンッ!
息が、止まる。視界が、弾ける。
私は、数メートル吹き飛ばされ、壁にぶつかった。
背中に、鈍い痛み。
肺が、空気を求めて悲鳴を上げる。
……立て。
自分に言い聞かせる。
私は、歯を食いしばり、膝に力を入れる。
まだ、戦える。
そう、思おうとした。
だけど……。
男は、もう目の前にいた。
剣先が、私の喉元に突きつけられる。
ほんの、数センチ。
動けば、終わる距離。
私は、動けなかった。
男は、静かに言った。
「――ここまでだ」
感情のない声。
勝ち誇りも、侮蔑もない。
ただの、事実確認。
私は、ゆっくりと息を整える。
銃は、まだ手にある。
撃てない距離じゃない。
でも。
撃っても、勝てない。
それが、分かってしまった。
……完全に。
男は、剣を引かない。
私を、見下ろしているわけでもない。
「処理を待っている」だけだ。
私は、小さく笑った。
「……なるほど」
負けた。
今回は、はっきりと。
銃と剣。
距離と技量。
経験の差。
全部。
男は、一歩だけ下がった。
剣先が、喉元から離れる。
「いい戦いだった」
それが、唯一の評価だった。
私は、壁に背を預けたまま、立ち上がれない。
呼吸が、重い。
視界の端が、少し暗い。
でも――
まだ、意識はある。
男は、私を殺さなかった。
ここから先。
それが、何を意味するのか。
私は、まだ知らない。




