第八十五話
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ライネリカが特別国賓室から廊下に出ると、人型のフィーガスがリンドウとバラ、そしてアスターと共に待っていた。
「フィーさま!」
沈みかけた心が微かに上向いて、ライネリカは早足で彼に近寄る。フィーガスは微かに目尻を緩ませ、婚約者を片腕に抱き締めた。
「忙しくしていて、すまない。晩餐会前だろう? リュグザに許可をもらってきた」
「殿下のお側を離れて、よろしいのですの?」
「ああ、というか、アスタロイズがリュグザに助言してくれてな。あまり婚約者を放って連れ回すものじゃないと」
視線を向けると、アスターは扇で口元を隠しつつ微笑む。
「当然だわ。ライネリカ王女殿下とフィーガスさまは、社交に不慣れなんだもの。それに、仲の良さをアピールする必要があるんでしょ?」
ライネリカは少しばかり返答に窮し、フィーガスを見上げる。
確かに仲の良さを前面に押し出す必要はあったが、第三皇子が軟禁状態の今、一応の目的は達成できたように思う。
戸惑いが滲むライネリカに、アスターは目を細めると、自室への通路を戻りながら、ライネリカを引き寄せて耳打ちした。
「主さま、お心は察しますが、まだ、フィーガスさまとの仲は、主張しておいた方が無難です」
「それは……?」
「ジャダルは確かに晩餐会には現れませんが、妃が主催するガーデンパーティーは予定通り行われます」
アスターの意見に、彼女は意識して前を向きつつ、首を傾ける。
第三皇子妃が執り行うガーデンパーティーが、不開催にならなかったのは、妃自身が望んだからだと聞いていた。
各国の要人たちと繋がりがあるラジレイシアが渦中にいる以上、本来なら、第三皇子周辺はなりを潜めるのが無難な選択だろう。しかし妃は、自らの権力が低下することを防ぎたい狙いがあると、アスターは口にした。
「あの女は腐っても第三皇子の妃です。第三皇子が周囲もろとも属国に屈したとなれば、他に付け入る隙ができます。それを防ぎたいのでしょう」
「ですが……ラジーお姉さまの事は、すでに参加国には知れてますし、余計な反感を買う可能性は……」
「そうですね。ですがあの女には、息子の為、という大義名分があります」
自室の前に来たアスターは、リンドウに目配せして扉を開けさせる。
リンドウがゆっくりと扉を開け、ライネリカを先に通すと、アスターはリンドウも含めて全員を部屋に押し入れた。
そして後ろ手に扉を閉めつつ、一つ息を吐き出す。
「シスボイリー王に見放された以上、彼女の生家はジャダルを見限るでしょう。とはいえ、妃には主さまと同じほどの息子がいますから、使える手駒は残っています。妃が取る手段として、リュグザさま側に寝返り側妃となるというのが、一番可能性がございます」
彼女は人差し指を上げ、険しい表情で目を細めた。
「現状を鑑みれば、息子の王位継承順位は確実に下がりましたから。ですが、妃本人が鞍替えする事を心理的に良しとできるかは、別問題という事です」
つい今しがたまで、夫婦間同士敵対していたのだ。夫が不祥事を起こし、我が子の安泰を願うからと言って、リュグザに膝をつけるかどうか。確かに難しいだろう。
アスターが懸念するのは、表向きは寝返ったように見せかけ、リュグザの周囲に打撃を与える事を画策している可能性だった。
リュグザの側妃になったからと言って、今はアスターとの間に子供がいないだけで、第三皇子妃の息子が次代の王になるとは限らない。シスボイリー国は年功序列ではないのだ。力と地位と、それに見合う狡猾さがなければ、失脚した第三皇子の息子という肩書きだけでは、生き残れない。
我が子が少しでも優位に立つために必要なこと。それがリュグザの戦力を削ぎ落とすことなのだ。
「……ですがそれと、わたくしとフィーさまに、どこまで関係が……?」
片手を頬に当てて首を傾げるライネリカに、アスターは肩を竦めた。
「良いですか、主さま。リュグザさまは、現在、我らが女神を傷つけられたとして、猛烈に怒りを露わにされていらっしゃいます」
「………………え、あ、いえ、傷つけられたのは、バラとお姉さまで」
「いいえ。ジャダルを筆頭とした男どもの行いで、主さまがその御心を痛められた事は即ち、傷をつけられたと同義です」
言い切るアスターに、ライネリカは困惑しつつ、隣にいるフィーガスを見上げた。
彼は突風を纏って変化を解くと、白い翼の中にライネリカを招きつつ、僅かに呆れた調子でアスターを一瞥する。
「アスタロイズの言い分は、まぁ、分かる。リュグザは過保護だしな」
「? そうかも知れませんが、それとこれは、論点が別でなくて?」
「いや? よく考えてみてくれレディ。君がリュグザを嫌っていることは、他国にだって周知なのは事実だ。だがリュグザが君を嫌っているなどとは、噂にすらなっていない」
「…………」
「『騎士』が主君に大層甘いのは、ある意味で考えものだ。君は今、他人がリュグザを揺さぶれる、唯一の弱みなんだ」
突拍子もない、しかし、実はライネリカも薄々勘付いていた実態に、彼女は片手で額を押さえて、思わず呻き声を上げた。




