第六十九話
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国王と王妃がライネリカを呼び戻すと、彼女は品の良いボンネット帽を身につけ、軽く息を切らしながら二人の前に姿を見せた。
使用人から、各国の妃たちとの歓談を庭園で行っていたと聞いている。急ぎ戻って来たのだろう。顔色の悪い硬い表情で唇を引き結ぶ愛娘に、王妃が呼吸を震わせて抱き寄せた。
「ああ、ライネリカ、もう大丈夫よ。バラが見つかったの」
「ほ、本当ですか……!?」
王妃が涙を浮かべながら、何度も頷いて安堵の息を吐く。その様子に呼吸を戦慄かせれば、国王の隣に居たジャダルは、険しい顔で視線を下げた。
「我々の宮殿で、このような事態になってしまって、すまない。今、侍女長殿は国賓室で休まれている」
「……国賓室、に……」
「ああ、晩餐会が終わった後で、部屋を移動して頂こうと思っていてな。丁度よかった。昨日やっと父上の許可が下りた。友好国として改めて迎えさせてほしい」
晩餐会まで数時間に迫っている。ライネリカがドレスを着替えるのに、丁度良い時間だ。
隣でジャダルを睨むリンドウを下がらせ、恐る恐る、彼女は一人、男の前に進み出る。ボンネット帽で表情は分かりにくいが、細い肩が小刻みに震えているのが、どうにも欲求を刺激した。
薄らと浮かびそうになる恍惚とした笑みを、険しい表情の下に隠して、第三皇子は目を細める。
見れば見るほど、美しい。星を散りばめた瞳、細い線の肌、柔らかな唇、全てが完璧だった。
並び立った末姫に、国王は眉を下げて、そっと肩に片手で触れる。
「体調を崩しているバラを、ジャダル殿下が保護してくれたそうだ。先にリンドウと共に行って、彼女の傍にいてやっておくれ」
「お待ちになって、王。私もライネリカと一緒に行くわ。バラが心配ですもの」
国王と王妃は、部屋を移る前準備の最中だ。あえて急な部屋移動を頼み、この時間帯を見計らい、バラを保護したと伝えたのである。ここで王妃が共に来ては、今後の計画に差し障った。
娘の傍を離れない王妃に、ジャダルは腰を折って頭を下げる。
「ご心配なく、王妃殿下。私がご案内を──」
「こちらにいらっしゃいましたか。……おや、皆様、お集まりで……」
突然、間に割って入ってきた声に、大きく肩が震えた。
客殿の廊下を悠々と歩きながら現れたリュグザの後ろから、不満げに頬を膨らませたアスターが飛び出してくる。そして末姫を抱きしめ、僅かにリュグザの方へ引き寄せた。
「もう、静止も聞かずに行っちゃうんだからっ! 危ないわよ、一人で行動しちゃ」
「も、申し訳ございませんわ、アスタロイズ妃さま……」
「貴様ら、いったい何用で来た。エイロス国王陛下方はお忙しいのだ。即刻立ち去れ……!」
低く喉の奥で唸るように放たれた言葉に、リュグザが肩をすくめて笑みを浮かべる。
神経を逆撫でするような、極めて不快な笑みだった。
「これは失礼。いきなり走り出したと聞き、心配だったもので」
「何を」
「どうされましたか、エイロス国王陛下、並びに王妃殿下。……もしや、バラ殿が見つかったのでしょうか?」
リュグザのわざとらしい言葉に、ハッとして息を呑む。
来訪者に気を取られていた王妃が、今の言葉で我に返り、そうだわ、と声を弾ませた。
「そうなのです、殿下。ご心配をおかけ致しました、侍女長が見つかったのです。ライネリカ、リュグザ殿下とアスタロイズ妃様と一緒に、バラの様子を見にお行きなさい。私も後ほど向かいます」
ジャダルは内心、盛大に舌打ちした。ここで第十二皇子が共に来ては、余計な邪魔にしかならない。小賢しい淫売婦がいるなら、尚更だ。
一瞬だけ、国王を一瞥する。早く王妃を諌めよと視線で訴えるが、エイロス国王は返答に窮するかのように、曖昧に微笑むだけだ。
ここへ来て、リュグザの正当な交渉権利が尾を引いている。エイロス国王の、余計な心労を増やしたくない魂胆が透けて見えた。危険を承知で加担させているのに、これでは水の泡になってしまう。
焦るほど、耳から下げた鉱物が熱を帯びていく。余計な回路を塞いでいく。視野が赤く狭まって、ソレ以外が見えなくなる。
思わず口を開きかけたとき、困惑していた彼女が口を開いた。
「……いえ……リュグザ殿下、申し訳ありません。お手を煩わせるわけには……まいりませんわ。……ジャダル第三皇子殿下、どうぞご案内のほど、よろしくお願いいたします」
感情の乗らない、平坦な声がリュグザを拒絶する。
彼女はアスターの腕からそっと身を離すと、更に一歩、ジャダルに近寄った。
ふわりと、柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。心臓が昂って音を立てた。呆気に取られた様子のリュグザに、湧き上がった溜飲が下がり、笑みの形に口角を歪ませる。
そうだ、何も焦る事はない。
ライネリカ第二王女がリュグザを毛嫌いしていることなど、他国にすら有名な話ではないか。
片手を差し出せば、やはり細い片手は渋った。ラヒューレからエイロス国の慣習は聞いているが、全く馬鹿げた操を立てるものだ。
触れかけた片手を半ば強引に掴み、エスコートに見せかけて引き寄せる。
人知を外れた鉱物によって蝕まれた脳では、彼女の目がどんな感情を宿しているか、知るよしもなかったのだ。




