第六十八話
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「待ちなさい、リンドウ!」
アスターの鋭い制止の声に、リンドウが大きく肩を震わせて振り返る。
「で、でも、団長、バラが、バラが」
「分かってるから、落ち着きなさい」
王妃と別れアスターが用意した部屋に戻ってきたライネリカは、倒れそうな体をラジレイシアに支えられていた。凝視する目の先では、キリノスが空中に細い糸を出し、立体的な宮殿の地図を生成し始めている。
呆然とした顔のライネリカの前に、アスターは胸に片手を置いて膝をついた。
「主さま、ご安心ください。バラは無事です。すぐに居場所を特定いたします」
「…………可能なんですの?」
「はい。このような事態も含めて、バラとは連携をとっておりました」
バラが与えられた役割は、この中で一番危険を伴う立ち位置だ。アスターは自身に何かあった時の為に常備している、戦時に使用する通信器具を改造した物を、バラに手渡していたのである。
それはキリノスが扱う糸の結界に反応し、居場所を特定できる物であった。
脂汗を浮かべ、次第に息を切らしながら、キリノスが微かに口角を上げる。
「ダァーッもう、宮殿広すぎ……! だけど、見つけたっスよ……!」
全てを作り終えた彼が、精根尽き果て力が入らず崩れ落ちた。痙攣する片腕を持ち上げ、赤く点滅する糸を指差す。
隣で宮殿内部図を睨んでいたリュグザが、剣呑に目を細めて呟いた。
「…………特別国賓室、ですね」
宮殿で最も警備が厳しい、特別国賓室。
大国シスボイリーにとって、最も価値ある客人が招かれる部屋だった。
通常、侍女長であるバラが招かれる事はまずあり得ない。入室するには事前に、国王の許可が必要になるからだ。
リュグザとアスターは先ほどまで、明日の晩餐会の打ち合わせでシスボイリー国王と共に居た。もし入室の報告があれば、自然と耳に入ってくるはずである。不審がられずバラを入室させるのであれば、事前に承諾済みでないとまかり通らない。
関わる全ての人間を買収して黙らせる、という方法が無いわけではないが、それが出来ない対策も行っているので、この線は薄いだろう。
「……キリノスさま。先ほど、ラヒューレ兄上さまの入国について、情報を得たと言っておりましたわよね」
ラジレイシアの言葉に、キリノスは目を丸くして、いやいやと顔を左右に振った。
「流石に今回入国していたら、俺も伝えるって! は? マジ? もしかして兄上、ここにいるかもって事か?」
第二王子と共に入室すれば、侍女の人数さえ報告と一致していれば良い。ただ、いくらジャダルが関所を押さえているとは言え、入国者名簿を偽造するのはそう容易くないのだ。
大国がシガリア鉱物の先進国である事を見せつけるため、様々な技術を注ぎ込み、入国者を感知する器具が、関所内のあらゆる箇所に取り付けてある。これによって、人為的に行う報告までは操作できても、入国者そのものを偽る事は難しい。
それこそ、空を自由に行き来できるフィーガスのような存在でなければ、キリノスが入出国を見落とす事はほとんどないだろう。
アスターは沈黙して、床まで視線を落とす。
アスターはバラに、何かあれば抵抗して良いと伝えてある。彼女は生身の人間など相手にならない、物理的な力を授かっているのだ。正直な話、ジャダルの腕力など足元にも及ばない。
赤く点滅する糸は、変わらず同じ場所に留まっている。バラは動くことが許されない状況に、追い込まれている可能性があった。
「……リュグザさま、この特別国賓室というのは、先に侍女を入室させる事は可能?」
「…………先に?」
「ええ、……客室を変更し、エイロス国王夫妻とライネリカ第二王女殿下を招く目的で、先にバラを入室させ、室内の状況を整えておくことは、出来るのかしら?」
黙して聞いていたフィーガスが、息を呑んだ。
リュグザは軽く目を見開いて、片手で口元を押さえてアスターを見やる。
「……なるほど、……可能ですよ、そうであれば。特にバラ殿は、王妃からの信頼もあつい侍女長ですから」
「そ、ん……っですが、わたくし、そんな話、何も……」
動揺するライネリカに、アスターは唇を噛み締めて首を左右に振った。
「主さまのご意志は関係ないのです。エイロス国で、最も決定権があるのは国王陛下ですから。陛下の許可をとっているのであれば、シスボイリー国王も不審に思いません」
特別国賓室に招待して、晩餐会とは別に親密な関係を築きたい。ジャダルの意向は、エイロス国を特別視しているシスボイリー国王の考えとも合致する。
「……つまり、リュグザ殿下を差し置いて、という事ですわね。……お父上さまもは、もしくはお母上さまも、国交を甘く見過ぎですわ。シスボイリー国王陛下が許可したからと言って、リュグザ殿下の権限が消えたわけではないのですわよ……!」
片腕でライネリカを支えるラジレイシアが、眉間の皺を深めて苛立たしげに吐き捨てる。
どこからどこまでが、信用して良いのか。エイロス国王やラヒューレ第二王子は黒だ。では王妃は。他の侍女や使用人は、宮殿内の臣下たちは、各国の来賓客は?
時間がない上に、あまりに状況が不利だ。後々リュグザが少しでも立ち回り易いよう、なるべく正攻法で挑んでいたが、これでは好転まで導けない。
ただ一つ。肯定的に捉えられる事はある。
無理を押し進めるジャダルが、正常な判断を欠いている事実だ。
ここまで盲目的にライネリカを求めていて、知らぬ存ぜぬではいられない人間が、一人いる。
アスターは目蓋を閉じて呼吸を落ち着かせると、ゆっくりと開きながら、空中に浮かぶ宮殿図を見据えた。
「フィーガスさまが行ったように、我々しか出来ない方法で、あのゲス野郎を引きずり下ろします。愚直になるのはやめましょう。相手は野蛮で低俗な、──欲望の為にネジが外れた、獣なんだから」




