第九十三話
◆ ◆ ◆
リュグザは、目の前に連れて来られた男に、率直に言うと困惑していた。
ライネリカに無体を働いたという十分すぎる理由で、極刑にして然るべき相手なのだが、彼はずっと自分がエイロス国第二王子だと弁明しているのである。
いくらリュグザが第二王子とほとんど接点がないとはいえ、流石に人相を間違えるほどではない。
捕縛された男の容姿は、どう見てもデージル公爵のものだ。入国履歴は確認済みなので、間違いないだろう。数歩離れた場所にいるラジレイシアも、怪訝な顔をして夫を見つめている。
「エイロス国王陛下を呼べ! そうすれば証明される!」
後ろ手に縄で縛られても、威勢の良い声が別室に響いた。
ライネリカが走り出した騒動で、一時、晩餐会会場は騒然としたが、今は落ち着いている。このまま男を戻すわけにもいかず、リュグザはアスターに会場を任せ、キリノスと共に出向いていた。
本当ならアスターも連れてきたかったが、彼女がここに来ては、止める前に男の首が飛んでしまう。黙認しても良かったものの、男の発言が気に掛かり、ひとまず話を聞く事にしたのだ。
「……ラジ……、ディアモリス公爵夫人。この男は、貴殿の夫で間違いないでしょうか」
「ええ。何をもって、兄上さまだと言っているのか、理解に苦しみますわ」
普段通りに呼びかけようとして、すぐに正して問い掛ければ、彼女は憮然とした様子で頷く。
「ラジー、お前、兄貴が分かんねーのかよ!?」
「……? 何をおっしゃっているんですの?」
先ほどからこの不可解な問答の繰り返しで、リュグザは苛立たしげに息を吐いた。
エイロス国第二王子が捕縛されたのであれば、ライネリカとの事は一応、家族間の問題になる。シスボイリー王から命令を受けているものの、刑を処す前に彼女の意向を伺う必要があった。
だが、ラヒューレ第二王子を名乗るこの男は、どう見てもデージル公爵本人だ。
噛み合わない話の延長線で、ただでさえ短い気が、自分でも分かるほど擦り減っていく。
「……ひとまず、祝賀会中の今、どうこう出来る状態ではないですから……我々が牢に連れて行きますので、夫人は一時、お戻りを」
「っ……リュグザ殿下、あたくしも」
「夫人。貴殿は、先日より下賎な男どもに振り回され、疲弊している。ここはおまかせを。……なに、案ずる事はありません。悪いようにしかしませんから」
貼り付けた笑みで恭しく首を垂れるリュグザの言葉に、やや溜飲が下がったのか、彼女はドレスを軽く持ち上げ一礼した。
扇を開いて口元を隠しつつ、衛兵の先導で部屋を退出していったのを見届け、リュグザは残っている衛兵にも、部屋を出るよう促す。
「部屋の外で待機を。我々がお連れします」
「し、しかし」
「誰が口答えすることを許可しましたか?」
驚いて声を上げた衛兵の一人に、リュグザはそのまま笑みを向けた。彼らは青い顔で互いに視線を合わせると、頭を下げて足早に退出する。
ジャダル第三皇子が軟禁状態の現在、シスボイリー王に次ぐ発言権を得ているのはリュグザだ。機嫌を損ねるのは得策ではないと、今は宮殿内の誰もがそう思っている。
室内に男と、扉の前を陣取るキリノスのみになったところで、リュグザはようやく片手で顔を覆った。
もう大丈夫だろうかと、どこにも醜態は漏れないはずだと、己の中で自問自答する。
おもむろに男へ近づいた。
睨み上げる男の視線を真っ向から受け止め、表情に浮かんでいた笑みの一切を掻き消す。
限界なのだ、なにもかも。
ライネリカの愛する家族を貶められた、その、瞬間から。
男が何事か発する前に、男の体を片手で押さえつければ、思い切りその頭を踏みつけた。
「……よくも、……よくも、俺の命と等しい、弟と義妹を……!!」
短い悲鳴をあげ、額を床に強打した男へ、リュグザは笑みを決して徐々に体重を乗せていく。
空気がざわめいて、皮膚が一斉に逆だった。視界は赤く点滅し、人間の器が魂の激情を受け止めきれず、皮膚に亀裂が走って衣服を血で汚していく。犯された肺から吐き出す息は赤黒く烟り、踏みつけた頭蓋骨が歪な音を立てた。
「で、殿下……!」
リュグザの様子に、真っ青な顔のキリノスが、細い声で呼びかける。
しかしその声は、痛みと恐怖に悶絶する男の悲鳴でかき消された。
「っくそ、クソクソクソッ、どいつもこいつも、化け物共が……!! おいラバル!! どうにかしろよ、ラバル!! 死ねなんて嘘だろ、心中なんて嘘だろ、どうにかしろ、どうにかしろよぉおおッ」
リュグザの耳には、男が放つ言葉の半分も入ってきていない。
その足が頭蓋骨を踏み抜こうとした刹那、背後の扉が勢いよく開かれた。
「リュグザさま!!」
大広間を取り仕切っていたアスターが、血相を変えて飛び込んでくる。
妻の声に意識が逸れた彼は、紙のように色のないアスターの顔を見るや、男から足を払って彼女を抱き止めた。
「アスタロイズ?」
「早く来て、は、早く、お願い、主さまが、っ主さまが、……目が覚めたのに、主さまじゃないの……!!」
いつもの華やかしい演技はなりを潜め、アスターはリュグザとキリノスの腕を、震える両手で引っ張る。
ライネリカではないと泣き叫ぶ彼女の言葉に、二人は同じく顔色を失って、すぐさま部屋を飛び出した。




