第八十二話
「……は?」
言われた意味が分からず怪訝な顔をする兄に、キリノスは芝居がかった動作で片手を胸に当て、もう片方の手の平を天井に向ける。
「だから、心中っス。俺は──ラバル・ベルジャミンは、そろそろ死なないといけないっスから」
キリノスがラヒューレと出会したのは、本当に偶然だ。
ジャダルが買収した関所から、シガリア鉱物加工施設の内情を伺いに来ていた兄と、宮殿内で再会したのが始めだった。
その時はキリノスも焦ったが、ラヒューレも周囲に、とりわけリュグザに行動範囲がバレてしまえば問題が生じる。その為、双方で協力関係を結び、お互いに連絡を取り合っていたのだ。
つまりキリノスは、かなり前からラヒューレの動向を掴んでいたことになる。
ライネリカとラジレイシアに、『騎士』としての能力を使い、秘密裏に関所を捜索し入国者名簿を閲覧したという説明も、もちろん嘘だ。何せ途中からラヒューレが安全に入国できるよう、彼の体に応用した結界を施し手引きしたのは、他でもないキリノスなのだから。
リュグザやアスターに知られれば、ライネリカを脅かした要因として、赦されはしないだろう。
だがそれでも、どうしても、キリノスはラヒューレを貶めなければ気が済まなかったのだ。
「死ぬ……って、何を言ってんだ。なんでそんな話に……」
ニヤニヤと不快な笑みを絶やさない弟に、流石のラヒューレも顔を引き攣らせる。動揺を隠せず声を震わせる彼の視線の先で、弟の皮を被った男は、柔らかく目尻を下げた。
「エイロス国は近い将来、滅ぶんスよ。なので俺は、自分の立ち位置を守る為に、ラバルという男を殺さなければならない。キリノスという、シスボイリー国第十二皇子、リュグザ・アイネ・シスボイリー殿下の側近として、これから先は生きていくんだ」
「…………お前、何……言って、……意味分かって言ってんのか……!?」
徐々にラヒューレの表情が、動揺から怒りに変化していく。
「エイロス国が滅ぶだと? 意味分かって言ってんのか!? 第三王子の立場で自国をなんだと思ってやがる!!」
「だから死ぬんスよ。だいたい、兄上の心配事だって、国のことじゃない。兄上が陶酔しているシガリア鉱石がどうなるのか、それだけが心配なんじゃないスか?」
言葉を詰まらせるラヒューレの反応は、図星だ。
「なくなるんスよ、あんなもん。国が滅んだら少しずつ流通は減り、人々の生活から消えていく」
リュグザから教わったが、シガリアが排出する鉱物は消耗品なのだという。いくら宝石のように加工したからと言って、長い年月が経てば朽ち果てていく代物なのだ。
世界的に流通し、今や生活に欠かせない物になっているが、次第に別の資源へ成り変わっていく。
愕然とするラヒューレは、しかし息を吐き出し、大股にキリノスに駆け寄って胸ぐらを掴み引き寄せた。
「ふざけんな!! アレほど効率的で生産性のいい資源はねぇよ!! 国の宝だぞ、無くなって堪るかよ!! 意味分かってんのか、この裏切り者が……!!」
「心外だなぁ。最初に俺を裏切ったのは、兄上じゃないっスか」
場にそぐわない間伸びした、けれども明らかな敵意を浮かべる声が、震える。空洞のように光のない、激情から瞳孔が開いた瞳が、ラヒューレをまっすぐに見つめていた。
どうしてもキリノスは、この男を貶めたかった。
ラジレイシアを隣国に売り渡した、この男を、ずっと。
「俺が知らないとでも思ってた? 気がつかれないとでも思ってたんスか? ラヒューレ兄上がデージル公爵を言いくるめ、大金を握らせて、母上にラジーの嫁入りを急がせた事を」
「な……」
「俺のラジレイシアを売り払った事、知らないとは言わせないからな……!」
ラジレイシアの嫁入りは、各国様々な打診があった中で、最も条件が悪い国へ決定された。
その時キリノスは、リュグザの配下に加わるための準備を進めていたため、遠方にいたのだ。だからラインギル第一王子より早馬で知らせがあり、急いでエイロス国へ戻った時にはもう、ラジレイシアの結婚式まで数日という時だった。
呆然とした。己の不甲斐なさを恥じた。
ライネリカを抱きしめ、離れたくないと肩を落とす彼女に、胸が痛んだ。
ラヒューレがデージル公爵を選んだのは、かの領地で盛んな織物産業に、シガリア鉱物の販路を広げようとしたからだ。
隣国ゆえに、輸出する経路も安全に確保されていて、何よりシガリア鉱物を買い付ける金額が、他に婚約打診のあった国より高かったせいだ。
ラヒューレが第二王子として、自国の利益の為に行動した成果であれば、キリノスも悔しさはあれど冷静に納得できただろう。
しかしこの男は、ラジレイシアの結婚式が終わり、城内のサロンで父王と語り合っている最中、席を立っていたキリノスが戻って来ていた事を知らず、泥酔状態で言ったのだ。
“ラジレイシアの婚約による粗利は、シガリア鉱物の研究予算に補充させてくれ”──と。
「──ッ!!」
紙のように白い顔色となったラヒューレが、キリノスを突き飛ばして数歩よろける。片足を一歩下げて体勢を維持したキリノスは、口角を吊り上げて、再度、声を上げて笑った。
「あんたは俺と心中するんスよ。安心してください、交流の少ない他人の目には、今のあんたはデージル公爵だ。どこへでも逃げればいい。捕まれば未来はないっスけどね」
「ラバル……!」
「デージル公爵本人が発言すれば、あんたはあっという間に偽物だ。だけど未来を守りたいと望むなら、もうラヒューレ第二王子には戻れない。さっきの話、聞いてたっしょ? あんたが密入国者として判断されたっつーことは、父上はあんたを見捨てたんだ」
肩を震わせる勢いで笑ったキリノスが、片手で顔を押さえて徐々に荒らぐ呼吸を落ち着かせる。
「…………絶対に、楽には死なせてやらねーからな」
呟いた声を皮切りに、ラヒューレが部屋の扉を押し当てて飛び出していく。
両足をもつれさせながら、衛兵の静止も聞かず逃げ出す様子を視界の端に収めても、キリノスが抱える感情を消化するには、あまりにも足りないままだった。




