第七十六話
思わず立ち上がった第三王子からライネリカを隠すように、リュグザが一歩前へ進み出る。その仕草すら勘に触るのか、彼は目を血走らせて唇を戦慄かせた。
落ち着いた表情で視線を返したシスボイリー王が、はぁ、とあからさまな溜め息を吐き出し、己の髪の毛を軽く片手で撫でた。
「……ジャダルよ、この父にこれ以上の恥をかかすな」
「っそんな、何故ですか、俺の方がよほど、父上のお役に立ちましょう! 他国を併合する功績も上げました、優秀な部下も多く、妻の家柄も申し分ない、息子もおります。こんなにも貢献しております。なぜなんだ、父上……!」
悲痛にすら聞こえる声は、自身の命を燃やすかのようだ。
ライネリカはリュグザの肩越しに、俯く男の姿を見つめて双眸を細める。
彼は今でこそ正妻の子供だが、第三皇子だ。優秀であった第一、第二皇子と常に比べられ、見放されてきたと感じているのだろう。兄二人が亡くなり、ようやく天下を取れると思った矢先に、父王の寵愛はリュグザへと移っていく。
瞳に宿るのは、憎悪、執着、嫌悪、遺憾、そのどれもが混ざり合った、言葉にできない感情なのだ。
シスボイリー王は緩慢な動作で立ち上がる。足元がふらつくのか、リュグザが無言で近寄り背を支えた。
「それが貴様の役割だろう。高位の家と繋がりをもち、子を作り、部下を正しく教育し従える。この父が望んだ役割を放棄したのは、貴様だ、ジャダル」
「役割、だって、俺は」
「リュグザの役割は、エイロス国への統制に過ぎぬ。此奴はアスタロイズ妃との間に、子をもうける気がないのでな。種馬としては不能な男よ」
「これは手厳しい。耳が痛い話ですね」
大した衝撃も受けずに、半分笑って肩を竦めたリュグザに、出入り口の側で控えているアスターも微笑む。
呆気に取られた第三皇子に、シスボイリー王は体ごと正面を向けて、眉を顰めた。
「その点、貴様は優秀であったぞ、ジャダル。だが、欲を出した貴様は、上手く立ち回れなかった。……それだけの事よ」
リュグザに支えられながら、どこか消沈した様相にも見える顔で、シスボイリー王は踵を返す。ライネリカが入ってきた廊下側とは逆の扉から、室内で控える兵士たちを伴い、周囲に一瞥もくれる事なく退出していった。
父に背を向けられた子は、ただ呆然と俯く。
エイロス国王夫妻は、ライネリカに視線を向け、何事かを乞うような表情をするものの、何も言わずに口を噤んだ。
「さぁ、行きましょ、ライネリカ第二王女殿下」
静かな足取りで傍まで来たアスターに頷きかけ、しかしライネリカは一度、第三皇子とエイロス国王を見渡す。
「……ジャダル第三皇子殿下、並びにエイロス国王陛下。不躾な発言による御無礼を、お赦しいただきたく思います」
名を呼ばれた第三皇子とエイロス国王が、食い入るようにこちらを凝視する。
すぐ目の前にいる男から感じるのは、強い欲望と浅ましさ。そして離れた場所にいる国王から伺う、困惑と諦め。どちらもライネリカの神経を酷く苛立たせ、同時に酷く胸が痛んだ。
両手を強く握りしめ、皮膚に食い込む爪の痛みだけが、ライネリカの正気を保っている。
何かが爆ぜる音が、脳に反響するのだ。
周囲の音など何も聞こえないと、そう言わんばかりに。
「……バラに劇薬を飲ますよう提案したのは、どなたでしょう?」
その一言に、二人とも目を見開く。そして互いに顔を見合わせた。
フィーガスは無色透明なシガリア鉱物が、どれほど強力か正しく理解している。だからこそ、直接服用させるような危険な行為はせず、加工する原石として横流しした。いくら第三皇子を失脚に追い込むとはいえ、殺害するような事態にならないよう気を配ったからだ。
だが、バラが無理やり飲まされた薬物は、そうではない。
ラジレイシアが第三皇子の口から直接聞いているのだ。──そのままでは、助からないと。
「ジャダル第三皇子殿下、あなたは、わたくしの姉がもし屈したとしたら、バラをどうするつもりだったのでございましょう? 助けるための解毒薬をお持ちだったのでしょうか」
「…………い、いや、……」
「では中毒症状で殺していたのでしょうか。高熱で意識も朦朧とする彼女をあの場に放置し、死ぬまで眺めているつもりだったのでしょうか」
「いや、違う、殺すつもりはない。それに、あの薬物では死なないと、ラヒューレ殿下が……」
は、と。第三皇子が片手で自身の口を押さえる。
語るに落ちるとは、よく言ったものだ。
ライネリカは目蓋を閉じ、大きく深呼吸をしてから、ドレスを持ち上げ深く頭を下げた。
「……ご回答感謝致します。……失礼致しますわ」
第三皇子に背を向け、腕を差し出したフィーガスに寄り添う。頭痛による視界の点滅が、徐々に激しさを増している気がした。早く退出しなければ、何か得体の知れない衝動が、湧き上がってきてしまいそうに。
アスターに促され一歩踏み出したその時、第三皇子が焦燥を滲ませて声を上げた。
「待ってくれ、ライネリカ第二王女。貴女はそもそも、異国の王に強い抵抗を示していたのではないのか……!」
ライネリカは瞠目し、動きを止める。
隣に立つフィーガスが、僅かに息をのんだ。




