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第八十四話






「……ライネリカ。私は、貴女の母になるには、不十分だったと思うわ」


 白く、柔らかな両手が、ライネリカの手に重なる。


「私は母である以上に、エイロス国王の妻として、王妃として、国を支えていかなければならない。……貴女が信じ進む道と、私が進まねばならない道は、きっと……相容れないのでしょう」


 長子の第一王子が教えてくれた王妃は、けしてエイロスの姉妹姫に良い感情を抱いていない。

 ラジレイシアの婚姻についても、ライネリカへ向ける憐憫についても、それはおそらく愛情云々ではなく、立場上の隔たりなのだ。

 ライネリカが欲しいと願った幸福は、未来永劫、国王夫妻からは得られない。国王夫妻がエイロス国の存在を望む以上、エイロス国滅亡に向け死から逃れようとするライネリカと、対立する以外に道はないのだ。

 王妃はおそらく、国王よりも正しく理解している。

 ライネリカがフィーガスの手を取った、その意味を。


「それでも、貴女が、性的搾取される道具になって良いとは、思わないわ」


 王妃にしては珍しい、鋭いトゲのある批判に、ライネリカは僅かに瞠目する。


「王は貴女を、ジャダル第三皇子殿下に突き出そうとした。彼のご子息とほぼ年齢も変わらない、ライネリカを。そのせいでラジレイシアも危険な目にあった。……私は貴女の母になるには不十分だけれど、王の行いに対し、憤って然るべき立場という自負はあるわ」


 王妃の視線がライネリカの手元に下がる。表情を歪ませ唇を噛み、彼女は末姫の手を持ち上げ、その甲に額を押し付けた。

 触れる素肌に、呼吸音が震えているのが分かる。


「……貴女の進む道の終点で、エイロス国に戻ってきてはダメよ、ライネリカ」

「王妃、さま」


 突き放す言葉のように聞こえても、けして辛くはなかった。


「私は、次の国母となるライネリカを、それが最善だと思っているわ。エイロス国を護っていく義務があって、国民を護っていく責務があって、それを切り捨てる貴女と手を取り合うことは、きっともう出来ない。それでも貴女を不幸にする要因には腹が立つし、貴女という存在を超えて、道具のように扱うべきではないと思っています」


 顔を上げた王妃の、柔らかな眼がライネリカを捉える。涙腺を刺激する熱いものが込み上げるが、不思議と涙はこぼれなかった。


「バラのことも、半分は私の責任なの。……王の様子が、少し変で……貴女に何かあるのではないかと、バラに指示を出したのは私なのよ」


 ライネリカは微かに目を見開く。

 王妃の指示で国王に付き従っていた事は聞いていたが、彼女が夫に不信感を募らせていた事は知らなかった。

 確かにバラは危険な目にあった。ライネリカが『血の契約』を結んでいなければ、命を落としていただろう。だが、バラがエイロス国王と第三皇子に近づいていたおかげで、自分たちの道は拓けたのだ。

 憤りを感じる以上に、最良を尽くそうとしてくれた王妃に、感謝をするべきなのだろう。

 王妃は視線を下げ、優しくライネリカの両手を撫でてから、身を起こす。


「バラにも、貴女にも、合わせる顔がないわ。……でも、……大事なのよ。大切なの。だってバラは私の良き隣人で、……貴女は彼女の、娘なのですから」


 王妃の目頭から、涙が流れる。輪郭を伝ってドレスに落ち、彼女の細い指が、ライネリカの両耳を彩る宝石に触れた。

 イオスライト。水のように透き通る、柔らかな青紫。

 目標へ向かい、正しい方向に進む事を望む。この宝石は王妃の願い、そのものなのだ。

 彼女は涙を重ねたまま、姿勢を正す。ライネリカも倣って立ち上がると、ドレスの横で強く両手を握りしめた。


「私は、エイロス国王妃。貴女は我がベルジャミン家の第二王女です。……貴女に望むは、国の繁栄に伴い、その礎となること。……ライネリカ。我らが王家の為に、命を捧げることが貴女の責務です。貴女はそれを、投げ出しますか?」


 王妃なりの決別なのだろうと、表情を見れば理解する。顎を引き凛然として、真っ直ぐにライネリカを見つめる双眸は、決して逸らされることはない。

 死を望まれている。

 それが、エイロス国の王族として正しい姿勢なのだと、王妃は改めて口にする。

 しかしその望みに()()()()()()()()と、彼女は表情を和らげるのだ。

 ライネリカは込み上げる熱を押し留め、片手で胸のペンダントを押さえる。そして片手でドレスの裾を軽く持ち上げると、ゆっくりと深く腰を折った。


「…………わたしは、生きる為に戦います。それが第二王女の職務を投げ出していると、(そし)られようとも。わたしを愛してくれる人達と手をとって、わたしは、あなた方と戦います」


 数秒、返事はなかった。

 頭上で僅かに嗚咽が聞こえた後、片手が優しくライネリカの肩を撫でた。


「…………私達の知らない場所で、どこか遠くで、……二度と会えない場所で、どうか、誰よりも幸せになるのですよ」


 緩慢な動作で顔を上げれば、王妃はライネリカに背を向ける。

 細く震える背中を見つめ、もう一度、深く頭を下げたライネリカは、許可を取らぬ非礼を述べてから踵を返した。


 


 


 


 

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