第八十九話
「……異国の王、フィーガス・オージオテラサス・プリンフェステビュー弟王陛下に、ご挨拶申し上げます。この度は、私の祝賀会にご足労頂きましたこと、改めて御礼申し上げます」
硬い声音で頭を下げる子息に、フィーガスは薄く笑みを浮かべて頷く。
「ああ、おめでとう。来年、成人の儀を迎えると聞く。シスボイリーと我が国は友好国だ。自己の意識と向き合い、王に仕え、王を支えるといい」
ピクリと、ライネリカの視界の端で、子息の片手が微かに反応を示した。しかしフィーガスに対して反論することはなく、通り一辺倒の礼を述べた後、ライネリカに顔を上げるよう促す。
祝辞の口上を述べた後にゆっくりと視線を合わせれば、子息は堅苦しい表情を、ほんの僅かに歪ませた。
「…………到着された時より、思っていました。……父に、……聞いていた通り、……お美しい方、ですね」
「……恐れ入ります」
「ディアモリス公爵夫人のこと、大変、申し訳ございませんでした。……先ほど、ご本人にも謝辞を尽くさせて頂きたい旨、お伝えしました。……こんな、……少しだけ、すみません、こんな……」
徐々に、ライネリカを見つめる瞳に、悲壮とも驚愕ともつかない感情が浮かんでくる。ライネリカは背を伸ばし、どんな言葉も受け止めるべく、真っ直ぐに相貌を見つめ返した。
「……こんな、俺と年も大差ないのに、懸想なんて、……貴女がそれほどの人なのか、俺には分からない。父が、貴女に狂う理由が、俺には分からない」
周囲の誰にも聞こえないような、か細い、消え入りそうな声が、ライネリカに届く。子息は今度こそ、目に見えて憎悪の表情に歪ませて、一歩ライネリカに向けて踏み出した。
動かないフィーガスの隣で、ライネリカも意識し顎を上げる。
子息はすぐ目の前で立ち止まると、苦々しく吐き捨てた。
「醜悪な女だ、いったいどんな顔で、俺に祝辞を述べに来た?」
「……」
「貴女は確かに美しい。父の言う通りだ。貴女の顔を見ると、俺ですら勝手に貴女に引き込まれていく。だが、そのせいで父は今、部屋に閉じ込められている。貴女にどれほどの価値がある? 俺には分からない……!」
けして大きくないながらも、悲痛な声が耳殻を震わせる。ドレスのを両手で握りしめたライネリカは、大きく深呼吸をしてから、深く膝を折った。
子息の憤りは最もだろう。ライネリカという存在の介入によって、敬愛する父は道理を踏み外し軟禁され、母は消沈し立場が不安定になり、自身の将来も危うい。
今まで通り、ライネリカの方から影を忍ばせる事がなければ、余計な気苦労を背負う必要もなかったのだ。
しかし、彼がリュグザの敵対勢力である以上、ライネリカにとっても敵同士。政治的戦争に身を投じる以外の道は無い。
これは無血の戦争だ。
追い落とし、追いすがり、出し抜き、欺かなければ、生き延びられない。
感傷に飲み込まれた方が、未来を失う戦争なのだ。
「…………御前、失礼する」
黙するライネリカを合図に、フィーガスが静かに口を開く。
言い募ろうとする子息を目で制し、彼はライネリカの腕を軽く引いた。
上体を戻して踵を返した背中に、痛いほどの視線が突き刺さるが、ライネリカは奥歯を噛み締める。
周囲で耳をそば立てていた他の貴族も、ライネリカが降壇すると、波のように引いて道を空けていった。
「……大丈夫だ、ライネリカ」
よほど酷い顔をしていたのか、フィーガスが囁く。ライネリカは首肯して、無理やり口角を上げて婚約者を見上げた。
「ええ、大丈夫ですわ、フィーさま」
視線が合った先で、なぜか彼が戸惑った顔をする。予期せぬ反応に目を見開いた彼女の耳が、近づく足音を捉えて顔を向けた。
「ライネリカ第二王女殿下。改めてこの度は、当国の祝賀会に参加頂き、御礼申し上げる」
金と白を基調とした、大きく胸元が開いた煌びやかなドレスのアスターを引き連れ、こちらは黒と金の正装姿のリュグザが、笑みを深める。
ライネリカがドレスを持ち上げ膝を落とせば、彼は目を眇めて軽く片手で制した。
「今は俺に、その所作は不要ですよ」
「いえ、ですが……」
「当然でしょう。貴殿の尊厳を貶めた国の人間だ。無闇に畏る必要はありません」
金色の瞳に宿る光は、柔らかくライネリカを映す。少しだけホッと胸を撫で下ろせば、アスターがリュグザに腕を組みつつ、こちらの顔を覗き込んだ。
「とっても素敵なドレス。可憐な貴女にピッタリ。ねぇリュグザさま、そう思うでしょ?」
「ええ」
「ね、第二王女殿下。堅苦しい挨拶は終わったんだし、一緒にあっちに行きましょ?」
「……アスタロイズ。今は晩餐会の最中ですよ。他国の王女殿下を連れ回すのはやめなさい」
「だぁって、こんなとこ、あたし好きじゃないもの。あたしのお気に入りのライネリカ王女殿下に、手を出そうとした男がいつ戻ってくるか、分からないじゃない。あたし、お気に入りは囲っておきたい趣味なの」
周囲の視線から守るように、アスターがライネリカの腕を軽く引いた。傍若無人な態度に他国の王族たちが眉を顰めるが、彼女の言葉に視線が彷徨っている。
それは次第に、壇上にいる第三皇子の子息に終着し、彼は真っ青な顔を俯かせた。
分かりやすい挑発に、ライネリカは思わずアスターとリュグザを交互に見る。こんな大勢の前で大丈夫なのだろうか。
「気持ちは分かりますが、やめなさい。ライネリカ王女殿下もお困りだ」
「はぁい。もう、リュグザさまの保守的なとこ、つまんない」
するりとリュグザから腕を放したアスターは、今度はライネリカに腕を絡ませ、器用に片手で扇子を開く。
そして当たり障りのない会話を挟みつつ、声量を落として囁いた。
「……父親に対する不満を高めているので、ご心配なく」
「父親への、不満……」
「はい。少しでも助けようと言う気が起きないように。……這い上がる隙を与えないように」
物騒な言い回しにライネリカが顔を向けると、皇太子夫妻は笑みを深めて頷いた。




