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第七十八話





 ◆ ◆ ◆


 リンドウに抱えられたバラの様子は、緩やかだが確かに回復しつつあった。

 先ほどまで発熱と発汗を伴っていた身体は、徐々に落ち着きを取り戻し、彼女はリンドウを両手で器用に宥めて、ソファーに腰を落ち着かせる。

 ライネリカが心配なのか、視線は彷徨いながらも、廊下へと続く扉に向いた。同じく顔を上げたリンドウも、衣服の袖で涙を拭い、眉を寄せる。二人の手は互いを支え合うように、しっかりと繋がって握りしめられていた。

 キリノスは目を細めて、小さく息を吐き出す。

 隣に座り、口を閉ざしていたラジレイシアも、同様に溜め息をついた。


「……あたくしのネリカは、大丈夫かしら……」

「大丈夫っしょ。リュグザ殿下もロイズ騎士団長もいるし。閣下もいるし。……それよりまず、俺が心配なのは、ラジーなんだけど」

「あたくしは問題なくてよ」

「あーいや、本人つーか、……公爵家?」


 彼女は目を眇めると、テーブルに置いたままだった扇を取り、優美な動作で開く。


「さっき衛兵たちが言ってるのを聞いたけど、ラジーも一般の客殿から、こっちに荷物を移すみたいだ。シスボイリー国王陛下が、ラジーの顔を立てたんだろうなぁ。ネリカの姉だしな。……だけど、デージル公爵を贔屓したわけじゃない」


 キリノスの言わんとする事を、正しく理解しているラジレイシアは、今度は辟易とした溜め息を扇の内側へこぼした。

 ラジレイシアが嫁いだ先、デージル公爵は、彼女を快く思っていない。実姉である女王と王配は、ラジレイシアを心から歓迎しているが、隠居した前王夫妻の態度は、三年経った今でも悪いままだ。

 可愛がっている息子を物理的に蹴り飛ばし、公爵領を我がもの顔で統制する女が、気に食わないのだろう。周囲がラジレイシアを女公爵のように扱い、息子を差し置いて敬意を持って接しているので、尚更だ。

 キリノスはリュグザの側近として、デージル公爵や前王夫妻とも、素性を潜めて何度か会っているが、ラジレイシアを話題にするときは、何かとこき下ろす事に余念がない人種なのである。

 彼女の兄という立場から言わせれば、自業自得としか言いようがないが。

 とはいえ、それでもラジレイシアを手放さないのは、彼女の手腕が、公爵家の尊厳を維持する為に必要だからだ。

 それを理解しているのに、認めようとしない。


「多分、そろそろ公爵が来るだろうけど、部屋を別にしてもいい。どーする?」

 

 シスボイリー国王が贔屓するのは、あくまでラジレイシア個人。なんなら、部屋の移動も彼女一人にしようとしたくらいだ。リュグザとの話を聞いていたが、大国王はデージル公爵の事を歯牙にもかけていない。

 一応はエイロスより国土も広く、織物産業が盛んな国の女王の弟なのだが、所詮はずっと弟のままというわけだ。


「……構いませんわ。あたくしが夫に負けると思いまして?」

「思わねーけど」

「散々、嫌な目にあってきましたもの。今更あんな男に怯えるほど、あたくしはか弱き乙女でなくてよ」

「…………んー……まぁ、そうなんだろうけどさ」


 すまし顔で肩を竦めるラジレイシアに、キリノスは歯切れ悪く苦笑する。上体を屈め、両手の指先を所在なく組めば、彼女は怪訝な顔を向けてきた。


「……お兄ちゃんは、ラジーが心配なんだけど。お前が困ってるなら、ちゃんと助けたいんだよな」

「まぁ……ありがとうございますわ、ラバル兄上さま。ですが、我が公爵家の心配は無用ですわ。……どのみち、離縁に向けて準備を進めておりますもの」

「離縁て……そうだ、どの後はどうするんスか? 多分、このまま行けば、エイロスはシスボイリーに吸収されるし」

「ひとまずリュグザ殿下に口利きをお願いし、アスターの侍女にでも落ち着こうと思いますわ」

「えっ……いやぁ、それ、騎士団長、めちゃくちゃ嫌がるんじゃ……?」


 アスターにとってエイロスの姉妹姫は、至高の宝である。今ですらライネリカの前で、アスタロイズ妃として振る舞う事で自己嫌悪に陥っているのに、ラジレイシアを侍女になどしたら、泡を吹いて卒倒してしまうのではないだろうか。

 真剣に考えつつ、キリノスは片膝の上で頬杖をつき、ラジレイシアの顔を見上げた。


「ロイズ騎士団長の侍女でもいいなら、俺のお嫁さんって選択肢は?」

「…………まぁ」


 にこやかなキリノスの申し出に、ラジレイシアは驚愕だと言わんばかりに目を丸くする。そして一拍の後、穏やかに破顔して、扇でキリノスの頬を軽く撫でた。


「あたくし、実の兄に嫁ぐ趣味はなくてよ」

「俺も実の妹を娶る趣味はないけど」


 互いに顔を見合わせて笑い合い、キリノスは可愛い妹の頭を優しく撫で返す。


「……ありがとうございますわ、兄上さま。あたくしの心労を軽くして下さっているのでしょう? ……大丈夫ですわ、貴方の妹は、これしきで折れるほど弱くございませんのよ」


 ラジレイシアが立ち上がった瞬間、扉が乱雑に叩かれた。廊下から衛兵の声がする。細く呻くような男の声が混じっているので、おそらく渦中の人物が来たのだろう。

 立ち上がったリンドウを片手で制し、キリノスは重い腰を上げてラジレイシアの横に並んだ。そして共に歩き出し、ゆっくりと扉を開ける。

 衛兵たちに囲まれ、酷い顔色でラジレイシアを見つめている男に、後方でリンドウとバラが息をのんだ気配がした。





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