第八十三話
◇ ◇ ◇
アスターの部屋に戻ってきたライネリカは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
一件から数日が経過し、リュグザやアスターが駆け回って日程調整を行っていたようで、祝賀会最大の晩餐会と、妃が主催するガーデンパーティ、その後の各国を交えた商談については、執り行われる事になったという。第三皇子は軟禁状態であるため、どの会にも不参加だ。
全回復したバラが、暖かな紅茶を淹れる音を背後に聞きながら、ライネリカは目を細める。
「……」
コツコツ、と。
苛立つ仕草ではなく、愛情を持った動作で、バラがテーブルを叩いてライネリカを呼ぶ。
振り返って彼女を見れば、無表情に近しいながらも、気遣う瞳がこちらを見つめていた。
「……バラ、……フィーさまは、どこにいるのかしら」
テーブルに近寄り席につきながら問うと、彼女は少し思案した後、手持ちの紙に文字を書き込んでいく。
“リュグザ殿下と 行動していると 聞いて おります お会いに なりますか”
淡々として秀麗な文字に、ライネリカは沈黙する。
フィーガスが強力なシガリア鉱物を横流しした事は、仲間内にしか周知されていない。しかし一連の騒動に名を連ねてしまった手前、まったく何の咎も無いのは、他国への反感を買いかねない。そのため厳密では無いながらも、監視が付いている状況だった。
リュグザと共にいれば監視も緩むため、必然的に兄弟揃って行動しているようなのである。
ライネリカは、柔らかな色合いの紅茶を口に含みつつ、肩を落とした。
フィーガスとは晩餐会前に会っておきたいが、リュグザとは極力顔を合わせたくないのが本音なのだ。
「…………姫様」
扉が控えめに叩かれ、薄く開いた向こう側で、リンドウがライネリカを呼ぶ。バラが様子を窺えば、彼は八の字に眉を下げて、困惑気味に視線を彷徨わせた。
「エイロス王妃様が……お会いになりたいと、使者がきています」
特別国賓室に用意された、エイロス国王夫妻の部屋に通されると、待っていたのは王妃だけだった。
「ライネリカ、来てくれて嬉しいわ。明日は晩餐会でしょう? 宝石をね、色々持ってきたのよ」
柔らかな声音ながらも、王妃の顔色はどことなく悪い。ライネリカは何とも答えられず、小さく頭を下げてから、促されるまま化粧台の前に腰を下ろした。
国王はライネリカを慮り、別の部屋にいるのだという。今更遠慮されても、もはや心を寄せることは不可能に近しいのだが、その厚意だけはありがたく受け取る事にした。
化粧台には、王妃が用意した宝石が数多く並んでいる。
彼女はどのような思いで、ライネリカにこれを用意したのだろうか。
「オージオテラサス陛下は、どのようなドレスを用意して下さっているのかしら」
「…………到着した時と同じようなドレスだと、聞いておりますわ」
「あら、では胸元のペンダントはそのままで、イヤリングや髪飾りは……あ、指輪もいいかしら」
鏡越しに見つめる王妃は、怖いほど普段通りだ。
一般の王族は勝手が知らないが、彼女は姉妹姫の装飾品を、いつも自分の手で選びたがった。実際、着替えさせるのは侍女らなのだが、王妃は自ら選んだ装飾品で着飾られた姉妹姫を、満足げに眺めるのが好きな人なのである。
第三皇子が直接関わっていたのは国王だけで、王妃は何も知らされていなかったことは、間違いないのだろう。
しかし今のライネリカの心情としては、選び身につけさせた宝石に、何かが仕込まれているのではないのかと、一種の疑心暗鬼に陥っていた。
王妃の細い指が耳に触れ、満月型の青い宝石が宙を踊る。
表情が硬いまま鏡を見つめる末姫に、王妃の瞳が微かに揺れたような気がした。
「……ライネリカ、これはね、私の祖国の近郊で取れる宝石なの」
王妃の言葉に、ライネリカは目を瞬かせ、彼女を見上げる。
見つめ返す柔らかな瞳の色は、ライネリカとは似ても似つかない。それでも彼女の双眸は、我が子に向ける愛ある眼差しのように思えた。
彼女の手の中で、青い満月が揺れる。
「宝石として正真正銘……と言うと、シガリア鉱物の加工品が偽物のようになる、かしら。……でも、私はね、ライネリカ。シガリア鉱物を加工した宝石って、本当は好きじゃないのよ」
苦笑混じりに告白する王妃に、ライネリカは目を瞬かせる。彼女は上体を屈めて末姫の片耳に金具を押し当て、優しくボルトを締めて身につけさせた。
顔の横で、化粧台の灯りに照らされた宝石が、優しく輝く。思わず片手の指先で触れれば、固い感触が皮膚を通して伝わってきた。
「綺麗でしょう。可憐で優しい、あなたにピッタリだわ。……シガリア鉱物は確かに用途も多彩で、宝石に加工すれば美しいけれど、私は……自然の中で、長い年月をかけて生成された宝石には及ばないと、そう思っているのよ」
「…………」
「王や息子たちには、なかなか理解されないでしょうけれど。自国の特産物ですものね」
肩を竦める王妃の真意は分からない。
彼女はパープルブラウンの短髪を撫で、もう片方の耳にも金具をつけると、ライネリカの側に膝をついた。
「っ王妃さま、いけませんわ、床に膝をつくなど」
「もうお母上様とは、言ってはくれないの?」
ギョッとして、制止させようとするライネリカの言葉に割って入り、王妃は首を傾ける。
言葉を詰まらせるライネリカに、彼女は数秒ほど見つめてから、緩やかに口を開いた。




