第八十一話
リュグザの表情は、普段よりも僅かに硬い。
バラとリンドウが姿勢を正すと、彼は腕を組んで片足に体重を乗せた。
「エイロス国王夫妻は、この国賓室で監視をつけます。我が君はアスタロイズの部屋に。リンドウ殿とバラ殿は、彼女についてください」
「ジャダル第三王子は?」
「義兄上は先の決定通り、自室で軟禁です。一応まだ王族なので、扱いは慎重にと」
「へぇ、寛容っスね、殿下」
意外そうに口笛を吹くキリノスに、彼は肩をすくめて微かに笑う。
その穏やかでいて、仄暗い感情を隠しもしない微笑みに、キリノス含め従者二人は息を詰まらせた。
「寛容? まさか。俺の義妹たちをこき下ろされたのですよ。今はまだ殺さないだけだ」
言い切った言葉尻に滲むのは、殺意よりも恐ろしい波。室内灯を反射する金色の瞳は爛々と熱を帯び、薄気味悪く輝いていた。
青い顔で一歩身を引いたキリノスを見つめ、リュグザは緩やかに首を振る。
「殺しますよ、必ず。希望も潰えるほど、絶望的な方法で」
リュグザの脳裏に浮かぶのは、高熱で苦しむバラと、破れたドレスを手繰り寄せたラジレイシアの側で、真っ青な顔色をしたライネリカだ。
以前までであれば、泣き喚いてもおかしく無い状況で、彼女は今も凛と前を向いている。
騒然となる部屋で、フィーガスが共にいるとは言え、兵士に囲まれた状態で国賓室に押し込められ、どれほど恐ろしい思いをしていたことか。愛する家族が目の前で傷つき、苦しむ様を、いったいどれほどの思いで見つめていたことか。
考えるだけであまりの怒りに、リュグザは我を忘れそうになる。
体を強張らせるキリノスから視線を外し、彼はバラを見つめて双眸を歪める。
それは傷ついた夫婦を労るような、彼らを危険に晒した自らを悔やむような、そんな表情だった。
「我が女神の安寧を脅かす輩は、誰であろうと退けます。それが俺の役目ですから」
キリノスはその横顔を数秒ほど眺めてから、バラとリンドウを一瞥するふりをして、誰もいない空間を横目に見る。
「…………ラヒューレ兄上の事は、何か進展、あったっスか?」
「残念ながら、悪い方向に。ジャダルが発言しましたが、どうやら祝賀会に潜り込んでいるようです。シスボイリー王は密入国として、見つけ次第捕らえろと」
バラの横側から、微かに空気が動く音が聞こえた。しかしそれは一瞬のことで、リュグザには気付かれていない。
渋面を作るキリノスに、第十二皇子は再三の息を吐き出し、片手で軽く肩を叩いた。
「父の決定です、俺も反論は難しい。何より、──ライネリカ王女殿下が、怒りを顕わにしていらっしゃる。それだけで俺には、貴殿の兄君を擁護する義理がなくなった」
「…………そうっスね」
「宮殿内の警備も人手を増やし、関所の警備を厳重にします。……異論はないな、キリノス」
穏やかな口調を潜め、肯定しか許さない響きを持つ声音が、室内に響く。
数拍の沈黙の後、エイロス国第三王子は、渋々頷いて肩を落としてみせた。
「…………バラ殿、体調がまだ思わしくないだろうが、そろそろ部屋を移りましょう。この国賓室は名前の通りですから、あまり長く使用人だけを留めておけないのです」
問題ないと頷けば、リンドウが僅かに戸惑ってキリノスを見つめる。
当該の人物であるラヒューレがすぐそこにいるのに、このままリュグザへ何も報告せず、退室して良いのだろうか。
バラが、キリノスは何かを待っている、と推察していたが、果たしてその瞬間までラヒューレを、野放しにしていて良いのだろうか。
リンドウの躊躇いが伝わったのか、リュグザが二人に向かって足を踏み出す。そして一歩手前までくると、室内を見渡して微かに眉を寄せた。
肩越しにキリノスを振り返り、厳しい顔のまま床を見つめている彼の様子を確かめてから、改めてリンドウとバラに顔を戻す。
「……参りましょうか、我が君がお待ちです」
「…………承知、しました」
歯切れ悪くも頭を下げたリンドウに倣い、バラも深く腰を折ると、踵を返したリュグザに付き従う。キリノスが緩慢な動作で扉を開ければ、三人は廊下で待機していた衛兵と共に特別国賓室を後にする。
背中を見送っていたキリノスは、再び扉を閉めてから、室内に振り返った。
二重、三重とまとわせていた結界を解くと、ラヒューレが青い顔を上げ、片足で苛立たしげに床を踏み鳴らす。
キリノスは先ほどまで浮かべていた悲壮感を掻き消し、微かに口角を吊り上げた。
「おいラバル、今の、どういうことだ? お前、本当に俺に協力してたのか?」
「兄上の対処が決まったって話っしょ? 俺はちゃーんと協力してるじゃないっスか」
「本当かよ、じゃあなんであの第十二皇子が、なんでライネリカを主君みたいに言ってんだよ……!」
キリノスがラヒューレに伝えていたのは、あくまで自らの状態だ。
ライネリカと『血の契約』を交わし、特殊な術を身につけ、エイロス国の将来の為にシスボイリーへ潜伏しているという事実。ラヒューレが勝手に曲解し、シスボイリーや神の国の脅威から自国を護る為に働いていると、そう解釈した事を、彼は肯定も否定もしなかった。
ラヒューレは考えすら及んでいなかったのだ。
キリノスというライネリカの『騎士』が、このシスボイリー側にも存在するということを。
ようやく現状を把握始めた兄が、狼狽え憤る様が心底愉快で、キリノスは思わず声を上げて笑う。
「そりゃそうっスよ。バカだな兄上。……俺がネリカの敵に回ると思ったんスか? そんなわけないっしょ。あんたは今から、俺と心中すんだからさ」




